第8話 騎士になると宣言する
(九)アギト
夜も明けていた。
早朝にも関わらず食堂は戦でも始まるのかという喧騒の中にあった。
いや、既に戦争は始まっているのかもしれない。
アギトは治療室で目の前にした光景を思い出しながらも、食事を採る手は止まらない様子だった。彼はすっかり二つの魔法に心を奪われていたのだ。
一つは癒しの魔法。
アカーシャの手に握られた香草は瞬く間に光の粒子になってサヤの体に降り注いでいった。その手のものが失われるたびに再びポーチから一房の香草を取り出す。繰り返すことおよそ30回。儀式は淡々と進行いく。
儀式のことはさっぱりだけれど、アカーシャが成し遂げようとしていることは理解できた、
なぜなら、ベッドに横たわる少女の体からみるみる傷跡が消え去っていったのだから。
アカーシャの手が止まるとき
深々と切り裂かれた少女の体は以前の姿を完全に取り戻していた。
生気を失った青白い肌もやがて赤みを取り戻して、気が付けば少女はスヤスヤと気持ちよさそうに眠っているではないか。
「多く血を失っているコトには変わりませんから、気が付いたら温かいワインでも飲ませてあげるとよいのデス」
少女の笑顔には、やり遂げた仕事への満足感が溢れていた。
「よかった。本当に良かった……」
彫刻のように固まり、心を失ったかのようなアギトの表情もようやくほぐれ、赤みが差した顔は今にも泣き出しそうだった。
だが、涙よりも先にグゥゥゥゥゥと腹が鳴ってしまい、その場にいる全員が笑い声をあげることになってしまった。
もう一つの魔法。
それは彼女が残した刺激的な香草の香りだ。傷の癒えたサヤを見て安心したこともあったのだろう。アギトはその刺激が呼び起こした猛烈な食欲に襲われていたのだ。
「フフフ、傷を癒すコトと食事を採るコトは表と裏デス。皆様もお疲れの様子ならば、とっとと飯の支度をするデス」
アカーシャはそういうとフラフラと部屋から出ていってしまう。
額には汗が光る。
「俺は、飯時くらいしかゆっくり休めそうにないからな。食事の支度をさせるから、そのときにまた再会としよう」
そしてエイギスは政務へと戻り、男爵も消えていった。
◇
アギトがサヤの傍を離れ食堂に移る頃には、未明にもかかわらず机の上に次々と料理が運ばれてきていた。
やがて食堂は腹を空かせた騎士と兵士で溢れかえり、遅れてエイギスも現れたのだった。
そこに運ばれてくる料理はどれも家畜の臓物を使った料理だった。
この地方では秋口になると冬に備えて保存食の製作が盛んになる。
その際に生まれる大量の臓物はこの季節の名物となる。
特に今年はスコルピオ公領からもたらされた数多の香辛料により例年とは比べ物にならない美味に調理されていた。
臓物スープの初めの一杯を食べ終わるまで、アギトは一言もしゃべる余裕がなかった。
魔法を始めてみた感動と空腹が彼を完全に支配していた。
続いてサケの臓物を使った臓物パイに手を付けるころになってやっと雑談にも血が回るようになった。
「ルシオという男は信用できるのかな」
アギトは問う。
エイギスは食堂の長机の一角に座り、対面に座る少年と古い親友のように会話を楽しんでいた。
「ロサンラン男爵。『呪われた子』、スコルピオ公爵の外交特使で実のところは公爵の庶子だと言われている。あの通り不気味な男で、よくない噂も耳にするが外交官としての腕は一級品だと父から聞いている。人間性はともかく、その能力は信用していいと思う」
「彼のおかげでサヤが助かったのだから、俺は感謝してもしきれない立場にあるよ。だけどさ、エイギス。君はアイツに何か取引を持ちかけられたりはしていないのか」
「大丈夫だ、何もないさ」
よどみなく答えるエイギスは、本当に何も気にしていない様子だった。
だが、そこに割って入る声があった。
「そんなことないですよぉ。もう、公子様ったらすっかり特使様のいいなりで。いずれはこの国を継がれる方が、初対面から丸め込まれるなんて情けないことです。アギト君もガツンと言ってくださいね」
突如、アギトの知らない少女がそこに現れた。
気を遣ってか誰も座ることなく空いていたエイギスの隣にどんと腰を掛けたのは、アギトと歳の同じくらいの少女だ。髪の色はこの国に比較的多いブロンド。短髪で腰に剣を下げているところを見ると彼女もまた騎士なのだろうか。
「何だお前か。ということで一応紹介だけはしておく、彼女は女騎士ポーリン。女騎士マーレンデの使いパシリだ」
エイギスは彼女の言葉など興味なさげに淡々と少女を紹介する。
女騎士マーレンデの名前は治療室で何度か聞いた。
今、この城にいる騎士では最高位の人物だ。
「いや、私。パシリなんかじゃありませんから。今ではマーレンデ様の懐刀って奴ですよー。そして、今じゃすっかり城主気取りで周りの意見に耳を貸さない公子閣下に忠告できる数少ない忠臣のひとりです。アギト君聞いて下さい。公子様ったら大事な証拠品である暗殺者の得物を特使様に渡しちゃったんですよ、あり得ますか、普通。あ、はじめましてだっけ。アギト君。私の方は君のことよく知ってるから、馴れ馴れしくしちゃったかも。ごめんね」
ポーリンという少女にとって、初対面という言葉は全く意味を持たないようだ。少年のとまどいなどお構いなしに一方的にしゃべりたいことをしゃべる。
「違う。男爵にではなく、あのアカーシャという女術師にだ。サヤの怪我について調べたいということがあるというので貸しただけだ。すぐにでも返してもらうさ」
「ふむ。柄のところに随分と丁寧な蛇の彫り物がありましたよね。アレなんか、黒幕を暴くためのすごく重大なヒントかもしれませんよ。そんなものをホイホイ渡しちゃっていいんですかねぇ。アギト君だって気になるよね。あの暗殺者が何者か」
自分のポジションをイマイチ掴めないアギトはとりあえず小さくうなずく。
「バカか。暗殺者が自分の出自の手がかりを易々と残すわけがないだろう。それにあれは蛇でない。蛇遣いの紋様だ」
「なるほど。蛇遣いの紋様ですかぁ。お詳しいですけど、でもそれって公子様の知識じゃないですね。それこそ特使様に教わったのかな」
エイギスはめんどくさそうに「ああ」とだけ答える。
「あ、あの。蛇遣いの紋様ってどういう意味があるのかな。それに蛇ならわかるんだけど、蛇遣いってあまり聞かないな。こっちの方ではそういう仕事が流行ってたりするの?」
エイギスとポリーンの痴話喧嘩を眺めていても良かったが、政務も忙しいはずだ。いつまでもこうしているわけにもいかないだろう。アギトは話を進める方向に務めることにした。
「ああ、アギトだってもう簡単になら
教会と十二王家。
「その十二の王が争って最終的に世界を再統一したのが今の皇帝家ってことだよね」
「ああ。残りの王家の直系は途絶えたが、帝国の貴族は八公も含めて皆すべて、十二王家の血が混ざっていると言っても過言ではない。しかし、実は始め王は十三人いたんだ。サーペンタリウス王国と呼ばれた十三番目の王国は魔神の力を借り、『教会』に反旗を翻し、敗れ去った。そのために歴史から抹消されたというわけさ。それ以来、蛇遣いの紋様は反『教会』のシンボルとして用いられる」
「サーペンタリウス王国の遺領は二つの州に分割され、今ではスコルピオ公の支配地域ですね」
ポーリンは今回の事件とスコルピオ公爵が関係あると言いたいようだった。
「おいおい。それこそ、そう思わせたい第三者の仕業かもしれないだろ。俺は特に深い意味はないと思うけどね。南方に行けば反『教会』の俺ってカッコいい程度で蛇遣いの刺青彫ってるような輩もいるくらいだ。何しろ400年も前のことだ。何が真実かなんてもう誰にもわからないし、関係者も生きてはいまい。暗殺者の目くらましには丁度いい」
「確かに八公家の中でも、我が公領は『親教会派』が多い地ではあります。しかし、だからといって反教会のシンボルがなぜ我々に向けられたのか、しっくりこないですよ。全く別の意味があるのではないかとも勘ぐってしまいます。まあ、サヤちゃんが弟君の命の恩人なのは分かりますが、それはそれ。これはこれ。あまり他国の要人に隙を見せないでくださいね」
「みせてねーし。暇人はさっさと飼い主のところに戻れよ」
「何いってるんですかぁ。公子様が仕事を押し付けてるからマーレンデ様は食事の暇もないのですよ。つったく、いつまで食べてるんですか」
「わかった、わかった。お前はともかくマーレンデには悪いと思っているからな。お前のせいで貴重な食事の時間が削られてるんだけどな」
「ゴメンね。アギト君。邪魔をするつもりはないんだけど、公子様はすぐ調子に乗るからさ。アギト君も言いたいことは遠慮なくなく言った方がいいよ」
ポリーンはそういうと最後に
「特にあなたにしか言ってあげられないことはね」
と付け加えた。
エイギスは不機嫌そうに目の前の料理を一気に腹の中に流し込む。
ポリーンは彼を優しく見つめている。
「あのう、随分と仲がいいですね」
「ああ、歳が近いから自然とね。腐れ縁って奴よ」
「俺と同じくらいの歳で、それに女の子なのに、騎士ってすごいですね」
「ふふ。カプリコーン公国にはすごく保守的な国でね。女騎士も数えるほどしかいない。その中でも五大騎士の一人に名を連ねるマーレンデ様は私の憧れなの。今の私があるのはマーレンデ様のおかげ」
楽しげに語るポーリン。ここで彼女に出会ったのは偶々であったけれど、その言葉がアギトの決意の最後の一押しとなった。
アギトはおもむろに立ち上がるとエイギスに向かって宣言s塗る。
「エイギス、聞いてくれ。お前が忙しくしている今ここで必要のないことかもしれないけど、俺はサヤの苦しむ姿を見て決意したんだ。俺は騎士になるよ。俺はみんなを守る力を手に入れたい」
突然のことに驚いたエイギスだったが、アギトの言葉は意外ではなかったようで、用意していたかのように一つの問いかけを口にした。
「騎士になりたいという夢は誰しもが一度は見る夢だと思う。だからあえて聞く。騎士じゃないとダメなのか。力を持つだけならいくらでも方法はある。それこそあのロサンラン男爵のような生き方さえな。お前がこの国で見たものだけが全てじゃないぞ」
「俺は自分の居るべき場所が欲しい。だけど、それだけじゃない。今は離れ離れになってしまった仲間が再び集うことができるような場所がなくちゃダメなんだと思う。俺は仲間を守りたいし。彼らの居場所を守りたい。俺は国を守る騎士になりたいんだと思う」
「わかった。なぜ騎士になるのか、そう問いかけるのはきっと俺だけじゃない。その時々、お前の答えを確かめていくことだ。しかし、騎士になるのは容易じゃない。平均しても、そうだなざっと10年の修行が必要だ。従士になるまで5年。従士として騎士に着いて5年ってとこだ。もちろん、俺は今すぐにでもお前を騎士にしてやることができる。でも、アギトが目指しているのはそんなものじゃないんだろ」
アギトは黙ってうなずく。アギトが求めているのはただの称号などではない。
「アギト君。私も応援してるよ」
ポリーンはアギトの両手を握ると、ぐっと握りしめた。
馬鹿にされるのではと内心は動揺してた。
そんな気持ちを引き締めてもらった気がした。
自分でこうして宣言したんだ、無様な姿は見せられない。
「よし、アギトのことはマーレンデに任せよう。ポーリン頼むぞ。俺が考えていることくらいお前には分かるよな。俺はすぐに広間に戻って指揮を執る」
エイギスは夢が1つ叶ったかのように面々の笑みで食堂を後にした。
興奮が抑えきれないアギトは尻もちをつくように椅子に腰を落とすと、何杯も何杯も鍋のスープを飲みほした。
すべてが前に進むかに見えたその瞬間、アギトは再び元いたあの場所へと引き戻される。
食堂に現れたのは取り乱した様子のホオズキだった。
アギトに代わって、サヤの看病をしていたはずだが……全身を悪寒が襲う。
「た……大変だよ。サヤの様態が急変した……」
異世界だからと調子に乗らず堅実に騎士を目指す まめたろう @mame-taro
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