いつの世も共通する、若き日の孤独な悩み


※)読者企画〈誰かに校閲・しっかりとした感想をもらいたい人向けコンテスト〉参加作品としてレビューします。

 将来への『唯ぼんやりした不安』を胸に自殺を遂げた芥川龍之介のように、本作の少女も、孤独という不安を抱えて海へと身を投じた。

 その後に綴られる「世界」とは、少女の不可思議な現実か、それとも一瞬の幻か。

 絶望に満たされていていいはずの世界は、不思議と美しさに溢れていた。


                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   

※この改行・空白はレビュー一覧にネタバレ言及が載るのを避けるためです。
〈以後本格的に、ネタバレもありで〉

 しっかりと小説として読んでみた時、この作品には物語、ストーリーというものがない。そのことはマイナス要因だ。
 その代わり、描かれているシチュエーションに、不思議な瑞々しさと美しさがあった。それはプラスの要因だ。

 作品の構想段階で意図してこのようにしているのであればいいのだが、特に意識せずにいたのだとしたら、記憶に留めてもらいたいと思う。本来、小説とは物語でありストーリーを見せるものだ。

 ただし、短い作品では、時としてストーリーよりもそうした美しさが優先される場合があるものだ。その意味では本作は、美しさを楽しむ短編として出来上がっている、と言うことも出来る。
 これが結果論なのか、意図したものかは読者には分からない。作者のみ知ることなので、自分でこの意見を汲み取って今後に活かしていただきたいと思う。



 読みながら感じたのは作者の感性の若々しさだった。後にプロフを拝見したところ、実際にお若いらしい。
 将来への不安、絶望、望んだ死、というお膳立てはまさに若いうちに誰もが囚われる悩みの構造だ。それを、社会への反抗や反発ではなく、淡々と受け入れて死へと歩む主人公の姿は、さながら現代の縮図のようにも見える。
 本作の場合、この淡々とした姿勢が、今まで何百も書かれたであろうテーマに対して、これまでとはちょっと違う処理の仕方を提供してくれていると思う。

 死を予感させる絶望に「沈んでいく」主人公に、青く美しい世界を見せた創作家としての感性は、大事にしていってもらいたい。



 海に飛び込む前と後が、明らかに「世界が別たれている」ように描き出されるにもかかわらず、何も説明なく二つの世界を「一繋がりのように」描いたことには、読者によって賛否は分かれそう(リアルじゃないとかファンタジーだとか)だが、個人的には「賛」としたい。

 リアルさを出そうとしたら、飛び込んだ後で、落ち着いて世界を観察できることに疑問を持ったり、パニックになりかけたりといった描写を挟みたくなるところだ。しかし本作はそれはなく、そのままの流れで主人公は沈み続ける。

 不思議やファンタジーに寄りそうな展開だが、それさえ「あるがまま」に、淡々と描写を重ねていく姿勢に好感を持った。二つの世界をひとつとして描いたこのセンスこそ、もっとも賞賛すべきものかもしれないと思うほどに。



 さていいことばかり書いてきたが、文章的なところへ目を向けると、これはまだ若く経験が少ないからだろうか、粗が目に付く。

 冒頭で「海は不思議と暖かかった」と書いているが、その後しばらくしてまた、「地上にはなかった暖かさに包まれた」と書き、さらには主人公の戸惑いを描写している。
 同じものの表現を重ねるというのは小説では悪文だ。
 また戸惑いの感情は、海に入ってすぐに感じたことだろう。しかし、最初に「暖かかった」と海に入ったことを示したために、主人公の感覚・感情が分断されたように見えてしまった。
 そのため、「最初に海に入った時にすぐには感じなかったのか?」だとか、「海に入ったタイミングはいつなのか?」といった疑問が感じられた。
 特に短編では、冒頭は大事な部分だ。読者をすんなり小説の世界に引き込む内容であって欲しい。その意味では、本作冒頭はもっと気を遣った書き方をすべきだった。

 似たような重複表現として「揺るがない意志とでも言うべき確固たる思いだけが少女にあった」という文も気になるところだ。
 『とでも言うべき』で繋げる前後の文は、前の文が後の文の比喩、喩えた存在であるべきところ、この文ではほぼ同じ意味の、しかも目に見えないもの同士を繋げてしまっている。「とでも言うべき」とは言い換えであって、「換える」ことで意義が発生しなければ使う意味はない。同じ意味合いのものを並べてはいけないのだ。
 こうした場合には、前の文はより具体的であって欲しい。例えば「鋼の塊のような」といった、質感がある、彼女の意志を体現する存在を入れるべきである。



 より技術的な面で見ると、読点「、」の少なさが目に付いた。それと関連するだろうが、ひとつの文がやや長めに書かれる傾向がありそうだ。例えばこんな。

>水中から見上げる空は澄んだ海の青と重なって、言葉にならないほどの美しかった。少女は今まで生きていて、そして逃げ出したくて仕方なかったこの世界の美しい姿に深い感慨を覚えた。

 前半の文はまだいいのだが(ただし途中で「の」が余計)、後半の文はちょっと長さ故の読みづらさがある。
(そこで「今まで生きていて」「そして逃げ出したくて仕方なかった」と、一つの世界を二つの表現を「重ねる」ことで示している。ここにもまた「重複」というキーワードが見いだせることに注意願いたい)
 長い文と長い文が連なると読みにくさが増す。ここは例えば、「嫌で逃げ出してきた世界の美しさに、少女は感慨を覚えた」といった具合で短くしたい。あるいは、二つの文の間に別の美しさの表現を交えて、文章全体のリズムを整えたいところだ。

 最後に校閲的に、ラストで書かれた「平生」の文字。ここは作者としては「平静」のように書きたかったのではないだろうか? と思われた。「平生」は「へいぜい」と読み「普段のこと」という意味で、「平生からの習慣です」といった風に使う。こうした場合にはそぐわない。



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