第4話 テストの悪夢
七月に入れば、夏本番。もうすぐ夏休み!
なんだけど……。
「まとめテストは来週からでーす。みなさん、いつもどおりがんばってね」
担任の村岡先生が笑顔で言った。クラスのみんなは「うげー」と声を上げている。
わたしも声は出さなかったけど、そう思ったひとりだ。
「うえー、やだなーテスト……」
そう吐き出したのは、隣の席のアカネちゃんだ。アカネちゃんは机に突っ伏して、しかめっ面を浮かべている。
「ほんとだよねぇ」
「ヒカリちゃんはいいじゃん! 頭いいもん!」
アカネちゃんが吠えてきた。
「そ、そんなことないよ……! わたしも勉強しないとできないし……」
「私は勉強してもできないんだよー!」
アカネちゃんはまた、机に突っ伏してしまった。
「一緒に勉強しよ? まだ時間はあるんだし」
わたしはアカネちゃんの肩に手を置いた。アカネちゃんはゆっくり顔を上げる。
「ヒカリちゃん……」
アカネちゃんの目が潤んでくる。
「ありがとー! 大好き!」
勢いよくアカネちゃんが抱きついてきて、わたしは倒れるところだった。
☆☆☆
なんにも不安になることなんて、ないはずだ。
「おうおう、今日はなんの悩みだー?」
わたしはパグの前に立っていた。
「なんでパグが出てくるの?」
「それはこっちのセリフだよ」
パグがガクッとずっこけた。
「最初っから言ってるように、ここはヒカリの夢の中だ。ヒカリの心の状態に合わせて形を変える。なにか悩んでねーなら悪夢は見ないんだよ」
たしかにそう言ってた……。だけど今のわたしには、本当に悩んでいることなんてないんだ。
「あるいは、深層心理に潜む悪夢なのかもな」
「しんそうしんり?」
「心の奥深くってことだ。自分でも気づかないうちに、悪夢になる原因が心の奥底にできちまってるのかもしれない」
そんな……。そんなのどうやって解決したらいいの……?
だけどパグはニッと笑った。
「でも悪夢の影は現れてる。もう半分は解決したようなモンだ」
たしかにわたしは、影に追いかけられてここまで来た。それはなんだかペラペラした一反木綿みたいなものだった。それがなんなのか、全然想像もつかない。
今日追いかけてきた一反木綿は、さっきパグが切ってしまっていた。
「なんだろうなー、アレ」
パグも首をかしげている。
結局その日は、答えが出ることはなかった。
☆☆☆
まとめテストまであと六日。
わたしとアカネちゃんは、放課後の教室で机を向かい合わせていた。
「えっと……、ここがこうなるから」
「あっ、そっかわかった! 答えは3!?」
「じゃなくて……」
アカネちゃんに算数を教えるのは、なかなか難しいことだった。順を追って教えようとするけど、先走ってしまうのだ。
こんなんでテスト大丈夫なのかな……。
「あ、こうか。5だね」
冷静に解き始めたアカネちゃんは、正しい答えをみちびき出した。
「そうだよアカネちゃん! やればできるじゃん!」
言った瞬間、アカネちゃんがぷくーっとほっぺたを膨らませてしまった。
「……ヒカリちゃん、私のことバカだと思ってるでしょ」
「!? そんなことないよ!? 今だって落ちついてやればちゃんとできたじゃん!」
アカネちゃんはシャーペンを投げ出して、机に頬杖をついた。
「そうなんだよねぇ。バドでもいつも先生に『落ちついてシャトルを見ろ』って言われるもん。わかってはいるんだけどさぁ……」
わたしはびっくりした。バドミントンでは、向かうところ敵なしのアカネちゃんだ。そんな風に弱気な顔を見せるなんて、はじめてのことだった。
「そんなことないよ!」
気づけばわたしは大きな声を出していた。アカネちゃんは驚いた顔をしている。
「バドやってるアカネちゃんは、強くてかっこよくて……わたしのあこがれだもん! どんな相手も倒しちゃうアカネちゃんはすごいんだから! だからまとめテストなんて簡単に乗り切っちゃうんだから!」
一気にわたしは言って、息を切らせていた。こんなに大声を出したのははじめてかもしれない。
アカネちゃんはあっけに取られてしばらく目をパチパチさせたあと、にっこり笑った。
「ありがと。ヒカリちゃんにそこまで言われちゃ、がんばらないわけにはいかないねー。次、ここ教えてくれる? ヒカリちゃんの説明、ていねいでわかりやすいよー」
アカネちゃんはシャーペンで問題を指し示す。
わたしはアカネちゃんにそう言ってもらえたことが嬉しくて、口元がにやけそうになってしまった。
「あ」
ふと浮かんだ考えに、小さく声がもれる。
「どうしたの?」
不思議そうに顔を上げるアカネちゃんに、わたしは「なんでもない」と返した。
確かめるのは今夜だ。
☆☆☆
わたしは『それ』の前に立って、ごくりとつばを飲み込んだ。額には少し汗をかいている。
目の前にいるのは悪夢だ。この正体を確かめようと、わたしは気合を入れて眠りについた。きのうと変わらず、悪夢はペラペラと一反木綿のような形をしている。
とりあえず、捕まえてみよう。わたしはたっと駆け出した。悪夢のしっぽみたいなところを掴もうとしたけれど、ひらりとかわされてしまった。
「わっ、わっわっ……!」
転ぶ!
そう思ってぎゅっと目をつぶったけれど、いつまで経っても衝撃はこなかった。
そっと目を開けると――
「おまえががんばるのは結構だけど、そしたら俺の出番がないじゃないか」
「パグ!」
パグがわたしのからだを支えていた。わたしを抱えて立たせてくれる。
「大丈夫か?」
「うん、ありがとう……」
また助けられてしまった……。守ってくれるって言われたけど、今日はがんばるつもりだったから拍子抜けしてしまう。
パグは悪夢に向き直った。
「あいつの正体がわかったのか?」
わたしの方を向かずに、パグはたずねる。悪夢はひらひらと宙をさまよっていた。
「うん。アカネちゃんに算数を教えてて気づいたの。わたしね、まとめテストのことが気になってたみたいなの。アカネちゃんに勉強教えてって言われて、悪い点数取らせちゃダメだなって無意識に考えてたみたい。だからあれは、テストの悪夢なんだ」
あれは一反木綿じゃなくて、テスト用紙だ。ぺらぺらしてて似てるから気づかなかった。
パグがちらりとわたしの方を見た。その顔には、満面の笑みが浮かんでいる。
「よくやった。あとはまかせておけ」
そう言ってパグは足を踏み出す。
パグはかるく踏みこんで、悪夢の前まで行った。ぶんっと剣を振るけど、悪夢はそれを軽がるとかわしてしまう。
それでもパグにあせったようすはない。よけられることは予測していたようで、冷静に剣を構えなおすと、ぐっと踏み込んだ。
パグが高く飛び上がる。
さすがにふい打ちだったらしい。悪夢は逃げることもできず、真っ二つになってしまった。
剣をしまったパグの手のひらに、小さくなったテスト用紙が落ちてきた。わたしはパグに近づく。
パグはテスト用紙をぱくりと口に放りこんだ。しばらくもぐもぐ噛んで、それからごくりと飲み込む。
「……おいしい?」
何度見ても、不思議なかんじだ。ノートもシャトルも、テスト用紙だってわたしの世界では食べ物じゃない。
だけどパグはそれをおいしそうに食べるんだ。指までなめて、こっちを向いた。
「あぁ、うまいぞ。食べてみるか?」
わたしは横に首を振った。
「冗談だよ。獏以外が悪夢を食べても、まずいだけだからな」
「そうなの?」
「あぁ、俺たちは死んだ人間だ。生きてる人間とは味覚が違うのさ」
その言葉にわたしはひやっとした。死んでる人間……? じゃあパグは……。
パグはようやくいま自分の言った言葉に気づいたらしい。はっとした顔になった。
「パグ……それって……」
「あー……」
パグは困った表情をした。
わたしがじっと見つめていると、観念したように口を開いた。
「夢食いってのは、寿命まで生きられなかった人間がやる仕事なんだよ。事故、自殺、いろいろあるけど、じーさんばーさんになるまで生きられなかった人間な。夢ってのは生きてる人間にしか見られない。だから獏は夢がうまく感じるのかもな」
わたしはなにも言うことができなかった。夢がおいしいとか、おいしくないとかの話じゃない。
「パグは……自殺、したの……?」
その言葉がぐるぐると頭の中を回っていた。思いもしなかった事実に、なんだかくらくらしてきた。
そのとき、ぽすっと頭になにかが触れた。見上げると、それはパグの手だった。優しくほほえみながら、わたしの頭を撫でてくる。
「覚えてないんだ。気がついたらこの世界にいた。もしかしたら事故だったかもしれないんだよ。……だから、そんな顔すんな」
そう言われてはじめて、わたしは泣きそうになってたことに気がついた。目が潤んでしまっていて、パグが優しく撫でてくるからますます涙が出てきてしまう。
「泣くな泣くな。ほら、テストがんばんなきゃいけないんだろ?」
わたしはごしごしとまぶたをこする。そしてしっかりとうなずいた。
「いい結果だったら、言いにくるから」
がんばらなきゃ。パグが悪夢を食べてくれたんだから。
わたしがそう言うと、パグは嬉しそうに笑った。
☆☆☆
明日から夏休み。まとめテストが返ってきた教室は、これから始まる夏休みにそわそわしていた。
「ヒーカリちゃん!」
帰る準備をしていたわたしのところに、アカネちゃんが近寄ってきた。
「アカネちゃん。どうしたの?」
「えへへー。見て見てー」
そう言ってアカネちゃんは何枚かプリントを差し出してくる。丸やバツがついたそのプリントは――
「これ、まとめテスト?」
「そう! ヒカリちゃんのおかげで百点取れたんだよ! 本当にありがとね、ヒカリちゃん!」
アカネちゃんは満面の笑みで言ってくる。
「ううん、アカネちゃんががんばったんだよ」
「ヒカリちゃんがいなきゃ、ここまでいい点数は取れなかったよー」
アカネちゃんもいい点数を取れてよかった。これでパグにいい報告ができる。
わたしは窓の外を見上げた。
そこには、どこまでも突き抜ける青空が広がっていた。
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