完全無欠のプログラム

水無月せきな

完全無欠のプログラム

 科学技術の進歩に伴って、人間社会も急速に発展した。

 特にインターネットは人々に革新的な利便性を与え、生活の一部と化した。

 世界中の情報をリアルタイムで手に入れられるようになり、無数の人々と情報を共有できるようになった。自動運転車はインターネットから入手した交通状況から最適のルートをはじき出し、工場では生産ラインの情報をインターネットで共有し生産効率を向上させる。インターネットで蓄積された情報を分析し、企業は最良の戦略を立てる。

 インターネットを利用するものを挙げはじめると枚挙に暇がないからここで切り上げる。

 インターネットの網は広く地球を覆い、日用品から軍事の分野まで広くインターネットに繋がっている。

 科学技術とは便利なものだ。我々の生活を豊かに、快適にしてくれる。



 彼は腕利きのプログラマーである。

 中学生のころにその才能を開花させた彼は、大学を卒業するまでの十年間の間に、数多くのプログラムを書き、数多の表彰を受けてきた。

 非公式に受けた多くのオファーの中から、ある業界大手のネットワーク管理会社に就職した。その会社は、ネットワークやシステムの改修・管理を請け負う会社だった。

 その会社では彼のようなプログラマーをはじめ、ネットワーク管理の技術者などからなるチームを作り、他社から委託された業務にあたる。

 その能力を買われて入社した彼だったが、同期との関係も考慮して最初から上位の職に就くことは無く、一つのチームの一人の技術者として配属された。

 もちろん、彼もその配慮は理解しており不満に思うことでは無かった。

 チーム内の人間関係も良好であり、彼にとって文句のつけようの無い職場だった。

 順調に功績を重ね、入社一か月でその評判は社内に知れ渡っていた。

 入社二か月目から、彼はプログラミングの相談を受けるようになった。

 小さなエラーを修正するためのプログラムから、システムを構成するプログラムの構築など大掛かりなものまで、日を増すごとにその相談は数を増していった。

 常人であれば対応しきれない数の相談でありながらも、彼は卓越した技術でそれらをあっさりと片付けた。むしろ物足りないと言わんばかりの勢いで歓迎していた。

 入社五か月目のある日、彼の元に一人の男が訪れた。

 その男はこの会社の社内ネットワークを管理するチームのプログラマーで、彼より二つ年上の先輩だった。その男は彼に管理用プログラムの改良を依頼した。

「もっと効率よく管理できるようなものを作れない?」

 彼は最初戸惑った。

 これまで彼の元に来たのはあくまで「相談」だった。彼はその相談に対してアドバイスはしても代わりに自分でプログラムを書いて渡すようなことはしなかった。

 しかし、その男が要求したのは「プログラムを書いて渡すこと」だった。

 最初は戸惑った彼だったが、相手が先輩であるということもあってひとまず承諾し、一両日の間にその男に改良したプログラムを送った。

 男は非常に喜んで彼に感謝の言葉を述べた。彼もまんざらでない気持ちになりながら、再び押し寄せる仕事と相談を処理する日々に戻った。


 一件落着のように思われた。


 

 科学技術は非常に強い力だ。

 地球さえも変えることが出来る力。

 容易く生命を創り、消し去ることのできる力。

 かつてヒトはその力で自ら滅びかけた。

 まさしく神のごとき力。

 しかしその力を持つヒトは神のような全知全能でも、優れた生命でもない。

 ヒトとは不完全なものである。



 入社二年目の会社の創立記念日。社内で一年を振り返る表彰式が行われた。

 彼の所属するチームをはじめ、社内では彼が社長直々の表彰を受け、上位の役職に昇進するだろうという噂で持ちきりだった。

 その噂を聞くたびに「そんなことありませんよ」と否定しながら、内心少しは期待していた。この一年彼が他人より多くの実績を残したことは確かなことであり、社内での評判も上々。何らかの褒賞があってもいいはずである。

 近くのホールを貸し切って行われた表彰式。

 工場部門、航空機部門……委託を受けた会社の業種ごとに分けられた部門の中からそれぞれ一つずつチームが選ばれ表彰を受ける。

 ある食品加工会社を担当していた彼のチームは工場部門で選ばれた。

 順々に部門ごとのチームが表彰を受けた後、ついに社長による表彰が行われる。

 彼に違いないと半ば確信するチームの同僚に囲まれながら、彼は徐々に増す胸の鼓動に耳を澄ませていた。

 いよいよ発表の時。

 社長の口の動きを、注視していた。

 

 呼ばれたのは、あの男だった。


 彼の周囲だけ、時が止まったように静まり返った。

 一部で歓声が上がり、男が壇上に上がる中、彼の視線は宙をさまよっていた。

「社内ネットワークの管理用プログラムのアップグレードによる我が社への貢献をここに表する」

 その言葉に、彼の意識は現実に戻ってきた。

 社内ネットワークの管理用プログラム、それは、男が彼に書いてくれと頼んできたもの。男が自分で書いたものではない。彼が書いたものだ。

 しかし男はさも自分一人の功績であるように満面の笑みで壇上から客席に向かって手を振った。

 彼は後悔した。書くべきではなかったと。

 だが今更後悔しても後の祭りだ。彼が手に入れていたかもしれない栄誉は、今、男の手の中にある。

「また来年があるよ」

「一年目で表彰なんて甘いですよ。頑張ります」

 同僚の励ましの言葉に、努めて何とも思ってないように答える。

 そうだ、これは自分の落ち度だ。

 自分がお人好し過ぎたのだ。だから男に利用され、踏み台にされたのだ。

 もう二度と他人のために書くまい。

 尽きない後悔の念とそこから生じる男への苛立ちをかき消すように自分に言い聞かせた。



 不完全なモノが創るモノは完全に成り得るだろうか。

 不完全なモノは「完全」を知っているだろうか。

 不完全なモノは、不完全なるがゆえに、何かを見過ごすのではないだろうか。

 不完全なモノは、不完全なるがゆえに、何かを忘れはしまいか。

 不完全なモノは、不完全なモノしか創れないのか?

 不完全なモノは、完全なモノを創れるか?

 不完全なモノは、この問いに答えられるか?



 表彰式よりも後のこと。彼は一年目と変わらぬ日々を過ごしていた。

 変わらないと言っても、まったく同じではない。

 チームリーダに昇進し、少し月給も増えた。

 悔しい思いはしたものの、万事が彼にとって悪いわけでは無い。

 雑多な相談を受けながら自分の仕事をこなす日々を、繰り返していた。


 ある日のこと、彼の元にあの男がやってきた。

「プログラムを書いてくれ」

 男の要件は前回と同じだった。

(コイツはまた俺を使って名誉を得るつもりか)

 反射的に、断る言葉が出かかった。

「……わかりました」

 しかし、彼の脳裏に閃いた考えがその言葉を変えた。

「頼んだよ」

 男は嬉々として帰って行った。きっと、彼のことをお人好しの馬鹿だと心の内で思っているに違いない。

 その日の仕事は既に片付いていた彼は、すぐにプログラミングに取り掛かった。

 まずは依頼されたプログラム。前回の管理用プログラムほど大掛かりなものでなかったため、彼の手ではデバックまで含めて一時間以内に完了した。

 そして、彼は頭に閃いたプログラムを書き始めた。

 子供の悪戯心のような、プログラム。

 彼のした仕事がまたあの男のもののように扱われるのは癪だ。

 だから、それを上回る仕事を彼がする。

 彼の頭の中には、全ての防御をかいくぐり悪戯を働くプログラムがあった。

 現存するどのセキュリティソフトも騙し、ファイアウォールさえもすり抜ける。そして対象を乗っ取り気の向くままに動作させる。

 これをもう一つのプログラムの一部であるように装ってあの男に渡す。そしてプログラムが起動し男を中心としてネットワークを混乱に陥れる。

 そこで彼がアンチソフトを投入して駆除すれば、これは揺るぎ無い彼の偉大な功績となる。

 完璧な自作自演。

 プログラムを書きながら、彼は密かにほくそ笑んでいた。

 一時間半後。

 勝利を確信した彼は、男にプログラムの入ったディスクを手渡していた。

 


 完全だと思うモノがある。

 だがそれは、本当に完全なモノか?

 隠れた欠陥が無いか?

 傷一つ無い完璧で完全なモノだと、どうやって証明する?

 ああ、もしも不完全なモノならばどうしよう。

 気付いた時にはもう遅い。



 社内に、非常を告げる警報が鳴り響いた。

 それは、火災を告げるものではない。もっと厄介で、深刻な災害を告げる警報。

 彼のプログラムは、予定通り作動した。

 あの男のデバイスからネットワークに侵入し、瞬く間に人々を混乱に陥れた。

 社内が騒然とし始めた。

 プログラムが予定通りの成果を上げていることに、彼は密かに愉悦に浸っていた。

 デスクでうろたえる人、状況を把握しようと走り回る人……

 彼の知る社内の職員の誰一人として、この現状を解決できる人はいない。

 彼の頭の中にしか、その方法は無い。

 警報がけたたましく鳴る中、上司が彼の元に転がり込んできた。

「デバイスが突然まともに機能しなくなった。それも一つや二つじゃない。十も二十ももっとだ。これは明らかにおかしい。何とかしてくれ」

 判断力に優れた人だ、と思いながら彼は頷いて目の前に置かれたディスプレイへと目を向けた。

 ……反応しない。

 キーボードに指を滑らせてみても、マウスでカチカチとクリックしてみても、何も反応しない。

 彼の全身から血の気が引いた。

 間もなく、彼のディスプレイは現れては消える無数のウインドウの群れで埋め尽くされた。彼のデバイスはもはや制御不能だった。

 指し示す事実はただ一つ。


 彼のデバイスもまた、彼が生み出したプログラムに侵されていたのだ。


 怒号が飛び交うようになった社内の中で、彼はただ椅子に座って固まっていた。

 彼の「完璧な」シナリオは崩れ去った。ネットワークに接続されていないプログラミング可能なデバイスなど、ほぼ無いに等しい。もう、成り行きを見守る他は無い。

 拡散のスピードが彼の想定をはるかに上回っていた。

 彼の手から解き放たれたプログラムは、いかなる制約も受けることなくネットワークの波に乗って広がった。目論見通りに。

 そのプログラムは明確な目的を持たない。

 無害なプログラムであるように欺瞞して近づき、乗っ取る。

 そして、無邪気な子供のように振る舞うだけだ。

 それが結果として深刻な事態を招くことになるとしても、プログラムは遊ぶ手を止めない。

 明確な悪意を持って解き放たれたプログラムよりも、たちの悪いプログラムだった。



 それは完璧なはずだった。

 だがそれは不完全だった。

 想定した以上の働きを示した。

 だがそれは歓迎されざる働きだ。

 それは不完全だった。

 だがそれは完全だった。

 それは完全であり不完全だった。



 ついに、プログラムはヒトが持つ武力へと到達した。

 厳重なはずの防御をいとも容易くすり抜け、そのプログラムはいくつかの国が持つ禁断の力に触れた。

 新しいオモチャを見つけたプログラムは、その管制システムを奪い、いたずらにその力を行使した。

 世界のあちこちで核弾頭を載せた大陸間弾道弾が発射された。

 一度は世界を滅ぼすかと思われた力が、ついに空へと吐き出された。


 街のあちこちでクラクションが鳴り響いている。

 ネットワークを介してプログラムに侵された自動運転車が、事故を起こし続けている。

 工場は過剰なまでの生産を始めた。すべての企業がプログラムの汚染を受け業務停止に追い込まれた。

 街に火の手が上がり始めた。消防が機能を失った世界で、その火は弱まることなく燃え続けるだろう。

 世紀末のような阿鼻叫喚の事態を、彼はオフィスの窓から眺めていた。

 彼の生み出したプログラムは世界を支配した。

 無邪気さゆえの狂気を孕んだ王として。

 彼にはどうすることもできない。今、プログラムが何をしているのかさえ把握できない。

 ふと、彼の目が流星を捉えた。

 一際強い光を放ちながら落ちてくる、幻想的とさえ思える流星。

 しかしそれは死を載せて運ぶ悪魔。

 彼は世界の終わりを見届けて共に消えた。

 





 


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