無影将軍は旅に出たい(終)
――――砂蟲たちを全滅させたあと。
俺は砂航船の甲板上にとどまり、傷ついた用心棒たちの手当に勤しんでいた。
「そらよっと。ほい、次の人どうぞ」
「あ、ありがとう。あんたらが来てくれなかったら今頃は……」
「いいよ、いいよ、お互い様だろ。いいから傷見せろ、化膿するぞ」
「ああ、すまない……頼むよ」
「軽傷だな。これなら――《
用心棒として雇われていた冒険者は剣士、魔術師、弓手など様々だが、みな一様に疲労し、なにかしらの負傷をしている。恩を売るにふさわしい、正真正銘ギリギリの戦いだったという事だ。
戦いのさなかで地表に落ちた者も何人か居たが、そいつらも幸いな事に死んではいない(そうなるように俺とメルネスが立ち回ったからだ)。俺が治療をしている間、メルネスは落ちた連中を一人ずつ甲板に運んでおり、今は最後の一人を探しにいっているところだ。
大砂蟲はそのデカさもあってそれなりに驚異的な魔獣だが、今回はさすがに分が悪かった。
なにせ相手は俺とメルネス。魔王軍の大幹部だ。メルネスは愛用の《
もう陽も沈みかけている。残念だが、アダマンタイト入手はまたの機会にするしかなさそうだった。
傷を治してやった弓使いと入れ替わりに、船長らしい男が近づいてくる。大柄で髭面の、いかにも屈強そうな男だ。時間的にも丁度いいし、この船長にそれとなく恩を売ったら城へ帰るとするか……。
「アンタら、丁度いいところに来てくれたな。おかげで助かったよ。魔力炉の限界ギリギリまでスピードを出してたもんだから、蟲にやられるか炉が爆発するかってところでよ」
「ホントに危ないところだったな。なあ、なんで大砂蟲なんぞに襲われてたんだ?」
周囲にぐるりと散らばる砂蟲たちの死骸を見回しながら、俺はずっと気になっていたことを尋ねた。
「大砂蟲はそこまで好戦的じゃない。ここらへんはエサになる鉱石も豊富だし、わざわざギガント級の砂航船を襲いに来るとは思えないんだが」
「あー……それがだな」
船長がどかどかと俺の方に歩み寄る。そしてがっしと肩を組み、さして小さくもない声で俺に耳打ちした。
「実はな……この船、商人ギルドのお偉いさんを運んでる最中なんだ。もともとは別の街の会合に出席してたんだが、その爺さん、急に顔色を変えて『大急ぎで本社に戻らなきゃならん! 今すぐ船を出せる奴はいるか!』とか言い出してさ。いつもなら違うルートを通ってるんだが、急遽貸し切りでこっちに来たんだよ」
「あー。……カネならいくらでも出すから早くしろ、って手合いか?」
「そうそう、それさ。んでまあ、不慣れな地だろ? 言われるがままに突っ切った場所が、よりによって大砂蟲の巣の真横でよ……このザマだ」
「砂蟲の群れを思い切り刺激しちゃったわけか。ムチャな仕事を振ってくるカネ持ちってのは始末が悪いな」
「いや、まったくだ。ははは」
やや疲れた顔をして船長が笑った。俺もそれに追従しようとして、ふと笑いが止まる。
「……いや、おい、ちょっと待て。真横だと?」
「ん? そうだが」
「"真上"じゃなくて"真横"?」
「そうなんだよ。知ってるか? 大砂蟲って普段は地中に巣を作ってるんだが、この時期だけは頑丈な洞窟に住処を移して――」
その瞬間、俺は一直線に甲板の端へと駆け出していた。そのまま身を乗り出してメルネスの姿を探す。
地表では、ちょうどメルネスが砂丘の中ほどに落ちた小柄な女魔術師を抱え上げたところだった。本来のあいつなら1秒で甲板まで飛び乗れるところだが、戦闘中に俺が出した『ちょっと苦戦しているように見せかけろ』というアドバイスを律儀に今でも守っているのか、わざと疲労した演技を織り交ぜ、のそのそとこちらへ戻ってくる。俺は声を張り上げた。
「――メルネス、もういい! そいつを抱えて全力で戻れ! 今、すぐに!」
メルネスがこくんと頷き、彼本来の機敏さで空中を駆け上がる。びゅおん、という音とともに翡翠の旋風が甲板に着地した。
「なにかあった?」
「大物が来るぞ、構えろ!」
「おい、今あんたメルネスって……いやそれより、"大物"ってまさか――」
――ドシャン!
船長の声を遮って、砂丘の一つが大爆発を起こした。
いや、本当に爆発したわけではない。ひときわ巨大な大砂蟲が、砂の中から凄まじい勢いで飛び出してきたのだ。船長もようやく事態を把握したのか、悔恨のうめきを漏らした。
「……そうか。そうだよな。こ……こいつが、いたか……!」
「ああ。手下がやられたんだから、"女王"だって怒り狂うに決まってるだろ……!」
ゆっくり首をもたげた大砂蟲が、甲板上に立つ俺たちを見下ろす。体長も、胴の太さも、先ほど倒した雑魚どもの3倍以上ある。砂の中に埋まっている部分も含めれば、全長は軽く100メートルを超えるだろう。
俺たちの前にいるのは、『
「この時期の大砂蟲は頑丈な洞窟に住処を移す。女王の産卵のために、な!
……くそっ、どんな急用があったのか知らんが、そんなデンジャーゾーンを横切らせるなんて正真正銘のアホだろ、その金持ち……! おいっ、全員耳を塞げ!」
『キ――――キキキキギギギギギギ――――!』
「うおおっ……!?」
女王蟲が、ガラスを引っ掻いたような凄まじく不快な鳴き声をあげた。船長がたまらず耳を塞ぎ、甲板に倒れ込む。
《パニックボイス》と呼ばれる女王特有の行動だ。同族に対しては攻撃や防御の指示に、そして異種族――つまり敵――に対しては、それ自体が強烈な音波攻撃となる!
「……まあ、俺には効かないんだけどな! 《
――ヴン!
俺が呪文を放つと、とたんに《パニックボイス》が止んだ。
《音速歌》。
その名の通り、シルフの力を借りて大気を振動させ、超音波をぶつける呪文だ。本来ならば攻撃呪文として用いるのだが、それ以外にも用途がある。
それがこれ、《音波攻撃無効化呪文》としての使い方だ。何が起きたかも分からず隣で呆然としている船長に、一応説明してやる。
「音っていうのは空気の振動現象だ。つまり、相手が出しているのとまったく同じ振動……同じ音をコピーしてぶつけてやれば、特定の音だけを完全に中和・相殺することができるって事だ。よくある、クラシックな手さ」
「……それ、言葉で言うほど簡単か……!?」
「ところがどっこい、俺なら出来てしまうんだな。なにせこのレオ・デモンハート、コピーだけは昔から大の得意技で――おおっと!?」
《パニックボイス》の効きが悪い事を察したのだろう、女王蟲が地中に潜ろうとする素振りを見せた。船が止まっているのをいい事に真下から体当たりをかまし、船を転覆させようという腹づもりらしい。
野生の本能に従ったのだろうが、良い判断だ。俺一人ならいくらでも対処しようがあるが、ギガント級のバカでかい船体を守りながら地中からの体当たりを完全に防ぐ手段があるか? と言われると、正直かなり厳しい。
……が、残念なことに、女王蟲の行動は何手か遅かった。
魔王軍最速の少年と競争するには、あまりにも。
「――《
《
メルネスが独自の詠唱とともに指先を動かし、何かを放り投げるような動きを見せる。
その途端、女王蟲がビクリと大きく痙攣し、動きを止めた。見えない荒縄でキュッと締め上げられたか、さもなくば、巨大な杭で地面に磔にされたかのようだった。
「お前に恨みはない。悔やむ知性があるなら、僕に戦いを挑んだ事を悔やめ」
熟練の魔術師が《
《九影針》――
この術は
「変に動かれると面倒だ。船は俺が守る、本気で行け! 瞬殺しろ!」
「わかった」
メルネスが甲板から飛び出した。流星のように空を駆け、女王蟲の上に回り込み、緑の外套をはためかせながら真下へ急速落下する。
両手には彼が愛用する双短剣、《
メルネスが両腕を振りかぶり、斬撃の姿勢を取り――――。
「おわり」
次の瞬間には、ふわりと俺の横、砂航船の甲板に着地している。
「え?」
船長がメルネスを見、止まったままの女王蟲を見、もう一度メルネスを見た。
それを無視して、風の化身が《風神剣》を両腰の鞘に納めたと同時――。
一瞬の交錯で、十六回。
魔王軍最速の斬撃を受けた女王蟲は無数の肉片に分解され、その死骸がばらばらと夕刻の砂漠にばらまかれた。
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「……まさかアンタが、あの勇者レオとはな。しかもあっちは"あの"メルネスか……あんなに若いとは知らなかった」
「色々あってね。たまたま近くで休憩してたらこの船が襲われてるのが見えたもんだから、とりあえず助けに来た次第だ」
「恩を売るつもりで、か?」
「うん」
鋭い目つきの船長に対し、こちらは平然と頷く。
「魔王軍も趣旨替えしたんだ。これからは人間たちと仲良くやっていきたいから、とりあえず人を助けて恩を売っていく事にした。……信じるか?」
「……ハハハハ! 正直なやつだな、気に入ったよ勇者レオ。信じよう!」
船長がさも愉快そうに大笑いした。
狙い通りだ。ある程度の話術、そして人を見る目があれば、最初に会話した時点で『この男には小細工なしで挑んだ方が好感度を稼げる』ということが分かっただろう。
ボディタッチが多い。話す時にまっすぐ人の目を見る。戦いが終わって間もないというのに、危険な甲板に出てきて、助けてくれた俺たちに礼を言う――考える前に身体が動く、嘘がつけないタイプなのだろう。そう見込んだからこそ俺も誤魔化す事なく、ハッキリと正体を伝えたのだが、正解だったらしい。
「ああそうだ、丁度いい。アンタと話したいって人がいるんだ。まさかこんなところで会う事になるとは、本人も思ってなかっただろうが……」
「俺と話を? おいおい、世間じゃ指名手配されてる身だぞ? いったい何の話をするってんだ?」
「まあ、安心してくれ。悪い事にはならんよ、多分。すぐ呼んでくる」
船長がドスドスと音を立てて船室へ向かっていった。
はて……? さっきの話によると、この船は商人ギルドのお偉いさんが貸し切りにしているらしい。しかも今の口ぶりだと、その『俺に会いたがっている誰か』は、この船を俺が助ける・助けないに関係なく、最初から俺にずっと会いたがっていたように聞こえる。
……アダマンタイトの噂をいち早く聞きつけた、闇商人かなにかだろうか?
法外な価格で粗悪な原石を売りつけられたりするのかな……いくら何でも嫌だぞ、それは……。
「……まあ、いいか」
誰が来るのか大いに気になるところだが、今の俺にはもっともっと重要なことがあった。俺は船首付近に立ち、のんびりと風を浴びているメルネスにゆっくりと歩み寄った。
「やあメルネスくん、お疲れ様。実に良い仕事っぷりだったよ。それで……君に、折り入って聞きたいことがあるのだがね」
「なに?」
「君、クイーン大砂蟲を倒す時、ふつーに《
「使ったね」
「……あの巨体を、音速でめった切りにしても、ヒビが入って耐久度残り1状態の《風神剣》がブッ壊れる様子はなかったように……見えるんだがね?」
「そうだね。特に壊れてない」
「――――どおーいう事だテメー!」
どん、と甲板を踏みつけ、メルネスに食ってかかる。
「その剣が! 超絶レアアイテムの《風神剣》が俺のせいで壊れそうだっていうから、わざわざ今回の旅に出たんだろうが! 話が違うじゃねーか!」
「ぜんぶ嘘だからね」
「はあ!?」
「そもそも壊れないもん、これ」
ひゅん、とメルネスが鞘に納めた風神剣を引き抜き、左右交互に一回転させた。
その刀身にはヒビ一つなく、鍛え上げた直後の新品のようにキラキラと輝いている。
「この剣は、シルフの加護を受けている。風の魔力さえ供給されれば、柄も、刀身も、たちまちに無傷の状態まで復元するんだ。使いすぎればヒビが入ったりはするけど、僕が使う限り耐久力は実質的に無限だ」
「……そういえばお前の《無影》と《朧火》、どっちもシルフ由来の術か」
「そう。僕が戦う時は常にそのどちらかを使っているから、この……なんとかエッジにも常時魔力が供給される。というか今回の場合、お前が《
「あの時か……」
確かに、《音速歌》はシルフの力を使う。あの時は船を守るようにして振動領域を展開させたから、メルネスの周囲にもまた、ありったけの風の魔力が漂っていたはずだ。
く、くそー……得意げになって船長に解説していなければ、《風神剣》の様子に気づけたかもしれないのに……俺としたことが、まんまと騙された……!
「そんな武器だから、これは絶対に壊れない。お前に見せたヒビなんて、本来なら損傷として数えるのも馬鹿馬鹿しい類のものだ」
「あのさあ……じゃあ、どうして……」
もしこの場に鏡があったなら、心底呆れた顔の俺が映っていたことだろう。
《風神剣》のトリックを見抜けなかった俺もアホだが、それにもましてアホなのはこのメルネスというやつだ。じゃあこいつ、何のためにわざわざ人間たちの町に乗り込んだんだよ……。
「――旅に出たかったんだ」
「あ?」
風に煽られるまま外套をはためかせ、砂漠の彼方を見ながらメルネスが言った。
「僅かな時間。本当に僅かな時間だけど、お前といっしょに過ごして、人との話し方とか、食堂でのバイトとか、知らない世界をたくさん見ることが出来た。なら城を出て、お前といっしょに旅ができたら……もっと色々な、見たことのない風景を見れるんじゃないかと思ったんだ。だから、ちょっとだけ城から連れ出してみた」
「《風神剣》のヒビはただの口実、ってわけか」
「そう」
両手の短剣を鞘に納め、特に悪びれた様子もなく頷く。
「おかげで、色々なところに行けて楽しかった。魔石商会とか、普段は絶対行かないところだしね」
「……このクソガキが……」
「迷惑だったか」
「……いいや。ただ、次からはもっと素直にデートに誘え。わかったな」
「わかった」
「おーい! レオ!」
「ああ? 今度は何だよ、もう……」
メルネスに説教する間もなく、今度は背後から声がかかる。おそらく、船長が呼んできた『俺と話したがっている奴』だろう。
溜め息をつきながら振り向くと、そこには恰幅の良いヒゲの老人が立っていた。
「……うおお!? トーマス!?」
「おお、俺だ! 久しぶりだなあレオ、四年ぶりか? いやもっとか? お前は何年経っても全然老けんなあ、羨ましい!」
その老人には見覚えがある。
アダマンタイトを求める今回の旅で最初に立ち寄った、トーマス魔石商社の元社長。
商人としては既に第一線を退きながらも、未だに様々な手で自分の会社の業績アップに精を出している男。
駆け出し商人の時に俺が助けてやり、それ以来六十年間、俺の友人で居続けてくれている男……トーマス・ウィクソンその人だった。
「な……なんでお前、こんなとこに……」
「そりゃこっちの台詞だ! 商人ギルドの会合に出てたら、急に本社から連絡があってよ。『あのレオ・デモンハートがアポなしで会長を尋ねてきたので、とりあえず通報しておきました』――ときたもんだ。ふざけんなバカ野郎、あいつにどれだけの借りがあると思ってんだ、すぐに戻るからアダマンタイトでもミスリルでも手配してやれ、レオにごめんなさいしてお茶でも飲んで待ってて貰え、と言っておいたのよ」
「あ、ああー……なる、ほど、ね……」
「まあ、こんなところで会うとは思わなかったがな。お前が来なかったら危うく死ぬところだったわ! ハハハハ!」
口を半開きにしてこくこく頷きながら、俺は先ほどの船長との会話を思い出していた。
――この船、とある商人ギルドのお偉いさんを運んでる最中なんだ。
――その爺さん、急に顔色を変えて『大急ぎで本社に戻らなきゃならん!』とか言い出してよ。急遽貸し切りでこっちに来たんだよ。
……来たんだよ。来たんだよ。来たんだよ……
「……おいこら。トーマス」
「なんだ?」
「お前はバカか! いくら急いでるからって、産卵期の
「いいじゃないか別に! 前から言ってるが、商人ってのはスピードが命なんだ! 考えたらすぐに行動する、商機は決して逃さない。俺はそうやって商人ギルドの第六位、トーマス魔石商会の地位を築き上げたのよ!」
「はぁ~~~……そうかよ。ありがとうよ」
「で、アダマンタイトが欲しいんだろう? アレは高価すぎて買う奴も少ないから、正直言って在庫がダブついて困ってたんだ。お前なら破格の38%引き……いや、41%引きで手を打とうじゃないか。どうだ!?」
「分かってる、分かってるよ。商談は船の中でゆっくりやろうぜ、トーマス」
「……ねえ、どういう事?」
とことことメルネスが寄ってきて、説明しろと言いたげに俺の脇腹を小突いた。
「お前の知り合いみたいだけど。何がどうなってるのさ」
「そうだな……話せば長いんだが、一言で説明すれば、だな」
"人助けに見返りを求めるな"。
さっきメルネスに話した時は、正直言って偽善もいいところだと思っていたんだが……今なら自信を持って言える。
「"求めるならば、まず与えよ"。無償の人助けこそ、大きなリターンを得るための最大の近道だ――ってところかな」
「……?」
日没後の砂漠の涼しい風が、俺とメルネスの間を駆け抜けていった。
勇者、辞めます ~次の職場は魔王城~ クオンタム @Quantum44
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