第7話 友を見舞う
(八)エイギス
沈黙の中にあった治療室は、訪問者により、やにわに騒がしくなった。
「狭い部屋に何人も引き連れてきてしまって、すまんな」
先頭に立つエイギスは部屋着姿から板金鎧の完全武装へと姿を変えていた。後ろには、同様に重武装の男が二人控えている。
エイギスは部屋に入るなり隅のベッドに目を向ける。
そこにサヤが生気を失ったような白い顔で眠っている。
傍らにいるアギトはそんな彼女をただ見守る事しかできない。
「サヤの様子はどうだ」
「あとは本人の生命力次第だと治療師の方は言っていました。血を多く失いすぎているとも……」
アギトは力なく答えた。
エイギスも掛ける言葉が思い浮かばない。
「弟は薬で無理矢理に眠らせた。朝までは騎士が直接護衛についているから、こっちは安心していい」
暗殺者の目的はディアンドであり、おそらく八公会議に向かった公爵に揺さぶりをかけるためではないかというのが専らの予測だった。
サヤの活躍により、その目的が阻止されたのだということは誰もが認めるところだ。しかしそんなことはこの少年には何の慰めにもならないのだろう。
「こいつらは、騎士マンセルと騎士ブラーダ。護衛なんていらないと言ったんだがな」
エイギスは肩をすくめるが、二人の護衛は黙ったままだ。
とりとめのない会話しかできない。
何もできない無力感。それはエイギスもアギトと共有していた。
ただ一つ違うのは彼がすでに多くの死をその目にしてきたということだけだ。
エイギスは、十神に願いが届かなかったとき、どう少年を励ますかとそればかりに思考を巡らせている自分に気付き、自らを諌めた。
再び沈黙、続いてドアを叩く音がした。ドアを開けて現れたのは城の文官。
「女騎士マーレンデ様がご登城なされました」
「そうか。暫くは彼女に預ける。なに、長居をするつもりは無い」
文官はかしこまったまま、次の言伝を伝える。
「警備責任者の処遇はいかがするかと、騎士ドナワウ様が……」
「そんなものは落ち着いてから考えればよいことだ。今回、殉職した衛士たちの家族へは可能な限り手厚い待遇をしろと伝えておけ」
エイギスはうんざりとした様子でそう言い放つ。
御意と頭を下げて、今度こそ文官は部屋を去っていく。
しかし、息つく暇もなく再びドアを叩く音と、廊下から現れる文官たち。
「殿下。今回の件、特別捜査官として騎士デュオワース様を選任したいとのこと。決済願いますか」
「マーレンデに委ねたはずだが」
「特別捜査官への選任は公子様でなければできません。また、デュオワース様は直ちに城を発ちたいとのご意向でして……」
エイギスは了解し、必要な書面への署名を終える。
今城の下から上まで蜂の巣を突いたかのような騒ぎの中にあった。
「すまんな。俺がここにいるだけで随分と煩いようだ」
エイギスはアギトに頭を下げる。
エイギスもこの場で自分にできることはない。それは良く分かっていた。
では、なぜ自分はここにいる。
弟の命の恩人への義理を果たすためか。違う、自分はここで何かをしたいのだ。
だが、俺にしか出来ないことが城では山積みになって待っている。
「これ以上、この場を騒がすわけにはいかないな、失礼する。十神の加護の有らんことを」
エイギスはモヤモヤを抱えたままにその場を去ろうとする。
それを遮ったのが、
「またか」
感情をぶつけるように乱暴にドアを開けるエイギス。しかし、そこにいたのは意外な人物だった。
「私にも異国の少女を見舞わせてくれませんかな」
一人は白いローブを着た男、フードを深々と被りその顔は見えない。
もう一人は、赤毛の若い娘。
二人とも見た目は派手ではないが、その装束はいずれも随分な高級品だった。
「特使殿。何故こんな場所に」
エイギスは意外な来客に心底驚いている様子だった。
ローブの男は、一本の瓶を取り出すとエイギスに押し付けるように手渡す。
「スパイスワインだよ。高級なものではないが温めて飲めば血の代わりになる。古い迷信だがね」
「今ここにあるのは、極めてプライベートな問題です。特使殿が興味を持つようなものなどありません。早く寝室にお戻りください」
男はドアを閉め拒絶の意思を示した。
「殿下。外交官という者はみな独自の情報網を持っているものです。この城で何があったか程度のことはもうすっかり把握しているのですよ。私がここにいるのも極めてプライベートな動機からです。ここはオープンに行きましょう」
二人の来客が加わったことで、この狭い部屋に7人もの人間がいることになる。すっかり息苦しい雰囲気だ。
「その人は誰なんですか」
アギトが怪訝そうに尋ねる。
その問いにはエイギスよりも先にローブの男が答える。
「申し訳ない異国の少年。私はスコルピオ公爵の外交特使、ルシオ・ロサンラン。一応男爵ということになっているが、ルシオと呼んでくれれば結構だよ」
アギトは黙って答えない。
男が何者だろうと今は他人を構っている暇などないという表情だ。
「特使殿いや、ロサンラン男爵。事情が分かっているのなら、尚のこと、この場は二人だけに」
エイギスはそういって二人を部屋の外へと誘う。
ルシオは確かにアギトたちを異国の少年、少女と呼んだ。どうやらその辺のことも独自の情報網とやらで把握済みであり、もしかしたら何かを企んでいるのかもしれない。
警戒しすぎるということもあるまい。
「ささ、それともどうしても話がしたいというのであれば、私に着いて広間に来られますか」
そういって迫るエイギスをひらりと躱し、ルシオは部屋の奥にいるアギトに向かって一気に歩み寄る。
「顔を見せないのは、無礼、不気味、不躾だろうかね。別に私は奇異の視線を向けられることには慣れているのだよ」
アギトの眼前にまで顔を近づけると、ルシオはフードを脱ぎ、その顔を晒した。
「えっ……」
アギトは思わず飛び出しそうになった声を押し留めるので精いっぱいだった。
ルシオの肌は病的なまでに白かった。
雪の色というよりは凍死者の色。すべての熱を奪われたかのようで、人をひどく不安にさせる。
その髪もまた老人のように真っ白であり、その眼だけが鮮やかな紫色に不気味に輝いている。
その顔は青年のようであり、老人のようでもあった。
「アハハハハ。驚きましたか。魔女の血のせいだと言われますけれど、私は魔法など使えませんよ。父も母もです。迷信ですよ、全くの」
赤毛の女は、驚いたアギトの顔を指差してケラケラと笑っている。
ルシオはいつの間にか取り出した袋をそっとアギトの手の上に置く。
「コーヒー好きと聞きましたのでね。とっておきの豆を用意しました。挨拶代わりに受け取っていただけますか」
「な、なんなんだ。アンタは」
アギトは思わず声を上げるが、激昂したというよりは動揺したという方が正しい。
「ロサンラン男爵も悪ふざけをしたいのなら、すぐにここから出て行ってください」
エイギスもすかさずフォローに回る。しかし、ルシオは動揺する様子もなく
「いつもこの姿を見ると驚かれるのです。たまには、こちらから驚かせてもいいでしょうよ。」
ルシオは不敵な笑みを漏らすばかりだ。
「まま、キミ達。ルシオちゃんの話を聞いてあげようじゃないですか」
赤毛の少女が場違いな可愛らしい声を漏らす。
「私はね、貴方たちが抱いている迷信から、貴方たちを解き放ってあげたいのですよ」
「要領を得ませんね。これ以上の問答は無用では……」
相手の身分を慮っていたエイギスもいよいよ我慢の限界のようだ。
だが、それでもルシオは表情を変えない。
「そうですね。ゲームをしましょう」
と呑気なことさえいう始末だ。
「もし、貴方たちが私をこの部屋から追い出せたのなら貴方たちの勝ち。私はこれっきり退散します。逆にそれができなければ、私の勝ち。この趣味の悪いおしゃべりに最後まで付き合ってもらいます」
「私と男爵が一対一で勝負する。そういうことですか?」
「いいえ。殿下の後ろにいる屈強な護衛の方を使っても、何を使っても構いません。ちなみに私は刀剣の類を持っていませんし、実をいうと子供のころに大怪我をして片足が不自由なのです」
エイギスはいよいよルシオという男の真意が分からなくなっていた。
「それならば、ゲームになりませんね」
「いいえ。私には一つだけ武器があります。それは言葉です。話術じゃありませんよ。私は真実しか言いません、まあ、ほとんどの場合」
とっておきのジョークのつもりか、ルシオはゲラゲラと音をたてて笑う。
つられて赤毛の少女のケラケラと笑う。
やがてルシオが指を立てると、沈黙が訪れる。
「私の連れである彼女は、香草の魔術師アカーシャ。私が直接目にした中で五本の指に入る屈指の治療魔術師ですよ。教会への中世が篤いカプリコーン公領では、魔術師を公に雇うことは禁じられている。それが仇となりましたね。異国の少女を助けるためならどうぞ彼女の力をお使いください。いまここで対価などは求めませんよ。友人が困っているのであれば、助けるのは当然のこと。私が言いたいのは、外交官が嘘つきで不誠実だというのはとんだ誤解で、くだらない迷信だということです」
ルシオは勝ち誇った風で周囲を見渡すと、隣にいる少女の背中をポンと叩いた。
赤毛の少女は照れ臭そうにぺこりと頭を下げた。
「さて、私たちをこの部屋から追い出せますか?」
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