第4話Second kiss

 ‥‥やはり解せん。

 ようやく授業も終わり、一人放課後の教室に残って、悶々と悩みぬく俺はどうしようもない思考の迷路にとらわれていた。

 さっきは本当にやばかった。もう少しであいつを押し倒しかねない所だった。一体あいつはどういうつもりなんだ?

 ‥‥いや、その答えを聞くチャンスから逃げたのは俺だ。でもあそこでキスなんかできるわけないだろ?

 ‥‥本当にそうか?もしあそこでキスしたらどうなっていたんだろう。

 自問自答を繰り返しながら、俺はようやく自分の気持ちに正直に向き合うことにした。そうでなければ一生答えが出そうにない。

 ‥‥よし、認めよう。赤沢に好意がないと言えば嘘になる。

 中学時代から一緒にいることが多く、男女の違いはあっても赤沢とは大概フレンドリーに接してきた。まぁ、どちらかと言えばからかわれてる方が多かったと思うが、それでも最初は友達感覚で付き合っていたのだと思う。何しろあいつときたら下ネタは平気で言うわ、男みたいにゲラゲラ笑うわ、妙に喧嘩っ早いわで全然女の子といる気がしないんだよな。そのくせ中学の頃からやたら短いスカートとか穿くし、いくら家が美容院だからって化粧するのも当たり前だと思ってるし、見た目の方は女を意識させるものばかり。もしかして俺が女の子っぽい女子を好きになるのは、その反動じゃないだろうか。

 そんな赤沢とキスをして、おまけにデートまで行ったんだ。異性として意識するのはむしろ当然のことだろう。だが、これは本当に恋愛感情なんだろうか。確かに俺は赤沢に惹かれているが、それは一緒にいて楽しいという友達的要素が強い。でもあいつは女で、男友達と一緒にはどうしてもならない。もしかしたらキスがきっかけで色香に迷って、それ以上の関係を望んでるだけじゃないのか。そして欲望のままに一線を越えてしまうことで、今までと同じようには付き合えなくなることを怖れているのでは。いや、違うな。本当に恐れてるのは、赤沢が俺のことはからかってるだけで、本当は好きじゃなかったら、と思うのが怖いんだ。

 それに青山さんのことはどうなんだ。彼女を好きに思う気持ちだって嘘偽りがあるわけじゃないんだが、赤沢を好きなのとはどうも違う気がする。これはいったいどういうとこだろう。

 もし、今どちらかを選べと言われたら、俺はどっちを選ぶべきなんだ。人が聞いたら贅沢な悩みと言うかもしれないが、俺の本当の気持ちはどこにあるんだろう。

 いずれにせよ、いつまでもこのままでいるわけにはいかない。この気持ちには何らかの決着をつけねばなるまい。そう踏ん切りをつけて、俺は教室を後にした。

 ところが運命と言うのは急展開を望むもので、下駄箱でサプライズが待っていた。外履きに履き替えようと思ったら、中に丁寧に折りたたまれたメモが一通。開けて見ると女の子の字で『保健室裏、イチョウの木の下で待ってます。青山』と書かれていた。少し前までなら狂喜乱舞していただろうが、今はどちらかと言うと不安の方が強い。しかしこれは避けて通るべき道ではない。俺はメモを握り締めると、指名の場所へと向かった。

 保健室の裏に当たる狭い中庭は、大きなイチョウの木が視界を遮っていて上階から見えにくく、学校の死角のように存在している。実際ここを訪れる人はほとんどいないが、逆にそのせいで告白スポットとして有名なところでもある。

 果たして青山さんはイチョウの木の下で待っていた。彼女は俺に気づくと表情を緩めるが、その顔には不安がありありと現れている。俺の方も似たような顔をしていたのか。教室で会う時とは全然違う感じで向き合う。前置きもなく話を切り出したのは青山さんのほうだった。

「昨日、一緒に映画を見に行ったのって、赤沢さんとだよね?」

「‥‥うん」

「赤沢さんのこと、好きなの?」

 実はここに来た時からこの質問は覚悟していた。が、答えの方は用意できていなかった。まさかこんな急に決断を迫られるとは思わなかったからだ。だから俺は今の気持ちを素直に答えることにした。

「正直なところ、自分でもまだわからないんだ」

 たぶんこの答えは、彼女の納得のいく所ではないだろう。青山さんは真剣な表情で俺の顔を見つめているが、その目には非難の色が浮かんでいる。しかしたとえ非難されようとも、嘘を答えるのが一番まずい。だから今の俺には、はい、ともいいえ、とも答えづらかった。そんな彼女が急に顔を赤らめる。次の言葉は消え入りそうな声で聞き取りづらかったが、それでもはっきり耳には届いた。

「‥‥じゃあ、私とお付き合いしてみませんか?」

 これって‥‥、告白だよな。昼休みに話を聞いた時から彼女の気持ちは知っていたつもりだが、それでも面と向かって言われると嬉しさが込み上げてくる。何しろ男子生徒の憧れの的から付き合わないかと言われたんだ。それも俺自身、前々から付き合いたいと願っていた女の子に。それなのに、なぜ喜んで「はい」と言えないのだろう。

 大きく息を吸って、吐いて、そして覚悟を決めた。よし、男を見せるなら今だ。

「フェアじゃないから本当のこと言うわ。実は俺、昼休みに赤沢と君が揉めてるところを見てたんだ」

 はっと青山さんが息をのむ。

「おっと、誤解しないでくれ。それでどうだという気はないんだ。俺、ずっと君のこと好きだったし、告白されてすげー嬉しいよ。でも、気づいたんだ。俺が好きだったのって、君のお淑やかでおとなしい上辺だけのイメージを見てのことだって。きっと俺、君の本当の姿を見ようとしてなかった。だから、もし今君の付き合ったら、そんなイメージを押し付けそうで怖いんだ」

 ああ、なんだか言葉がまとまってないぞ。言いたいこと、伝わってるだろうか。でも青山さんは自分の気持ちをぶつけてきてくれた。告白なんて、すっごい勇気がいただろう。だから、嘘で塗り固めた気持ちを返すわけにはいかないんだ。

 顔を赤らめたまま驚きの表情を浮かべていた青山さんだが、その顔が急に赤沢の時に見せたような挑むようなものに変わる。

「そんなの‥‥、そんなの構わない。そうよ私は大人しくもないしお淑やかでもないわ。あなたにとっての理想の女の子じゃないかもしれない。でも傷つくのは怖くないわ。だって恋愛ってそういうものでしょ」

 思わぬ迫力に怯みそうになるが、むしろ嬉しい驚きも覚えていた。そうか、これが青山さんの本当の姿なんだな。赤沢も言ってたけど、確かににこっちの方が魅力的だ。

「そうかもしれん‥‥って言うほど恋愛に詳しいわけじゃないけど。でもさっき赤沢のこと好きかって聞いたよね?わかんないって言ったのは嘘じゃないけど、あいつに惹かれてる部分があるのも事実なんだ。だからそんな気持ち抱えたまま、他の人と付き合ったりなんて俺には出来ねえ‥‥」

「いいじゃない。じゃあ私のこともっと知って、もっと好きになってよ。私、あなたのそういう裏表ないところ好きよ。どんなことにも真剣に向き合ってくれるし、大事なことで嘘ついたり言い繕ったりしないでしょ」   

 彼女の言葉は心に響いた。そうか、青山さんは容姿とか男としてのスペックじゃなく、ちゃんと心を見て選んでくれたんだ。

「ありがとう、ほんとに嬉しいわ。赤沢も言ってたけどさ、青山さん、もっとそういう自分らしいところ人に見せたほうがいいよ」

 褒めたつもりだったんだが、この言葉は彼女の逆鱗に触れたようだ。

「もうっ!なんで皆クミちゃんの味方ばかりするのよ!大体村崎君、本当にわかって言ってるの?あの子だって裏じゃ人の男に手を出したり、いろいろ悪いことやってるのよ。そうでなければ変な噂立てられたりするはずないでしょ。きっと他にもいじめとかやって‥‥」

「‥‥いや、それはない」

 思わず大声になってしまったが、俺は彼女の言葉を遮っていた。

「えっ?」

「青山さん、それは違う。赤沢は弱い者いじめだけは絶対やらないんだ」

 自分でも意外なほど、きっぱりと言っていた。なんだか知らないが、その誤解だけは解いておきたいという気持ちが強く湧いてきていた。

「俺、あいつとは中学からの付き合いだけど、青山さん、赤沢の中学時代は知らないでしょ。確かにあいつはろくでもないやつだよ。身なりはあれだし、思ったことそのまま言うし、おまけに上級生相手でも生意気だし。実際それが原因で周りと揉め事おこす事も珍しくなかったよ」

 青山さんは、無言のまま俺を見つめている。

「でも、あいついじめだけは許さないんだ。誰かがいじめにあってたら、相手かまわず乗り込んでやめさせようとするんだ。実際揉め事の半分くらいはそれが原因でさ。でもそれで助かった子は何人もいるし、いじめが悪いことだと思ってる奴で赤沢を悪く言うやつはいないよ。皆が見て見ぬ振りする問題を、あいつは傷つくのを覚悟で無視しないんだ。俺はあいつのそういうところが好きで‥‥」

 そこまでまくし立てて、はっと気づく。俺は今赤沢を好きだと言ったのか?だが、そんなことより青山さんの様子が問題だった。彼女の目には大粒の涙が浮かんでいた。

「そんなこと‥‥知ってるわよ‥‥」

 絞り出すような声で青山さんが呟く。彼女は涙を隠そうともせず、真っ赤な顔で俺を睨みつける。

「なんでクミちゃんの良い所ばかり言うのよ、村崎君のバカー!」

 叫ぶような彼女の言葉には、俺を怯ませるだけの勢いがあった。しかし彼女は手で顔を覆うと、それ以上何も言わず駆け出した。傍らを走り抜け、振り返りもせず去っていく姿を、何もできないまま見送るしかなかった。


 はあぁ~‥‥

 夕暮れの河川敷で、俺は何度目かのため息をついていた。河原へ降りる階段に腰かけてから、もう小一時間は経つだろうか。学校からの帰宅途中にあるこの場所は、考え事をするときなんかに良く立ち寄るところだ。

 暮れなずむ夕陽が辺りに影を落とし、川面を紅く染め上げる。少し涼を感じさせる初秋の風が穏やかに渡り、どこへ行くのか、大きな鳥の飛び立つ姿が見える。そんな美しい景色も、今の心を慰めるには至らなかった。

 ‥‥思えば馬鹿なことをしたもんだ。なにしろ皆の憧れ、青山さんからの交際の申し出を断ってしまったんだからなぁ。

 ここにきてから何度となく繰り返した自問自答が、また頭の中をぐるぐる回りだす。

 いったい俺はどういうつもりだ。好きな子から告白されるなんて、まさに理想のチャンスだったじゃないか。はっきり言って、こんなこと二度とあるとは思えない。それにあそこで承諾していれば、誰もが羨む彼女が出来ていたはずなんだぞ。あまり考えたことなかったけど、やはり俺にも見栄を張りたい気持ちがあるのだろう。青山さんみたいな彼女がいれば、男としての株が上がるとか優越感を覚えるとか、そんな気持ちに浸ることだってできたはずだ。

 それなのに俺は断ってしまった。それも結果的に彼女を傷つけるような形で。ほんと、俺はどうしようもない馬鹿野郎だ。と、何度考えても同じ結論に至るのに、どうして後悔の気持ちが湧いてこないのだろう。

 今まで恋愛ってのは、もっと単純なものだと思っていた。誰かを好きになって親交を重ね、告白というアクションによって思いが通じ合えばカップル成立。そこから恋は愛に代わって、新しい関係性を築いていく。ところが実際はそんな単純なものではなかった。だから、こんな風に悩む日が来るなんて思いもよらなかった。

 俺の青山さんが好きだという気持ちは、別に嘘でも間違いだったわけでもない。ただこの気持ちはどちらかと言うと、テレビに出ているアイドルや女優さんを好きになるような憧れに近い気持ちだったと思う。だから本当の青山さんがそれまでのイメージと違ったからと言って、嫌いになったわけでもない。むしろ泣いたり怒ったりする彼女のほうがよほど魅力的だ。

 だけど、赤沢はそれより魅力的だった。いつも振り回されてばっかりでろくでもないやつだと思っていたが、あいつにはあいつの良いところがいっぱいあったんだ。いつだって周りを盛り上げようと明るく振舞うし、服装や化粧で人に批判されたからと言って、自分のポリシーは絶対曲げない。それにいじめを許さず、誰にでも立ち向かっていく所は尊敬に値すると言ってもいい。一見自由奔放で我儘なように見えるけど、本当は自分を貫く強さを持っている。それは俺にはない強さであって、きっと俺はあいつのそういうところに惹かれているんだと思う。

 でも、キスやデートと言ったきっかけがあったにもかかわらず、俺にはもう一歩を踏み込む勇気がなかった。青山さんは恋愛で傷つくことは怖くないと言っていたが、正直言うと俺は怖い。多分青山さんだって本当は怖いのだろう。だけど彼女には勇気があった。傷ついても恐れず前に進もうという覚悟があった。だから告白ができたのだと思う。きっとこれは青山さんだけではなく、すべての告白する人が持つ潔さだろう。

 そして俺も覚悟を決める時が来たようだ。もう自分に言い訳を言うのはよそう。怖いとか勇気がないとか言って、自分の気持ちから逃げてちゃ駄目だ。俺は赤沢が好きだ。他の誰よりも好きだ。この気持ちをきちんとあいつにぶつけよう。もちろん告白と言うアクションを起こせば、この気持ちが受け入れられようと拒否されようと、これまでと同じではいられない。でもそれを怖れて曖昧な態度をとり続けていれば、もっと後悔する日が来るだろう。当たって砕けろと言う言葉があるが、まさにその心境だ。

「あ~、こんなところにいたんだ」

 突然上から降ってきた声に、俺は心底びっくりした。見上げると、川沿いの道に女生徒が一人。後ろから夕陽を受けて顔は見えないが、それが誰かはすぐにわかった。

 彼女はゆっくり階段を下りてくると、俺が座る所の一段上で足を止める。紅い夕陽が横顔を照らし、いつになく真面目な顔をしてるのがわかる。

「ねぇ、なんでOKしなかったの?」

 きっと俺は驚いた顔をしていたのだろう。もちろん、何のことを言ってるかはすぐにわかった。だが、なぜ赤沢がそのことを知ってるかについては、見当もつかなかった。河川敷の階段はそれほど広くないのだが、赤沢は俺の隣に腰を下ろすと、クミちゃんのことよ、と付け加える。

「‥‥時々思うんだが、お前には千里眼でもあるのか?」

「そんなわけないでしょ。クミちゃんが泣きながら友達のところに駆け込んだって、つてから聞いたのよ。ま、昼休みに焚きつけたあたしも悪いんだけど、あの子が泣く原因なんて他にないでしょ」

 どんなつてがあるんだか知らないが、それで事情を察し、学外にいる俺の場所を探り当てたのか?いや、きっと探し回ったんだろうな。あれから結構時間たってるし、こいつの性格からして電話で済まそうという気にはならなかったのだろう。

「それで?」

 心なしか、まっすぐこちらを見つめる赤沢の目が潤んで見える。本当はもっとましな伝え方があったのだろうが、口をついて出た言葉は素っ気ないものになってしまった。

「お前のことが気になって仕方なかったからだよ」

「そう‥‥」

 そうって、それだけか。いまだ見えない赤沢の心に、俺は焦りに近い気持ちを覚えていた。

「なぁ、なんであの時キスしたんだ?」

 この質問をするのはこれで三度目だろうか。結局はぐらかされたままで赤沢からの答えは得てないが、きっとこれが俺の弱さなのだろう。今回も彼女は答えないが、代わりに今まで見たこともないような優し気な笑みを浮かべると、そっと手を重ねてきた。

 それで俺は観念した。もう色々理屈をつけて逃げるのはやめだ。震えそうになる手を頬に伸ばし、彼女の瞳を見つめる。

「‥‥確か、俺からキスをすれば、気持ち教えるって言ったよな」

 赤沢は何も答えず、代わりに真剣な眼差しを返す。怖いとか恥ずかしい感情で溢れそうになるが、黙って唇を近づけると彼女は目をつぶって受け入れた。

 二度目のキスには切なさがこもっていた。唇を合わせるだけのぎこちないキスで、初めての時のように情熱的ではなかったかもしれないが、それでもありったけの思いを込めた。きっとキスにはお互いの愛を確かめ合う効果があるのだろう。お互いの唇が触れ合うことで愛しさが込み上げてきて、胸の中がいっぱいになる。この思いを二人で分かち合えるのなら、愛とはきっと素晴らしいものだろう。

 唇が離れても、その気持ちに揺らぎはなかった。そしてなぜだか俺には、赤沢も同じ気持ちでいることが分かった。彼女はいつものように笑みを浮かべると、俺との約束を果たした。

「そんなの、ず~っと好きだったからに決まってるでしょ」

 夕陽を受けて微笑む彼女を見て、俺は初めてその笑顔が無邪気で可愛いと思った。それは彼女と交際を始めた日の思い出として、ずっと、ずっと心に残ることとなった。

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赤沢久美子のゲーム nameless権兵衛 @nameless-GONBE

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