第6話 カラスの行水
「ホント、助かったよ。ありがとう」
彼はカラスに礼を言わずにいられなかった。
この悪戯カラスがいなかったら、せっかくこんな山奥まで、野鳥の撮影に来たのに無駄になってしまうところだったのだ。
弁当は食べられてしまったが、もうそんなことはどうでもいい。
こんなにも素晴しい、野鳥の撮影をできて、彼は大満足だった。
ただ、あの謎の光る羽の鳥を撮りそこねた、という事だけは、少し心残りだったが。
「ふむ、アホバカ人間でも、感謝の気持ちを持てるというのは、大発見だな、うん。これからもオレ様を尊敬する気持ちを忘れないようにな」
カラスは胸を張り、自慢気に言った。
「それにしてもすごい。最高の撮影ポイントだったよ」
「そんなにすごいか?」
多くの鳥達に感動している彼に対し、カラスは怪訝顔だった。
カラスにしてみれば、いつも見ている光景なので、何とも感じないのだろう、自らこの場所を紹介しておきながら、意外そうな顔をしていた。
「だって、そうそう見れるもんじゃないよ。こんなにも自然な風景があるなんてさ」
「まあ、昔はいっぱいあったらしいぜ、こんなの。人間どもさえいなければ、こんな山奥にまで来なくても、いくらだってな」
カラスはため息まじりに言った。
そして、さっきいた場所よりも、さらに向こうの、麓の方に視線をやり、
「オレも昔は、あっちの方に縄張りがあってな、何不自由なく暮らしていたんだ。だが、ある日突然、オレ達が住んでいた森は無くなり、代わりにゴルフ場ができてしまった。それまでそこで暮らしていたオレ達カラスも、キツネもタヌキも、みんな行くあてもないまま、いきなり住み処を追われて、逃げるようにこんな山奥に来てしまったんだ。仲間のカラスが何匹か、人間の町の方に行ったみたいだが、噂じゃああっちでも、邪魔者扱いで迫害されているっていうじゃないか?
あいつらだって、人間のせいで行きたくもない町に行って、生きていくために一生懸命がんばっているってのによ、ひどい話しだぜ。
あいつらもオレ達と一緒に、こっちに来ればまだよかったかもしれないが……………」
カラスは一拍おいて、森を見渡した。
「だが、せっかく逃げてきたここにだって、すでに多くの動物達が暮らしていたんだぜ。後から来たオレ達が、そいつらとうまくやっていくのに、どんなに苦労したことか」
再びカラスは、ため息をついた。
そんなカラスに、彼は返す言葉もなかった。
今まで普通に暮らしていた人間世界での生活は、カラスや他の動物達の犠牲の上にあるのかと、今さらながら思い知らされた。
以前、異常気候のせいで、山にエサがなくて町に出てきてしまった熊が、射殺される映像をニュースでやっていたのを見て、いたたまれなくなったことがあった。
人間と動物の生活圏に境がある限り、そういった事故はいつだって起こりうる。
住み処を追われた側の動物達にしてみれば、不本意な悲劇以外の何者でもない。
だというのに人間は、みんなその事実に目を背けているだけではないのか?
確かに、人間にも生きていくうえで、土地は必要だろう。
だが、もう少し動物達や自然に対し、遠慮があってもいいのではないのか?
この傲慢な人間を、多くの動物達が憎んでいるという事実を、何故誰も何とも思わず、毎日を平然と生きていられるのだろうか?
いつの間にか、彼は撮影のことを忘れていた。
カラス達の置かれた立場が、これほどまでに過酷だということを、何故今まで自分は、いや、誰も気が付かなかったのだろう?
「…………………ねぇ?」
「ん?」
「君は人間がきらい?」
「好きなわけねえだろ!」
「だったら、何で人間のオレを、ここまで案内してくれたんだい?」
「んあ~………………そ~だな…………」
聞かれてカラスは、しばし虚空を見上げ、
「ただ、何となくだな」
「それだけ?」
「他に、チキン野郎弁当の礼だな」
「……………………ありがとう」
「何だよ、急に? 気味悪いヤツだな?」
彼の態度の変わりように、カラスは訝しそうに言った。
「まったく、変なヤツと関わっちまったぜ。気分転換にオレも水浴びでもするかな?」
「カラスの行水かい?」
「うるせーっ!」
カラスはクチバシを尖らせて言い、他の鳥達と同じように小川に飛び降りて、バシャバシャと羽で水しぶきをあげさせ水浴びをした。
黒い羽が濡れて水が滴っている。それに太陽の光が反射し、キラキラと七色の光沢を放った。
「ま………………まさかっ?!」
彼は我が目を疑った。
黒いとばかり思っていたカラスの羽は、その表面は思いの外に艶やかで、太陽の光を反射させ、美しく輝いていたのである。
光の当たり方で、赤にも青にも、見方によっては赤紫っぽくさえ見え、羽そのものの黒さが、その色をさらに際立たせていた。
「こ………………これは…………」
言葉もなかった。
あまりにもその羽は、この世の物とも思えないほど美しかったのだ。
あの鳥は、あの一瞬だけ見えた美しい鳥は、このカラスだったのだと、彼は確信した。
真っ黒で悪戯者で、カーカーとうるさい嫌われ者だとしか思われていなかったカラスが、これほどまでに美しい鳥であっただなんて、彼は今の今まで、気付きもしなかった。
町ではカラス被害などと言い、悪い噂以外は何も耳にすることはないので、彼自身、いつの間にかカラスに対して、悪いイメージしか抱かなくなってしまっていた。
だが、さっきカラスが言ったように、カラスや他の動物も、好きで悪さをしているわけではない。
その行為自体、動物からすれば生きるための手段であり、仕方なくしているに過ぎず、そうせざるを得なくしたのは、人間の方なのだ。
ならば、誰がカラスを、他の動物達を責めることができよう?
誰が彼らを、悪く言う権利があるというのだろう?
「オレは……………オレ達は、カラスが言うように、バカ人間なんだ…………………」
「んあ? どうした、超バカ人間?」
言われて彼は、ふと、我にかえった。
今もカラスの羽は輝いていた。
大きく広げた翼が優雅だった。
彼はカメラを構えた。
ファインダーの中でもカラスの翼は、水滴で輝いている。
彼は夢中でシャッターをきった。
ついさっきまでの被写体など、もう眼中になかった。
残りのフィルムは、後わずかしかない。
それでも彼は、残り全てのフィルムを使いきることに、何の躊躇いもなかった。
「お、ようやくオレ様の素晴しさが分かったか? ちゃんとモデル料を払えよ」
カラスは、翼を広げて舞い上がった。
優雅に舞うカラスの翼が水滴を弾き、それが尾を引くように中空でキラキラと、まるで天女の羽衣のように輝いている。
その一瞬をファインダー越しに見て、彼はもう絶句せんばかりの驚きつつも、シャッターを押し続けた。
そして、その一枚を最後にフィルムが終わり、フィルムは自動的に巻き戻される。
ジーッ、というモーターの虚しい音さえ、今の彼の耳には届かず、カメラのシャッターから指が離れはしなかった。
すると、
「おい! 起きろっ、バカ人間」
「は?」
そこで彼は、夢から目覚めた。
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