第5話 夏祭りの悪夢
今年の夏休みは、充実していた。
朝は六時半前に起きて、公園でのラジオ体操から始まる。スタンプをもらってこないといけないから、みんなは朝早くていやだって言ってるけど、わたしは朝の空気が好きだ。なんだか澄んでる気がする。
それから月水金の午前中は部活。バスケ部と交互に体育館を使うようになってる。
一度家に帰ってごはんを食べたら、午後はプール。夏休み中に十回プールに行って、スタンプをもらわなくちゃいけない。わたしはアカネちゃんと一緒にプールに行っていた。
「でもさー、出るんでしょ?」
そんな声が聞こえてきたのは、ある日の更衣室だった。
夏休み前半、最後のプール開放日。わたしとアカネちゃんは泳ぎ終えて、着替えているところにそんな会話が聞こえてきた。
「なになに? なんの話ー?」
先に着替え終わっていたアカネちゃんは、その集団に近づいていく。
「アカネちゃん、知らない? 藤代公園の池に、ゆうれいが出るってうわさ!」
ゆうれい……?
わたしはゆうれいとか怖い話とかが苦手だ。悪夢だって、本当に怖くて怖くてしかたなかったんだから。今はパグがいるから平気だけど。
本当はみんなの話も聞きたくないんだけど、アカネちゃんが目をキラキラさせて続きを聞こうとしてるから、わたしも聞かないわけにはいかない。アカネちゃん、怖い話大好きだもんなぁ……。
「なんでも、あの池で自殺した人がいるらしいよ。イジメが原因で、って。それからあの池には、出るようになったんだって」
ひぇぇ……! それってイジメてた人をうらんでってことかなぁ……?
みんな、きゃあきゃあ言いながらその話題を続けている。
「あれ? でも藤代公園って……」
「そう! 来週そこで夏祭りがあるじゃん? みんなで肝試ししようって話してたの」
き、肝試し……?
藤代公園は広くて、夏祭りをするのは広場の方だけど、池があるところは少し離れた林の中で薄暗い。隠れたデートスポットとも言われてるらしいけど、わたしたちは気味悪がってあんまり近寄らない。
お化け屋敷も苦手なのに、肝試しなんて……。
でもわたしがそんなことを考えてる間に、肝試しは決定になってしまっていた。
そ、そんなぁ……。
☆☆☆
それから一週間後。
「うん、かわいい。さすが私の娘」
お母さんにぽんと背中を押されて、わたしは鏡の前に立った。
去年、お父さんに買ってもらったゆかたは、白地ですそに小さな金魚が散りばめられていて、すごくかわいい。お店でひとめぼれして買ってもらったんだ。赤い帯を合わせてお母さんに着つけしてもらった。髪もお母さんにおだんごにしてもらう。
準備完了。そこにチャイムが鳴った。
「アカネちゃんだ! 行ってきまーす」
藤代公園の広場は、たくさんの出店が立ち並んでいた。
焼きそばや焼き鳥を焼くにおい、わたあめの甘いかおり、かき氷を削る音、射的の弾が跳ねる音――。
お祭りの気配にわたしはわくわくしてきた。
「ヒカリちゃんヒカリちゃん! どれから行く!?」
アカネちゃんがわたしの手を引いて、はずんだ声を上げる。アカネちゃんは赤地に花もようの入ったゆかたに、黄色の帯を合わせて着ていた。ふたつに結んだ三つ編みが、アカネちゃんの歩きと一緒に揺れる。
「えっとね、リンゴ飴食べたい!」
「オッケー。あっちだよ!」
わたしたちは、人込みの中を駆けていった。
もうすぐ八時。クラスのみんなと待ち合わせしていた時間までもうすぐだ。わたしとアカネちゃんは、林の入り口へと向かう。
「ヒカリちゃん、アカネちゃん、こっちこっちー!」
林の入り口には、もうみんなが来ていた。ここまで来れば、もう祭りばやしは小さくしか聞こえない。
「よし、みんな揃ったね。じゃあクジで組み合わせ決めよっか」
順番にクジを引いていく。わたしはアカネちゃんとペアになった。よかった……アカネちゃんとならちょっと安心だ。
「みんな引いたー? じゃあルール説明ね。奇数の順番の人が池の柵にこのイルミライトの輪っかをかけて、偶数の順番の人がそれを取ってくる。池の向こう側にかけちゃダメだよ! わかりづらくなっちゃうから。手前にかけてきてね。いい?」
はーい、というみんなの声が上がる。
わたしたちは六番目だ。五分おきにスタートしていく。
「ヒカリちゃん、大丈夫?」
遠慮がちなアカネちゃんの声が聞こえた。
「だ、大丈夫……。アカネちゃん! 絶対手はなさないでね!」
いきおいよく言うわたしに、アカネちゃんはぶんぶんと頷いた。
「次は六番目ー。六番目だれ?」
その声にわたしはびくっとなる。ついに順番がきてしまった……。
林の中はうっそうとしていた。スズムシの鳴き声が怖さを倍増させている。家で聞いてる分には夏だなぁって感じるのに、暗闇の中ではなんでこんなに不気味に感じるんだろう……。
わたしはアカネちゃんの腕にしがみついていた。ふたりでひとつしか懐中電灯を渡されていなくて、暗闇の中でその光は心もとない。
「ヒカリちゃん、ほんとに大丈夫……?」
見かねたアカネちゃんが、心配そうに聞いてきた。
「だい、じょうぶ……。でも絶対置いてかないでね……」
アカネちゃんの腕を離すことができない。怖い話が好きなアカネちゃんは、この暗闇もぜんぜん怖くなさそうだ。
アカネちゃんは小さくため息をついた。
「でもさ、あの池で自殺したって人、イジメが原因だったんでしょ?」
ふいにアカネちゃんが口を開いた。そもそものこの肝試しをやることになった理由だ。
「それってさ、なんか悲しいよね」
うちのクラスは、男子も女子もみんな仲がいい。アカネちゃんとけんかしたときはイジメになるんじゃないかってひやひやしたけど、仲直りしてからはそんな心配もない。
だから、その自殺したっていう人の話を聞いて、アカネちゃんは考えていたんだろう。
わたしは怖いのも忘れて、その人のことを考えた。
自殺するほど苦しかったのかな……。そうだよね。誰にも言えなくて苦しかったんだろうなぁ。誰か、そばにいてくれる人がいればよかったのに……。
「あ、着いた。ここだよー」
アカネちゃんの声にはっとした。いつの間にか、池までたどりついていた。
「あった。イルミライト、あれだね」
池の手前の柵に、緑のイルミライトがかかっている。アカネちゃんはそれを取って、
「さ、帰ろっか」
と言った。
死んじゃった人の悲しみを考えてたせいだろうか。そのときわたしは暗闇が怖くなくて、アカネちゃんが先に行っちゃってるのに、池を振り返っていた。
池の真ん中に、誰かが立っている。うつむいてるその男の人は、黒い服を着ていて、わたしはなんでこんなに暗いのに見えるんだろうとぼんやり考えていた。
そこで我に返った。
「きゃあああああ!」
慌ててアカネちゃんのもとへと走っていく。
「ヒカリちゃん!? どうしたの!?」
「そっそこ! そこにお化けが!」
わたしはアカネちゃんの腕にしがみついて、ぎゅっと目をつぶった。必死に池を指差す。
本当にお化けが出るなんて……!
「……なにもいないよ?」
え? そんなはずはない! たしかにさっきそこに……。
だけど顔を上げたわたしの目には、ただ暗い池が映るだけだった。
「あ、あれ……?」
「こんなに暗いのに、お化けなんて見えるわけないよー。木かなにかと見まちがえたんじゃない?」
そうなのかな……? たしかに見たと思ったんだけど……。
結局よくわからないまま、肝試しはぶじに終わった。
☆☆☆
それから家に帰って、お風呂に入って、ベッドの中。わたしは天井を見上げて今日のできごとを考えていた。
どこかであの人を見たことがあるような……?
気がつくとわたしは教室にいた。藤代小学校じゃない。机も椅子も小学校のものより大きい。お隣の藤代高校かな?
わたしは机に視線を戻して、ひっとなった。
そこには、たくさんの悪口が書かれていた。「バカ」とか「死ね」とかびっしりと油性マジックで書かれていて、とても消えそうにない。
あんな話を聞いたからかな。これは夢だ。イジメを苦に自殺したって話を聞いたから、きっとこんな夢を見たんだ。
机の文字がずるっと動き出した。わたしは慌てて立ち上がって、教室を飛び出した。
長い廊下をひたすら駆けていく。ずいぶん走ったはずだけど、端にはたどりつかない。
高校の廊下ってこんなに長いのかな……? ううん、きっと夢だからだ。藤代高校には行ったことがないけど、学校の廊下がこんなに長いはずがない。
これは悪夢じゃないのかな……? いつまで経ってもパグが現れない。
それとも、もう見捨てられちゃったのかな……。
「パグ……助けて……!」
わたしはぎゅっと目をつぶった。
キィン!
そのとき、金属がぶつかるような高い音がひびいた。
わたしはそっと目を開ける。
「わりぃ、遅くなった」
「パグ……」
そこには犬耳のついたぼうしをかぶって、剣で悪夢を押しとどめるパグの姿があった。
パグはすばやい動きで悪夢を叩き切ってしまうと、わたしの手を取った。
「こっちだ」
パグはひとつの教室の中に入っていく。そこはさっきの教室と似ているところだった。黒板の前にひとつ教卓があって、たくさんの机と椅子が並んでいる。だけどさっきの教室よりは、ずいぶん明るかった。
パグはドアを背にしてずるずるとへたりこんだ。
「悪かったな、待たせちまって」
なんだか今日のパグは変だ。いつもより少し弱々しい。
「ううん、大丈夫……」
本当はもう来てくれないんじゃないかって思った。どこまで走っても廊下に終わりは見えなくて、学校に誰もいなくて、世界にわたしひとりになっちゃったんじゃないかと思った。
この世界でパグに見放されたら、わたしは本当にひとりだ。
だけど、こんなに弱ってるパグを見たら、文句なんて言えない。
「怖かったけど……パグ、どうしたの……?」
パグは目を見開いた。
わたしはもう、パグが来たから大丈夫だ。それよりも、パグを元気づけてあげたい。不安なことなんか早く吹き飛ばして、いつもの強気な笑顔を見せてほしい。
パグはがしがしと頭をかいた。
「……ここは、俺が通ってた学校なんだよ」
今度はわたしが目を見開く番だった。パグが藤代高校の生徒だった……? ならパグは、わたしのすぐ近くに住んでたの……?
パグは困ったような顔で、わたしを見上げた。
「いろいろ、嫌な思い出があってさ。ヒカリの夢に入るのためらっちまった。……いい思い出もあったはずなのに」
そう言ってパグはまたうつむいてしまった。わたしはなにも言葉が出てこない。はげましてあげたいのに……。年上の男の人をはげます言葉を、わたしは持っていない。
気づいたら、手が動いていた。
「ヒ、ヒカリ……?」
わたしはパグの頭を撫でていた。パグは驚いた顔をしている。
いつもパグに頭をなでてもらって、嬉しかった。パグもそう思ってくれてるといい。
「ありがと、な」
パグはされるがままになっていた。
「さ、食いに行くか」
パグは頭にあったわたしの手を取って、立ち上がった。そのまま歩き出す。
わたしは今さらなんだか恥ずかしくなってきて、床を見ていることしかできなかった。
「今日はなにがあったんだ?」
廊下にはさっきの影はいない。それでもパグは右手に剣を、左手にわたしの手を握ったまま、たずねてきた。
「悲しいことがあったの」
わたしはアカネちゃんの言葉を思い出していた。
「イジメられて、自殺しちゃった人がいるんだって。その人のことを考えてたら、なんだか胸がぎゅーってなったの」
パグの視線を感じる。わたしは顔を上げることができない。
わたしが考えたって、その人のためになにができるわけでもない。ありがた迷惑ってこういうことを言うのかな。
「ヒカリは、そいつのことを思っててくれよな」
ぽつりとパグが言った。わたしは思わず顔を上げる。
「イジメられてたってんなら、まわりにたよれるやつがいなかったのかもしれない。今さらなんて思うなよ? そいつは獏になってるかもしれないんだ」
わたしははっとした。そうだ、パグは寿命まで生きられなかった人は獏になると言っていた。もしかしたら、その人はパグの知り合いかもしれないんだ。
「いつか、届くかもしれない。ヒカリだけは思うのをやめないでくれ。それがきっと、誰かの力になる」
届くんだろうか。力になるかはわからない。だけど、あなたがいなくなって悲しいと思ったことは、事実だから。伝わってほしいから。
「さぁ、お出ましだ」
パグは足を止めた。さっきの影が目の前にいた。
「ヒカリは思ってくれたから、あとは簡単だぞ」
パグは手を離して駆け出した。影はおとなしく切られてしまった。
パグの手のひらに、小さな緑の輪っかが乗った。
「なんじゃこりゃ」
「たぶん、イルミライトだと思う」
肝試し、暗闇で薄く光る緑のイルミライトは、まるで蛍のようだった。
パグは一口でイルミライトを食べてしまう。何度か噛んで、飲み込んだ。
「ラムネみたいな味がする」
「たぶん今日が夏祭りだったからだ」
わたしはふふっと笑った。肝試しのあとにアカネちゃんと飲んだラムネは、甘くてしゅわしゅわしてて、おいしかった。
「楽しかったか?」
「うん! いつかパグとも行けたらいいな」
その言葉にパグは小さく笑って、なにも言わずにわたしの頭をなでただけだった。
☆☆☆
夏休みの間に育てていた朝顔が、きれいに咲いた。朝顔は昼になったら花が閉じちゃうから、わたしはそれを押し花にした。
その日はよく晴れていて、藤代公園の林の中も少しは明るい。散歩している人も何人かいるから、わたしは安心した。
池は静かだった。少し風が吹いていて、水面を小さく揺らしている。
あのとき見たものは、見まちがいだったんだろうか。
わたしがかばんから袋を取り出した。中に入っているのは、朝顔の押し花だ。わたしはそれを池に浮かべた。
届いてくれたらいい。
わたしは目を閉じてそう願うと、元来た道を戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます