船上の騎士~Pirate's Ritter~
零識松
第1話 ユニコーン運輸 ~海運業者と海賊と~
「はぁ……どうしてこんな事に……」
何度目になるかわからないため息を吐きつつ、私――ライラ・リーガレットは半ば途方に暮れていた。
快晴の青空と、その青を映し取ったように真っ青な大海原という、なかなかお目にかかれない光景にも、うれしさをかんじられない。
それどころか、なにやら暗澹たる心持ちすらわき起こってきそうだ。
海上運送業者「ユニコーン運輸」の所有する唯一の船、「ネオ・ユニコーン号」の甲板――そこが、今自分が立っている場所だ。
「あ、おねーちゃん。どうしたの?」
「こら、あちらは依頼人の方なんだから、馴れ馴れしくしないの。あの、ご気分がすぐれないようでしたら、何か飲み物をお持ちしましょうか?」
元気の良い声に振り返ると、十歳くらいの子供の無邪気な振る舞いを窘めながら、十代後半の女の子が近づいてくるのが目に入った。
(たしか、姉がシンシア、弟がスタールだったかしら)
うろ覚えな船員名簿を思い出して、さらに私の不安が増大する。
彼らが私と同じ乗客ではなく、歴としたこの船で働くクルーなのだ。
たしかに、職人業ともなれば年が若い頃に弟子となる事は珍しくない。
(でも、それにしたって――)
屈託のない瞳を輝かせて笑う少年と、心配そうな表情でこちらを伺う少女の対照的な顔が私を見つめてくる。
遮るものの無い洋上だというのに、そろって長袖長ズボンの上、両手には白い手袋までして、見ているこっちが暑くなってくるような格好だ。
「いえ、大丈夫よ。お気遣いありがとう」
陸で培った営業用笑顔で姉弟をやりすごすと、後部甲板へと目をやる。
あの甲板の下に、私の全財産を費やした輸送物資が、コンテナに詰め込まれて入っているのだ。
(この時のために、私はすべてを賭けてきた……)
本来なら、今回の仕事は他の業者に任せているはずだったのだ。
しかし、契約していた業者が海賊の襲撃にあったというので、やむなく他の業者を探さざるを得なくなり、資金の問題から仕方なくここを選んだ。
物置小屋のように小さな事務所を訪ねた時から感じていた不安は、払拭されるどころか増大する一方だ。
乗っている船も、鋼鉄船が当たり前の昨今において旧型の木造船。さらに動力も魔力原動機が主流になっている今に逆行するような帆に受ける風だ。いちおう小型魔力原動機を積んでいるという説明を受けたが、とってつけたように帆柱の前に設置された艦橋も相まって、私は半信半疑だった。
「……いいえ、こんなところで挫けてられないわ。まだ、道を歩きだしたばかりの私が、こんなところで終わってたまるものですか」
共和国に着いてからの事を考え、落ち込んだ気分を奮い立たせようと無理やり口にだした前向きな言葉は、潮風にまかれて消えてしまった。
「クライアントさん、随分気落ちされているようですね」
「大口のノーチラス運輸とウチを比較しているのですから、無理もないですね」
甲板が見渡せる船長室で、気落ちしたライラの後ろ姿を見ながら、船長のトマスは乾いた笑いとともに肩をすくめる。
「しかし、か――船長、私たちがあんなにがんばってきたのに……」
トマスの横の席に腰をおろすのは、流れる金色の髪が美しい、鼻筋の通った美女――マーミャだ。甲板にでていた姉弟と同じ服装をした彼女は、口をへの字に結ぶと、年の割に控えめな胸を強調するように腕を組む。
「ゆっくりでも確実に前進はしてます。気長にいきましょう」
机におかれたカップに口をつけてのどを潤すトマス。その表情はいつもと同じ、柔和なものだった。
「もう、船長がそれじゃ……」
ちりぃん
扉につけた鈴が、涼やかな音色をたてた。
ノックも無く船長室に入ってくる人影を、トマスもマーミャも咎めようとはしない。鳴った鈴は、風や扉の開閉では音を立てない特殊な物なのだ。
その特別な鈴が鳴ったということは、入ってきた人物は一人しかいない。
「各部異常なし。いたって平常運転だよ」
「ありがとうございます、船主」
振り返る事無く答えるトマスの頭に、柔らかい感触がもにゅっとのしかかってくる。
船主――レイナが、座っている椅子ごとトマスを抱きしめたのだ。
「な、な、ななな……」
頬を染めて目を丸くしたマーミャが言葉にならない声を漏らす。
「……やめてください」
「相変わらず堅物なんだから~。そんなんだと、女の子にモテないぞ~?」
うりうり~、と豊満な胸を押し付けるレイナにも、トマスは眉一つ動かさない。
「別にかまいませんよ」
「ちぇ、つまんない反応ねぇ。……その点、マーミャはいい顔してるわ」
「そりゃあ、昔っからやられてれば慣れますよ。マーミャも、そろそろ慣れて欲しいですね」
「あ、は、はい……す、水中偵察、行ってきます!」
半ばヤケ気味に声を上げると、真っ赤になった顔を掌で隠しながら、マーミャは早足で船長室を出て行った。
静けさが戻った室内で、トマスは再びカップを傾け、ライムジュースで喉を潤す。
その横、マーミャが座っていた席に腰を下ろした船主――レイナは、飲みかけのままおかれていたカップをあおった。
「で、どうです?」
「魔力原動機も問題なし。ムラサメとの同調も異常なし。万事順調」
「あとは、マーミャの結果次第……今回も無事な航海になるといいんですけどね」
「ちぇ~……スリルがあった方がいいじゃない」
「今は海運業者ですから」
ぶぅ、と不満げに頬を膨らませるレイナに、しれっと返して立ち上がるトマス。
と、懐から転がり落ちた小物が、乾いた音を立てて床に転がった。
陽光を受けて輝くそれは、金色の懐中時計だった。
「ッ!」
すぐさま拾い上げると、かすかについたホコリを丁寧に払い落とし、再び懐へとしまう。
「……トマス……」
「もちろん、まだ諦めていません。必ず……」
ギリっと歯をかみ締めて憤怒の顔になったのは一瞬の事。表情をいつもの穏やかなものに戻し、今度こそトマスは船長室を後にした。
背後から、レイナの哀しげな視線を受けながら――。
「船長、不審な船影を確認しました!」
艦橋に戻った途端入った報告に、トマスの表情が引き締められる。
「数一。二時の方角。本船へと進路を向けています!」
監視の声に、望遠鏡を覗くトマス。
そこには、鋼に包まれた船がこちらに砲身を向けようとしている光景があった。艦橋で風にはためく旗には、時計、髑髏、剣が描かれている。
と、不審船から信号弾が打ち上げられた。
色は、青空に映える赤。意味する所は〝即時停船ヲ求ム〟
ここまで見せ付けられれば、怪しむことすら馬鹿馬鹿しい。
「海賊船ですか……警報発令!」
船内に張り巡らされた伝言管から、緊張感をあおるラッパの音色が響き渡る。
「信号弾打ち上げ!色は――」
「もちろん赤!そっちこそ止まれ、ってね!」
いきなり響いたよく通る声に、艦橋にいる全員が敬礼で答える。
「見せ場を持っていかないでくださいよ」
「いいじゃない。トマスはもう一人立ちしてるんだし、ちょっとくらい」
何と返そうかと迷ったトマスは、レイナの顔を見上げて諦めのため息をついた。
そこには、冒険者の純粋な輝きを宿す双眸が、逐一変化する状況を見逃すまいと開かれていたからだ。
こうなったら、止める方法などないのは、長い付き合いでとっくに承知している。
「クライアントの保護をしてきます」
「よろしく~。彼女、ようやく船室に入ってくれたみたい」
ヒラヒラと振られる手に送られて、トマスは艦橋を後にする。
ちらりと振り返ると、閉じようとする扉の隙間から、豪快に指示を飛ばす女傑の姿が見えた。
「なにやってんのよ!まったくもう!」
姉弟に促されて渋々船室に入ったものの、私の怒りは収まらなかった。
「なにが一番安全な海運業者よ!さっそく海賊に見つかってるじゃない!」
十年前、戦争が終わってから再開された両国間の交易は、もっぱら海を輸送経路として用いている。
陸地の主要街道の復興があまり進んでおらず、海上輸送しか方法がなかったからだ。
そして、戦後の貧乏と疲弊しきった生活を抜け出そうと、頻繁に行き交う大量の物資を狙う者が現れはじめたのも、航路開通から間もない時期だった。
長い戦争で国力の低下したこの国が海賊を押さえ込むのは難しく、現状このあたりの海域は輸送の集中する場所であると同時に、海賊が跳梁跋扈する危険地帯ともなってしまっているのだった。
――輸送船が海賊に遭遇してしまえば、為す術なく船内のすべてを強奪される。金品どころか人身すら、彼等にとっては貴重な収入源となる――。
どこかで読んだ文面が頭をよぎり、背筋を冷たい何かが流れ落ちていく。
外の状況を確かめようにも、甲板の下に作られて窓一つないこの部屋では、波の揺れくらいしか感じる事ができない。それは安心どころか、一層の不安を掻き立ててくるだけだ。
「とにかく、状況を確認しないと……」
不安からくる震えを抑えて、決意とともに立ち上がった瞬間、扉から軽いノックの音が聞こえた。
「船長のトマスです。少しよろしいですか?」
「はい、どうぞ」
渡りに船ということわざは、まさしく今のような状態を表したものだ。
はやる気持ちを抑え、扉が開かれるのを待っていた。
扉の向こうに立っていたのは、中の細い肉体が浮き出るような白いシャツの上から皮のジャケットを羽織り、移動の際に邪魔にならないよう裾を絞ったズボンの腰に、物腰からは全く不釣合いな剣を挿した優男――このネオ・ユニコーン号の一切を取り仕切る船長、トマスだった。
「失礼します」
恭しく礼をすると、トマスは私の前のイスに腰をかける。その一連の流れは、陸で依頼をした時と全く同じだった。
(てっきり、血相を変えて慌てているものだとばかり……)
モノクルをかければ魔術師や錬金術師といっても通じるような容貌を持っていても、この人は肝の据わった海の男なのだと、納得させられた。
「警報でも伝えた通り、現在この船は海賊と遭遇しています。しかし、どうかご安心ください。相手は一隻です。あなたと、あなたの物資の安全は保証します」
「……つまり、トルマ港へ引き返すんですか?」
仕方ない――とあきらめかけた私の耳に届いたのは、全く正反対の答えだった。
「いいえ、あの程度なら支障はありません。無事に共和国まで送り届ける事ができます」
「――は?逃げないんですか?迂回も?」
「はい」
表情を変えない船長をみていると、まるで自分の方が間違っているような錯覚を感じてしまう。いったいこの自信の根拠はどこにあるのだろうか。
「逃げないという事は、戦うという事ですよね……御言葉ですが、輸送船であるこの船で、いったいどうやって海賊と戦うおつもりですか?」
「リッターを使います」
リッター――正式名称シュタールリッター。全高十メートルの鋼鉄の巨人であり、先の戦争において旧帝国と共和国の両軍で主力兵器として戦場で縦横無尽に暴れ回ったという。そのため、十年前に集結した戦争の名前が「巨神戦争」となったのだ。
内部へ搭乗した人間によって操縦されるこの人工の巨人は今、戦場を離れ復興作業などに従事している。
たしかに、物資搬入の様子を見せてもらった際はずんぐりとした姿のリッターが一騎、コンテナを持ち上げていた。
しかし、その風体は全体的に丸みを帯び、いかにも鈍重そうだった。とても揺れる船の上でバランスを取って動けるとは思えない。
「あんなので……付け焼き刃な対応はやめた方がいいと思いますよ。下手な抵抗をしなければ、命までは取られないでしょうし」
「そこまで不安でしたら、艦橋まで来られますか?」
何かをあきらめた様子で提案を持ちかけてくる船長。
やはり口先や所作でどう取り繕おうと、心は折れてしまっているのだろう。
「はい」
(どうせ、どこにいても結果は変わらないのだ。それならいっそ、この無謀極まる海運業者の最後を見て最期を迎えるのも悪くない)
覚悟を決めた私は、船長の後に続いて船室を出た。
「敵艦、発砲!」
「どうせ当たりゃあしない!そのまま前進!機関室、最大船速を維持!ムラサメとの同調は?」
「異常なしです」
艦橋の扉が開かれると、まるで市場の商人たちのように生き生きとした声が耳に届く。
「…………」
全く予想外の光景に目を丸くしながら、思わず呆然としてしまう。
「はぁ、やっぱり……そちらの椅子に掛けていてください」
ため息を吐き出す船長に促され、近くにあった椅子に腰をおろす。
船長はすたすたと船長席に座っている女性へむけて歩いていくと、彼女の耳のそばで大声を張り上げた。
「オーナー!はしゃぐのもいいですが被害を考えてください!今乗っているのは海賊船ではなく輸送船です!積み荷があるんですよ!!」
船長の怒声に、艦橋はそれまでの喧噪が嘘だったように静まり返った。
「……ったく、人が久しぶりに本領発揮してるってのに……」
「楽しむのはまた今度にしてください!」
言い訳をぴしゃりと一刀両断され、女性が名残惜しそうに席から降りる。
と、その足でこちらに歩いてきた。
深紅の制服をグラマラスな身体にまとい、同じく深紅色のバイコルヌ――その中央には伝説の一角獣が白亜に染めぬかれている――をかぶった、いかにも海賊といった風体。
陸――社屋では見なかった顔だ。
「えっと……あなたは?」
「あたしはレイナ。この船の船首、オーナーよ」
「……自分の船を海賊船に向けて直進させるって、どんなオーナーよ……」
「そりゃあそうよ。海賊同士の喧嘩だもの」
「は?」
漏れ出た本音が聞こえてしまった事を取り繕うのも忘れ、私は呆然とレイナを見る。
「海賊……船……?この船が……?」
「ああ、キャプテン・ユニコーンっていやあ、それなりの有名人だったんだけど、さすがに年月には勝てないねぇ。商人にも忘れられたか」
キャプテン・ユニコーン――私は知らないが、彼女の言葉からすると有名な海賊なのだろう。
私は、強烈な後悔を眉をかすかにひそめる程度の変化で抑えこむのが精一杯だった。
(謀られた……!最初から私を狙ってたってこと?おそらく、目の前の海賊ともグルになってるわね。きっとこの船は、迫ってくる海賊に餌を運ぶ役割なんだ)
悪い憶測だけが次々と浮かび上がってくる。
「私を、どうするつもりですか……?」
多少引きつった顔になりながら、必至に気を張って声をだす。
「別にどうもしないよ。運送業はあの子任せさ。依頼人と依頼物はきちんと送り届けるよ」
まったく考えていなかった普通の回答に、おもわず面食らった。
「え?でも海賊って……」
「……?ああ、そっか。ごめんね、言葉が足りなくて。あたし達は、海賊は海賊でも《海賊狩り専門の海賊》なのさ。普通の人たちは絶対狙わない。むしろ守る対象だよ」
「海賊狩りの……海賊……?」
「無法者たちは減らせるし金は入るしで、一石二鳥さ。それに――」
「砲搭展開!船首延長!これより、本船――いや本艦は、敵海賊の航行能力剥奪の為の行動に移ります!」
親指でレイナが指した方には、それまでの腰が低い商人のような態度は嘘のように消え去り、毅然とした様子で指揮を飛ばす船長――トマスの姿があった。
「あたしのかわいい教え子に任せておけば、こんなの危機でも何でもないの」
「オーナー。プロテクトミストの用意を。それと、ウインドセイルも使います」
「おっと、出番かな……」
よっこらせ、と立ち上がるレイナ。
「それじゃ、あたしも仕事してくるよ。ま、面白い見世物だとでも思って見学しててね」
「はい」
颯爽と部屋を出ていくレイナを見送る。
驚きの連続のせいか、私の中の不安は、いつの間にか霧散していた。
「お頭ぁ。あの船、なんか変ですぜ……」
見張りから望遠鏡を受け取った海賊船の船長、エドワードはレンズの向こうで展開していく獲物の変化に、驚きを隠せなかった。
前部甲板が回転し、内部に隠されていた連装砲の砲搭が姿を現したのだ。
同時に、船首についていた衝角が、こちらを威嚇するように伸び始める。
まるで昆虫の羽化のように変わり果てた標的を見つめるエドワードの脳裏に、どこかで聞いた噂話がかすめた。
「まさか……」
眉唾な想いで巨大な帆に望遠鏡を向ける。
風を受けて一杯に膨らむ純白の帆――その裏地で陽光とは別の淡い輝きを放つ紋章を目にしたエドワードは、思わず望遠鏡を取り落としそうになった。
「ど、どうしたんでぇ、お頭?」
不審な言動を心配した部下には目もくれず、近くの伝言管に向けて怒鳴り散らす。
「相手はあの〝海賊狩り〟だ!容赦なく沈めちまえ!」
船長の怒号にこたえるように、船首近くに設置された巨砲が動き始める。大気を振るわせる轟音とともに、木造船相手には強力すぎる砲弾を射出した。
それを見届けたエドワードは、すぐさま次の指示を伝言管に叫ぶ。
「回頭取り舵百八十度!全速前進!」
『に、逃げるんですかい!?』
艦橋から返ってきた疑問に、船長の額に青筋が浮かぶ。
「奴らが噂通りなら、命がいくつあっても足りゃあしねえ!射程ならこっちの方が断然長いんだ!とにかく撃ち続けろ!!近づかれたら終わりと思え!」
反論を封じるように勢い良く管の蓋を叩きつけ、苦りきった表情のまま艦橋へ走る船長を、見張りが唖然とした表情のまま見送っていた。
「敵艦回頭!逃げていきます」
「逃がさないで!あの旗は〝雷撃〟エドワードの物です」
敵艦に向かって、蛇行しつつも距離を詰めていくネオ・ユニコーン号。
航跡の左右に着水した砲弾によってできるいくつもの巨大な水柱と波で船体を揺らしながら、後退に転じた海賊船を執拗に追いかける。
艦橋の私は驚きに目を見張りながら、事態の推移を見続けていた。
「帆船が、鉄鋼艦と対等な速度を保つなんて……」
帆船の動力はいうまでもなく、甲板の帆柱に張られた帆に受ける風である。絶えず方角が変化する風に合わせ、帆の角度も調整しなければ、最大船速を出し続けることはできないのだ。
しかし、ネオ・ユニコーン号の帆は全く動いていない。だが、その速度は原動機を積んだ鉄鋼艦に勝るとも劣らない。それどころか、蛇行していなければ追いついてしまいそうだ。
いつの間にか帆を凝視していた私に気づいた船長が説明をしてくれた。
「この船の推力の半分は確かに帆が生み出しています。しかしそれは、自然の風を受けているのではありません。魔法陣による〝魔力の風〟なのです」
「魔法……」
描かれる魔法陣によって様々な効果を発揮する魔法――知識としては知っていたが、実際にそれを使っている現場を見るのは初めてだった。
「この船は、帆の裏に描かれた魔法陣を任意に発動させることで自在に速度の調節が可能なのです。さらに、新しく設置した魔力原動機と併用する事によって、並の鉄鋼艦をはるかに凌ぐ速度と旋回性能を誇ります」
営業話術のような説明は、商売にしか興味が無い私にとって、とてもすんなりと耳に入ってきた。
「だから、帆船なのに立派な艦橋が備わっているのね」
「はい。この船だけでしょうね」
帆が受ける風量を考慮しなくてよければこそ、鉄鋼艦と同じ型の艦橋を備えられるということだ。
「でもそれでは、ただ足が速いだけの船ですよね。今のようにこちらの射程外から撃たれては、どうしようもないのではないですか?推進力である帆は弱点でもあります。それを堂々と敵の砲火にさらしているじゃないですか」
「それは――」
船長が説明を再開しようとしたとき、伝言管特有の金属反響を伴った声が艦橋に届いた。
『はーい、機関室に到着。艦長、いつでもいけるわよん』
「了解。始めてください」
『はいはーい』
まるで散歩にでも出かけるような軽い返事の直後、ネオ・ユニコーンの周囲に異変が起き始めた。
それまでまったく翳りの無かった蒼穹に突如、黒雲が現れたのだ。
「雲……?」
陽光が遮られ、周囲の海域がみるみる暗くなっていく。
しかし、船長はいたって涼しい顔で、操舵士など鼻歌交じりに蛇輪を動かしている。
「ずいぶん暗くなってますけど、照明は焚かなくていいんですか?」
「すぐに意味を為さなくなりますから」
果たして、船長の言葉の通りとなった。
薄暗くなった海域に、今度は霧が発生し始めたのだ。
「ちょっと……大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。ねぇ、船主?」
平然と言ってのける船長は、視線を扉へ向ける。
その時、私いの耳に、かすかに鈴の音色が聞こえた気がした。
「たーだいまー」
先ほどと同じ調子の、窓の外の状況とはあまりに不釣り合いな明るい声が艦橋に戻ってきた。
「レイナ」
絆の芽生えた相手の声に、自然と私の声も弾む。
おかえり、と扉に向けた目が、大きく見開かれる。
服装は先ほど機関室へと向かった時とかわらない。
しかし、身体全体から、後ろにある鉄の扉の硬質な色が透けていた。
「……」
何度瞬きをしても、目の前の半透明なレイナに色が戻る事は無く、今見えているものが現実なのだと否応なしに納得させられた。
「……幻影?」
驚きで真っ白になった頭から、そんな単語が転がりでてくる。
「ん~、惜しい。わたし、幽霊なのよ」
ほらほら、と壁に透けた腕を出し入れさせる女海賊に、思わず手放しそうになった意識をどうにか繋ぎとめて会話を続ける。
「幽霊……なの?」
「そう。船にとり憑いた幽霊。本気を出せば、あんな風に霧だって出せるわ」
「じゃあ、天気が悪くなったのは、レイナがやったの?」
「それもただの霧じゃないわ。――十時の方角、二発来るわよ!」
「回頭、取り舵三十。すぐさま増速して敵の懐に入り込め!」
急速な横からの圧力が艦橋をおそったかと思った直後、右舷から盛大な水柱が二つあがった。
「!!」
驚いて視線を戻すと、レイナが得意満面といった表情をしていた。
「この霧は、私の支配する領域みたいなものなの。霧の中で起きる事なら大抵は察知できる。たとえば、今追いかけてる船の方角とか、相手が砲撃したかどうかとか、ね」
「……」
「敵はこの霧でレーダーに頼るしかない。でも、木造部分が多いのこの船はレーダーに引っかかりにくいのよ。逆にこっちは相手の動きが筒抜け。どう?不安がる要素なんて残ってないでしょ?」
驚きが続きすぎて言葉が出なくなった私にほほえみかけると、レイナは船長の側に歩いていく。
何度か交わされた会話の後、再び船長席に腰をおろしたレイナに代わり、トマスがこちら――扉の方に歩いてくる。
「船長、どちらへ?」
「相棒の準備が出来そうなので、一足先に整備室へ行ってきます」
「相棒……?」
「シュタールリッター《ムラサメ》です。説明するより、見ていただいた方が早いでしょう。しばらくお待ちください」
ムラサメ――独特の語感からヤマンチュール語だろうと推測する私を横目で見つつ、トマスはそれまで見せなかった含み笑いを浮かべながら防水扉を閉めた。
甲板の下の階層を二つ抜いて作られた縦横に広い空間を、ところ狭しと何人もの人間たちが走り回っている。
その空間の大部分を占拠しているのは、作業台に横たわった一体の巨人だった。
全長十メートルの、直線を主体とした角張ったフォルムを持つその鋼鉄製の巨人こそ、ネオ・ユニコーン号の最大戦力にして二台ある魔力原動機の片割れ、シュタールリッター《ムラサメ》である。
胸や背中につけられていたいくつもの太いコードが引き抜かれていく巨人の足下では、搭乗者のトマスが、整備長のジョセフに進展状況の確認を行っている所だった。
「オヤジさん、調子はどうです?」
「偽装用外装は取り外しが終わって、今は機関の接続を解除しているところだ。もうすぐ仕上がる」
「先に乗ってますよ」
「おう。ムラサメの機関はしばらく動かさんでくれよ。密閉が終わったら手旗で合図する」
「了解」
部下の整備員たちに声を荒げて檄を飛ばすジョセフに後を任せ、トマスは巨人の胸へと向かう。
コードの接続されていた部分と装甲の継ぎ目に厳重な防水加工を施している整備員たちにねぎらいの言葉をかけつつ、ムラサメの胸部中央にぽっかりと開かれた穴――搭乗口に滑り込む。
普段であればこのまますぐに起動操作を始める所だが、おさえて整備場の明かりが差し込むだけの薄暗いコクピットから外を伺う。
ややあって、搭乗口正面の足場に立っている整備員が、赤と白の旗を振って合図をくれた。
「よし、出します!」
始動スイッチをひねると、自動的にハッチが閉められ、一瞬視界が暗闇に包まれる。
直後、コクピット内の照明や上下左右と中央の5方向に設置されたモニター、各種計器などのスイッチがコクピットを明るく照らし出す。
整備員たちを急いで退避させるジョセフの姿をモニター越しに見つつ、無線で艦橋に連絡を入れる。
「こちらムラサメのトマスです。無事起動完了しました。そろそろマーミャが戻ります。騎体の発進もあるので、今から第二船速で航行してください」
『了解。そろそろ敵艦に追いつくわ!ところでトマス、何でマーミャの戻る時間が分かるのよ?』
「勘ですよ」
『……その言葉を本人に聞かせてあげれば?喜ぶわよ?』
「何でです?」
『……まぁいいわ。甲板を展開するから、騎体を起こしておいてね』
「了解」
レイナとの通話を終えると、整備班が全員退避した事を確認してから騎体をゆっくりと動かす。
浅瀬にも接岸する関係上そこまで船底を深くできなかったネオ・ユニコーン号では、リッターの一挙手一投足にも注意を払わなければならない。
仰向けのまま手先だけを動かして、今乗せられている台につけられたリッター用レバーを引く。
プシュ、と圧縮された噴射剤が放出され、台が斜めに持ち上がったまま固定される。ムラサメの頭が天井に触れるのではないかとひやひやするくらい、ぎりぎりの高さだ。
そのまま台の下についた車輪をレバーで操作して、目的の場所まで移動していく。モニターを逐一確認しながらの移動は、それなりの経験を積んだ今でも緊張を免れない。
目的の場所――発射装置前へと到着すると、再び通信を開く。
「艦橋、こちらトマス。所定の位置につきました」
『了解。甲板展開!』
レイナの号令とともに、騎体の前にある天井に横一文字の切れ目が入り、そのままスロープとなって降りてくる。
「発射台と固定ワイヤーの接続――完了。発射台固定具の脱着確認――問題なし。騎体噴射装置動作確認――問題なし。艦橋、発進準備完了しました」
『了解。ムラサメ、発進!』
次の瞬間、乗せられている台車が急加速。スロープを一瞬で駆け上がると、最高速に達したところで騎体のロックを解除する。
先に接続していたワイヤーに引っ張られて甲板下へ戻っていく整備台車を後部モニターで確認しつつ、トマスは発射の勢いを残したままのムラサメに、両足を使って甲板を走らせる。
ずん、ずん、と脚を進める度に船の喫水線をたわませながら、青と白を基調とした鋼鉄の巨人が全速力で甲板を駆けていく。
両舷に設置された回転砲塔の間をすり抜け、目指すは船首に備わっている衝角。
『敵艦の方角はそのまま!距離、一キロ』
どうやらだいぶ距離は縮まったようだ。まあ、向こうが当てずっぽうで撃ってくる砲弾を避ける以外はまっすぐ敵艦を目指しているのだから、距離が詰まらない方がおかしいのだが。
円錐型の衝角を駆け上がる。
「噴射装置、起動!」
ムラサメの背面に二つ備わっている中型噴射装置を全開にして、衝角の先端を踏み切り、空中へと鋼の巨人が舞い上がる。
噴射装置とそれに付随する安定板によって、落下することなくムラサメは敵海賊船めがけて飛びたっていった。
「リッターが、助走をつけて飛び上がるなんて……」
目の前で繰り広げられた一部始終の出来事を、私は只々呆然と見ている事しかできなかった。
たしかに、最近は作業の効率化などを狙ってシュタール・リッターを搭載している船舶もちらほらと出始めていると聞いた。だが、この船程度のサイズでリッターを積んでいるというのは信じられ無い事だ。
「噴射装置サマサマって所かな。これだけ近づけば噴射での微調整だけで十分いけるわ」
横では、腕を組んだレイナが満足そうに弟子を見送っている。
ギィィ……
後ろの扉が開く音に振り向いた私は、今日何度目になるか分からない驚きに目を見開く事になった。
甲板で会った姉弟たちに良く似た顔立ちの女性が立っていた。たしか、陸で会っていたはずだ。船長トマスの傍で秘書のように立っていた女性――マーミャと名乗ってただろうか。ただし、服装は下着に近い程度の簡素なものを身に着けている。
「水中偵察、完りょ――な、なんでクライアントさんが艦橋に!?」
向こうがびっくりして顔を覆った指には、人間には無い膜――水かきがはっきりと見て取れた。そして、腕や脚には銀色に輝く鱗がびっしりと並んでいる。
その奇妙というより異形の姿をした女性に、何かの文献で読んだ知識が言葉となって口から漏れた。
「す、水棲人……」
水棲人――名前の通り、海や川など水中に棲む人間に似た生物で、漁師などからは見つけると幸運が訪れると言う迷信が噂されるくらい人前に姿を現す事は滅多にない。今まで沿岸地域に住んだことが無い私は、当然初めての遭遇だった。
「は、はい……」
思わず漏れた呟きにも、おずおずと律儀に答えるマーミャは、両腕を後ろで組んで鱗を私に見せないようにしながら、レイナの方へと歩いていく。どうやら私はずいぶんと失礼な顔をしているようだ。
「水中偵察、終了しました。周辺海域に艦影は今追いかけてる一隻だけです」
「了解。ご苦労さま」
「トマスさんは、もう?」
「ああ。ムラサメに乗って行ったよ」
「私、戻る時間伝えて忘れてしまったんですけど……どうして分かったんですか?」
「本人曰く、『勘』だそうだ」
「……やっぱり、私とトマスさんは――」
頬を染めて喜色満面の表情を浮かべる水棲人をため息交じりに見つつ、艦長席のレイナは船員の気を引き締めるような大音声で指示を飛ばす。
「さぁ、こっちも正念場だよ!進路そのまま。第一船速!速度、絶対落とすな!」
「了解!」
窓の外が一分の隙もなく白い霧で覆われている中を、艦長の言葉を忠実に実行する操舵手。ちらりと見えた横顔には、獲物を狙う獰猛な肉食獣にも似た表情が浮かんでいた。
「ど、どうするの……?」
思わず背中を冷やすような表情に、私は思わず傍に来ていたマーミャに声をかけていた。
「船首についている大きな角で、敵の船に穴をあけるんです」
「……え?」
古いを通り越し、原始的という単語が私の中に浮かぶ。
「あ、相手は鉄で出来ているのよ!?木製の角でどうやって……」
「そのための砲撃よ。発砲開始!操舵手、領域を解除するから気を引き締めな!」
どうやら私の疑問が聞こえていたレイナが指示を出した直後、前方から爆発音が断続的に鳴り始めた。
その間にも、最速のネオ・ユニコーン号は海賊船との距離をどんどん縮めていく。
そして――霧が晴れた。
海賊艦の艦橋は、どこから撃たれているか分からない砲撃に晒され、混乱の極みにあった。
『また甲板に二発着弾!くそ、一体どこから……』
『こちら甲板。砲撃音が複数!艦橋、レーダーまだ使えねえのか!?』
『ひいぃぃ!もう駄目だぁ!』
船員の怒号と悲鳴が伝言管をうめ尽くし、艦橋からの指示もままならない状況だ。
しかし、それも無理はない。
なにしろ、周囲が完全に真っ白い霧に覆われている上、肝心のレーダーにも船影は映っていないのだ。
こちらから敵の姿が見えない以上、向こうからもこちらを正確に砲撃などできる訳がない――そんな、至極真っ当な考えが、さらに船員たちの混乱を加速させていた。
「とにかく回頭だ!この霧からでないことにゃあ話にならねえ!」
振り回される思考をどうにか建て直し、指示を飛ばすエドワード。
「回頭、面舵百八十!」
「お頭、それだと追っかけてくる船とぶつかっちまいやすが……?」
「こっちがレーダーきかねえんなら、向こうだって同じだ。ヘタに追っかけて来てねえだろう。さっさとしろ!」
「へ、へい。回頭面舵百八十」
今すぐ懐にさした剣を抜き放たんばかりの剣幕に、泡を食った操舵手は海賊船をぐるりと回す。
「こんどはこっちが追いかける番だ!全速前進!!」
「さ、サー!」
砲撃音に怯まず、直進を続ける海賊船。多少の砲撃程度で沈没などあり得ない――その思いが、船員たちを奮い立たせていた。
そして、ついに待ちわびた瞬間が訪れる。
「お頭!霧が晴れ始めましたぜ!!」
届いた報告に、艦橋に安堵の息と活気が戻る。
しかし、それも一瞬の事。
「お、お頭ぁ!目の前に、船が!」
見張りの素っ頓狂な悲鳴に続いて来た報告に、エドワードは目を剥いた。
晴れ始めた霧を貫くように、船が現れたのだ。
海戦の歴史書でしかお目にかかれない衝角を艦首に備え、甲板には新型らしい回転式連装砲塔や艦橋が装備された小型の帆船。
まるでちぐはぐな船は、エドワードたちの船と正面からぶつかる進路をとっていた。
「〝海賊狩り〟だ!回頭しろ!回頭!!」
「無理です!間に合いません!!」
直後、着弾のそれを遙かに超える衝撃が、船に襲い掛かった。
帆船の艦首についていた衝角が刺さったのだと悟ったエドワードは、顔を憤怒に染めて吼えた。
「やりやがった……!総員、剣を抜け!オレたちの船に傷つけやがったクソ共だ。一人も生かすな!!」
『白兵戦は無意味ですよ』
突然伝言管に割り込んできた聞き慣れない若い声に、全員が一瞬首を傾げる。
その不思議な沈黙を、再び見張りからの報告が打ち破った。
「お頭!こちら後部デッキ!り、リッターです!!」
「なんだと!?」
気でも狂ったか――そんな胡乱な目で後ろを振り返ったエドワードのあごががくんと落ちる。
霧がはれて再び当たり始めた陽光を遮り、一騎のシュタールリッターが悠然と後部甲板に立っていたのだった。
全体的に細身の騎影から、旧帝国製中期量産型シュタールリッター《ガベル》を基にした改良騎だろうか――そんな事を頭の片隅で考えるくらいしかできる事がなくなったエドワードに、さっきの若い声が呼びかけてくる。
『〝雷撃〟エドワード。直ちに停船と武装の解除をしてください。引き際をわきまえ、状況判断に長けた貴方なら、今がチェックメイトだと分かるでしょう』
「くそ……ッ!」
この若造の言うとおり、まったく手も足も出せない状況だ。
船員たちの持つ剣や弓矢程度で傷をつけられる相手ではないし、艦載砲で照準をつけている間に相手は悠々とこの艦橋を破壊するだろう。せめて目の前に刺さっている船を沈めてやろうかとも思ったが、それをしたところで沈む船が一隻増えるだけだ。
リッターは一見すると丸腰のようだが、それでもこの艦を沈める程度、鋼の巨人にとっては造作もない事だ。あの戦争に従事した者なら、誰もが納得する常識だった。
悔しさと諦めの混ざった表情で甲板連絡用の伝言管のふたに手をかけたエドワードの耳に、思いも寄らない言葉が飛びこんできた。
『お頭!こちら機関室!原動機載せ換え完了しやした!!』
「――よし!でかしたぞ!!」
この艦の動力を生み出す小型魔力原動機は、元々廃棄されたシュタールリッターから盗んできたものだ。
ならば、それを元に戻すのも難しくはない。幸い、倉庫にはリッター同士の戦闘を賭けごとにする見せ物の為に戦闘用のリッター一騎分の部品が積んであった。
指示も出さずに一人でサジを投げていた自分と違い、部下たちは着々と自分たちにできる事を続けていた――本来なら腹立たしくなるだけのその事実が、なぜかエドワードには誇らしかった。
俄然覇気に満ちた動きで荒々しく伝言管を握ると、声を張り上げる。
「ふざけるな!こちとら雷撃海賊団だ!亡霊程度に蹴散らされるほどヤワじゃあねえ!逆に海の藻屑にしてやらあ!」
徹底抗戦の宣言と同時に、敵騎のすぐ前の甲板が破裂した。
「行ってこい、アル!」
もうもうと上がる煙に乗じて甲板に飛び出したのは、エドワードの片腕アルフレッドが乗り込むリッター《メギンギョルド》だ。
重量型の流れをくむこの騎体は、四肢や胴体を太くして手に入れた内部空間を格闘戦の装備に利用するという思想で考えだされた。
噴射装置を併用して繰り出される四肢の動きのすばやさは軽量型にも匹敵する。
甲板上に立ったその姿は、相手が細身という事もあってより一層大きく感じられた。
『見たところ、大した武器も持ってなさそうだな……身軽さだけで勝てると思うなよ?』
『それはどうでしょうね。そちらこそ、自身の騎体の動力を破壊されれば船も航行不能になるのでしょう?』
余裕を見せる敵騎操縦士の言葉に、アルの怒りが爆発した。
『そんな事にゃあならねえよ!逆にてめぇの原動機をぶんどってやらぁ!!』
売り言葉に買い言葉と応じたアルの騎体が、両腕を突き出す。
直後――空気の爆ぜる音とともに、両腕の先についた拳が手首から離れ、猛烈な勢いで敵騎に向かって飛んでいく。
「出たか!飛翔拳!!」
本来は登攀用の装備となっていた鋼線式分離掌を戦闘用に改良したこの奇天烈武装こそ、この騎体を運んでいた理由なのだ。
まさか相手も、徒手空拳の状態から距離を置いた攻撃をしてくるとは思わねぇだろう――勝利を確信したエドワードの口角が自然とあがる。
『まさか腕を飛ばすとは思いませんでした。けど――この程度でムラサメを捉えようなど、まだまだですね』
迫る両拳を前にしても、余裕を崩さない敵騎。
次の瞬間、海賊船の船員たちは信じられない光景を目撃した。
「!?」
エドワードは、敵騎が瞬時に移動したような錯覚を覚え、思わず目をこすった。
先ほどまで正面に捉えていた敵騎が、瞬きするより短い時間の間にメギンギョルドに肉迫していたのだ。
標的を失った拳は、だらしなく本体と拳をつなぐ鋼糸が伸ばされていき、海中にぼちゃんと落ちていった。今から巻取りを始めたところで、全くの無駄にしかならない。
拳の間をすり抜けた――その事実に思考が届いたと同時に、変わらない敵搭乗者の声が伝言管から届く。
『はい、お終いです』
敵騎は、鋼の拳でメギンギョルドの胸部装甲を軽く叩いた。
「そんな……バカなこと……ほぼ零距離だったんだぞ……」
『抵抗を止めてください。こちらも無用な戦闘は望んでいません』
顔をゆがめながら、悔しさのあまり震える手で伝言管を握ったエドワードは、船員に最後の命令を下すしかなかった。
「……総員、剣を捨てろ。降伏する」
「すごい……海賊船を一瞬で制圧するなんて……」
「ま、こんなもんでしょ。上出来上出来」
パンパン、と軽い拍手するレイナの横で、私は目を丸くしていた。
海賊艦はスクリューをマーミャと彼女の子供たちによって外され、今はネオ・ユニコーン号に曳航されている。
ムラサメも再び格納され、トマスは海賊船の船長――エドワードというそうだ――と甲板にいた。
「いいんですか?拘束もしないでぶらつかせて」
「大丈夫。何かしようとしたらすぐに私が拘束できるから」
たしかに、比喩でも何でもなく船が自分そのものである彼女なら、どんな些細な動きでも見逃さないのだろう。
納得している私の横で、レイナは予想外の言葉を口にした。
「それに、たぶんそんな事にはならないよ」
「なぜです?」
「相手も海賊だもの。覚悟は決まっているわよ」
「覚悟……海賊に?」
荒くれ者は意地汚く足掻く、という固定観念があった私は、思わず女海賊に聞き返していた。
「そう。千変万化の海上で十人十色の船員をまとめている連中だもの。鋼鉄艦や色々な技術の進歩でずいぶん快適になったみたいだけど、それでも板一枚下は海。死と隣り合わせの中で生きている中で形作られた厳格な掟ってのがあるのよ。陸の人たちには理解しづらいかもしれないけどね」
「…………」
「商船や軍艦とちがって、海賊では、船長と言っても特別強い権限がある訳じゃないの。船員たちから不満がでればすぐに船から降ろされてしまうわ。だから、長年船長を勤められる人には大きく分けて二種類のタイプがいるのよ」
「二種類……?」
「そう。暴力で不満を押さえ込んで無理矢理言うことを聞かせるか、話し合いを頻繁にして論理的に船をまとめあげるかの二つ。だいたいは前者の方式を取るんだけど、今回の彼はどうかしら?もっとも、ウチのトマスが話しをしようって出ていく相手で前者はあり得ないけどね。で、後者のタイプはきちんと責任を背負っているの」
「責任……船員たちに対しての、ですか?」
答えるのと同時にちらりと覗き見たレイナの横顔には、後悔とも懐旧ともとれる、複雑な表情が浮かんでいた。
「その通り。船員全員の人生っていう責任をね。そういう類の船長は、当然失敗したときの覚悟も決まっているわ。昔、とある船が沈没目前になったとき、船員たちを全員脱出艇で逃がして、自分は船と運命をともにするような船長がいたの。航海失敗の責任を、自分の命で償おうとしたのかしらね……。救助された船員たちは、陸に帰ってからすぐに船を出したそうよ。船長の亡骸を引き上げる為にね」
「…………」
「そういう、絆を大事にする連中だからこそ、通じあえる部分もあるって事よ」
過酷な環境だからこそ育った厳格な掟や強靱な団結力――無骨で、荒々しくて、スマートさなんて微塵もないけれど、なぜか私は心に響く物を感じていた。
視線を戻すと、波に揺れる甲板のへりにもたれて、男二人が背中を向けている。
「……何を話しているのかしら?」
「共和国に引き渡す前に、色々と情報を得ておかないといけないの。付近の海賊の情報とかね。そう、色々あるのよ――」
話しを続けながら艦橋の窓から二人を見つめるレイナの視線には、かすかな懐旧の感情が浮かんでいた。
激戦時、既に傾き始めていた太陽は、海賊艦――トルステン号をワイヤーで繋留する作業が終わる頃にはずいぶんと水平線に近づいていた。
赤々と燃える夕陽を眺めながら、二人の男は波の音の中で静かに言葉を交わしていた。
「どうして、海賊に?」
「元々は、戦争が終わって放浪してた所をひっかけられて、商船の甲板員をやってた。そこの船長が大したクズ野郎だったから、他の連中と話し合って海に捨ててやったのさ」
自分の経歴を自嘲気味に鼻で笑うエドワードに、トマスは表情を翳らせる。
海運業の発達と共に浮上した問題が、船員の不足だった。
リッター開発によって発達した技術を応用して昔の船より削減されたとはいえ、航海に人間は依然として必要なのだ。
当初は旧海軍――といってもかなり小規模なものだったが――の人員を充てていたものの、増加する隻数にすぐに人手不足に陥った。
そこで強欲で利益が全ての商人たちは、強引な手段にでる。
戦災によって家や仕事を無くした者たちを騙して連れてきて、無理やり船に乗せたのだ。
いい儲け話がある――そのうまい言葉に引っかかった男たちには、過酷極まる労働が待っていた。
海運業開始当初の船は技術が未発達だったため、木造船の船体に鉄板を打ち付けただけの粗末な物が多く、結果的に一般船員たちの苦労は木造船よりも増えたのだ。
取り付けのあまい鉄板の継ぎ目から浸水すればせっせと排水ポンプで水をかき出し、同時に浸水箇所に新しく鉄板を打ち付ける。雇い主である船長や船主の横暴極まりない命令にも粛々と従わなければならず、逆らえば厳しい刑罰が待っていた。船や航海についての知識に疎く、さらに権力をかさに着て威張り散らすような大商人が船主ともなれば、船内は地獄とさほど変らないひどい有様となる。限られた食糧も飽食に慣れた船主に平然と徴収され、かつ過酷な労働や不衛生な船内で何人もの船員が命を落としていった。
そんな有様なので、当然、船員たちの不満が溜まってくる。しかし、雇い主に逆らえばその場で斬って捨てられる事だってあり得る。それに、上陸すれば多少の自由とそれなりの金が手に入る事もあり、我慢して労働を続ける船員も多かった。
(行為の是非はともかく、この男は、置かれていた状況を変えて、自分の生きる道を自ら作り出したのですね……)
「それからは、主に商船を狙って掠奪だ。あの船も元はといえば間抜けな商人のものだったな。まったく、海賊怖さであんだけ武装したって使える人間が育ってなきゃあ宝の持ち腐れだっての」
「どれくらいの船を襲ったんです?」
「さぁて……あんまり多くはないな。両手はいかねえよ。それでも、一隻ずつに積んである品物が膨大だったおかげで、下の連中を飢えさせはしなかった。そういう意味じゃ、一念発起して海賊はじめて良かったぜ。襲撃かけた船で色んなヤツに会ったしな。ロクなヤツもいたし、イカレたクズもいた。中には、今の環境よりは良いってんでオレたちの所に残ったバカもいたっけな……」
荒々しさの象徴のような海賊艦――曳航される自分の家を見つめるエドワードの顔に、名残惜しさや懐かしさといった感情が浮かんでいるように見えるのは、夕陽が作り出した陰影のせいだろうか。
「…………」
「それで、オレたちは共和国に引き渡されるのか?」
「正確には、共和国内にある連邦の領地に行き、そこで裁きを受けてもらいます。明日の昼に港へ到着しますから、夕刻には着けるでしょう」
「そうかい。んじゃ、明日が朝日の見納めってこったな。海賊の最後は決まってる。裁く必要もねえってのにな」
話は終わり、と寄っかかっていたへりから体を離すエドワード。
与えられた船室に戻ろうと背を向けた彼に、トマスは最後の、そして彼にとって最も重要な質問を投げかける。
「『三首のドクロがついた蛇の紋章』もしくは『トライデント』という海賊に心当たりはありませんか?」
「……どこかで、聞いたような……」
「どこでですか!?」
掴みかからんばかりの勢いで迫ってきたトマスに驚きつつ、エドワードは必至に頭をめぐらせる。
ややあって、海賊は再び口を開いた。
「……すまん。どうにも思いだせねぇ」
「そうですか……思い出したら、すぐに教えてください」
ため息と共にふらふらとした足取りでへりにたどり着くと、がっくりと肩を落とすトマス。
「何か、あったのか?」
「……家族の、故郷の仇です……」
小さく答えるトマスの表情は、沈む間際の太陽からの逆光で見えなかった。
ただ、縁に乗せられた、組まれたままの両腕――その先にある拳が震えているのが、彼の心中を雄弁すぎるほどに語っていた。
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