第5話

神は我らを見放さず、困った天使が舞い降りた。

私の学生最後の年、一九九六年、我が白洋女子大サッカー部は破竹の勢いであった。

戦績がいくら上がり、専門マスコミの注目が集まろうとも、やはり女子サッカーは世間的にはマイナースポーツの域を飛び出せなかった。そうすると、結果、なかなか集まらないのが新入部員。創設当時同様の脅し・奢りの勧誘が代々に続いていたから笑える、いや笑っちゃいけない我が部滅亡に関わる大きな問題。やっと捕まえた一年生が三人、夏の合宿逃亡事件を起こしながら出戻った二年生が四人、そしてエリート三年生が三人人。私たち八人が抜けた来年が思いやられる。

この年のアトランタ・オリンピックには女子サッカーが始めて正式種目に採用された。


春の大会、東京都学生女子サッカー選手権は三位。

創部以来、おかしな言い方かもしれないが、初めて「勝って終わった大会」を経験した。

筑波学園には準決勝で敗れたが、三位決定戦では第四シードで優勝候補の一角、神奈川体育女子を一対〇でねじ伏せた。

ここまでくると、かなり我が部の知名度も上がり(もちろん、かなりの狭い世界でだが)、夏にかけて練習試合の申し込みが引っ切り無し状態が続いた。首都圏のグランド持ち大学なら良いが、地方からの東京観光がらみの地方大学、高校の遠征組も多く、

「田舎の学校からのせっかくのご指名なんだから、有難く頂戴しなくちゃ」

おばあちゃんは四方八方に手とコネを尽くしてグランド確保に汗を流した。確かに試合に勝る練習はなく、おばあちゃんのお陰のマッチメークで私たちの実力が格段の進歩を得た事に間違いなく。しかし、これからの時期は就職戦線も真っ盛り、チームから私を含めてスタメン七人が社会へ追い出される。

男子とは違って、卒業→就職を一生の事などと考える殊勝な人間がここにいるわけもなく。つまりは、ま、成るように成る的考えがチーム内に蔓延していた。

さすがに誉れの高きお嬢様大学だけのことはある。親が純粋のサラリーマンの家は少なく、チームでは私と田崎マコトの二人くらいだった。



九月からの関東女子学生サッカー選手権は昨年同様の四位。

東洋女子体育大学、筑波学園女子、日本体育学院の三大学がどうしても私たちの行く手を阻んだ。これで学生最後の、いや人生最後の復讐チャンスは十二月のインカレこと全日本学生のみになった。

この壁がどうしても破れない。どうしても勝つことができないのは・・・もちろん、地力の差であり、勝利に対する執念か。あと、一歩、一ミリの「何か」が私たちに欠けていたのだろう。


関東女子が終わって一週間、十月十二日。大学の監理局の学生課から私に呼び出しがかかった。まだ決まらぬ就職の斡旋話か、あるいは卒業単位不足の説教か警告か。周りに確認を取れば呼ばれているのは私と田崎マコトの二人だけ、それも同じ時間に呼び出しを受けていた。

「ヤバイじゃん、マコト。単位足りないんじゃないの」

と私が言えば、

「この前、計算した時、ギリでOKだったじゃん。いまさらダメって言われても、計算したの今日子だから、留年したらアンタのせいだかんね」

単位の計算ミス。私的にはある話だが。さらにマコトは減らず口を続ける、

「あんた、この前の就職課の面談で『私、愛人希望です』なんてほざいてっから、人生舐めんなって説教じゃないの」

そう、私は就職はどうする、就職はどうするっていう就職課のオヤジに切れて、私はちゃんと愛人になるから心配しないで下さいと言った。

「げ、卒業できなかったらヤバイよ。親にゴメンもう一年なんて言えねーしなぁ」

「そりゃ、私も一緒よ」

「卒業なんか私的には諦めったって別に無問題だけどさ、ウチの親がねー、親が。卒業証書片手に袴なんかで記念撮影って前時代的なこと期待しってから・・・ま、留年しちまったら卒業証書のために学費稼ぎは最終風俗の道しかないね、私の場合は。アンタは?」

「・・・・ソープ以外なら付き合ってもいいけどねぇ」

実際のところ、私もこの先の人生なんて何にも全然考えていなかった。

マコトの親はタクシーの運転手で無理して高い学費を捻出して、どうしてもマコトを大学に行かせたい、出させたい一心であることを私は知っていたし、最近、お母さんの体の具合が悪く病院通いだってことも知っていた。そして、そのお母さんはマコトのサッカーでも活躍をメチャクチャ楽しみに、そして喜んでいることも。普段はあまり家のことなんか話さない彼女が、関東女子選手権の三位決戦で東洋女子体育に負けた時に試合の後に行った居酒屋で唇を噛んで言っていたのだ。


学生課の横の共用会議室に通された。

教務課長の山口が仏頂面で二通のコピーを持って私達の前に座った。この男が最後まで、我がサッカー部の公式支援に反対していた奴だった。

マコトが随分とドスの聞いた声で

「短刀直入に言わせて貰いますと・・・私、家庭の事情で卒業できないとヤバイです。ね、解るでしょ。こっちだって家庭の事情ってモンがあるんすから」

「そう、そう、私たちがもう一年、学校に残ったて、ロクなことないですよ。平穏を我が校に取り戻しましょうよ、平穏をね。だから・・・留年なんてねー山口さん。そこを何とか。ねーマコト」

と私は持ち前のホステスセンスで山口さんににじり寄った。

「おまえら、二人揃いも揃って、アホが。うちの大学だって、おまえら二人には明日にも出て行ってもらいたいくらいだよ。全く」

そこに、ハゲ頭の吉岡監理局長がニッコリ笑って入ってきた。

幸運にも、このオッサンは言わずと知れた我がサッカー部の創部当事からの大ファン、試合もけっこうカメラ片手に応援に来てくれるサポーター。

オッサン自身は静岡出身で高校まで正月の国立、高校選手権を目指していた元サッカー小僧。でも自校が高校選手権出場を決めた三年生の時は三軍所属で観客席からじっとジェラシー抱えて自軍を応援した悲しい過去を持つ・・・私たちの試合の観戦中にお婆ちゃんがしっかりお友達になっていた。

「どーも、どーも。いやいや、惜しかったね。この前は。東洋女子体育にはどうしても勝てないねぇどうしても、あそこのバックラインは強烈だから・・・でも、フォワードは大したことはない、うん。ウチの方が上と言っても過言ではない。次こそ、和泉君の柔らかいパスと田崎君の裏への動きで、間違いなく、あそこは崩せるぞ、うん、君ら最後のインカレで、ま、とにかく一矢報いよう、うん、一矢・・・・・・・」

喋る喋る流れるようなサッカー談義、システム論から個人技解説、メキシコ・オリンピック銅メダル、釜本の活躍から悲劇のドーハ、最近のJリーグの話まで。

私達はファンを大切にする性質だ。ニコニコ笑って頷き、媚も売る。

もう、十五分も局長のサッカートークが爆裂していただろうか、私達の瞼ももう限界の頃、突然、局長が天を見上げ叫んだ。隣で居眠りをしていたハゲの山口課長がビクっと体を振るわせた。

「そこで、まさに晴天の霹靂か。我が校始まって以来の大事件だよ」

白洋女子大始まって以来の大事件ときちゃ、私達の留年の話でもないだろうと、二人はホッと胸を撫で下ろした。

じゃ、一体なんだ大事件って?酔って犯罪?男?と瞬時に想いを巡らせる間もなく、局長が仰々しく立ち上がって二通のコピーを私達の目の前に差し出した。

我が校の校長宛のファックス。日本サッカー協会から。

田崎マコトと私、和泉今日子の名前が記されていた。

第十一回アジア女子選手権大会。開催地 マレーシア、コタ・キナバル。

開催期間 十二月十八日~二十九日。女子サッカー日本代表選考。

茨城県鹿島市で行われる代表選考合宿、私達二人への代表候補選手としての招聘依頼のファックスのコピーだった。


人生いろいろ、丸いボールの転がる先・・・・学生最後の霹靂、女子サッカー日本代表の選抜に呼ばれた私達二人は、日本女子サッカーの層の薄さを大いに驚き、そして喜び、

「それでは最後の杯を」

当分の禁酒を誓い、神保町の路地裏の寿司屋、あの私とマコトが最初にトグロを巻いた寿司屋、今ではお馴染みさんになった店に入った。

女子大生が寿司屋でもなかろうが、昔気質の大将がこれまたサッカーファンというか私達二人の大ファンらしく、その値段は極めて安く回転並み。

「お、不良娘が二人。早い時間から珍しいな、ずる休みか、練習」

頼んでもいないのに大将はエビスの大瓶を私達に注ぐ。

「不良娘は余計だよ・・・この日本代表候補に向かってさ」

と私が言えば、マコトも、

「全く」

と言って二人はグラスをカチンと当てた。

「やっぱり、そう・・・今日はただでいいよ」

「?」

「噂、本当だったか、うん」

大将は自分のグラスに勝手に私達のビールを注ぎ、ニッコリ笑って、

「乾杯」

と自分勝手に一気にそのビールを飲み干し、空いたグラスを天にかざして、

「おめでとよ」

と感無量に囁いた。


もちろん私達は代表候補に選ばれて、その時、本当に嬉しかったし、頑張ろうと思ったし、絶対二人で代表に残りたいと思った。

でも、それは無理な話と諦める冷静は自分もいたような気がする。

大将は、私達二人のために早速自慢の本マグロの中トロに包丁を入れていた。

マコトが言った、

「今回召集されたのが四十人だっていうから・・・」

私が応えた、

「そう、落選するのが半分。どう考えても、私たち二人が一緒に代表に残る事はありえないっしょ」

二人は冷静に再びグラスをカチっと当てた。

「恨みっこなし、か」

「もちろん。好運なのはマコトと私がポジションが違うってことね」

と私が返せば、自分で二杯目のエビスを注ぐ手を止めてマコトがうなずいた。

「だからって訳じゃないけどさ、皆には言うのやめようか、なんか、大事になっちゃうしさ。なんか、二人だけが候補とはいえ選ばれちゃって悪いような気も・・・」

私がそこまで言いかけた時に、

「やっぱりここだぁ!全く不良娘達が随分と偉くなったもんだっちゅうか、選手層が薄いっていうか。ま、とにかく目出度いんで皆には声かけといたわ」

満面笑みの順子が寿司屋の暖簾を開けて入ってきた。

「あんたたち、学内、町内はこのニュースで大騒ぎだよ、まったく」

息せき切って店に入って来た由美が叫んだ。手に持つ、白洋新聞号外、

「快挙!我が大学から史上初のサッカー日本候補選出。もうお嬢様大とは言わせない!」

でっかい文字が躍ってた。



選考合宿は一週間後、十月二十日に始まった。

期間は九日間。そして、十一月の六日に選考結果がそれぞれの家に連絡が来る。ちなみに、この報に私のおばあちゃんは涙を流さんばかりに喜んだ。が、

「今日子もマコトも、ダメでもともと、選ばれたのはチームメート全員のお陰、代表候補合宿では、皆さんに失礼がないように、精一杯、頑張っておいで」

おばあちゃんは、過度な期待は決してせぬもの!と心に決めて私を代表選抜合宿に送り出した。その日、玄関には祝日でもないのに、堂々の日の丸が掲げられていた。


さすがに層は薄くとも「代表」の名に相応しい合宿だった。

熾烈とか、過酷という当たり前の言葉より、なんか私は洗練という言葉が合うような気がした。

召集された四十人はちょうど四セットのチームが出来上がるメンバーになっていた。いつも顔を会わせていた大学のチームから私とマコトを入れて十九人、社会人クラブチームから二十一人。

私達のデビュー戦、〇対十四、あの屈辱の試合からのカウンターパートナーである東洋女子体育のディフェンス、「岩」こと周防香子が私を見つけ、

「オッス。ほら、やっぱ、アンタはきっと上手くなるって言ったろ。ま、よろしく」

似合わぬ笑顔でニッコリ、片手を差し出した。なんだか私は嬉しくなった。

マコトと言えば、盛んに十代の選手から話しかけられている。どうみても宝塚っぽい絵だった。


九日間の合宿は三つのフェーズに分けられていた。

最初の三日間は体力的なテストを兼ねかなりハードなトレーニングで心身を追い込む。この三日間はボールはほとんど使わなかった。

心拍管理インターバル走は、百メートルを全力で走って止まり、自分の脈が百二十を落ちた段階で再び、百メートルを走る。これを一時間も続ける。一時間に何本走ったか周りのスタッフがチェックし、私たち選手それぞれの体力の回復能力を測っている。

圧巻は練習の最後に走らされるサバイバル・ランニング。まず、百二十秒で百メートル走る、これは誰でも楽勝。六十秒休んで、次にまた百二十秒で今度は二百メートルを走る、これもまだ誰でもいける。次にまた六十秒休んで三百、メートルを。次に四百メートル、五百メートル。百二十秒を切れない選手はその時点で失格リタイヤ。むろん、早く止めたければ走るチカラを弱めれば良い・・・葛藤。でも、周りを見渡せばチカラを抜くヤツは誰もいない。

私は七百メートルで力尽きた。マコトは鼻水を流しながら八百メートルまで走り、嘔吐した。最後まで残ったスーパー耐久女は見事、東洋女子体育の「岩」こと周防香子だった、彼女はひとり千百メートルを走って、とうとう規定タイム百二十秒をオーバーした。


半日休んで、次の三日間は技術と戦術の練習。ディフェンス組、中盤組、フォアワード組に分かれて徹底的な基礎技術のあとに三対三から五対五のミニゲーム。終わりに二時間集中のこれでもかのシュート練習。

最後の三日間は四チームに分けてのフルゲームをメンバーを固定せずに色々シャッフルしながら徹底的に二十分ごとのゲームに集中する。

こんなメニューは今まで経験したことが無い。

皆のレベルにどうの、こうの合わせると言う話ではなく、ひとつ飛び抜けたステイタス。しかし、体力的は異常に厳しくもあり。

でも、集まったメンバーは貪欲に、良いプレーと根性で代表へのサバイバルレースに勝ち残ろうと女を忘れた必死の形相で、監督、コーチ、協会関係者に自己の存在とプレーをアピールしていた。

マコトとて、五日目の五対五ではガツガツ相手を削り過ぎてコーチに怒られていたが、その目の瞳孔は開き、野生の女と化していたから凄い。

「マコト、あんた凄すぎない」

私が夕飯の時に言えば、

「あの女、三対三の時から私を本気で削ってきてんのさ。どうやら、あいつは私を潰さなければ生き残れないと思ってるらしいから、だったらこっちは受け手立って徹底的に潰すだけっしょ」

「マコト、あんた、そんなに怖かったっけ?」

クールなマコトには随分と珍しいホットな考えと私が聞いた。

「私、今まで完全燃焼とかさ、したこと無いじゃん。一所懸命とかなんか、恥ずかしかったじゃん。でも、今回だけは後悔しないようにしよーって、自分の限界試そうって、決めたんだ」

「なるほどね・・・マコト、あんた凄いね」

「っていうか、今までのダラダラ人生の一発逆転を賭けてさ」

「当って砕けろってか」

「そう。でも、それってアンタから最初に教わったんじゃねーの」

「そっか・・・」

マコトとの答えは意外ではなかった。私だって冷静に自分を見ることのない「弾ける世界」へ突き抜けたかったから、彼女の気持ちが良くわかった。

でも、そこには未だに「あっちの世界」へ突き抜けられない私もいた。



合宿が終わって一週間が経った。

土曜日の午前中に自宅のポストにサッカー協会からの手紙が届いた。

結果は落選。ある程度予想した通り。

さてと・・・私はマコトに電話するかどうか思案した。おばあちゃんは、

「ま、しょうがないわね。また、頑張ればいいんだからさ」

案外あっさりしていた。

私はマコトの当選シーンが頭に浮かんだ。

ヤツは仮に落選していたら必ず私に電話をかけてくる。

私がマコトと同じに落ちていれば「協会も見る目がないね、っち」とか悪態のひとつもついて今までの禁酒を破って飲みに私を誘う・・・だろう。

もし、私だけ残っていけば、

「今日子、私の分まで頑張れ、っよ」

などと斜に構えて、

「私は代表なんてさ、そんな日向は似合わないし、興味もないし」

などとクールに言うはず、そんな女なのだ。

二時間待ったがマコトから電話は入らない。

つまりは、彼女は代表に残った。そして、私は落ちた。

アイツは私の立場を考えて電話を躊躇しているのに違いない。

自分が受かって、私が落ちた・・・なんて私に声を掛けていいか悩んでいる。きっとそうだ。そんな気をヤツは使う。

私も彼女になんと声を掛けたらいいのか・・・良かったね、私の分まで頑張って!なんて余りにわざとらしいだろう。

私はチクショウ、チクショウ、チクショウと大声で叫んで枕を壁に投げつけた。

別に何も気にしないで、おめでとう!でも、悔しい!って何でもいいからマコトに叫んでやればいいはずなのに。

この騒ぎに部屋に入ってきたおばあちゃんを見たら、何故だが大粒の涙が流れてきた。

おばあちゃんは私の背中を優しくさすってくれた。

「ここまで来れただけで、あんた、夢みたいな話さ。良かったじゃないか。今日子が落選したんじゃ、マコトだけでも代表に入れる嬉しいけどね~おばあちゃんがちょっと電話してみるかね」

私の心を見透かのように、おばあちゃんはリビングへ降りていった。

しばらくすると階下から、

「今日子、マコトは何とか代表に残ったってさ」

おばあちゃんが大声で言った。



「インターハイだろうが甲子園だろうが、たとえワールドカップの予選だって、その予選の死闘を制した選手達がレギュラーでチームに残れる保証、いや、ベンチに入れる保証は何もないんだからね・・・勝つもの、敗れるもの。敗れて知る心の痛さだって後で思えばいい思い出さ、運もあれば相性もあるし、巡り合わせの人生、スポーツは全く人生そのもんだねぇ」

おばあちゃんがしみじみと言った。

私はその夜、やっとマコトに電話を入れた。

「おめでとう。やっぱり、獣は凄いね」

私が言えば、彼女は申し訳なさそうに、

「運が良いだけさ、でも・・・あの時、今日子に教室で声をかけて貰ったからさ、そ、サッカーやってんだよね、ある意味、今日子のお陰か」

複雑は思いが私とマコトの間に交差した。

顔で笑って心で・・・泣いた。

私を気遣う皆の姿を思い起こせば、ますます私は心が痛くなった。

恥ずかしいわけでもないし、悲しいわけでもない。いっその事、代表候補になんて選ばれなければ良かったと思って布団をかぶった。

代表に残ってもっと、おばあちゃんを喜ばせてあげたかった・・・と思ったら、また、涙が止まらなくなった。今度は家族の誰にも気づかれないように泣いてやった。そして、まだまだ器の小さな自分を悔やんだ。

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