5.青い稲妻



 割れんばかりの歓声が、競技用アリーナ全体に響き渡る。

 観客席には2万人もの大観衆がひしめき、バスケットコートの中で競い合う選手たちを熱烈に応援していた。


 そこで行われているのは《月面バスケットボール》のプロリーグの試合だ。

 コート上では赤色と青色のユニフォームを着た両チームの選手たちが、素早い動きでボールを奪い合い、激しい戦いを繰り広げている。


 6分の1しか重力がない月面都市で行われるバスケの試合は、地球のそれとは全く違うものだ。

 両チームの選手たちは、高い跳躍力を生かして縦横無尽にコート内を飛び回り、まるで背中に翼が生えたかのように宙を舞いながらプレーしている。


 ――そんな中、両チームの中に一際目立った動きを見せる選手がいた。


 さらさらとした絹糸のような金髪に、ハリウッドスター張りの甘いマスクを持った白人選手。

 2メートルを超える長身の体躯をいかずちのように走らせ、見事なハンドリングであっという間に赤いユニフォームの選手たちを抜き去って行く。


 その姿は――まさに青い稲妻。


 彼こそが、月面バスケットボール界の永遠のスター。

 超人的な身体能力と神がかった運動神経で他の選手たちを圧倒する孤高の天才。

 地球人アースリングでありながら、地球のバスケを極めたあと若干25歳にして月にやって来て、瞬く間に月面バスケ界の〝キング〟となった男。


 彼の名は――〝ブライアン・ワイズ〟

 神凪ミコト・ヤマト兄弟が月面バスケを始めたきっかけであり、永遠の憧れであり、目標でもある存在。


 多くのファンの熱い声援を受けながら、ブライアンは疾走する。

 地上では高度なフェイントや神速の反射神経を用いて一瞬にしてボールを奪い去り、ひとたび跳躍すれば、ダイナミックに身体を回転させながらのアクロバットシュートを鮮やかに決めてしまう。


 そんなブライアンの凄まじいプレーを、観客席で目を輝かせながら観る2人の少年――。

 神凪ミコトと神凪ヤマト。

 まだ小学生の・・・・・・双子の兄弟は、初めて見た月面バスケットボールの試合に感動し、ブライアン・ワイズのスーパープレーに魅了されていた。


 息をのんで試合を見守るミコトとヤマト。


 そんな中、ボールを保持した金髪碧眼のスター選手は、バスケットゴールを上回るほどの高さにまで勢いよく跳躍。

 実に7メートル以上の高さにまで《飛翔》したあと――。

 前方宙返りからのアクロバットダンクシュートを鮮やかに決めてみせた。


「は、ははは……す、すごいや。まるで、スーパマンみたいだ!!」


 幼いヤマトが思わず声を上げる。

 その表情はめいっぱいの感動と、憧れと、輝くような希望に満ち溢れていた。


  ――それが、神凪ヤマトの夢の始まりだった。


(おれも、おれもあんな風に……)


 あんな風に、あんな風に宙を縦横無尽に跳び回り、シュートを決めることが出来たなら……どれほど気持ちがいいだろう。

 あんな風になりたい。ブライアンのように。

 月面バスケで、誰かを感動させるようなプレーを――!


 そう思った時、いつの間にかヤマトはバスケットコートの中央に立っていた。

 着慣れた白いユニフォーム。お気に入りの青いバスケットシューズ。

 手が自然と慣れた手つきでボールを掴む。

 気づけばヤマトの身体は15歳の――普段の状態にまで成長していた。


 これまでの練習の成果を見せてやる。

 ブライアンのように、〝キング〟のように鮮やかにダンクシュートを決めてやる。

 出来る、自分なら出来る。

 あの日のブライアンと同じ技が……《ムーンサルトダンク》が――!


(おれにもできる――!!)


「やあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」


 ヤマトは勢いよく地面を蹴り、アクロバットダンクを決めるため、ゴールへ向かって大きく跳躍した。

 しかし――。




 ◆   ◆   ◆




「いでっ……」


 目が覚めると、ヤマトは2段ベッドの上の段から転げ落ちていた。

 見慣れた部屋の景色。

 ここは、至宝館学園中等部の学生寮。

 神凪兄弟の部屋だ。


「あー、なんだ。夢か……」


 むくりと起き上がり、頭をさすりながらヤマトは呟いた。

 涼しげな朝の空気が肌を撫でる。

 どうやら部屋の窓が開いているようで、外からは小鳥のさえずりが聞こえて来ていた。


「おい、どうしたヤマト。すごい音がしたぞ……大丈夫か?」


 ひとまず窓際で深呼吸しようと思いヤマトが立ち上がった時、部屋の向こうからミコトがやって来て心配そうに声をかけた。


 超ドレッドノート級に寝相が悪いヤマトが、ベッドから転げ落ちるのはいつものことだが、今日の落ち方はいつにも増して盛大だった。

 いくら重力6分の1とは言え、当たり所が悪ければ事ではないか?

 そう思ったミコトは洗顔を中断して様子を見に来たのだが――。


「おーミコト、おはよー。相変わらず早いなぁ、ランニング帰り?」


 へらへらと頭を掻きながら答える弟の能天気さに、兄はため息をついた。



 ややあって――。

 朝食を食べ終えたミコトとヤマトは、引っ越しの準備を進めるために荷づくりを始めていた。


 彩乃会長が開いてくれた月面バスケ部の卒業パーティーから2週間。

 4月6日に行われる高等部の入学式まで残り4日となった今日、兄弟は中学3年間を過ごしたこの一室を離れ、高等部学生寮に転居しようとしているのだ。


 そんな中、ふとプライベート用に使っているタブレット端末を手に取ったヤマトは、そこで作業の手を止めてしまった。

 端末の中に保存されている画像ファイルを開いてしまい、アルバムを眺めることに夢中になってしまったのだ。


 大掃除などをしていると、ついつい他のことに気が行ってしまうのは、22世紀の人間でも変わらない。

 特にヤマトは、スポーツ以外の事柄に集中力を全く発揮できない体育会系単細胞なので、なおさらだ。


 ヤマトは引っ越し作業を急がねばならない事情など忘れ、次々と端末に保存された思い出の写真をめくっていく。


 先日の卒業パーティーの時に、みんなで大騒ぎしながら撮った写真。

 卒業式直後、号泣するクラスメイトと並んで撮った写真。

 月面バスケで全国大会に行った時、部のメンバーと一緒に取った写真。


 そして、学生生活を彩る様々な思い出の数々。

 それらの写真の中には――ミコトがいて、ヤマトがいて、マルカがいて、彩乃や月面バスケ部のメンバー、他のクラスメイトたちがいて、どれもみんな笑顔の写真ばかりだった。

 画像をめくるたびにその時の出来事を思い出し、笑みをこぼすヤマト。


 ――しばらくすると、写真は中学に入学する以前のものに差し掛かる。


 今から5年前。

 小学生の時、地球から月に旅行に来ていたミコトとヤマトが、ひょんなことからマルカと出会い、3人で月面地表から地球を見に行った時の写真だ。


 まだ11歳で幼くあどけない3人は、タイトな作りの宇宙服を身にまとい、月面の大地に並んで映っていた。 

 満面の笑みを浮かべる彼らのバックに見えるのは、青く輝く大きな地球――。

 その写真は、3人の最も大切な思い出を切り取ったものだった。


 そして、さらにアルバムのページをめくっていくと、そこから先にはとある選手・・・・・が月面バスケをプレーする画像ばかりが保存されていた。


 青色のユニフォームを着た金髪碧眼の青年。

 神凪家が家族ぐるみで応援しているプロ月面バスケのチーム、ノースカルパティア・ソニックスのエースにして、月面バスケ界のキング。

 青い稲妻――ブライアン・ワイズ。


 自分が月面バスケを始めたきっかけであり、目標とするスーパースターであるブライアンの写真を見つめ、ヤマトは目を輝かせた。 

 その時――。


「ブライアン・ワイズ……数年前、地球のバスケットボール界からやって来て、瞬く間に月面バスケのプロリーグ――〝LBA〟の頂点に上り詰めた男。

 しかし、人気も実力も絶頂期だった4年前、事故によって右肩を負傷し、引退を余儀なくされた悲運のエースでもある……か」


 ヤマトの端末を後ろから覗きながら、ミコトが感慨深そうに言った。


「うわっ、何だよミコト! 見てたのか……!」


「まったく、アルバムを見るのも良いが、サボるのは程々にしろよ」


「あはは、ごめんごめん」


「それにしてもどうしたんだ? 今更ブライアンの写真なんかまじまじと見て。……お前だって飽きるほどに何度も見ただろう?」


 ブライアンのプレーに感動して月面バスケを始めた兄弟は、この3年間、毎日のようにブライアンのプレーを見て徹底的に研究し、手本として来た。

 言ってしまえば、兄弟にとってブライアン・ワイズという男は、改めて写真を眺めようとするまでもなく、常に心の中にいるような存在なのだ。


「……へへっ。今日さ、おれ、ブライアンの夢を見たんだ。おれたちが初めて月面バスケを、ブライアンの試合を見に行った日の夢!」


 そう答えたヤマトの表情は少し誇らしげだった。


「なあミコト。おれたちの夢は、ブライアンみたいに《観ている人をワクワクさせるプレーの出来る選手》になることだよな?」


「ああ、そうだな。5年前のあの日から」


「あれから色々あったけど、おれたち、どれくらいブライアンに近づけたのかな?」


「……そうだな。全国大会に行って、確かにオレたちは強くなった。だけど、今のままじゃブライアンには遠く及ばない……オレたちはまだ、たかが16歳の学生に過ぎないんだ」


 そう言いながら、ミコトは窓の外の青空を見つめた。

 クールなその瞳は、力強く一点を――《プロ月面バスケプレーヤーへの夢》を捉えている。


「だけど、だからこそおれたちには可能性がある。これから高校に入ってさらにレベルの高い環境でバスケをして、もっともっと成長すれば、その先には必ず――」


「ああ、そうだな。……って16歳? ミコト、おれたちまだ15歳だぞ?」


「……何を言ってるんだヤマト。お前、今日が何日か忘れたのか?」


「何日って、今日は学生寮引っ越しの締切日だから……4月2日……って、あ!」


 ヤマトが思い出したように目を見開いた。


「うっわあ~! 引っ越しとか宿題とか、やることに追われてて完っ全に忘れてたよ~」


 そう、この日。

 西暦2112年4月2日は、双子の兄弟ミコトとヤマトの16歳の誕生日だったのだ。


 自分の誕生日を忘れてしまった弟の天然っぷりに、ミコトは肩をすくめる。

 そして、苦笑交じりにこう言った。


「誕生日おめでとう、ヤマト」


「へへっ、ミコトもな」


 兄弟の間に、希望に満ちた空気が流れる。

 この時2人の少年は、これから先の未来に待っているものが深い絶望・・・・であるなどとは、欠片ほども思ってはいなかった。


 しかし、その瞬間――。 

 何者かが神凪兄弟の部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。

 ドンドンドン、と激しく何度も拳を打ち付けるその叩き方には、強い焦りが込められているように感じられる。


「お、おいっ、おまえらっ! 神凪ぃ! 開けろや――!」


 扉を叩く何者かが、声を荒げながら兄弟の名を呼ぶ。

 心の底から慌てきったようなその怒声に、兄弟は顔を見合わせて首をかしげた。


「……おい! おい、お前らぁ! おらんのか――!? 神凪ぃ!!」


 あまりのうるささに堪えかねたヤマトは、急いで扉へ向かい鍵を開けてやった。


「びっくりしたなぁ。そんなに怒鳴らなくても開けるよ」


「お、おう、ヤマト。おったんか……ならええわ」


「なんだ池田か。朝からそんなに慌てていったいどうした?」


 ミコトも扉へ近づき、訪問者に声をかける。

 彼は兄弟の同級生で、同じ月面バスケ部のメンバーでもある少年だった。


「お前ら、今朝のニュースはもう見たか?」

 

「いや、まだだけど?」


 ミコトは不思議そうに答えた。

 それにしても池田の表情はいつになく深刻そうだ。


「そか……なら今すぐ食堂の大型スクリーン見に行くぞ! もう他の生徒たちもようさん集まっとる!」


「はあ? ニュースなら別にこの部屋でも――」


「ええから何も言わんとついて来い! 地球が、地球が今……エライことになっとるんやっ……!!」


 有無を言わせぬ池田の言葉。

 そのまま兄弟は半ば強引に食堂へと引っ張られて行ってしまった。

 よく知った仲間の見たこともない慌て様に、道中、ミコトもヤマトも胸がざわつくような不安を感じていた。


 この日、地球で起こっていた《惨劇》を……神凪兄弟はまだ知らない。

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月皇のエグザリオン -EXARION of Gekkou- 渡來 成世 @lunar2107

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