第2話 部活の悪夢

 五月の日差しは少し強くなってきていて、過ごしやすい季節になっていた。

「ゆううつだなぁ……」

 体育館のすみっこに座り込んでため息をつくわたしに、アカネちゃんが上から声をかけた。

「そんなに不安になることないってー。気楽にいこ?」

 ヒュンっと音がする。

「ごめーん! 取ってー!」

 わたしたちの前に、シャトルが飛んできていた。


   ☆☆☆


 四年生になって、一か月。つまりバドミントン部に入ってもう一か月だ。

 新入部員の初試合が、一週間後に迫っていた。

「アカネちゃんはいいよねぇ。運動神経いいもん……」

 アカネちゃんに誘われて入ったバドミントン部。楽しそうだなと思ったけれど、わたしが打つシャトルはなかなか思う方に飛んでいかない。

 運動神経ばつぐんのアカネちゃんのシャトルは、まるで魔法を使うかのように相手のコートにどんどん落ちていく。

 アカネちゃんは小さいときからそうだった。かけっこではいつもいちばんだし、ドッジボールも最後までコートに残って逆転勝利なんてことも一度や二度じゃなかった。

 わたしも足は遅い方じゃないんだけれど、アカネちゃんにはかなわない。

「シャトルをちゃんと見るんだよ。最後の最後まで見る。そして打つ!」

 アカネちゃんは素振りをした。ヒュンっと音がして、わたしたちは笑い合った。


 アカネちゃんとまたこんな風に話せるときがきて、本当に良かったなって思う。

 アカネちゃんにあいさつをしたあの日の放課後、わたしたちは一緒にノートを買いにいった。おそろいの赤いチェックのノート。やっぱりこれじゃないと落ち着かない。ピンクの水玉のノートは、漢字の書きとりノートにしている。

 今はそのノートもランドセルにしまって、ロッカーの中だ。放課後の部活の時間は、バドミントンのラケットしか持っていない。

「バドミントンは好きなんだけどねぇ……。試合ってなると緊張しちゃう……」

 集合の笛が鳴った。わたしは立ち上がる。アカネちゃんと並んで先生のところへ駆けていった。

「慣れだよ。私と一緒に練習しよ!」

 アカネちゃんが言うと、できそうな気がしてくる。パグも言ってた。『心を強く持て』って。

 だけどそのあとの試合形式の練習で、わたしはアカネちゃんにこてんぱんにやられたのだった。


   ☆☆☆


 風を切る音がする。飛行機かな?

 ううん、違う。飛行機だったらこんなに短い音じゃないはず。

「わっ!」

 わたしの真横をなにかがすごいいきおいで飛んでいった。暗い地面になにかが落ちている。

「これは……シャトル?」

 地面だと思ったそれは、よく見たら黒いシャトルのかたまりだった。

「なに、これ……」

 もしかして、という気持ちがわたしの心の中に浮かぶ。わたしの夢に出てくる黒い影。最近は見なくなっていたのに……。

 そのときだった。ひときわ大きい風の音がして、振り返って見たものに、わたしは言葉を失った。

 わたしの背の何倍もある黒いシャトルが、こっちに向かって飛んできていた。

 よけられない!

 わたしはぎゅっと目をつぶったけど、いつまで経っても衝撃はこなかった。そっと目を開ける。

「ギリギリセーフ」

 聞き慣れた声がした。黒いコートにストライプのパンツ。長い剣を腰に差して犬耳ぼうしを被ったその人は――

「パグ!」

 シャトルに向かってパグが剣を突きつけていた。

「久しぶりだなぁ、ヒカリ。元気にしてたか?」

 パグは顔だけわたしの方を向いて言った。それを見てわたしは焦る。

「パッ……パグ! 危ない!」

 黒い大きなシャトルがまたパグに襲いかかろうとしていた。パグはぱっと向き直ると、剣を突き出した。

 パグの剣はみごとにシャトルに突き刺さり、黒い影はすうっと消えていった。

「改めて、久しぶりだな」

 わたしのところまで歩いてきて、パグは言った。

「ほんとにね。パグも元気だった?」

「おう!」

 アカネちゃんとの問題が解決してから、悪夢は見なくなっていた。それと同時にパグにも会えなくなっちゃったけど、またこうして会えて本当に嬉しい。

 だけどパグは目を泳がせた。

「パグ?」

「あー……えっと……。おまえに言っとかなきゃいけないことがあるんだけど……」

 めずらしくパグが口ごもる。ハキハキなんでも言う人だと思ってたから、わたしはふしぎに思った。

 パグはパンッと手を合わせた。

「悪い! ヒカリは悪夢に取り憑かれやすい体質になっちまったみたいだ!」

 あたりにしんとした空気が流れる。パグがちらりと目を開けて、わたしを見た。

「えっと……どういうこと……?」

 パグはがしがし頭をかきながら話し始めた。

「俺さ、実はまだ正式な夢食い獏じゃないんだ。まだ修行中の身で……。この前おまえの悪夢を食っただろ? あの悪夢はちゃんと消えたんだけど、半人前が退治したせいかヒカリの夢と悪夢が繋がる道ができちまったんだ……。ほんっとーにすまない!」

 パグはまた手を合わせて、頭を下げた。

 つまりわたしは悪夢を見やすくなっちゃったってこと?

「また……あの影みたいなのが来るの……?」

 今日も黒いシャトルが現れた。またあんなのに追いかけられると思ったら……。

「大丈夫だ。俺が守る」

 ぶるりと身を震わせたわたしに、力強い声が届いた。わたしはパグを見上げる。パグがまっすぐにわたしを見ていた。

 わたしはほっぺたが熱くなるのを感じた。

「パ、パグが原因なのに……!」

 ついツンとした言い方をしてしまった。

「それについては悪かったよ……。今度は何に悩んでるんだ?」

 心底もうしわけなさそうに言うパグが、何だかかわいく見える。変なの、年上なのに。そういえばパグって何歳なんだろう?

「ヒカリ?」

「あっ……えっとね、来週バドミントンの練習試合があるの。でもわたし、コートに立つと緊張しちゃって……」

 パグは黒いシャトルをひとつ拾って、あぁと呟いた。

「それで、シャトル」

 わたしはうなずいた。黒いシャトルが飛んできたときからうすうす感じていたけど、やっぱり部活のことがこの悪夢の原因らしい。

「しゃあねぇなぁ。じゃあいっちょ、特訓すっか」

 そう言ってパグは腰に差したさやを引き抜いた。そして顔の前まで持ってくると、目を閉じた。

 するとさやが輝きだした。てっぺんが丸くなっていって、やがて光が収まっていく。

 さやはバドミントンのラケットになっていた。

「うわぁ……」

 こんなこともできるんだ!

 パグはそのラケットをわたしに押しつけると、同じように剣もラケットに変えてしまった。

「こんなこともできるんだね!」

「おう。夢の中は自由だ」

 パグはラケットだけで黒いシャトルを拾うと、ポーンポーンと何度か上に向かって打った。すごいなぁ、ラケットだけでシャトルを拾うの、六年生の先輩でも何人かしかできないよ。

「パグはバドミントンやってたの?」

 パグは左手でシャトルをキャッチした。

「昔、やってたんだよ……。それより!」

 その言い方が気になったけど、パグが話を変えてしまったから、聞くことができなかった。

「試合まで俺がみっちり特訓してやる! 所詮夢だがヒカリに足りないのはイメトレ……イメージトレーニングだ!」

 パ、パグが顧問の先生みたいな顔してるー!


   ☆☆☆


 アカネちゃんが心配そうな顔を向けてくるけど、わたしはそれどころじゃなかった。

「ヒカリちゃん、大丈夫……?」

 五時間目が終わって、あとは帰りの会を待つ時間。わたしは机に突っ伏していた。隣の席のアカネちゃんが心配そうに聞いてくる。

「だいじょうぶ……」

 パグの特訓は厳しかった。先輩よりも顧問の先生よりも厳しいなんて……。

 そうはいっても夢の中だから、実際に疲れるわけじゃない。だけど、

「おらー! ちゃんと羽根見ろー!」

とか、

「足止まってんぞ足ィ! やる気あんのかぁ!?」

とかどなるパグに、わたしは気分的に疲れていた。あの人ぜったい元ヤンだ……。

「なら部活行こっ」

 笑顔でアカネちゃんは言った。ううぅ、いやされる……。この笑顔が好きなんだよなぁ。


「うっらぁ!」

 わたしのすぐ横を、シャトルがすごい勢いで通り過ぎていった。

「よっしゃぁ!」

 アカネちゃんはガッツポーズを決める。この笑顔は怖いんだよなぁ……。

 放課後の体育館。今日はバドミントン部が体育館を使う日だ。

 試合形式の練習をする時間になって、わたしはアカネちゃんとやっていた。

 アカネちゃんの打つシャトルは、あいかわらず強い。わたしはまた今日も負けてしまった。

「やっぱりアカネちゃんはすごいなぁ」

 体育館のはしっこで、わたしたちはスポーツドリンクを飲んでいた。コートでは先輩たちの試合が始まっている。

「そう? ありがと。でもさ、今日のヒカリちゃんの動きよかったよ! この前とは別人みたい!」

 アカネちゃんはテンション高くわたしの手を掴んでくる。その勢いに押されそうになったけど、わたしの頭にはパグの顔が浮かんでいた。

 ……特訓の成果かな?


   ☆☆☆


「へぇ、やったじゃん」

 黒いシャトルが散らばる空間。わたしとパグは並んで座って、今日のできごとを話していた。

 びっしりと散らばるシャトルは、正直気持ち悪い。だけどこの前みたいに追いかけられるわけじゃないから、わたしは落ちついて話ができていた。

 パグとの特訓で使ったシャトルは、少しずつ消えていっていた。わたしが決めるたびに消えていくんだ。がんばらなきゃ。

「パグのおかげだよ。ありがとね」

 そう言って笑うと、パグも笑い返してくれた。

「じゃあ今日も特訓といくか! まだこんなにシャトルは残ってるんだしな」

 きょ、今日もスパルタかぁ……。


 パグの特訓の甲斐あって、黒いシャトルはずいぶん減っていた。その代わり、わたしの体力はどんどん削られていってるんだけど。

「最後のシャトルだな」

 そう言ってパグは最後の黒いシャトルを打った。ラリーが続く。

「くっ……」

 パグが体制を崩して、シャトルがわたしの方に戻ってきた。そのシャトルは高く上がっていて。

「そっ……れ!」

 わたしは思いっきりその羽根を打った。勢いよくパグの方へ飛んでいく。

 シャトルはパグの横をビュンと通り過ぎて、地面に落ちた。落ちたシャトルは白い羽根に変わっていく。

 パグがその白いシャトルを拾う。手のひらに乗せるとそれを口元に持っていった。

 ぱくりとパグはシャトルを食べる。しばらくモグモグとして、ゴクリと飲み込んだ。

「おいしい……?」

 この前も思ったけど、見た目は食べ物じゃないからなんだか違和感がする。

「……甘い。生クリームみたいだった」

 パグは夢食いなだけあって、やっぱりちゃんと味がするみたいだ。

「甘いもの苦手なの?」

「いや? 昔から好きだったよ」

 昔……。パグって今までどんな風にして過ごしてきたんだろう。

 わたしのことばかり話して、パグのことはほとんど知らない。わたしの夢だから、しかたがないけど。

「ほら、もうすぐ夢が覚めるぞ」

 あたりに白い光が満ち始めていた。

「……また会える!?」

 もうちょっと話していたかった。必死に叫んだわたしにちょっと驚いた顔をしたあと、パグはふっと笑った。

「あぁ、ヒカリが悪夢を見続ける限りはな」

 わたしはほっとした。悪夢を見るのはいやだけど、またパグには会いたい。

「試合がんばれよ」

 ガッツポーズを決めるパグは、白い光に包まれてやがて見えなくなっていった。


   ☆☆☆


 試合終了のホイッスルが鳴った。わたしは「ありがとうございました」と言って、相手の選手と握手をする。

「ヒカリちゃん、おっつかれー」

「アカネちゃん。二回戦出場おめでとう」

「ありがと! ……ヒカリちゃんは残念だったね」

 わたしはにっこりと笑った。

 せっかくの特訓もむなしく、わたしは一回戦で負けてしまった。結構いいとこまでいったんどけどなぁ。今度パグに会ったら謝らないと……。

「でもさ、ヒカリちゃんあんまり緊張しなくなったよね」

「え?」

「前はさ、練習でもコートに立つときは震えてたけど、最近はそんなこともなくなってたじゃん。今日にいたっては相手と互角に渡り合ってたし!」

 特訓のおかげかな? 成長できてたことに気づいて、わたしはなんだか嬉しくなる。

 今度パグに会ったら「ごめんなさい」よりも、「ありがとう」と言おうとわたしは心に決めた。

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