第9話 声なき悲鳴が誰かに届く時

「へ、へぇ……!」


 生徒にうっかり身の上話をしてしまった。しかも、ちょっとだけ嘘をついてしまった。まぁ、誰かをバットでぶん殴ったなんて言えない。立場上。

 三十一歳なのに結婚十五年目なんて、まぁあんまり良い理由に思われる事もないだろう。


 いやはや、元実習生、現旦那は苗字を使って良いというのは、便宜上名乗っても良いとの事で、まさかアタシの脳内があの瞬間、東京ドーム数百個分のお花畑と化してしまい、役所に書類を提出させられる羽目になるとは思いも寄らなかっただろう。


 保証人欄には、先生と先生の奥様の名前が並んでいて、あまりの嬉しさに携帯のカメラで撮影して保存してあるくらいだ。


 でも何故か、教師になったのはアタシで、旦那になってくれた元実習生はカーボン製のスポーツ用品を作る職人になってしまった。


 アタシなんかのために、人生を投げうたせてしまった。


 でも、旦那は旦那でアタシと出会って、アタシと共犯者のようになった今が、最高の未来だと思ってくれているらしい。

 それに、旦那は年に一度は先生をやっている。元々教え方は上手だから、アタシの学校の学園祭では、中学生に勉強を教えたりしている。


 本人いわく、それで十分なのだそうだ。

 まったく、ずるいもんだ。教師として生徒に教えるという一番美味しいところだけを経験して、面倒な部分は全部経験しないのだから、本当にずるい。


「はぁ、クソ旦那! 内申書とか作ってみろってんだ。三者面談とかやってみろよクソクソ!」


 なかなか授業が終わらない。せっかく自由時間をもらったってのに、長引かせやがってクソ旦那が。


「あははー。なんでそんなに旦那さんと仲良いの?」


 いつもながら可愛いなぁこの娘。

 背は小さくて、眼鏡が似合って。こんな見た目に生まれたかったなぁなんてたまに思ってしまう。


 こんな可愛かったらいい男ひっかけて楽しい人生送れるさ。

 だから、アタシに教えられる事なんて何も無い。


「知らねぇよ」

「え、えぇ!?」


 なんせ、こんな歪な出会いと歪な関係を結んでしまっているのだ。誰の参考にもなりはしない。

 少なくとも、この娘には恋愛の自由がある。絶対に添い遂げたくない相手をバットでぶん殴る必要なんて無い。


「で、でもさぁ、倦怠期とかあるわけでしょ? そーゆーのどうするのかな? って」


 面白いな。悩むことなんて無いのに。


「別れちまえば?」

「えぇ!?」


 別に面倒臭いからこんな事を言っているのではない。


「自分の自由をしっかり行使しろっての。相手を選ぶ自由、相手に選ばれる自由、フる自由、フられる自由もさ。それって最高だろうよ」


「ちぇーモテモテエロ美人教師は参考になんねー!」


 ふふ。それでやり返したつもりか。


「アタシは至って真面目に言ってるっての。授業終わんねーなぁ」


 そう、アンタは今一つ学んだよ。他人は、特にアタシは参考にならないって事。


「でもさ、今の旦那さんはなんつーか、流れって感じで、自分で選ばなかったんでしょ? どうやって好きで居続けてんのさぁ?」


「は? 嫌いなところの方が多いけど?」


「えぇ!?」


 分からないって顔をしてるな。

 アタシにはこの旦那しかいなかった。

 だから多分、人を『人』という単位ではなく、その人物の持つ色々な『面』で見るようになったのかもしれない。


 アタシは旦那の色々な面を知っている。そして、その面ごとに好きだったり嫌いだったり、それが逆転したりもしてしまう。


 どんなに疲れていても、買い物に付き合ってくれるところは好きだ。アタシには見向きもせず、ゲームに明け暮れているところは嫌いだ。


 でも、アタシが一人でいたい気分の時は、無理にでも付いて来ようとするところが嫌いになって、ゲームに現を抜かしてアタシに見向きしないところが好きになってしまう。

 毎日はその繰り返しだ。


「え? ちょ、ちょっと教師がそういう事する!?」


 教室から出て来た旦那の腕を取ってへばりついてみる。


「何さかりついてんの?」


 アタシに恋愛の自由はなかった。

 もし自由があったら、アタシにはどんな出会いがあっただろうか。


 ただ、アタシは自分の運命を呪ってはいない。

 別の世界で存在している選ぶ自由のある自分よ、せいぜいアタシを超える相手を見つけてみるが良い。


 アタシが上げ続けた声無き悲鳴を聞き届けてくれる人を超える相手を手に入れみろ。


 そして、三十路を過ぎても腕を組んで学園祭デートをしてみろってんだ。

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声なき悲鳴が誰かに届く時 アイオイ アクト @jfresh

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