時間停止ボタン

湖城マコト

時間よ止まれ

「……何だこれ?」


 大学生の幸雄ゆきおは、リサイクルショップで怪しげな機械を見つめていた。掌サイズの箱型というシンプルな形状をしており、中心には「押す」と書かれた、赤い丸いボタンついている。

 商品名は「時間停止ボタン」。説明書きによると使い方は実に簡単、ボタンを押した瞬間に時間が止まり、もう一度ボタンを押すと再び時間が動き出すのだという。


「いやいや、ありえないだろ」


 今時小学生でも騙されない。時間を止めるだなんて、現代の科学では不可能だろう。この「時間停止ボタン」とやらは偽物(そもそも本物なんてないだろうが)に違いない。当然そのことは幸雄も理解しているが――


「ネタとしてはありか」


 シンプルな形ながら、質感や持った際の重量感はしっかりとしており、作り自体は精巧なようだ。

 本当に時間を止めることは出来ないにしても、見た目には妙な説得力があり、インパクトは十分。仲間内での話の種くらいにはなるかもしれない。


 問題は値段だが――


「200円か」


 値札いわく、動作保証に問題があるため特価となっている。

 こんな物に粗悪品もへったくれもないだろうと幸雄は思うが、気まぐれに買っても懐に響かない値段なのはありがたい。


「買ってみるか」


 購入を決め、幸雄は時間停止ボタンを手にレジへと向かった。




「買っちまったな」


 リサイクルショップを出た幸雄は、自宅に向かって歩き始めた。

 線路に近い道を歩いているため、踏切の音が聞こえている。


 ——もし本当に時間を止めることが出来たなら、何をしようか?


 買ったばかりの時間停止ボタンを手元で遊ばせつつ、幸雄はそんなことを考える。

 バイトや待ち合わせに遅れそうな時に時間を止める? それとも、事故に巻き込まれそうな時などピンチの時に時間を止める?

 様々な想像を膨らませるが、どれもいまいちしっくりこない。

 保身や身の安全のためはもちろんだが、特殊な力というのはやはり、欲望のために使うのが一番ではないだろうか。

 

 例えば――


「銭湯か」


 幸雄の視線は、ある銭湯の前で止まった。

 時間を止めて女湯を覗く。これが時間を止めるに値する、一番シンプルな欲望ではと幸雄は考えた。

 もっとも、本当に時間が止まるはずなどないのだが。


「時間よ止まれ」


 冗談のつもりで、幸雄は時間停止ボタンのスイッチを押した。


「まっ、本当に時間が止まるわけ――」


 言いかけて、幸雄は目を見開いた。

 先程まで聞こえていた踏切の音が突然止まった。踏切だけではない、近くの商店街からも活気が消え、猫や烏の鳴き声、風の音一つ聞こえない。

 止まったのは音だけではない。幸雄の正面から走って来た部活中の学生の一団が片足が上がった状態で静止。そのさらに後ろでは、誤って買い物袋を落としてしまった中年女性が驚いた表情のまま膝を折って固まっており、極め付けには買い物袋から零れ落ち、地面でバウンドしたみかんが地面から少し浮いた位置で固定されていた。

 

「……疲れてるのか」


 錯覚や白昼夢の類を疑い、幸雄は瞬きを繰り返したり、瞼を擦ったりして何度も見直してみるが、やはり状況に変化は無い。

 にわかには信じがたい状況ではあったが、ボタンを押した瞬間から、幸雄以外の時間が止まっていた。


「……まさか本物だったなんて」


 驚き半分、興奮半分に声を震わせつつ、幸雄は時間停止ボタンをズボンのポケットにしまった。

 何気なく頭上を見上げてみると、銭湯の煙突から立ち上る煙も静止している。人や乗り物ならまだしも、流動的なイメージの強い気体が静止しているというのは、何とも奇妙な光景だった。

 

「せっかくだから、楽しませてもらうとするか」


 下衆い笑みを浮かべ、幸雄は銭湯の扉へと手をかける。

 せっかく時間が止まっているのだ。欲望に従い、女性の裸体や下着姿をこの目に焼き付けてやろうと胸を躍らせるが、


「開かねえ!」


 入口の両開きの扉を開けようとするが、びくともしない。

 重いとか固いとか、そういう次元の話ではない。物理的にはどうにも出来ない圧倒的な壁のようなものを幸雄は感じた。


「もしかして……」


 幸雄は思いついたように、買い物袋を落としてしまった中年女性の元へと向かい、地面の少し上で静止したみかんを掴む。


「やっぱりか」


 握ることは出来た(感触は無い)が、動かすことは出来なかった。それは、みかんの時間が止まってしまっているから。

 銭湯の扉にも同じことが起こっているのだろう。扉が閉まった状態のまま時間が固定されたため、開くことが出来ない。


「ちっ、けっこう面倒なんだな。時間停止ボタンとやらは」


 扉を開けることが出来ない以上、銭湯に立ち入ることは出来ない。


「まあ、手が無いわけじゃないが」


 幸雄はポケットから時間停止ボタンを取り出した。

 扉が開かないなら、開くまで待てばいいのだ。ボタンを押して時間停止をあえて一度解除。銭湯に客が訪れ、入口の扉を開けた瞬間を狙って再度時間を止めれば、扉は開いた状態で固定され、幸雄は銭湯へと侵入することが出来る。


「解除解除と――」


 時間停止ボタンを押そうとした瞬間、幸雄は我が目を疑った。


「はっ?」


 幸雄は時間停止ボタンを押さなかった。いや、押せなかった。

 時間停止ボタンは、ボタンがのまま固定されていた。


「待て待て待て! これじゃ押せないだろ!」


 焦った幸雄はボタンを連打したり、完全には沈んでいないボタンの僅かな側面を指先で摘まんで持ち上げようとするが、結果はお察しである。

 

「俺はどうなるんだよ!」


 すでに性欲などどこかへと吹き飛び、幸雄は自身の行く末を不安に思い、叫ぶ。

 止まった時間を元に戻せない。だったら、停止した世界に取り残された幸雄はどうなってしまうのだろうか?


「そういえば、安い理由って……」


 幸雄は購入したリサイクルショップの値札の注意書きを思い出す。

 

 値札いわく、動作保証に問題があるため特価。


 確かに動作保証は問題だらけだ。時間を止めるまではいいが、それを解除するための動作が行えないのだから。

 

「粗悪品どころの騒ぎじゃねえぞ!」


 幸雄の怒号は誰の耳にも届くことは無い。

 

 もう、永遠に――




 了

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