第7話 恋の悪夢

「えー!? つきあってないの!?」

 そんな声が響いたのは、十月に入って少し寒くなってきた体育館だった。

 運動会も終わってのんびりとした季節、放課後の体育館はバドミントンのシャトルが飛び交っていた。

「う、うん……? 後藤くんは友達だよ?」

 コートが空くのを待っている間、マイちゃんたちに聞かれたのは後藤くんとはどこまで進展したかということだった。わたしが「ともだちになれて嬉しい」と言ったら、マイちゃんたちにかなり驚かれてしまったのだ。

「後藤くん、かわいそ……」

 マイちゃんがぽつりと言うと、まわりの子たちもうんうんとなずいている。後藤くん、わたしと友達になりたくなかったのかな……?

 そのとき、後ろから肩をがしっと掴まれた。

「はーいみんな、解散解散! ヒカリちゃんたちにはヒカリちゃんたちのペースがあるの! 好き勝手言ってジャマしない!」

 アカネちゃんだった。みんなは「それもそうだね」と言いながら、練習に戻っていく。

「アカネちゃん……後藤くんってわたしと友達になりたくなかったのかな……?」

 みんなの言ったことが気になっていた。わたしは後藤くんと普通に話せるようになって嬉しかったけど、後藤くんはそうじゃなかったかもしれない。

「後藤くんがそう言ったわけじゃないでしょ? みんなの言葉を真に受けて落ちこまないの!」

 たしかにそうだ。みんなもそう言ってたわけじゃないのに、すぐ悪い方に考えるのはわたしの悪いくせだ。

「そうだね。アカネちゃん、ありがとう」

 そう言ってふたりで笑みを浮かべた。だけどすぐにアカネちゃんは深刻そうな顔になる。

「ヒカリちゃん」

 こんなに深刻そうな声を出すアカネちゃんは、はじめてだ。

「帰りにちょっと、相談があるんだけど」


 わたしとアカネちゃんは、ふたりで帰り道を歩いていた。相談があると言ったアカネちゃんだけど、学校を出てから一言もしゃべっていない。

 なにか言いにくいことなんだろうか。

「ヒカリちゃん」

「はい!?」

 そう考えてたところでいきなり名前を呼ばれたから、声が裏返ってしまった。アカネちゃんはそんなわたしに気づかなかったのか、うつむいたまま続けた。

「私ね……。好きな人ができたの……」

 言ってる意味がわからなくて、わたしはしばらく固まってしまった。その意味を理解するのに十秒。それって……!

「そうなの!?」

「ヒカリちゃん、反応遅いなー」

 ようやく顔を上げたアカネちゃんはけらけらと笑った。

「うわー! うわー! すごいね! 応援するよ!」

「ありがとう。えっとね、実は後藤くんのお兄さんなんだ。この前帰るときに後藤くんをむかえに来たみたいでね、ひとめぼれなんだー」

 そう言って笑うアカネちゃんは、すごくかわいい。テレビやマンガで恋をすると女の子は変わるっていうけど、本当だったんだなぁ。

 でもアカネちゃんはすぐに暗い表情になってしまった。

「アカネちゃん?」

「相談したいのはね、そのことじゃないの」

 どういうことだろう? アカネちゃんの表情に、さっきまでの幸せそうなものはない。

「ヒロキさん……後藤くんのお兄さんね。ヒロキさんのことを好きになってから、毎晩悪い夢を見るようになっちゃったの」

「え!?」

 それってもしかして……。

「なにかぐっすり眠れる方法知らない?」

 まだわたしの予感は想像だ。それにすぐには信じてもらえないだろう。わたしはアカネちゃんに寝る前にホットミルクを飲んだり、枕元にラベンダーのかおりのものを置いたりするといいよと教えてあげた。

 アカネちゃんは疲れた表情で「ありがとう」と言うと、帰っていった。


   ☆☆☆


「なるほどなー」

 悪夢のことならパグだ。今日は悪夢じゃなかったけど、パグを呼んだ。呼んだら来てくれるっていうのは本当だったんだなぁ。なんだか嬉しい。

「パグの力でどうにかならないかなぁ?」

 わたしの悪夢じゃないから、だめかもしれない。パグに頼むのも悪い気がする。だけど他に方法が思いつかなかった。アカネちゃんの力になりたかった。

「人の夢に渡るのは、ちょっと手続きがめんどうだからなぁ……。でもヒカリの力もあるし……」

 そう言ってパグはちらりとわたしを見た。そしてにっと笑った。

「よし行くか! 夢渡り!」

 パグはわたしの手を取って立ち上がる。そして剣を抜いた。

 パグが剣をくるりとひと回しすると、光る大きな鏡のようなものが現れた。

「ヒカリ、手を離すなよ? 夢を渡るぜ!」

 わたしたちは光の中に入っていった。


 光がやんだとき、わたしはパグの手が離れていることに気がついた。

「パグ……? パグどこ!?」

 手を離すなって言われたのに……。わたしは周りを見渡すけれど、暗闇が広がるだけだ。

「こっちだこっち」

 下のほうから声がした。私が足もとを見ると――

「パグ?」

 そこには犬のパグがいた。

「おう。無事夢渡りできたな」

 その声はさっきまで手をつないでいたパグのもので。

「……なんで犬になってるの?」

 この犬がパグなのは間違いない。むっとした顔がおんなじだ。

「人のテリトリーだと力が発揮できないんだよ。……半人前だから」

 人の姿でいるのは力がいるってことなのかな?

「ふふっ。でもかわいい」

「あっおい! 持ち上げんな!」

 パグは軽々と持ち上がった。わぁ、ふわふわだー。

「あれ、パグ?」

 頭の上から声がした。

「げ」

 見上げるとそこにいたのは、暗い茶髪をポニーテールにした男の人だった。パグと同じ黒いジャケットを着て、デニムパンツを履いている。そして頭には犬耳が生えていた。

 その人はパグの頭をがしっと掴む。

「『げ』ってなにかな? 『げ』って」

「いたたた! すんませんっした班長!」

 班長!

 はじめて会ったときに、パグは小児科二班所属だって言っていた。つまりパグの班でいちばんえらい人ってことだろう。

 班長さんはわたしのほうをちらりと見た。

「君がヒカリちゃんだね? はじめまして。僕は夢食い獏、小児科二班班長のバーナードだよ。よろしくね」

「バーナードってセントバーナード? あの大きい犬?」

「おっ、よく知ってるねー。これはセントバーナードの耳だよ」

 そう言って班長さんは頭に生えた耳をさわった。パグのは帽子だけど、班長さんのは本物なんだなぁ。班長だからかな?

「ここ班長のテリトリーだったのかよ」

「そうだよ? 源アカネちゃんの夢だね」

 わたしはようやくここに来た目的を思い出した。

「班長さん! アカネちゃんが悪夢を見るって……!」

 わたしは班長さんの腕を掴んだ。班長さんはびっくりしている。

「ヒカリちゃん、アカネちゃんと友達なの?」

「そうなの! 同じクラスで……」

 帰り道、アカネちゃんが浮かべた不安そうな顔を思い出していた。いつも元気なアカネちゃんが、あんなにまいっていた。早く助けてあげないと……。

「ヒカリの力は班長も知ってるだろ? 助けになるんじゃないかと思って連れてきた」

 班長さんはふむ、と腕を組んだ。

「まぁいいか。じゃあアカネちゃんのとこに行こうか」


 気がつくと、藤代公園にいた。ここは林の入り口だ。

 となりに班長さんが並んだ。

「ここに、アカネちゃんがいるの?」

「うん。ここ数日、この夢ばかり見てるね」

 林は夏の肝試しのときのように、黒々としている。本当にこんなところにアカネちゃんはいるんだろうか?

 そう考えたとき、手になにかが触れた。

「大丈夫だ。俺がついてるから」

 人間の姿に戻ったパグだった。

「あれ? パグ?」

「僕の力を与えて人間の姿にしてあげたんだよー。じゃないと使い物にならないからね」

 パグは苦々しげな顔をしている。

「人間の姿になるのは、力がいるの?」

 わたしは班長さんにたずねた。

「そうだよ。特にパグは半人前だから、サポートが必要でねぇ」

 うんうんとうなずく班長さんの背中に、パグはグーパンチを決めた。班長さんはあんまり気にしてなさそうだ。仲いいのかな……?

 わたしたちは林の中を歩いていく。

「あれ? ヒカリちゃん?」

「アカネちゃん!」

 その途中にアカネちゃんはいた。わたしはアカネちゃんに駆け寄っていく。

「会えてよかったー! ケガとかしてない?」

 わたしはアカネちゃんに抱きついた。見たところ、どこもケガはしてないようだ。

「私は大丈夫だよ。それよりなんでヒカリちゃんがここに?」

「アカネちゃんを助けに来たの!」

 わたしはパグを振り返った。

「夢食い獏、小児科二班のパグだ」

「同じく班長のバーナードでーっす」

 アカネちゃんは目をぱちくりさせた。

「この人たちは……?」

「獏だよ! 悪夢を食べてくれるの」

 いきなりこんなことを言われても、信じられないかもしれない。夢の中だもんね。わたしも悪夢にひとりでたえていかなきゃって思ってた。

 でも今は、パグがついている。パグがいれば、どんな悪夢だってへっちゃらなんだ。

「ヒカリちゃん……」

 アカネちゃんの手が、わたしの手を掴む。アカネちゃんの顔を見ると、両目から涙が零れていた。

「ア、アカネちゃん!?」

 まさか泣いちゃうなんて思わなくて、わたしはあせってしまう。わたしがおろおろしていると、アカネちゃんは涙を拭って手を振った。

「違うの……! 私、ずっとひとりで不安だった……。ひとりであの人をどうにかしなきゃって思って、でもできなくて……。ヒカリちゃんが来てくれたことが、すごく嬉しいの」

 わたしは胸がぎゅっとなってしまった。アカネちゃんもひとりで不安だったんだ……。わたしも前はそうだった。あのとき誰にも言えずにいたけど、アカネちゃんに相談したら力になってくれたのかもしれない。

 いま、アカネちゃんの力になれたことが嬉しい。

「俺らもいるからな」

 パグがアカネちゃんの頭をぽんと撫でた。アカネちゃんはおとなしく撫でられている。

 わたしはそれを見て、なんだかもやもやしてきた。なんでだろう? なにか悪いものでも食べたかな?

「それで、アカネちゃんはどんな悪夢を見てたのかな?」

 班長さんが口を開いた。みんなの視線がアカネちゃんに集まる。

「えっとね、この先に池があるんだけど、男の人が立ってるの。なにしてるのかなーってぼんやり見てたんだけど、その人がいきなり叫びだして池に落ちちゃうの。私なんどもそれを止めようとしたけど、何回やってもだめで……。ねぇ、どうしたらいいのかな……」

 アカネちゃんは暗い表情でうつむいてしまう。わたしはアカネちゃんの手をぎゅっと握った。

「よし、とりあえずその池とやらに行ってみっか」

 パグの言葉でわたしたちは歩き出した。


 池は藤代公園の池そのままだった。風がないから水面は静かだ。

「さーて、そのヤローはどこにいるのかなー?」

「いつもは私が来たときにはもういるんだけど……」

 あたりを見渡してみたけれど、それらしい人影は見えない。わたしたちが来たから隠れちゃったのかな?

「俺、ちょっと近くを見てきてみるわ。ヒカリとアカネちゃんをよろしくな、班長」

 そう言ってパグは林の中に入っていってしまう。

 風が吹いてきた。水面に波が浮かぶ。わたしは柵に寄りかかって、それを見ていた。

「ねねっ、ヒカリちゃんってもしかして、あの人が好きなの!?」

 アカネちゃんが隣に並んだかと思うと、そんなことを聞いてきた。

「え!?」

「だぁってー、私が撫でられてたときヒカリちゃん、すっごい顔してたよ?」

 わたしが、パグを好き? それは『アカネちゃんを好き』とは別の意味でってことだよね?

 そっ、そうなの!? わたし、パグのこと好きだったの!?

 アカネちゃんはにこにこ笑顔を浮かべている。冗談を言っているわけではなさそうだ。

 わたし、自分で自分の気持ちに気づいてなかったんだなぁ……。

「もしそうなら、ちょーっと困るなぁ」

 そう言ったのは、アカネちゃんとは反対側に立っていた班長さんだった。

「どう困るって言うのよー?」

 アカネちゃんがぷうっとほっぺたをふくらませて、身を乗り出して班長さんの顔をのぞきこんだ。

「獏は夢の中の存在だからね。好きな人は、現実の世界で見つけなきゃダメだよ」

 そういえばそうだ。夢の中で毎日のように会っていたから忘れてたけど、パグはもう死んじゃってるんだ。

 気づいたのと同時に失恋だなんて……。

「でもパグは……」

 班長さんがなにか言いかけたときだった。強い風が吹いた。わたしは思わず目をつぶる。ざぁっと波が揺れる音がした。

「あの人!」

 アカネちゃんの声に目を開けると、池の反対側に男の人が立っていた。そこは柵の内側で、男の人の足もとには今にも波が打ち寄せようとしていた。

「ここにいて」

 班長さんはそう言うと、柵に足をかける。そしていきおいよく踏み込んだ。

「え!?」

 わたしとアカネちゃんの驚く声が重なった。柵から跳んだ班長さんは、池を飛び越えて向こう岸に着地していた。

「ヒカリちゃん! 行こう!」

 わたしたちは向こう側へ走り出した。


「離せ! 俺はつぐなわなきゃいけないんだ!」

 向こう岸に辿り着いたとき、班長さんに後ろから羽交い絞めにされていた男の人はそうわめいていた。

「とりあえず落ちついてー? 話聞かせてよ」

 班長さんがのんびりと言う。

「あれ……? ヒロキさん?」

 そんな声を上げたのは、アカネちゃんだ。

「アカネちゃん、知り合いなの?」

「うん。ほら、後藤くんのお兄さん」

 後藤くん? 同じクラスの? そういえば目もとが似てるかもしれない。アカネちゃんはわたしの耳もとに口をよせてきた。

「そしてわたしの好きな人」

「え!?」

 ささやかれた言葉に、わたしは大声を上げてしまった。それに気づいて班長さんとお兄さんが振り返る。

「あれ? アカネちゃん?」

 口を開いたのはお兄さんだ。

「こんにちはヒロキさん! 夢の中とはいえ、会えるなんてラッキー!」

 でもどうしてアカネちゃんの悪夢にお兄さんが出てきたんだろう? 『つぐなわなきゃいけない』ってどういうこと?

「それで、ヒロキくんはどうして池に飛び込もうとしてたの?」

 それを聞いたのは班長さんだった。お兄さんは苦い顔をして黙ってしまった。あたりが静まり返る。風が小さく吹いていた。

「俺、友達をこの池に落としてしまったんだ……」

 お兄さんの口からこぼれたのは、そんな衝撃の言葉だった。

「わざとじゃなかったんだ! あいつは足を滑らせて、池に落ちてしまった……。場所が悪かったんだ。ちょうど転んだ場所に岩があって、あいつは頭をぶつけてしまった……。それから、あいつはまだ目覚めない……」

 そう言ってお兄さんはうつむいてしまう。ここからじゃよく見えないけど、きっと後悔してる顔をしてるんだろう。お兄さんの言葉にはその気持ちがにじんでいた。

「なるほど。ヒロキくんの悪夢がアカネちゃんに絡んで、悪夢に取り憑かれやすいヒカリちゃんの影響でアカネちゃんが悪夢を見るようになっちゃったんだな」

 班長さんがぽつりと言った。

 えっ、つまりアカネちゃんが悪夢を見るようになっちゃったのは、わたしのせいってこと!? そんなぁ!!

 不安そうな表情のわたしに気づいたのか、班長さんがわたしを見てにっと笑った。

「大丈夫、こんなときのために僕らがいるんだから」

 そっか……。班長さんたちは悪夢を食べてくれるんだ。

「ヒロキくんは高校生か。本当なら僕らの担当じゃないけど、これはアカネちゃんの夢だからまぁいっか。ヒロキくん、君はそのことを後悔してるんだね?」

 お兄さんが顔を上げた。班長さんの目を見てしっかりとうなずく。

「なら大丈夫だ。心の底から謝って、そしたらきっと相手にも気持ちは伝わるから」

「でも……もし許してくれなかったら……?」

「それはそのとき考えよ! 不安になったら、いつでも僕らが聞いてあげるから」

 その言葉にお兄さんは深くうなずいた。お兄さんが光に包まれていく。

 その光はやがて手のひらサイズの石になった。ためらいなく、班長さんはそれを口にする。

「お、おいしいの? それ……」

 わたしがたずれると、班長さんは意味深な笑みを浮かべた。

「ほろ苦い、大人の味だよ」

 そのとき背後でかさりと音がした。振り返ると、そこにいたのはパグだった。

「パグー、遅いよ? 全部終わっちゃったよ?」

 班長さんが軽口を投げるけど、パグの表情は固まってしまっていた。

「パグ?」

 様子のおかしいパグにわたしは近寄った。

「パグ、どうしたの?」

 たずねるけれど、パグの視線はわたしを見ていない。わたしを通り越して、班長さんを見ていた。

「ヒロキ……。どうして……」

 パグは今来たよね? どうしてお兄さんの名前を知ってるの?

 そう聞こうとしたら、パグはがくんと倒れてしまった。

「パグ!? ねぇパグ!! しっかりして!!」

 あわてて支えたようとしたけれど、支えきれずに一緒に倒れこんでしまった。

 パグは気を失ってしまっていた。

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