第7話 光る翼
目が覚めると、空はすでに紅く染まり、日は西に傾きかけている。
今いる場所は、森の中のくぼ地であった。
「……………そうか…………、鹿に追いかけられて、落っこちたんだ………………」
すぐ横の斜面には滑った跡もあり、その坂の上の景色には見覚えもあった。
「だよな、カラスが喋ってたんだ。ありゃ夢だって、分かっていたのに………………」
彼は落胆して肩を落とした。
言葉を喋るカラスとの、わずかな一時。
それは、自分でも夢の中の出来事と分かってはいたのに、何故かそのことも忘れて、文字通り夢中となってしまっていた。
これほどまでに、充実した一時を過ごしたことなど、今まで一度もない。
これほどまでに、撮影を楽しいと感じたこともなかった。
ただ、夢中にシャッターをきっていた。
これが夢でさえなかったら、どんなに素晴しいことだろう?
だが、それが夢と分かった途端に、一気に気力が抜けてしまった。
今日はもう、撮影をする気には、なれそうにない。
「……………………ま、いまさら仕方ないよな。夢だったんだから………」
彼は意気消沈して、撮影機材を担ぎなおし、重い足取りでバイクを停めてある場所に向かった。
すると、バイクのタンデムシートにカメラバッグと一緒にくくりつけてあった、昼食用に買ってあった唐揚げ弁当が、きれいさっぱり食い荒らされていたのである。
すぐそばには数本の、光沢ある黒い羽が落ちていた。
「…………………………………………」
カラスに盗み喰いされたようだが、どうにもそのことを、彼は怒る気にはなれなかった。
彼は空を見上げて、偶然その近くを飛んでいたカラスに、
「おまえらも大変なんだな……………」
呟くと、カラスはそれに答えるかのように、
『カーッ』と鳴いた。
数日後、顔見知りのカメラ店に、溜まっていたフィルムを現像に出し、それをもらいに行くと、店主は怪訝顔で言った。
「どうしたんだ、君らしくもない?」
「え、何が?」
「先日預かったフィルムのうち数本、殆どがピンボケだったよ」
「ほ、本当っすか? まいったなぁ、どこか壊れてたのかな?」
「いや、でもね、後半の数カットは綺麗に写ってたよ。で、あんまりよく写ってたもんだから、ほれ、プリントもしておいたよ」
言って店主は、大判の封筒を彼に手渡した。
中には四切りサイズの写真が一枚入っている。
店主とは長年の付合いで、彼が自信のある作品を撮ると、いつもこのサイズでプリントすることを知っていたのだが、
「こ、これはっ?!」
その写真を見て、彼は思わず絶句した。
それは、あの夢の中で最後に撮った、水滴を纏い、輝く翼で舞うカラスの姿だった。
あれは夢ではなかったのか?
「それにしても、カラスがこんなに綺麗な鳥だったなんて、今まで知らなかったよ。ずっと、カラスを誤解してたようだ」
感慨深げに言う店主の言葉も聞こえず、彼はワケが分からないまま店を出ると、バイクのタンデムシートに、一羽のカラスが止まっていた。
いや、止まってはいなかったが、彼にはそこにカラスがいるように見えた。
しかもそのカラスが、こちらを見て笑っていたように思えた。
「あれは、あの夢は、おまえが見せてくれたものなのか?」
彼はカメラと同様、長年の相棒である黒いバイクのシートを撫でながら言った。
何故あの一枚だけが写っていて、他の写真がピンボケだったのか、その理由は結局は分からなかった。
もしかしたら気絶していて、知らない間に寝ぼけたまま、無意識のうちに写真を撮っていただけなのかもしれない。
だから殆どピンボケで、たまたま偶然にも、あのカラスのときだけうまく撮れただけなのかもしれないが、今となってはそれを調べる術はない。
とはいえ、その一枚は彼にとって、今までの作品の中で最高の出来だったことに、間違いはなかった。
彼はその写真を、例の愛鳥家主催のコンクールに応募することにした。
写真コンクールでの結果は、ある意味ひどいものだった。
彼の作品に対しての評価が、綺麗に二分してしまったのである。
芸術的評価は、多くのプロカメラマンから称賛されはしたものの、どうにも一般人や愛鳥家からは、カラスに対するイメージが悪く、中には「あれは鳥ではない!」などと言う者までいた。
畑を荒らす、ゴミをあさる、汚い声で鳴く。中には「黒いからイヤ!!」などという、理由にもならない理由で、カラスを毛嫌いする者までいるほどだ。
なるほど、あの喋るカラスが、人間を嫌うわけである。
黒いのと鳴き声はともかく、他の理由は仕方のないことだし、カラスだって好きでしているわけではないのに。
不本意な理由で嫌われるカラス達にしてみれば、何とも気の毒な話しだ。
そういった理由で、彼の自信作は、今回も落選してしまったわけだが、不思議と彼には、前回のような残念さはなかった。
むしろ、入選どうこうよりも、その作品の出来に、この上のない満足感さえ感じていた。
「残念かって? いや、そんなことないよ。今回は撮影そのものよりも、もっと大事な何かを得たような気がするんでね」
「何か、って何だい?」
彼が落ち込んでいると思ったカメラ店の店主は、意外と彼が平然としていたので、そのワケを聞こうとしたが、
「何か、と聞かれても、自分でも何かは、実はよく分からないんだけどね」
「何だい、そりゃ?」
苦笑いをうかべて肩をすくめる彼に、店主は訝しげな顔をした。
五年後、彼は世界的な動物専門のカメラマンとなっていた。
さすがに寿命となっていたバイクは、今では彼の自宅のガレージで、綺麗に手入れされて飾られている。
そのそばには、あの美しい羽を広げた一羽のカラスの写真が、誇らしげに飾られていた。
カラスと光る翼 京正載 @SW650
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