第3話 雨の悪夢
目が覚めて、聞こえてきた音に、夢じゃないんだとゆううつになった。
わたしはカーテンを開ける。案の定、そこには雨模様が広がっていた。
六月。梅雨に入った藤代町は、今日も雨が降り続いていた。
わたしは鏡の前に立って、しかめっ面を浮かべていた。
「ヒカリ? 遅刻するわよ?」
洗面所にお母さんが顔を覗かせた。
「おかーさん! 髪の毛がまとまんないよー!」
雨の日にはいつも悩みの種だった。わたしの髪は、みごとなくせっ毛だ。晴れの日はドライヤーを使ってなんとかまとめられるけど、雨の日はもう全然だめだ。クシとドライヤーを手に、わたしはうねる髪の毛にとほうにくれていた。
「あらあら……。三つ編みやってあげましょうか?」
「お母さん! ありがとう!」
笑顔で言うお母さんに、わたしはリビングに跳んで行って椅子に座った。
☆☆☆
雨の日は学校に行くのもゆううつだ。ショート丈のレインブーツを履いてきたけど、靴下のうしろにちょっと雨水が跳ねてしまっている。
「ヒカリちゃん、おはよう!」
うしろから声を掛けてきたのはアカネちゃんだった。オレンジのチェックの傘の下のアカネちゃんは、雨雲を吹き飛ばすかのような明るい笑顔を浮かべている。
「おはようアカネちゃん」
「あ、今日は三つ編みだ。かわいいね」
ゆううつだった気分が少し吹き飛んだ。まとまらない髪も、お母さんの手にかかればかわいいものに早代わりだ。
☆☆☆
「そんなことで俺は借り出されたのかよ……」
あきれ顔のパグが、頬杖をついてわたしを見ている。
「そんなこと!? わたしは真剣に悩んでるのに!」
わたしはまた悪夢を見ていた。今日は傘に髪の毛をくるくる巻かれる夢だ。
悪夢に取り憑かれやすい体質なだけあって、ささいなことで悪夢を見ている気がする。
身が持たなくなる前になんとかしてもらいたいなぁ……。
「ガキがいっちょまえに色気づきやがって」
そう言ってパグはコツンとわたしのおでこを小突く。おでこがなんだか熱く感じた。
「そうだよね、パグにこんなこと相談してもむりだよね……。男の人だもん」
男の子は髪型で悩まなくていいなぁ。雨とか関係なそうだもん。
だけど隣でパグがむっとしたのがわかった。
「夢食い獏をなめんなよ? 練習すりゃいいんだろ、練習!」
そう言ってパグは剣を抜いた。パァっと光ってそれは形を変えていく。
鏡とドライヤー、ヘアアイロンにブラシが揃っていた。あと髪ゴムやヘアピンとか。
「おら、どうだ?」
パグは得意げに鼻を鳴らした。
「……パグって女の子のもの好きなの?」
「なワケあるか! 姉貴に髪いじりさせられてたんだよ!」
パグがツッコミを入れる。それよりも。
「お姉さんいるんだ」
言った瞬間、パグは気まずそうな顔をした。
「あー……。その話はまた今度だ。ほら、教えてやるからそこ座れ」
パグはわたしを鏡の前に座らせる。
「基本はブローだな。ブラシでくるっとしながらドライヤーをかける。ドライヤーは上からかける方が髪が痛まないぞ。ヘアアイロンも楽っちゃ楽だけど、きれいな髪だからな。今はまだ使わない方がいいだろ」
そう言いながらパグは器用にわたしの髪をブローしていく。
男の人に髪を触られるのなんてわたしははじめてで、なんだかドキドキしてきた。
夢の中までくせっ毛なわたしの髪は、パグの手によってさらさらストレートになってしまった。首を振ると、肩下まで伸びた髪がさらさらと揺れる。
「すごーい!」
パグはふふんと得意げな顔になる。パグも満足そうだ。
「パグが現実の世界にもいたらいいのにな……」
叶わないことだけど、わたしはついぽろりと言ってしまった。パグが悲しげな表情になる。
「……かわいい髪型教えてやるから、それでがまんしてろ」
パグはわたしの頭にポンと手を乗せて、そう言った。
困らせちゃったかな?
わたしはパグに教えてもらいながら、髪の毛のアレンジを続けた。
☆☆☆
今日もあいかわらずの雨模様だ。
だけどわたしの足どりは軽い。水たまりを飛び越えたレインブーツが、小さなしぶきを上げた。
「アカネちゃんおはよう」
わたしは前を歩くオレンジのチェックの傘に、声をかけた。アカネちゃんがくるりと振り返る。
「あっ、ヒカリちゃん! おはよう」
アカネちゃんは「あれ?」という表情をした。
「今日の髪型かわいいね。自分でやったの?」
わたしはパグに教えてもらったポニーテールにしていた。逆毛を立てて、くせっ毛も気にならなくなっている。
「うん。どうかな?」
「似合うよー。あとで私にもやり方教えて!」
雨傘の花が通学路に広がる。
ゆううつな気分は、もうどこかに行ってしまっていた。
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