地蔵トンネル(後篇)



 目の前に二つ目の待避所が姿を現す。

 構造が一つめと同じだったことからすぐにそれだとわかった。

 地蔵の場所にあたりをつけてヘッドライトを照らすと、案の定同じようなところに石仏が建っている。ただ、一つめよりも大きく、身長が一メートル近くある。


「さっきの地蔵の兄貴じゃないのか? 『地蔵四兄弟』の三男ってところか? よし、クラクション二発目、いってみよう!」


 伊藤の言葉にどこか余裕が感じられる。

 重苦しい雰囲気が和らいでいく。


「手と手の節を合わせて『節合わせ不幸せ』。南無阿弥陀仏……ブツブツ。オダブツ」


 地蔵に二つのクラクションを浴びせながら、伊藤が仏壇メーカーのCMを真似るようにおどけた様子でつぶやく。の復活に僕たちの顔にも笑みが浮かぶ。トンネルに入ったときと車内の雰囲気が一変する。いつもの学食の乗りがそこにはあった。


 不謹慎だと思う気持ちがないわけではない。ただ、僕たちは犠牲者の通夜や告別式に参列しているわけではない。努めて暗くなる必要はない――これはみたいなイベントであってゲーム感覚で楽しんで然るべきものだから。


 車内が遠足のバスのような盛り上がりを見せる中、僕たちは三つめの待避所へと到着する。

 待避所の隅をヘッドライトで照らすと、三つめの地蔵もあっさりと見つかった。今度の地蔵は二つめのそれよりも更に大きく、身長は僕たちの背丈ぐらいある。


「こいつが次男か……やけに発育がイイな。三男と四男の食い物を無理やり奪ってるんじゃないか? 地蔵の世界は『目上の者を敬う』といった、儒教の精神が完全に行き届いてるってわけか……あっ、地蔵は儒教じゃなくて仏教だよな。山下、クラクション三発、よ・ろ・し・く」


 伊藤節が炸裂する中、山下は笑いながらハンドルの中央に手を添える。

 三つのクラクションがトンネル内に響き渡った。


 もし伊藤の言う都市伝説が本当なら、これでは完了したことになる。百メートル先の待避所に行けば、四つめの地蔵の目が見開き、涙を流し始める。


 正直なところ、トンネルの坑口を入ったときは都市伝説を真面目に受け止め、「何が起きても不思議はない」といった恐怖におののいていた。しかし、いつしか遊園地のお化け屋敷にでもいるような気分となり「非現実的なことなど起きるはずがない」といった、達観した気持ちに変わっていた。


 百歩譲ってが起きたとしても、とりあえず四人で大袈裟な驚き方をした後、車で逃げれば済むこと――「合コンの場を盛り上げるネタが一つ増えるだけ」。その程度のことだと思っていた。


★★


 スマホの時刻表示は「15:50」。トンネルに入ってから三十分が経過した。「通信エリア外」の表示は相変わらずだが、今となってはほとんど気にならない。車は凸凹の路面を弾むようにゆっくりとしたスピードで「四つめの待避所」へと向かう。


 そんな中、車内では地蔵の目が見開いた瞬間にどのようなリアクションをすべきかが話題になっていた。さらに、誰のリアクションが一番受けるかを競う『リアクション・コンテスト』を実施するような話にまで発展していた。僕たちの頭の中では、地蔵の目が見開くことはもはや「恐怖」ではなく「エンタメ」だった。


「次の待避所……なかなか着かないな……おい、山下。道を間違えたんじゃないか? どこかで曲がるのを忘れたとか?」


「一本道だぞ。ここは」


 伊藤の冗談に、山下が笑いながら答える。

 時刻は「16:00」。確かにいくらゆっくり走っているとは言え、十分間走り続けて百メートルも進まないというのはあり得ない。

 四つめの待避所の情報が間違っていた可能性はある。もともとこのトンネルに関する情報は伊藤の連れからの一方的なものであって、百パーセント信じる根拠は乏しい。

 とは言いながら、仮に時速五キロメートルで進んだとしても十分も経てば全長七百メートルのトンネルを抜けている計算になる。


 そのとき、車が止まった。エンジンはかかっているが、タイヤが空回りしているようだ。


「溝にでもはまったんじゃないか? 外に出て車を押すか。歩いて帰れない距離じゃないが、山下の大事な相棒をこのまま置き去りにするのも可愛そうだからな」


 伊藤は笑いながら助手席のドアの取っ手に手を掛ける。


「ポンコツは世話が焼けるってことだね」


 森島と僕も冗談っぽく呟きながら、左右のドアを押す――が、どのドアもピクリとも動かない。もちろんドアがロックされているわけではない。


 僕たちは顔を見合わせると慌てて窓を開ける。そして、窓から身を乗り出すように外の様子を確認した。


 僕たちの目に信じられない光景が飛び込んできた。


 おびただしい量の泥が車の周りを囲み、タイヤはもちろんドアの下部までが埋まっている。これでは動くわけがないしドアも開くわけがない――いや、正確に言えば、車はのではなく、泥流でいりゅうに乗って少しずつトンネルの奥の方へと


「山下! バックだ! ギアをバックに入れろ! 来た道を戻るんだ! 急げ!」


 伊藤がその日一番の大声を上げる。

 そのときの伊藤は『伊藤節』を繰り出していたときの彼とは別人で、その顔には恐怖の色が見て取れた。


 山下がギアをバックに入れてアクセルを目いっぱいに踏み込む。しかし、相変わらずタイヤは空回りしたまま。何度繰り返してもらちが明かない。窓から外を眺めると泥の水位が上がったような気がした。


「窓から外に出るぞ!」


 伊藤の声を合図に僕たちは狭い窓から車外へと脱出する。そして、そのまま車の屋根へ上った。

 周りを懐中電灯で照らすとトンネルの中は一面泥の川と化している。ただ、水位はひざぐらいで、来た道を戻れば何とかなりそうだった。

 僕たちは顔を見合わせて小さく頷くと、泥の中へと足を踏み入れる。はぐれないように身体を寄せ合い、深い闇の中を懐中電灯の光を頼りに出口を目指した。


 しかし、予想していた以上に泥が足に重くまとわりつく。一歩進むのにもかなりの体力が必要で、数歩進んだだけで息が上がった。


 先頭を行く伊藤の後ろを歩いていた僕は、山下と森島の様子が気になって後ろを振り返る。

 すると二人の後方にあるはずの山下の車が跡形もなく消え失せていた。狐につままれたような気分だった。


 その瞬間、雨の降りが激しさを増す。まるでバケツをひっくり返したような雨が降り注ぎ、僕たちの身体を容赦なく打ち付ける。同時に、トンネルに入ったときに感じた「潮の匂い」が強く鼻をつく。

 足元を見ると水位が明らかに上昇している。泥に飲みこまれるのは時間の問題だった。


 不意に伊藤が足を止めてこちらを振り返った。恐怖と驚きがいっしょになったような表情が浮かんでいる。

 

「……どうしてトンネルの中に……雨が降ってるんだ……?」


 僕たち四人は無言のまま顔を見合わせると、雨が落ちてくる方向にゆっくりと顔を向けた。


 真っ暗な闇の中に、僕たちをにらみつける、二つの巨大な瞳があった。

 雨だと思っていたのは、真っ赤に染まった瞳からあふれ出るもの――決してれることのない涙が止め処もなく降り注いでいた。

















 泥の水位が――また上がった。



 RAY

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

地蔵トンネル RAY @MIDNIGHT_RAY

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説