最後にひとまき



 アパートの入り口をくぐり、鉄製の階段を登り、シンプルな白塗りの連絡路をトボトボと歩く。

 あれから謎の蛇豆知識を無駄に蓄えた頭が痛い。恐ろしすぎて巻き取られる前にこの連絡路から下へ飛び出してしまいそうだ。



「早まったかなぁ…。」


「早い方がいいですよ、…無駄に足掻いて苦しむより。」



 そう言うルシアの最後の一言あたりから感情が抜け落ちる声が体の芯から震えを誘う。

 実際に尾骶骨のあたりから湧き出てきたそれに身を震わせた。



 額に冷や汗を浮かべながら、俺は一つの仮説をルシアに問うた。



「…なぁ、お前もしかして今回のこと怒って…たりする?」


「…、さてなんのことやら。」


「そうだと思った! さっきからそーゆーのばっかだもん!」



 一拍と言わずに二・三拍ぐらい遅れてでてきた否定の言葉。

 それに思わず声が大きくなる。



 するとルシアは不機嫌そうにこちらに視線をくれて、ぷくぅとふくれっ面でそっぽを向いた。



「だって…、洋介さんたら私の事なのに私じゃない人の事考えてばかりして…。」



 体の前で腕を組んで大股に歩き出す。

 あ、ダメだ深刻な足の長さ的格差でこいつむちゃくちゃ早い。

 十数メートルはある筈なのにもう部屋の前で待ってるし…。



 俺は途方も無い悲痛な切なさも交えた大袈裟なため息をつく。



「それについてはだなぁ…、」



 部屋の前で足を止めて、鍵を取り出して回す。

 そしてノブに手をかけて、扉を開く前に。

 俺はルシアをかえりみた。



 唇を尖らせた彼女と目が合う。



「ルシア、一つ言っとくぞ。」


「はい、なんでしょう。」



 機嫌は悪いようだが、それでも余裕を持った瞳だ。



 今回のことがあったからと言って何もない。

 最初の日から一歩も動かないままの関係でいる俺たち。

 今まで通りの、変わらない毎日が待ってるというのに。



 喰らって呑み込む事を信じて一寸たりとも疑っていないようだ。



 そんな強気な態度で、しかしむすっと答えるルシアに、俺は悪戯っぽくニヤリと笑った。



「…俺、ゲイなんだ。」



 そして、あの時と同じ言葉を吐いた。

 聞き覚えのあるセリフにぱちくりと目をしばたかせるルシア。




「だから、後悔しても知らないぞ。」



 からかうようにそう言って、自然とこみ上げてきた無理矢理じゃない笑顔を浮かべる。

 柔らかく眦まで下がったのは、たぶん5日ぶりに緩んだ表情筋がやる気を出していないから。



 俺の言葉にしばらくぽかんとしていたルシアだけど、言葉の意味を悟ると形のいい唇で弧を作る。



「もちろん。洋介さんこそご覚悟を。」



 強気に笑ったルシアはやっぱりあの夜の蛇を彷彿とさせる獰猛な、彼女らしい美しさを持っていた。



 ルシアは風を纏った艶やかな藍色を揺らしながら、俺の頰に冷たくて長い指を這わせる。

 俺を下から深く覗き混んだ彼女を、俺も負けじと見返した。



「絶対に諦めませんよ? なんてったって…」







 黄金の目が鈍く煌めく。









「私、蛇ですから。」





































 最初から、最後まで、何も始まらない彼と彼女の話。


 長いものには巻かれない彼と気も体も長い彼女の。


 恋は始まるのか、始まらないのか。


 彼が彼女の真実を知る日は来るのか、来ないのか。




 その答えは……。

















fin,,,,,

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長いものには巻かれない 通行人C「左目が疼く…!」 @kitunewarasi

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