第4話
年が明けて新年、一九九四年。みんなの頭を悩ましたのが残りメンバー三名。ここまで来れば、もう誰でもいいやって気にならないのが人間。ここまで待ったらからには最高の人材とイレブンに入れたいと色気が出る。
サッカーの方といえば、田崎マコトの加入で良いも悪いもチームは一気に引き締まり、スポーツは勝ってナンボのさらなる「勝利至上主義」にチームカラーが変貌した。ちゃんとした試合もしたことがないのに、私は、まぁ随分と生意気とは思ったが・・・ただ、この頃になると、ビーチのミニサッカーや大船や二子玉川のフットサルでは中学生には完全無敗、三流高校サッカー部を相手にしても結構いい勝負を仕掛けられるようになっていた。
★
新入生スカウティングの春。K大のコーチ陣とウチのおばあちゃんの指摘は異口同音、
「どうしても左サイドからの展開が弱く、攻撃が単調になる・」
つまりは「左利き」の不足と言い当てた。ここはどうしても左利きのプレーヤーが必要とて、左利き+運動神経=最高品質の人材がそこらに転がっているハズもなく。合格発表会場で、喜ぶ女の子の誰それに、
「左利き?ねぇ全日本優勝目指してガンガン真剣にサッカーやりませんか!」
などと誘ったって色よい返事が調子よく返ってくるわけもなく、運動神経に体力を備えた左利き選手のスカウティングは困難を極めた。
ある日、登校途中で息せき切った由美が私の肩を思いっきり叩き、三名の新入生の名前を記したメモを見せる。
「何これ?」
「骨のある三人、新入生のリスト。略歴、それに自宅の住所と電話番号入り」
「どうしたん?」
「ほら、事務局のハゲのおっさんいるじゃん」
「あの、ウチらの隠れファン、なんだっけ、吉岡のオッちゃん」
「そ、あの人がくれたのよ」
「え、なんで?」
「わかんないけど、さっき突然『チーム、あと三人ですよね』って声かけられてさ」
私はその紙を覗き込んだ。山本ゆかり。川島美佐。森部翔子。
「こりゃ、さすがに無理だよ」
と私。由美も同感だった。
山本ゆかり、左利き。我が大学が誇る新体操部の期待の新人。インターハイ団体優勝、個人全国七位の日本の宝。
川島美佐。全国選抜高校駅伝優勝。インターハイ五千メートル四位。
森部翔子。ホリプロタレントスカウトキャラバン中部地区優勝、男女混合芸能人サッカーチーム「阿修羅」に所属。
「でも、今日子さ、この三人を獲ったら・・・」
「凄いことになるよね、凄いって悪い意味も含めてだけどさ」
「どうする?」
「力ずくでいくか、それっかないでしょ、チームのためには」
私達二人はニンマリ笑って、昼休み、学食にマコトを探しに行った。
★
新入生のオリエンなどが落ち着いた四月十日くらいだったか、江ノ島のホームグランドならぬホーム・ビーチに午後三時の集合。マコトは三十分くらい遅れると言っていた。
私たちが着替えてウォーミングアップで軽く海辺を走っていると、田崎マコトが三人の可愛い女の子達を連れて江ノ島水族館の裏を抜けて来た。
三人は三人とも笑顔なんぞはあるはずもなく、どうみても泣いている。いや、泣き疲れて自暴自棄の表情か。勧誘合意というよりは、やはり私と由美の狙い通りにマコトはこの三人を無理やり拉致してきたであろう・・・左利きの体操部期待の新人山本ゆかり、日本の至宝。川島美佐、インターハイ五千メートル四位の長距離女王。森部翔子、サッカー経験ありのタレント女子大生。見事に十一人のチームがここに出来上がった。
今後、学内に起こるであろう激しい非難の嵐には、しっかりと目を閉じて「本人の意思」とし、北のあの国同様に「美少女拉致問題」なんぞは知らぬ存ぜぬで通すことをメンバー全員で誓ったものだった。
いよいよ、人数も揃って本格的な実戦体験へ。
部員が手分けしての相手探し、練習試合の段取り何ぞそろそろ取り掛かろうと話し合っていた矢先、江ノ島のいつもの定食屋「ホノルル食堂」におばあちゃんが厚い書類が入った茶封筒を抱えてやって来た。
マネージャーのおばあちゃんは何と無謀にも練習試合なんぞは眼中になく、恐ろしい計画を実行に移していた。
練習後、みんなを集めてマネージャーの言葉に一同仰天。
「タイム・イズ・カム!いよいよ我々に夜明けがやって来た!練習のための練習はもういらない!まずは本番で我らの度胸とスキルを試すのだ!さぁ未知の大きな海、そう大会に乗り出そう!」
と、おばあちゃんは力強く宣言した。
私達が知らぬ間に、五月初旬から西が丘サッカー場で開催される第六回東京都女子大学サッカー選手権大会のエントリーが完了していた模様。おばあちゃん、いや、マネージャー様のこのハイテンションなウキウキさ加減は、どうやら今日はその組み合わせ抽選会からの帰りのようだった。
玉砕に学ぶ人生、明日があるさ・・・・記念すべき公式戦第一戦、五月三日。万全の備えで望んだ初のフルグランドの公式試合。
第六回東京都女子大学サッカー選手権大会。スタメン、少なくとも私たちの人生史に深く刻まれる仲間の名前。
GK 大熊順子/DF 沢井ゆい/DF 吉田由美/DF 大城美和子
DF 神保佳乃/MF 山本ゆかり/MF 川島美佐/MF 森部翔子
MF 和泉今日子/FW 田崎マコト/FW 佐藤寛子
浮き足立つな!と言うのも無理な乙女たち。しかし、大舞台に場慣れした新入部員三人はこの緊張感を楽しむ余裕を見せて、上級生の私たちを元気づけるから驚いた。
試合と試験は日々の修練と、何と言っても大切なこと、その「場慣れ」であると痛いほど骨身に染みた一日だった。
相手は日本を代表する体育専門大学、昨年度全日本学生インカレ準優勝の東洋女子体育大、私たちとは所詮各が違いすぎる、と弱気に気がついたのは時既に遅く、センターサークルに並んで一礼した時だった。
それぞれのポジションに散っていけば、記念すべきゲーム開始のホイッスルが乾いた空気にこだました。
キャプテン由美が気合を入れてスポーツショップ加茂で作った燃える闘魂、真っ赤な私たちのユニフォームが見るも悲惨な状態になるのには時間がかからなかった。対等に勝負できたのは前半十五分までだった。
この大会は決勝だけが九十分、それまでの試合は全後半四十分の合計八十分でハーフタイムは十分間と決められていた。
イメージ通りの展開が全くできなかった・・・歯がゆく思うのは私だけじゃなく全員の思い。まず、パスが回らないし、相手の当たりが異様に強い。ドスン、ドスンと重く削られる感覚に驚愕。飛んでくるボールも痛く、重い。でも、反則のホイッスルなし。これが本気の闘うスポーツ、聞くに及んだサッカーはやっぱり格闘技なんだな、と変に感心してしまう冷静な私もいる。
私達は、どうしても広いスペースを有効に活用してのサッカーが出来なかった。普段のビーチ・サッカーの練習、身についたスケール感のせいか、私たちがボールを取るとみんな小さく小さくまとまってしまう。で、敵にボールを取られれば、いとも簡単にディフェンスの裏を取られ、ゴール前に抜けて一点を失う。
最後の要のコンビネーションも自滅、トップ一・五列目の私はズルズルと気がつけば自分のゴール前まで下がってしまい、最前線で張ってポストになって敵を背負ってボールを受ける田崎マコトも、左の山本ゆかりも中盤でボールをキープし攻撃の起点になろうとも、周りにパスの出所がなくボールを持ち過ぎ、簡単に相手ディフェンスの手、いや足に落ちる。
この日、一番忙しかったのはキーパーの順子だったかもしれない。とにかく長い、長い全然終わりの見えない八十分だった。
しかし、沈む心に一筋の光、あっと気がついた良い点が一つだけあった。それは私たちの体力。そんなに思ったほどの疲労感は無かった。そう感じたのは私だけではなかったはず。体力と足腰の力は、私は敵にそんな負けていなかったと思う。なんでだろう?
気がつけば、これは江ノ島のお陰だった。江ノ島西浜海岸の砂上の練習が、私たちの体力を知らず知らずのうちに強靭に作りあげてくれたのだ。まさに「ありがとう、江ノ島弁天さまさま」の気分だった。
デビュー戦、玉砕。浴びたシュートは数知れず、〇対十四の大敗だった。
「お嬢ちゃま女子大のお遊び」
「彼氏とお手々つないでお食事にでも行っといで」
「化粧してんじゃねーよ」
その他多数のヤジも、後半に突入するころには同情の声に変わっていた。
もちろん、私たちはみんな悔しかった。でも、甘やかされて育った自分たちに突きつけられた厳しい「点差」という現実は何故だか何だか心地良く感じられるほどの負けっぷり。敗因は明確だった。経験と努力、そして根性の不足。今日、経験した八十分は、今までの人生で一番歯がゆく痛い時間だった。でも不思議なことに早く終わって欲しい、もう嫌だ、と試合中考えたメンバーは誰一人としていなかった。
試合終了のホイッスルと同時に自然と相手のイレブンと交わした握手は、自分たちが真のスポーツウーマンの入口に立ったような、すがすがしさにチーム全員が感動した。
散々っぱら肘だ膝で田崎マコトとやり合っていた相手の七番も、私のマークについた、岩みたいなカラダの一生お洒落には縁がなさそうな三番も、みんなニッコリ肩を叩き合って握手をした。
女だてらに汗と土に汚れた顔、ユニフォーム。相手のベンチ前に一列に並んで挨拶一礼。向こうの控え選手を含めた部員全員がこんな私達にも思いのほか暖かい拍手を贈ってくれた。
ちなみのウチのベンチでは、マネージャーのおばあちゃんが一人、気合を入れて大声で叫んだ。
「東洋女子体育大学、今日はどうもありがとう。この大会、残りの試合もウチの分までよろしく、優勝目指して頑張れ!頑張れ!東洋女子体育大、学ぅぅぅ」
立派ながらも少々変なエールを丁寧に送り、そして私達に、
「明日があるさぁ!元気を出せ~白洋女子!」
元気を出せって言われても私達は、痛い足を引きずってベンチに戻ろうとすれば、私は相手の背番号三番の岩みたいな女に声をかけられた。
「あんたらセンスあるよ。気合入れて頑張りゃ、きっと、もっと上手くなるよ、うん」
「あ、どうも、ありがとうっ」
「じゃ、また」
私と岩女は固い握手。彼女の社交辞令とも思えぬ言葉に少しの喜びと、サッカー、いやスポーツの持つ不思議な「幸福感」に浸ることができた。
あとでプログラムの選手紹介欄で彼女を確認すれば、なんと彼女は立派な日本代表・周防香子。思えば、こんな選手達のいるチームと幼稚園レベルの我がチームの初体験だった。
おばあちゃんは笑って、
「メキシコオリンピックの予選で日本対フィリピンは十五対〇よ。それに比べれば良い試合よ、よく頑張った、頑張った。みんなはフィリピンよりは上」
などと変な論理で励ませば、みんなの着替えを見ながら美味しそうに持っていたキンキンに冷えた缶ビールを飲み干した。
練習は不可能を可能にするのだ・・・・夏の合宿を経て九月の全日本女子大学サッカー選手権、通称インカレに至るまでの練習は、なんと専属のトレーナーまでつけての短期間に数段のスキル・アップを図っての科学的トレーニングに部員全員精力的に取り組んだ。
夏を過ぎればみんなそれは、それはアスリートっぽさが滲み出るカラダつきになってくる。こうなると、人様にお見せしたくなるのが人情ってもんで、肌の露出も増していった。ただし、「ふくらはぎ」だけはカワイイ一般子女を演じることを拒んだ。その発達した力強い足は普通の女子供にはないパワーを隠すことはできなかった。まるで私達のふくらはぎは、四角いお弁当箱を隠しているかのような子持ちシシャモの如くのサッカー足に育っていたのだ。
真夏の盛りには、鹿島で地獄の合宿、日々練習は湘南海岸界隈、それでもおばあちゃんのお陰で週に二回は外濠公園グランドから代々木公園、多摩川周辺にグランドを確保できた。
そんな泥んこのグランドに集う派手目な女子大のサッカー部目当てに、スポーツ新聞が一紙、男性誌が二誌、何を間違ったか女性ファッション誌からも取材申し込みがあった。が、本業サッカーの自信の方がイマイチゆえに、すべての取材を断り九月二十二日から始まる関東大学女子サッカー選手権に備えた。この大会でベスト四に入れれば、十二月の全日本大学女子サッカー選手権への道が開かれる、とは理論上の話だが。
夏休みの間、練習試合を十試合ほどはこなしていた。
勝ち癖をつけるために、尾山台の全国レベルの少年サッカーチームには最初の試合は〇対〇で分けて、二試合目は史上初のマコトの一ゴールと、佐藤寛子のダメ押しで二対〇で記念すべき初勝利を飾った。
次に慶応の中学一・二年生チームには六対〇で圧勝。三年生チームには二対二で引き負け。川崎の名門クラブの女子部門にお願いしたジュニアチームとの練習試合に三対六で完敗も、なんだか得点力の向上にはチーム一同自信を感じた。
電通のサッカー部とは三宿のグランドで対戦。色気ビームを浴びせたわけでもないが、七対二で完勝した。夏の練習試合の最後を飾る八月三十一日、美和子の彼氏の兄貴がいるTBSチームとの対戦は二対一で接戦を制した。
そんな練習の日々、試合の日々、いつもウチのおばあちゃんは忙しそうに冷えた水を用意したり、テーピングをしてくれたり、ビデオを撮影したりチームのために働き、試合中には大きな声で我がチームを応援し鼓舞し、たくさんの元気を私達にくれた。選手同様、真っ黒に日焼けしたおばあちゃんは、とってもチャーミングに見えた。
私達も、もちろん我が大学としても初めての関東女子サッカー選手権。
結果、杏林女子大学を相手に七対三で一回戦突破も、二回戦に強豪筑波学院に二対四で破れ、初めてのシーズンを終えた。
人には破れぬ壁がある、だから人生面白い・・・・私達は何かに取り憑かれたようにサッカーに打ち込んだ。
それが「スポーツ」の魅力であり、「スポーツ」に恋した女達のサガ、あるいは周りの男どもの魅力不足か。勝てば再び同じ気分をもう一度味わいたく、負ければ悔しく、その憂さを晴らすべく再び練習に集中し上を目指す。両親はそれを中毒と言い、元彼たちは「スポーツの魔力」に恐れをなし後退を繰り返していった。
とは言え、世の中、「女だてらに」を代名詞に女子サッカーなどは超のつくマイナースポーツで世間様に認められるようになるには時間がかかった。八十年代後半から国内女子サッカーリーグの発足もあり、メジャーになりそうな雰囲気もあったが、バブルの崩壊と共に知るも人は寂しく消えた。練習の帰り道、
「もう少し時間がゆっくりと過ぎてくれれば、この青春、もっと楽しめるのに」
珍しく順子が粋なことを言った。
「なんだが時間がどんどん経っちゃうよ。これってヤバイね。すぐババアだよ」
マコトも納得。
「でも、すぐ時間が経つってことはよ、きっと、私達のこの生活が、かなり充実しててさ、楽しいってことなんじゃない」
私は年を取るのは怖いけど、こんなに有意義に時間を過ごせれば満更だよ、と言い返した。
「そうかも、こんな感じ、生まれて初めてだしなぁ」
マコトが言えば、みんながウンウンと納得した。
私達の結論は、この年になって初めて、悪く言えば「敵」、良く言えば「目標」ができたからだと、この充実のサッカーライフを肯定した。しかし、この時、実は私達は凄く大事なモノを手に入れていたことは気がついていなかった。
それは「素敵な仲間達」、もう少し時間が経って大人になって社会の荒波に揉まれて疲れ、傷ついた時、ふと今を振り返った時に私達は気がついた・・・丸いボールに青春を賭けた私達の熱き友情を。
★
私達の実力は確実に上がっていった。
大学三年の春は東京都ベスト四に入り、全員が念願のインカレへの出場が不可能でない実感を掴んだ。
その夏の合宿は熾烈を極め、新入生四人全員が山中湖の宿舎から二晩姿を消した。が、三日後、反省の色濃く、冷えたスイカを抱いて合宿に戻ってきた。
秋のインカレは準々決勝、一年前のデビュー戦の相手、東洋女子体育大にまたも破れベスト四への進出は阻まれるも、その得点は二対四と一年前の十四点差から随分の進化の軌跡を残す。しかし、恐るべし、いや喜ぶべき、私たちのこのインカレベスト八の戦績は、年明けの全日本選手権への出場権を意味する創部二年目の大快挙でもあった。
このインカレで田崎マコトは得点ランキング堂々の三位になり、我が校から唯一の優秀イレブンに選ばれた。このマコトに中盤から球を供給する私は大会アシストランキング四位に入り、
「アンタのおかげだよ」
マコトが殊勝にも私に頭を下げた時、私は人に対する恩義を感じ、人に礼を言うようになった獣、いや人間・田崎マコトの成長に驚愕し、思わず皆に報告して大笑い、当のマコトは「バーカ」と言って頬を赤らめた。
マネージャーのおばあちゃんはますます元気に練習・試合のグランド確保に奔走し区役所、都庁の抽選に並んだ。
★
年が明けて一月、シーズンの最後を飾る全日本、運か実力か、とにかく必死に上り詰めた全日本女子サッカー選手権は四国代表の高校生チームを破って一回戦を突破したが、二回戦で強豪の社会人クラブチームに一対二で惜敗し、私たちの一九九五年のシーズンを終えた。
ここまで来れば、私はもちろん、仲間達は、もう満足度百二十%の笑顔で試合を終えるはずだったが、おばあちゃんは試合終了のホイッスルと同時に、ベンチの後片付けを一年組に指示しながらポロポロ涙を流して泣いていた。
その涙が「お嬢様たち」が努力重ねてここまで上がってきた「嬉し涙」か、あと一つ勝てば全日本のベスト八入りを逃した「悔し涙」かどうかは解らなかった。でも、そんな姿を見た私たちは何だか胸が熱くなった。
すると、おばあちゃんの涙につられたのか、驚いたことに山本ゆかりが我慢することなく突然、ワンワンと大粒の涙を流して泣き出した。
この涙が、決して嬉し涙でないことは私たちにはすぐに解った。
インターハイ優勝、日本選手権七位の元新体操のヒロイン、山本ゆかりは汗と泥にまみれた可愛い顔をクシャクシャにして、
「悔しい。あんなに苦しい練習をしたのに・・・チクショウ」
今脱いだ汗と泥にまみれたユニフォームを地面に泣きながら叩きつけた。
そのチクショウは誰に向けられた言葉だったのか・・・その言葉は私の胸に刺さった。
ここまで来ると競技キャリアも技術も練習量も関係なく、きっと「絶対に勝つ」という自分の強い気持ちは、戦前戦後を懸命に生き抜いてきたウチのおばあちゃんも、日本の最高レベルで闘った経験のある山本ゆかりも、二人は同じ気持ちだったのだろう。私たち以上にとっても悔しかったのだろう。さすがに頂点の闘いを知っている人間は「負ける痛さ」を知っていた。きっと私たちに足りない何かに山本ゆかりは気が付いていたのだろう。
この敗戦の後、私たちはさらなる進化を見せることになる。
春を迎えれば、私たちは大学最後の四年生だった。
サッカーもあるが、嫌でも襲ってくる就職の二文字も脳裏の隅をかすめる。
一九九三年ドーハの悲劇、江ノ島西浜のビーチ、丸いボール蹴り始めから三年が経った。全く時間は「あっ」と言う間に時を刻んで「今」を瞬時に「過去」に変えてしまう。
私は真剣に「今」を懸命に生きる大切さを感じた。
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