タイムトラベラーの友達

海野しぃる

タイムトラベラーの友達

「君、迷子かい?」


 あれは俺が幼い頃の思い出。デパートの屋上に放置された時の話だ。

 長い白髪をなびかせて僕に笑顔を向ける長身痩躯の女性。

 まだ若い筈なのに、何処に生命が残っているのか怖くなってしまう程に、彼女は死の気配を纏っていた。


「迷子じゃない。お父さんとお母さんを待っているだけだ」

「……そう」


 初めて会った時の彼女はやけに馴れ馴れしく、それが子供心に何処か恐ろしかった。

 この人は一体何者なんだろうか。

 この人は本当に人間なのだろうか。


「じゃあ、お姉さんも一緒に待っていて良いかな?」

「知らない人と一緒に居ちゃ駄目だもん」

「それならお姉さんとお友達になろう。それなら良いでしょう?」

「…………」


 子供の頃の俺は図々しくもコインが切れて遊べなくなったゲームをわざとらしく見つめた。タダで怪しいお姉さんに懐くお子様ではなかったのだ。

 いいや違う。嫌われようとしたのだ。親からも放置された俺みたいな子供に親切に話しかける人間などそうは居ない。そんな親切な人と分かれるのは寂しくてしょうがない。だから嫌われようとした筈だった。

 だけど彼女は分かっていたようにクスリと笑ってゲームにコインを入れてくれた。


「素直じゃないのは変わらないね」


 俺は彼女が小さく呟いた言葉が気になって尋ねようとした。

 だが彼女はゲームが始まってしまうと言って幼い俺を煙に巻き、そのまま俺もゲームに熱中して時間を忘れてしまった。

 

「楽しかった?」

「うん……」

「どうしてそんな暗い顔をしているの?」

「お姉ちゃん、帰っちゃうの?」

「だって君のお父さんお母さんがもうすぐ迎えに来るでしょう?」

「そうだけど……」

「お家は楽しくないの?」

「お姉ちゃんについてった方が楽しいと思う」

「おっ、付いてきちゃう? お姉ちゃん、丁度これから世界中を巡る旅に出ようかと思っていたんだけど」


 彼女は悪戯っぽく笑う。

 その楽しそうな笑顔がきっと初恋だったのだろう。

 俺はしばし迷った後、頷いていた。

 彼女は何故か本当に嬉しそうで、だけどすぐに寂しそうに俯いて首を振った。


「あはは……君がそんなに首を振ってくれるなんて嬉しいな。でも、もう駄目かな」


 もう駄目。じゃあ何時なら良いの?

 俺の問に彼女が答えてくれることは無かった。


「これ、今日の思い出に持っておいて。元々君の物の筈だから」


 その代わりに彼女は俺の小さな手に時計を握らせる。見覚えの無い銀色の時計だった。


「ねえ、この時計って……」

「お父さんお母さんにはクレーンゲームで取ったとでも言うんだよ」


 気づくと彼女の姿は消えてしまっていた。


         *


 それから十年。

 あれは忘れもしない。彼女にまた出会ったのは大学受験を終えたとある冬の日のことだった。

 入学式までの手持ち無沙汰な数日間。

 俺は知り合いも居ない街を意味もなく逍遥し、目についた喫茶店に入った。

 其処に彼女は居た。

 昔と変わらない白髪、生気を感じさせない後ろ姿、あいも変わらぬその長身痩躯。だけど不気味というよりもむしろ何処か神々しくさえあった。

 振り向いた彼女と俺は目が合う。彼女は少し驚いた顔をしたが、でも嬉しそうに俺に手招きしてくれた。

 俺も知らない街で偶然出会ったことに不思議な縁を感じて思わず彼女の招きに応じてしまった。


「お久しぶりです。ずっと会いたかったんですよ」


 久し振りに出会った彼女はなぜだか丁寧な口調だった。

 それに何か様子がおかしい。あまりに久し振りだったので気づくのが遅れた。


「ええ本当に……いや、それにしても……変わりませんね」


 俺が感じた違和感の正体はそれだった。

 彼女は俺が初めて出会った時とほとんど顔貌かおかたちが変わっていないのだ。

 俺がそう言うと彼女は何がおかしいのかくすりと笑ってまたあの時と同じように砕けた口調で話しだした。

 

「変わらない? そうかしら?」

「ええ、十年前に会った時と何も変わらない」


 むしろ、今の方が若いような気さえする。


「そっか……流石ね私。十年前は何してた?」

「ゲームセンターで一緒に遊んでくれた以外の記憶は無いです」

「意外ね。そうなんだ」

「貴方、何をしている人なんですか?」

「旅だよ、旅旅」

「旅って……何か目的でも?」

「恩人を探しているのよねー……命の恩人」

「恩人、ですか」

「ねえ、もしもタイムトラベルができるとしたらどうする?」


 それは唐突な謎掛けだった。


「どういうことです?」

「君と初めて会った時、私は十年後の私だったのよ」

「冗談でしょう?」

「冗談なんかじゃないわ。私は十年後の私を知らないけど、十年後の貴方は知っているわ」

「どうなるんですか?」

「立派なお医者さんになって沢山の人の命を救おうとしてたわ」


 俺は驚いた。確かに俺は丁度医学部に合格したばかりだ。

 親からは放置されていたが、勉強だけは人一倍頑張ったし、親も金だけは出してくれたのだ。


「そいつは良い。俺のやりたいことそのものだよ」

「何故人なんて助けたいの? 貴方が人を助けても、助けなくても、結局結果なんて変わらないのに」

「タイムトラベラーの諦観か? 君の言いたいことは分かる。どうせ俺が助けなくても誰かが人助けをするし、俺が人の命を助けられなくてもどうせ誰も助けられなかった。だから俺個人の行動に意味なんて無い。違うか?」


 彼女は頷く。

 

「だからどうした。俺が救えば、それは俺が救った命だ」


 本物かどうかは別として、それは初恋の人の面影を持つ誰かだ。

 タイムトラベラーという言葉を信じようとは思わないが、なんとなく格好をつけてみたかった。

 だが俺の虚飾を彼女の鋭い一語が吹き飛ばす。


「ねえ、それ本音?」


 俺はわざとらしくため息をついてコーヒーを口にする。

 どうせ彼女は他人だ。何者かは知らないが、俺の人生において深く関わる人間ではない。

 どうせこの街に知っている人間は居ないことだし、素直に白状してしまうことにした。


「繋がりがね、欲しいんだ」

「繋がり?」

「人を救えばそれだけ人との繋がりが生まれる。何時か相手に忘れ去られようとも、俺の中に絶えることの無い繋がりと誇りが生まれる。俺は、俺という個人は人との繋がりに欠ける孤独な人間だが……それでも、それでも、人の中に生きたと言える証拠を残すことができる。だからその為に必死に勉強をした」

「命を救いたい訳じゃないの?」

「そりゃ救いたいよ。死人は俺の事を思い出さないじゃないか」


 それを聞くと彼女はクスクスと笑う。


「じゃあ私の旅についてこない? 人助けならできるし、色々な人の記憶に残る事ができると思うけど?」

「旅?」

「時間を巡る旅」

「時間を巡るだと? 馬鹿げているな」

「ところがどっこいできるのよ。この魔法の時計で」


 彼女は自慢げに時計を見せびらかす。

 それは俺が昔出会った女性から貰った時計にそっくりだった。

 ますます彼女が他人だとは思えなくなってきた。

 俺を担いでいる訳ではなく、目の前の彼女と十年前の彼女は本当に同一人物なのかもしれない。


「良いのか見せびらかして?」

「貴方が信用できると思ったからだけど」

「ふん……それが魔法の時計だと?」

「そうよ、私にしか使えない魔法の時計。時間を逆さに巻き戻す魔法の時計。これで時間を旅して困った人を助けるの。どうかしら? 素敵でしょう?」

「時間を旅する?」

「一晩寝ると昨日に戻るの。また一晩寝ると一昨日に。少しずつ、時間が逆転していく旅」


 彼女は妖しげに笑う。

 やはり、からかわれているに違いない。

 それとも。

 もしも彼女が本気なのならば、俺がかつて問いかけた「何時?」の答えが今なのかもしれない。

 だがそれでも――――


「悪いがその話は断らせてもらう」

「なんで? やっぱり怖い?」

「いきなりそんな話を信じろというのか?」

「それは、そうだけど……」

「それにな」

「なに?」

「俺は俺の力で俺の生き方を貫きたい」

 

 それに、俺が恋したのはきっと十年前の彼女だ。

 十年前に出会ったあの不思議な女性と一緒に旅に出たいと思ったのだ。

 今俺の目の前に居るのは十年前の彼女ではない。

 似て非なる何かだ。

 だから俺は彼女と一緒には行けない。

  

「……さて、喋りすぎたな、失礼する」


 そう言って俺はコーヒー分の金をテーブルに置いて席を立とうとする。

 すると彼女は俺の服の袖を掴んで引き止めた。実は怖かった。


「どうした?」


 やっぱりこいつは危ない奴なんじゃないだろうかとさえ思った。


「昔、貴方に良く似た人に出会ったの。私ね……その人に憧れていたんだ」


 だけど彼女の表情は驚く程真剣だった。


「きっとそいつは俺に似ても似つかない奴なんだろうな。俺のような冷たい男とは。お前の旅にも付いてくるのかもしれない」

「いや、貴方そのものだよ」


 彼女はそう言って微笑む。

 それはあのデパートの屋上で出会ったあの日の嬉しそうな微笑みにそっくりだった。

 俺はその場を離れる気が失せて座り込む。


「友達になろう」

「なにそれ?」

「十年前、君はそう言ってくれたと思ってな」

「そんなこと言ってたっけか……そう、ふふ。それは良いわね」

「そして俺は頷いた。となるとお前と俺は久方ぶりに会った友人だ。ならばもう少し話しても良い。幸い時間は空いているのだから」


 俺と彼女はこの街に関する他愛ないよもやま話で時間を潰し、喫茶店が閉まるまで其処に居た。

 最後にもう一度旅についてこないかと誘われたが、俺はやめることにした。

 そうしたら彼女と友達でいられなくなりそうだったから。


        *


 そこから更に十年後。すなわち現在。


「はぁ……」


 唐突だが俺は死ぬことになった。今までの楽しい思い出が走馬灯のように蘇っていたのだ。

 死ぬ理由は簡単だ。海外の病院で働いていたらテロに巻き込まれたのだ。

 普通の病院で真面目に働いていただけの何の変哲もない医者が、テロリストの爆発させた爆弾を前にしてできることなど少ない。

 特に死にかけている場合はそうだ。何せ時間が無いのだから。もっと時間を有効に使っておけば良かった。


「ったく、もう……!」


 瓦礫の破片で腹に穴が開いている。周囲は燃え盛り、そこらじゅうに死体が転がっている。そんな中で動かない筈の身体を引きずって俺は歩いている。


「なんだって……こんな……」


 ぶつけた頭部からは血が流れ、視界の右半分を塞いでいる。腎臓に繋がる血管がやられている。今から病院に担ぎ込まれたなら死なずに済むかもしれないが、その病院このざまになっている以上、俺はもう助からないだろう。

 だったらおとなしくすれば良い。せめて穏やかに死ねば良い。

 なのに何故歩いている?

 俺は俺に問う。

 子供のなく声が聞こえるからだ。

 俺は俺にそう答えた。

 まあこれだけの爆発が起きた後だ。子供もおそらく致命傷を負っているだろうが、それが助けに行かない理由にはならない。

 幸せな人生とは言いがたかったが、どうせ死ぬなら一人でも多くの人の為に生きてから死のうじゃないか。

 何時になくポジティブな気分で俺は歩いていた。


「……嘘だろ」


 そういえばあの喫茶店での邂逅からもう十年経っていたのだ。

 少女は足を抑えてわぁわぁと泣いていたのだが、驚くべきことにそこに擦り傷が有る以外は身体の何処にも怪我は無く、まったくの無事だった。


「君、大丈夫かい?」

「ぐすっ……おじちゃん、誰?」


 おじちゃんとはまた手厳しい。

 俺は君と出会った時に一度としておばちゃんなどと言ったことは無かったのに。

 目の前で泣き叫ぶ少女は間違いなく俺が何度も出会ったあの女性だった。

 しかし見た目が明らかに幼い。

 十歳くらいの子供だ。

 

「お医者さんだよ。怪我はしていないかい?」

「おじちゃんの方が……怪我……してるよ?」

「おじちゃんはもう大人だからね、これくらい平気なんだ。それよりも君の応急処置をしないと……」


 まだ動いていた水道で少女の傷口を洗うと白衣を裂いて傷口に巻く。

 半分だけだったはずの視界が仄暗くなってきた。

 これは本格的に駄目かもしれないな……。


「おじちゃん、どうしたの?」

「いや、大丈夫。少し疲れただけだよ。それよりも傷は大丈夫かい?」

「うん! でも私お金持ってないよ……?」

「そんなことは気にしなくて良い」


 そんなことより、この子の目の前で死ぬのはなんだか格好が悪いな。

 早くこの子を何処かに逃してあげないと行けないんだけど……。

 ああ、良いことを思いついた。


「じゃあ一つお願いをしても良いだろうか」


 俺は懐から昔もらった時計を取り出して少女に渡す。

 初恋の女性から貰った思い出の時計だ。


「これをあげるから、助けを呼びに行ってはくれないか?」

「助け?」

「この直ぐ側に地下に繋がる階段が有る。そこからならば君は歩いてこの病院を抜け出せる筈だ」


 少女は頷いて駆け出す。そうだ。それで良い。

 地下ならば多少は丈夫だから道も壊れていないだろうし、もし瓦礫が有っても子供の体格ならばすり抜けられるかもしれない。

 目の前がゆっくり暗くなる。

 少女の足音が遠のく。

 まあ、上々な死に様だ。


「あ、久し振り! まあ随分可愛くなくなったわね」


 そう思っていた時、突如頭上から声がした。

 それは聞き慣れたあの女性の声だった。

 まったく変わらない。視界は真っ暗だが、その快活な声は何も変わらない。


「なんで……?」

「別に、友達を助けに来るのなんて当たり前じゃない」

「そうじゃない。なんでお前が此処に……」

「貴方に貰った時計を返したからじゃないの? 八歳のあなたに時計を返してから、私は皆と同じように時間が流れるようになった。それでそこから二十年。戻った時間をまた引き返したの」

「そんなことが……ありえるのか? あの時計だけが二十年を行き来し続けるなんて……」

「さあ? でも私の物でも貴方のものでも無かったのならそれが良かったんじゃないかな。人の手に余るものだったしね」

「俺の所に都合よく来ることが出来た理由は?」

「逆よ。過去に向かう私が、過去の貴方に出会ったからこそ、貴方があの時に私に出会うというイベントが決定して、結果として幼い私と貴方が出会って私が此処を逃げ出せたの」

「なんだいそれは……ああいい説明しなくても分かる」

「本当に?」

「君にとっての未来を確定させることで、過去の自分が助かるように立ち回っていたのか?」


 ふふっ、と彼女は笑った。俺の考えでどうやら正解らしい。


「貴方が何時か、誰かを助けることで自分が此処に居たという縁を残したいと言っていたけど……それに似ているかもね。結局、生命の恩人である貴方にこうして会えて本当に良かった」

「……救われたかったから、救ったってことか? ならば俺にも分かる」


 得心が行った。

 ここで救われた恩を返したくて二十年前に戻って、そこからまた二十年かけてここまで助けに来てくれたのか。

 だが、何故老いる様子が無い? おかしいじゃないか。俺の耳に入っている声は老婆の声ではない。俺が二十年前に会った時と何ら変わらないなんて。


「……お前は一体何者なんだ?」

「知りたい?」

「ああ」

「じゃあ私と一緒に来てくれる?」


 喋るのも億劫だったが、これが最後のチャンスだというのは俺にも分かった。

 それに、今俺の前に居るのはあの時の初恋の人だ。

 今度こそ俺は躊躇うこと無く「ああ、勿論」と答えることができた。


「それは良かった。じゃあ、少しだけ目を瞑ってて」


 とっくに視界などなくなっているのに馬鹿なことを言う。だがわざわざそれを言う程の元気が有る俺ではない。

 暖かな体温が俺を包み、全身の痛みは少しずつ消えていく。

 あの人の体温だ。俺を抱きしめる何かの触感はとても人間の形とは思えないが、そんなことはどうでも良かった。

 あの時計が一体誰のものなのか、何だったのかも、今の俺にはどうでも良かった。

 酷く幸せな気持ちだった。


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