地蔵トンネル

RAY

地蔵トンネル(前篇)


 慌ただしく動くワイパーがフロントガラスの雨粒を払いのける。

 灰色の空から滝のように降り注ぐ雨は一向に治まる様子はなく、ワイパーの必死の抵抗をあざ笑っているようだった。

 もやがかかったようにユラユラと揺れる、外の景色を眺めていたら、自分が深い海の底にでもいるような気がした。


 時刻は午後三時を少し回ったところ。大学を出たときは青空が見えていたが、二十分も経たないうちに天気が崩れ、あたりは夕方のような薄暗い景色へと変わった。

 空の底が抜けたように落ちてくる雨。切り絵のような景色を切り裂く稲妻。そして、遠くないところでとどろく雷鳴。

 まばゆ閃光せんこうが前方の「旧道」と書かれた古ぼけた標識を映し出す。僕たち四人を乗せた車は、に導かれるように旧道へと進んで行く。


 口にこそ出さなかったが、心のどこかで不安を抱いていた。

 自分たちが置かれた、昼と夜が同時に存在しているような、非日常の空間が「何が起きても不思議ではない」と思わせるのに十分なものだったから。


 僕たちの目的地――「地蔵トンネル」は目と鼻の先だった。


★★


 へ行くことになったきっかけは他愛もないことだった。


 ランチの延長で学食にたむろしていたとき、前日のバラエティ番組でお笑い芸人が話していた心霊体験の話題が出た。誰しも怖い話の一つや二つはレパートリーがあるもので、芸人の話に触発されたかのように四人の間で怪談話が飛び交う。


 そんな中、「地蔵トンネル」の話を切り出したのは口達者の伊藤だった。


「大学の裏の長い坂道を下って行くと、国道に突き当たるT字路があるだろ? そこを左折して三十分ぐらい走ると、道が『新道』と『旧道』に分かれるところがあるんだ。俺は旧道を走ったことはないけど、道幅が狭くて車一台がやっと通れるような場所もあるらしい。十年前に新道ができてから人や車はほとんど通っていないそうだ。周りは山ばかりで人なんか住んでいないしな」


 伊藤はペットボトルの水を喉に流し込むと、僕たちの顔に順番に目をやる。


「旧道を少し行ったところにT山をぶち抜くトンネルがある。何でも四十年以上も前に掘られたトンネルで、建設の最中に四人の犠牲者が出たらしい。トンネルの中には慰霊のための地蔵が建てられてる……。ここまで言えば、わかるだろ? 出るんだよ。そのトンネルは」


 伊藤は、少しひじを曲げて両手を胸の前にダランとさせて、幽霊のようなポーズをとる。


 僕も旧道へ行ったことはない。ただ、旧道と新道が分かれる場所は何度か車で通ったことがあり、その様子はイメージすることができる。ただ、お世辞にも心地良い景色とは言い難い。

 路面は凸凹で雑草が生い茂っている。鬱蒼うっそうとした木々が繁茂し、ところどころに廃墟と化した家屋が建っている。人の姿は見えなかった。

 他の二人――山下と森島も同じイメージが浮かんだのか、いぶかしそうな表情で伊藤の話に耳を傾けている。


「――実際にトンネルを通ったことがある連れから聞いた話だ。もともとトンネルの壁は山肌を直接コンクリートで固めているせいか、全体的に凸凹している。そして、ところどころコンクリートがげ落ちて地肌が見えている。トンネルというより隧道ずいどうと言った方がしっくり来る。長さは七百メートルぐらいだけど、道がカーブしているせいか外の光はほとんど入ってこない。電灯は切れたままで車のライトに照らされたところしか視界が利かない。地形の関係で車がすれ違えないようなところもあって、一定間隔にが設けられている。こちら側の坑口から百メートル置きに四箇所あるらしい。で、待避所にはそれぞれ地蔵が建ってるって話だ」


「前振りが長いんだよ。結局のところ、幽霊が出るって話とその地蔵はどう結びつくわけ? 手短に言えっての」


 伊藤の話にれたのか、普段から気の短い山下が茶色く染めた髪をかきあげながら口をとがらせる。


「わかった。わかった。簡単に言うと、こういうことだ――トンネルに入ったら、まず待避所を見つけて地蔵があるのを確認する。そして、地蔵に向かって車のクラクションを鳴らすんだ。一つめの地蔵の前で『一つ』、二つめで『二つ』、三つめで『三つ』。その足で四つめの地蔵の前に行くと……なんと! 地蔵の目がカッと見開いて涙を流し始める」


 伊藤は、テーブルに身を乗り出しながら細い目を大きく開いて見せた。


「地蔵が涙を流すのにはちゃんと理由がある。死者の慰霊のために建てられた地蔵は静寂を好む。そんな地蔵に向かってクラクションを鳴らす行為は、ある意味死者を冒涜ぼうとくするものだ。そんな行為を繰り返し行うことで、四つめの地蔵が『悲しみのあまり涙する』ってわけだ。どうだ? よくできた話だろ?」


 独演会を終えた伊藤は、得意気な表情を浮かべると、再びペットボトルの水を喉に流し込む。


「話ができ過ぎてない?」


 間髪を容れず、幽霊の存在に否定的な森島の口が開く。


「『いかにも作り話』って気がするんだけど。そんなにこと細かに誰かが観察したわけ? 伊藤が見てきたわけじゃないんだろ? 胡散うさん臭いよ」


 納得がいかないといった様子で、森島は両手を左右に広げててのひらを上に向けると何度も首を横に振る。


 そんな森島と視線を合わさないようにしていた伊藤だったが、ペットボトルに残った水を一気に飲み干すと大きく息を吐いた。


「わかった! そこまで言うなら行ってみようぜ! 地蔵トンネルへ」


★★★


 旧道は路面全体に雨水が溢れ、まるで遠浅の海岸のようだった。

 路肩にある排水溝に落ち葉やゴミが詰まり、役目を果たしていないのがその原因だろう。

 

 僕たちを乗せた車は、を、タイヤの四分の一ぐらいが水に浸かった状態で水飛沫みずしぶきを上げながら進んで行く。

 車内では、運転手の山下が真剣な面持ちで前方をじっと見つめ、助手席に座った、言い出しっぺの伊藤が目を皿のようにして外の様子を眺めている。

 後部座席の森島と僕も窓の外を見ていたが、近くにあるものさえ識別するのが困難な状況だった。


 いつの間にか会話が途切れ車内には重苦しい雰囲気が漂う――そんな沈黙を破ったのは伊藤だった。


「おい、見ろ! トンネルだ! トンネルがあるぞ!」


 前方を指差し、興奮気味に声を上げる伊藤。後部座席から身を乗り出した僕の目に、前方の山の一角がぽっかりと口を開けているのが映った。


「よし! トンネルに入って地蔵を探すぞ! 懐中電灯も持ってきた。車のライトで発見できない場合は、車から降りて探すんだ。誰が外に出るかは……俺と『幽霊否定派代表』の森島でどうだ?」


 伊藤の口から皮肉交じりの言葉が発せられたとき、車はトンネルへと吸い込まれていく――次の瞬間、激しい雨と雷鳴は影を潜め、あたりは闇と静寂に包まれた。


 伊藤が言っていたとおり、トンネルの中は車のライトが当たっているところ以外は何も見えない。徐行しているにもかかわらず車体が上下に大きく揺れている。路面が想像していた以上に凸凹している。


 スマホに目をやると「15:20」の時刻表示。同時に「通信エリア外」という表示が見えた――それは、僕たちの身に何かが起きたとしても、そのことを誰かに伝えるすべがないことを意味する。


 他の三人にそのことを告げると、どの顔にも緊張が走る。闇と静寂からなる、非日常の空間に身を置くことで少なからず不安を抱いているのがわかる。すると、そんな重い沈黙を破るように伊藤の口が開く。


「おい……あれが待避所じゃないか?」


 伊藤が指を差した方向に車のヘッドライトが当たる。待避所と思われる窪地くぼちがぼんやりと浮かび上がった。それは、乗用車が二、三台縦列駐車できそうな空間。壁面は、ごつごつした、茶褐色の岩肌がむき出しになっている。


 もしかしたら、トンネル工事が途中まで進んだとき、車がすれ違えないことが問題となって慌てて待避所を作ったのかもしれない。結果として、無計画で無謀な工程と工法が災害を引き起こし、多数の犠牲者を出したのかもしれない。

 もしそうだとしたら、それぞれの待避所に地蔵が建っていることも辻褄つじつまが合う。


 山下はゆっくりハンドルを切りながら、自動車教習所で縦列駐車のテストでも受けているかのように慎重に車を待避所に入れる。

 車が停車した後、僕たちは車の中から『一つめの地蔵』を探した――しかし、それらしいものは見当たらない。


「よく見えないな……外に出てみよう」


 もどかしい状況にしびれを切らしたのか、懐中電灯を手にした伊藤が助手席のドアを開けて外に出る。後部座席にいた森島がそれに続く。


「何だか寒いな。それに路面がドロドロだ。結構滑るぞ。森島、足元に気をつけろ」


 トンネルの中に伊藤の声が反響する。助手席のドアが開いたままになっていることから、二人の会話は車内の山下と僕の耳にもはっきりと聞こえる。また、トンネルから車内に流れ込んでくる、りんとした空気がとても肌寒く感じられる。


 路面は土がき出しの状態で、かなりぬかるんでいるようだ。もともとT山の真下ということもあってどこからか水が湧き出ているのかもしれない。


 そのとき、僕はトンネルの中の空気に「ある匂い」があることに気付いた。

 たとえるなら、海の近くを歩いているときに鼻につく、潮風の匂い。ただ、海とは無縁の山岳地帯で潮の匂いがするというのは常識で考えてあり得ない。大昔に海の底だった場所が、火山活動の影響で隆起して山になったというパターンはある。しかし、四十年も前にトンネル工事が行われた場所で、大昔の名残が残っているというのは現実的ではない。トンネルに入る前、「海の底にいるような気がする」と思ったことで一種の暗示にかかっているのかもしれない。


「あった! 地蔵があったぞ! そこの左隅だ!」


 伊藤の興奮した声が聞こえた。

 懐中電灯の明かりに目をやると、そこに地蔵はあった。

 ただ、全長が五十センチにも満たない小さな石仏で表情もはっきりとはわからない。待避所の隅に人目を避けるようにひっそりとたたずんでいることから、「そこに地蔵がある」といった情報がなければ見つけることはまず不可能だろう。


「――山下、クラクションを鳴らせ!」


 伊藤の声が何かの合図であるかのように、トンネル内にクラクションが響き渡る。

 車に戻って来た、伊藤と森島の足下を見ると、スニーカーは泥まみれでくるぶしのあたりまで茶褐色の泥が付着していた。

 そんな二人の様子をチラリと横目で見た、車の持ち主山下は露骨に嫌な顔をする。


 僕たちを乗せた車は、どろどろにぬかるんだ、まるで田んぼの様な道路をさらに奥へと進んで行く。



 To be continued

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