第10話 かえでの願い

「えへへっ、おら、かえでちゃんたちに会いたかっただよ」


 もっちんは遠慮気味に、かえでのかたわらまで近づいた。


「ねえ、里香りか。本当にそこに、もっちんって男の子がいるの?」


「いるわよ。そっかあ、ママは大人だから見えないのね。かわいそうだわ」


「どういたしまして。わたしだって可愛い子どものころがあったんだからね」


 美由紀みゆきはかえでが精一杯両手を差し出しているのを見る。


「もっちん、さあ、いらっしゃい」


「かえでちゃん、本当に会いに来てくれただか」


「ええ、ええ、どれだけあなたに会いたかったことか。わたしたちを救ってくれたもっちんに」


「おら、嬉しいだ!」


 もっちんは車いすに座ったままのかえでのひざに坊主頭を乗せた。


「ああ、間違いない、もっちんよ」


 かえでは両手でもっちんの顔をそっと包んだ。


「こんなおばあちゃんになってしまって、ごめんね、もっちん」


「いんやあ、おらから見れば、かえでちゃんはあの時のままだぁ。一緒に遊んでくれたあの頃のままだぁ」


 すると、かえでの姿がどんどん若返っていくではないか。

 六十歳、四十歳、二十歳、そして小学五年生だったころのかえでに戻っていく。

 かえではあの頃の、オカッパにモンペスタイルになっていた。

 車いすから立ち上がると、遺影を置いてしゃがみこみ、もっちんをギュッと抱きしめた。


「もっちん」


「かえでちゃん」


 もっちんは藁草履わらぞうりをはいた足を爪先立ちにして、かえでにしがみつく。

 かえでは大粒の涙をぬぐおうともせずに、もっちんの身体を優しく強く抱きしめた。

 その周りをみかんが嬉しそうに跳ね回っている。


「良かったぁ、もっちんが元気で」


「うふふ、おら、これでも神さまだで。死ぬことはねえけんども、あの時は風神ふうじんさまにとっつかまって、しばらく空さ一緒に旅してたんだぁ」


 かえでは嬉しかった。歩けなくなって、目もほとんど見えなくなって、あの時一緒だった仲間もみんな空の上へ召されてしまって。

 たったひとり残されてしまったと嘆いていたのだが、こうしてまたもっちんに会えた。もうそれだけで充分。

 これで空の上へ召されても、待っていてくれる慎太しんた岳斗がくと照美てるみ夕子ゆうこ幸吉こうきち寛治かんじにも伝えることができる。

 わたしたちの大事なお友だち、もっちんはみかんと共に元気でいると。

 神さま、ここまで生きながらえさせてくださって、本当にありがとうございました。

 もっちんを無事にもどしてくださって、本当にありがとうございました。


「あのね、かえでちゃん」


 もっちんが恥ずかしそうな声でささやいた。


「おらとみかんがまた姿を現すことができたのは、ほら見てけろ。あのサクラのお山さに、おらが住めるおやしろを誰かが新しくこさえてくれただよ」


 かえではもっちんが指さす方向に目を向ける。

 コンクリートで固められた山肌の一角。

 そこにはあの頃の桜の木々がそのまま残されており、あの大きなスギの木も天に向かって伸びていた。

 しかも真新しい朱色の鳥居が下からでも見て取れる。


「おら産土神うぶすながみだで、お社がないと姿を現せないだ。大昔、かえでちゃんたちが生まれる、もっともっと大昔だ。花咲はなさき川があの時みたいに氾濫したことがあっただよ。

 だけんど、その時に、あのお社の建っているところまでは山津波はこなかっただよ。

 だからあそこまで登って命の助かった村人たちが、お社を建てておらをまつってくれてたんだぁ。

 風神さまがここへやってきた時も、だからおらはみかんにみんなを呼びにやらしただよ」


「ありがとう、もっちん。お蔭でみんな助かったわ。もっと早くお礼を言いに来なきゃいけなかったんだけど、ごめんね。慎太くんもずっともっちんに会いたがってたのよ」


「ちっとも遅くないだよ、かえでちゃん。こうして会いに来てくれただ。おら、またみんなと駆けっこして遊びたいだよ」


 かえではそっともっちんの身体を離し、真ん丸なほっぺたを優しく突いた。


「もう少ししたら、ここにいっぱいお家が建つのよ。そうしたら、また子供たちがたくさん生まれるわ。もっちん、今度はその子たちと一緒に遊んであげて」


「んだ。おら、またたっくさん遊んでもらうだ」


「もっちん、お願いね。生まれてくる子どもたちを、ずっとずっと見守っていて上げてね」


 かえではもう一度ギュッともっちんを抱きしめた。


 美由紀はかえでがブツブツと独り言を口にしているのを気にしながら、隣にいる里香にそっと訊いた。


「大おばあちゃん、大丈夫なのかなあ」


「あらママには見えない? 今ね、大おばあちゃんはわたしくらいに若返って、もっちんと楽しそうにお話ししてるのよ」


「えーっ、じゃあママよりも若くなっちゃてるの?」


「そうよ。なんだかわたしにそっくりだわ、大おばあちゃん。そうだ、ママ、あそこの神社って誰が作ったの?」


 里香がサクラのお山を指さした。美由紀はうなずいた。


「ああ、あれね。あそこの一角だけは絶対に崩さないことと、新しく神社を祀ることって父が、つまり里香のおじいちゃんが不動産屋さんと交渉したの。

 おじいちゃんは大おじいちゃんからね、ずっと言われていたそうなの。もし旧花咲村を再開発することがあったら、必ずそうしてくれって。

 大おばあちゃんを連れてきたのは、からなのよ。

 でも、まさかもっちんが出てくるとは、ママも驚いちゃった」


「へえ、大おじいちゃんかあ。あれぇ? ママ、見て見て! どうして急にサクラが咲くの?」


 美由紀も驚いた。

 すでに葉桜になっているサクラの木々に、まるで手品のように桃色の花が咲き出している。

 それもフィルムを高速回転させているように。鳥居の周りだけが緑色から桃色に変化していく。


「かえでちゃん、おら、約束するだ。この地に住まう子どもたちは、おらがしっかり守ってやるだ」


「うふふっ、そうね、お願いするわ。でも本当はもっちんが遊んでほしいからでしょ」


「うへへーっ」


 もっちんは細い目をさらに細めた。



 グリーンヒルハナサキへ生まれ変わった旧花咲村。

 ここには「サクラのお山」と呼ばれる小高い丘があり、そこには小さな神社が祀られている。

 子どもの目にしか映らない小さな神さまが、平和を願って見守っている。

                    

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みかんをのせた、もっちん 高尾つばき @tulip416

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