転ばせ坂

 これから向かう場所の坂は急で、そのためか昔から旅人が転んでしまうことが多く、多くの人々は「転ばせ坂」と呼んだりしている。実際にどんな人々が転んだかといえば、魚屋や瓜泥棒などが転んでいて、自分の持ちものを落としてしまう。卵屋と油屋も同様にして転んでしまい、大惨事になったこともある。だから、「転ばせ坂」を歩くときは慎重でなければならない。

 

 一歩ずつ慎重に歩く。そして雲の流れはとても早い——雲の流れが早い。

 

 目を瞑ると、周囲の音を聴いた。

 確かに、そこには、確かなる音の渦とノイズの無秩序に見えるようで、必要最小限の要素を備え付けられたような音が鳴っている。そして、なぜかわからないが、俺は俺自身のことを、「俺」と呼ぶのではなく、「俺達」という複合体で捉えればいいのではないか、という疑問がふつふつと沸きでてきた。

 俺は風によって、存在の粒子が波によって像を二重化させるようにして、俺の影は二つの存在となった。そこには、波形と渦という二つの影として存在し始めた。

 俺は、俺ではなく「俺達」と呼ぶことが正しい、ということを理解した。ただ、あくまでも内面のうちでは、ということだけど。


 そういうわけで、俺は「転ばせ坂」に向かうことにした。

 案の定、転ばせ坂はとても転びやすい。あっちによろめき、こっちによろめきを繰り返している。

 だけれど、俺は二重化しており、俺ともう一人の僕が存在しているので、波形の俺が落ちそうになったときは渦の俺が助ければいいわけだし、渦の俺が落ちそうになったときは、波形の俺が助ければいい。


  ここで賢明な読者なら、この文面が矛盾していることに気がつくだろうけれども、今の俺——二重化した俺にとっては何の矛盾にもならないのだ。というのは、波形と波は、一般的な三次元的世界とは無関係に存在し、そしてまた無関係な存在に帰っていくのから——

 二重化した俺は、「転ばせ坂」をのぼったあとに、「しゃっくり坂」を登ることにした。しゃっくり坂は、その坂を登ることによってしゃっくりが止まらなくなるという有名な坂だ。しゃっくりごときでは何もならないだろう、と思った俺はその坂ものぼりはじめた。


 ——それが誤算だった。

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ひまわりとアオ えせはらシゲオ @esehara

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