最終話 ありがとう さようなら
何がどうなったのかわからないが俺は地下にいた。
天井を突き破って、聖アレクシーヌの遺体が眠っているという墓所に落ちたらしい。防毒マスクのバイザーが割れて、額から流れた血が髪の毛に絡んで固まっている。どのくらい時間が経ったのかわからないが気絶していたらしい。
空気は澄んでいた。
本当に聖女アレクシーヌの聖なる力が残っているらしい。毒の影響が完全にシャットアウトされている。
――どうやって助かったんだ俺は?
グレイ=グー『彼岸花』に取り囲まれ、俺はもう死ぬ以外なかったはずだ。
最後に百の手へ救いを求めたのは覚えている。
でもそれは根本的には意味のない行為だ。グレイ=グーは殺せない。たとえ古代の殺人人形であっても同じことだ。
それに、百の手はすでに半壊状態で、まともに俺の指示に従ったかどうかわからなかった。
強打した背中をかばうように立ち上がると、灰合羽の襟から精巧な手のパーツが落ちてカシャリと乾いた音を立てた。
理解できた。
百の手が、彼岸花にまとわりつかれた俺の襟首を無理やり掴んで、この地下墓地に放り込んだんだ。
それだけの役目を果たした後、おそらく彼岸花と最後の最後まで殺し合い、もうバラバラにされたのだろう。
百の手は――百の手も死んだ。
俺にできることは何もない。
これでもう、本当に何もない。
*
地下墳墓は人間5、6人が入っても狭くない程度の空間で、金色というか飴色というか、とにかく淡く輝く明るい黄色に満ちていた。暖かく、この時代の人間には隠されてしまった太陽の光と同じものだと俺は直感した。
間違いなく、本当にそこには聖アレクシーヌの遺体が安置されていた。完璧な保存処理が行われているらしくそのまま起き上がってもおかしくない状態の、美しい女がクリスタルのケースで眠っている。
床や壁は魔力付与された真鍮でできた直線曲線が幾何学模様を描いている。それ自体が魔法陣のような働きを示すのだろう。
このいかにも秘密めいた墓なら、きっとニムボロゥ将軍の期待どおり『聖アレクシーヌの光典』も眠っていてもおかしくない。いや、そうであるべきだ。もし、ここまで来て何も意味がなかったら、俺は……。
詳しくはリリウムに聞くしかない。
「イリエ、目が覚めたのね」
ちょうどいいタイミングで、後ろからリリウムの声がして、振り向いた俺は思わず足を滑らせた。
リリウムは血まみれで、特に左腕がどす黒く血に染まっていた。何かが刺さっている。
「ごめんなさい、私、灰を吸い過ぎたみたい」
リリウムの持ち上げた左手は、肘から先が30センチ近く伸び、鉤爪が生えていた。
フィーンド化だ。
毒で変形しかけた左手にナイフを突き立て、浄化魔法をありったけねじ込んで腕自体を封印したらしい。フィーンド化の進行は止められても治癒は不可能だ。つまり、切り落とすしか……。
「あ~あ。こんなことならルーシィ姉さんの義手を持ってきておいたらよかった」
リリウムは強がって、場違いな普通の女の子のような口調で言った。その奥の苦痛を俺が聞き取れないと思っているのだとしたら、ちょっと自信過剰じゃないのか。
「リリウム、光典って一体どんな形してるんだ? せめてそれだけは見ておきたい。あるのか、ないのか、それだけでいい」
「球体か、立方体か……たぶんそういう立体物の形になっているはず。本やウィジャ・メモリとは」
「別物か」
「うん。未来まで保存することを考えたら紙の本ではないと思う」
「これかな? この……ベッドにはまってる水晶玉」
それは青く美しい球体で、糸が絡むように金色の縞模様が走っている。実際には水晶ではなく
リリウムは球体を魔法的に覗いた。強力な情報量と、左腕の痛みから立ちくらみを起こす。
「この中に聖女の秘法が収まっていると思う。それは間違いないと思うんだけど、記録の容量がありすぎて解析に時間がかかりそう」
「そっか。それもそうだな。じゃあ、帰り道の間にじっくり中身を見ればいいだろう」
「そうね、そうしましょう。それがいいと思う」
俺は引きつった笑いを浮かべていた。
リリウムもそれにつられ、熱に浮かされたみたいな目で笑った。
俺たちはお互いに何かから目をそらそうと必死だった。
まだ今は、もう少しだけ、旅の成功をよろこびたかった。
今だけは、もう少しだけ、後もう少しだけはこのままで。
*
墳墓の外には灰の腕、彼岸花が見事なくらい咲き誇っていた。
聖アレクシーヌの力が残っている範囲だけは嘘みたいに清らかで、それ以外は見渡すかぎりの彼岸花だけしかなかかった。
純粋馬車までの距離はほんの10数メートル。でもそこにたどり着くのはまったく不可能に思えた。彼岸花の園を無傷で突っ切ることなどできやしない。
無理だ。
俺は、俺達はついに膝から崩れ落ちた。ここまで命がけでやった。何度も死にかけ、リリウムは片腕がもう使えない。切断するしかないだろう。
それでも馬車に乗りさえすれば、俺はまた護法軍大本営に戻る自信があった。強がりだ。同時に強がりなんかじゃない。死ぬほど苦労するだろうけど、やり遂げてみせるという気持ちはあった。
でも、純粋馬車までの距離わずか10メートルが果てしなく遠い。
彼岸花の一輪に掴まれただけでも死の危険がある。聖地以外は全てが灰の領土だ。
これは今の世界の縮図だ。
人間の居場所はもうない。
グレイ=グーは何も語らずそのことを示しているようだった。
「……私が
リリウムは決意の表情で光典を渡してきた。
反論をしようと思えばいくらでもできる。そう思った。でも俺にはもう根拠が残っていない。そんなことはだめだ、ふたりで一緒に馬車まで辿り着く方法を考えよう……。
そんな方法、どこにあるんだ?
ありはしない。
リリウムの言うことが正しい――もしどうしても光典を持ち帰ることを優先させるのなら。
俺はうなずいてしまった。
防毒マスクの内側で俺はどんな顔になっていたんだろう? わからない。どんな感情からリリウムの提案を飲んだのか。
リリウムは最後の手段を使った。残された秘石の力を束にして、純粋馬車までの直線を浄化の光でなぎ払う。そうすることでグレイ=グーを追い払い、道を作り、そこを俺が駆け抜ける……。
光は、放たれなかった。
魔法の力が出せない。
左腕がフィーンド化した影響か? それともグレイ=グーの妨害か? なにか灰の力が邪魔しているのか?
それらは事実で、でも本当の、一番の理由じゃない。
魔法の力の源が断たれたんだ。
わかるだろう?
最後の魔法の塔だ。
最後の魔法の塔、
トゥルーメイジの全滅。
大坑道占領。
最後の魔法の塔の沈黙。
そこまで行けば、もうひとつの事実は簡単に想像できる。
護法軍の壊滅だ。
*
イリエ、あなたの世界。
ああ、地球か?
うん。チキュウってどんな世界?
どんな世界、か。説明するのって案外難しいな。
何でもいいよ、教えて?
そうだな……普通の世界だよ。
普通? 普通って?
地獄の噴火なんてなかったし、毒の灰が降ったりしないし。人間もいっぱいいて……機械と電気と……あと……。
あと?
魔法がない。
え? それじゃどうやって……?
魔法がなくても生きていける世界なんだ。神様も魔法の力なんてくれなかったみたいだし。かわりに原罪なんてものを背負わされた。
魔法がないなら、私いらないね。高位の魔法使いなんて言っても、魔法が必要ない世界なら。
そんなことは、その……ないと思うよ。
どうして?
いや、なんていうか……。
なあに? 話してよ。
……俺には、必要だ。
……。
俺には、リリウム。俺にはお前が必要だ――なんて言ったら、どうする。
嬉しい。
そうか。
うん。嬉しい。イリエ、私……。
何だ?
私、あなたの赤ちゃん、ほしいな。
*
フィーンド化が抑えられなくなったリリウムは、俺に銃を渡してきた。
リリウムは死んだ。
俺が引き金を引いた。
*
この世界はもうすぐ終わる。
ずっとそう言ってきた。
ずっとそう思っていた。
でももうすぐっていつだ?
どうなったら世界は終わるんだ?
どの時点で? 何が起こったら? 何が無くなったら?
狩り尽くされて絶滅した生き物のように、人間という種がひとり残らず死んだら確かに世界は終わるだろう。いくらこの世界に魔法があって、魔法の力で霊を呼び寄せる事が可能だとしても、魔法を使える人間がひとりもいなくなったら二度と復活できない。
ではグレイ=グーとはなんだ?
地獄の浮上と毒の灰はまだこの世界の自然現象として説明できる。
でもグレイ=グーという怪物は、人類を積極的に滅ぼそうとしていた。やつらは根本的に
何のために?
グレイ=グーは捕食をしない。食べ物を取る必要がないからだ。誰も確かめたことはないが繁殖もしないらしい。灰の中から勝手に生まれるからだろう。
人類を殺して殺して根絶やしにするまで殺そうとしているとしか思えない。その一点だけは確かなようだ。
放っておいても人間は絶滅していただろう。たぶんあと一世紀もあれば勝手に全滅したはずだ。
それを縮めた。何か理由がなければそうはしないだろう。
それがずっと疑問だった。
だけどいま、生存可能な聖なる土地にいて、その周りを誰も生きられない灰の荒野に囲まれていると、わかるような気がした。
リリウムと俺だけの世界。
リリウムは死に、俺だけが最後の生き残りになった世界。
俺が死んで、その後に残るのは誰もいない生存可能領域で、やがてはそこも穢されるだろう。
そこには灰しかない。
人間は誰もいない。
その後に地上を闊歩するのは、グレイ=グーを始めとする人間ではない者達だ。
あの怪物どもは人間を滅ぼすこと自体を目的としているんじゃないんだ。
人間を滅ぼして、この世界を乗っ取る気だ。
世界を乗っ取るには人間が邪魔で、なぜ邪魔なのかが今になって分かった。
魔法だ。
魔法は神の愛で、神の実在の証明で、人が神に愛されている証拠だ。
魔法を使える人間こそが魔法の神の証なんだ。
だからグレイ=グーが人間を殺すのは、人間を殺すんじゃなくて、魔法の神を地上から消すために――神殺しのためにやっている行為なんだ。
何の確証もなく、俺はそう悟った。
世界が滅びる。この世界から神の証拠が消える。人間はそのために絶滅する。
では、俺は?
あのチャールズ・アシュフォードと同じように、原罪を背負って生まれたイレギュラーの俺が死んだらどうなるんだ?
あるいは反対に、俺が生き残っていたとしたら?
魔法の力が消えて、神の実在が消滅したとして、本来部外者だった俺が生き残って……それからどうなるんだ?
異世界から俺を、俺たちを転移させた神様は一体何を考えていたんだ?
俺たち――俺を残して全滅したクラスのみんなは、何のため生き、何のために逝った?
運が悪かった。そんなふうに片付けてしまってもいい。この世界の仕組みは、やっぱり部外者の俺には完全には理解できないんだ。
俺や俺たちクラスのみんなには、神に託された何らかの目的があったのかもしれない。滅びかけた世界をどうにかして救う、そんな使命を背負わされていたのかもしれない。
だって、何の意味もなく転移させられたのだとしたら、あまりにも悲しいじゃないか。
俺はもう振り回されるのは御免だ。
誰であろうと、神になんて従うものか。
聖書の神であれ、魔法の神であれ、あるいは存在するかどうか知らない地獄の神にだって。
俺は懐から護身用の拳銃を抜いた。
肝心な時にいつも存在を忘れてしまうこの拳銃の存在が、今は頼もしい。
自分で撃ち殺したリリウムの血の気の失せた横顔を眺めてから、こめかみに銃口をあて、ほとんど間を置かずに引き金を引いた。
幸い何の痛みもなく事は済んだ。
このあと世界がどうやって終わったかなんてどうでもいいことだ。
俺の世界はこれで終わり。
まあ、俺のことなんて初めからどうでもいい。
今度はクラスメイトだった連中ともうちょっと仲良くしようと思う。
リリウムを紹介しないといけないからな。
最後まで聞いてくれてありがとう。
お別れだ。
終焉世界 ミノ @mino_ky
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