第6話 人を殺める

(六)サヤ


「男の子って細くて長い棒があると振り回さないと済まないのかしら」


 サヤは内心、アギトが剣を振るうことに反対だった。

 勿論それがただの趣味なら口を挟む問題じゃない。

 だけど力を持つ者は必ず、力を行使せずにはいられなくなる。

 剣と魔法のファンタジーの世界だとしても、剣も魔法も手にすべきではないのだ。

 この世界のルールに染まってしまえば、ここが私たちの世界になってしまうような気がした。


 その懸念を除けば、異世界に来てから今日まで順調に物事は進んでいると思う。

 アギトにも随分と頼ってしまっている。それは、かつてのサヤではありえないことだ。

 決して他人を信じないことがモットーだった彼女が、今では二人の友人に背中を預けている。

 そして、参謀役という随分と楽な役回りを演じさせてもらっているつもりだ。

 家庭教師という立場を利用して、書物を通しこの世界の知識を蓄える。

 それがいつかアギトを助けることになればと願いながら。


 雲が月を隠した。

 闇が深くなる。

 ディアンドの部屋はすぐそこだ。

 開いた扉から洩れる光がサヤをいざなう。


「おまたせ、ディアンド」


 サヤの思わず緩めた表情は、一瞬で凍りつく。

 彼女が見たのは、部屋の隅で怯える少年と、揺らめく黒い雲のような塊。

 やがて、それがボロ布を纏った人間だと理解しても、なお、人の発する気配のようなものが感じられなかった。

 何が起こっているかは理解できなかったが、何が起こるかは理解できた。

 ディアンドが怯えた眼でサヤを見つめた。

 それは突如訪れた決断のときだった。


 サヤがアギトに着いていこうと決めたあのときのこと。

 それは校舎がこの世界の飛ばされた、すぐ直後のことだった。

 共同管理が決められた食料をこっそりと盗み出したクラスメート、それが露見し吊るし上げられた時のことだ。

 多くの生徒が彼に対する厳罰を求め、残りの生徒は沈黙した。

 主流派が決めた処分はあまりにも重すぎる、そう考えたのはアギトただ一人……ではなかったはずだ。

 沈黙した生徒たちの多くは、厳罰を唱えた生徒たちの中にさえ、同じ考えの人間が多数いたはずだ。

 しかし、誰も声を上げなかった。

 上げれば次にその矛先が自身に向けられることを理解していたからだ。

 それが出来たのはアギト、彼一人だったのだ。

 なぜ、あのときのこと思い出したのだろうか。おそらくそれは自分を鼓舞するため。

 サヤは、勇気を持たなければならない。


 サヤは、ディランドの眼をしっかりと見つめ、首を縦に振った。

 ディランドはサヤを信じて一直線に駆け出した。

 それを追う黒い影に向かって、サヤはコーヒーポットを乗せたトレイを思い切りぶつけた。


「熱膨張でどうにかなれば、いいんだけど」


 もちろんそんな都合のいい話は無い。黒い影はほんの一瞬だけ怯み、次の瞬間にはサヤの方へと向かってきた。

 冷たい目をした男だった。その手にはサヤの掌よりも大きなナイフが握られている。

 サヤは咄嗟に幼い頃に習っていた合気道の構えを取る。

 素人の技術がどこまで通用するかは分からない。それでも3度呼吸をする間、立塞がることができればディアンドだけは助かるだろう。

 技をかける必要さえない。ただ一点に集中する。

 敵との間合い。

 間合いからわずか半歩でも距離を取れば攻撃が当たることはない。簡単な理屈だ。

 

「セェェェェェェイ」


 掛け声をあげるのは敵の呼吸を無理矢理にも引き込むため。

 呼吸を合わせる。

 敵がナイフで切りつける、その瞬間を狙って後ろに半歩後ずさる。

 上着が大きく切り裂かれる。だが出血はない。

 成功したんだと、安堵する。


「ディアンド。とにかく逃げて」


 声を上げるが、振り返る余裕はない。

 寸でのところで攻撃をかわしたサヤを見て、暗殺者の顔は笑うように歪んだ。

 暗殺者は得物の切っ先を八文字を描く様にゆっくりと動かしながら近づいてくる。

 二撃目、躱せるか。サヤは敵の構えるナイフに神経を集中させる。

 だが、その時点で勝負は決していたのだった。

 ガクリッ

 サヤは落ちるように片膝をついた。力が入らない。

 右太ももに激痛が走る。


「ア……アァァァ……」


 声にならない声。両眼から涙が溢れてくる。

 スカートを貫き、真っ黒に磨かれた鉄の刃がサヤの太ももに突き刺さっていた。

 右手のナイフに注目を集め、その隙に左手で投げナイフを抜き、放つ。

 プロの暗殺者なら造作もないことだった。

 暗殺者は追撃とばかりにサヤの脇腹を蹴りあげた。

 黒い霧のような存在に思えたそれだが、その蹴りからはしっかりと体重が感じられた。

 腹を押さえながら前かがみに倒れたサヤを、暗殺者は背中から切りつける。


「ジャマヲ シナケレバ コロシハ シナイ ヨ」


 それは本当に暗殺者の言葉だったのか。それとも幻聴か。

 背中が熱い。朦朧とする意識の中で、サヤはディアンドを探した。

 ディアンドが逃げた距離は僅かだった。

 首から下げた笛を必死に吹き鳴らしている。


 全ては無駄だった。

 黒い影は、一呼吸でディアンドの元に辿りつき、あの子供を殺すだろう。


 自分の命を懸けた行動もすべて無意味に終わる。

 とサヤが諦めたそのとき。


「おい、お前。何やってんだよぉ」


 アギトの声が聞こえた。


「お願い。ディアンドを連れて逃げて」


 サヤは自らの足に刺さった投擲用ナイフを引き抜くと、最後の力を振りしぼってそれを暗殺者に投げつけた。

 しかし、力なく地面へと堕ち、石の床を滑っていった。



(七)アギト


 雲が月を隠した。

 照明を持っていないアギトらにとって、月明かりは大切な光源だ。

 それが失われてしまった。

 アギトは、ふとトレイで両手が塞がっていたサヤのことが気になった。

 だから、備え付けの松明を手に取ると、すぐに彼女の後を追ったのだ。

 城の中層。公爵の家族が居住する区域。本来ならその入り口には衛士が見張りに立っているはずだった。

 ここを通ったはずのサヤは何も気づかなかった。

 だが、アギトは偶然、物陰に隠され衛士の死体を見つけた。

 その腰からゆっくりと鋼鉄製の剣を抜く。

 本物の剣を振るうのは初めてだった。


 背中を真っ赤に染めたサヤを見つけた。


「おい、お前。何やってんだよぉ」


 蠢く黒い影に向かってアギトは叫ぶ。

 アギトは右手に持った剣ではなく、左手に持った松明を暗殺者に突きつけた。

 暗殺者は逃げるように大きく間合いを取った。


「サヤ、大丈夫か、サヤ」


 返事はなかった。


「バカ。避けろ」


 ディアンドの声。

 暗殺者の左腕から黒い何かが発射された。

 咄嗟に反応したアギトは幸運にもその攻撃を躱したが、松明を床に落としてしまう。

 間をおかず暗殺者は一気に間合いを詰めて右手のナイフを突き出す。

 アギトは剣を両手で握りなおし、敵の攻撃を受ける。

 短剣対長剣のハズなのに、攻撃が重いのは暗殺者の方。

 暗殺者はアギトの剣を跳ね上げる。

 武器を失った瞬間、アギトは覚悟を決めた。

 だが、暗殺者は慌てたように振り替えるとアギトのことを無視するかのようにディアンドに迫った。

 暗殺者だけがこの場に駆けつけようとする増援の存在に気がついていたのだ。

 少年に向けられた一直線に向けられた刃を邪魔する者がいた。


「エイギス!」

「兄上!」


 エイギスは暗殺者に向かて怒涛の攻撃を加えた。

 暗殺者はその攻撃を捌くだけで精一杯の様子だ。


「エイギスは、本当に強い」


 アギトは痛感した。

 サヤは動かせる状態ではなかったので、彼女を守るように立った。

 エイギスは敵を圧倒している。このままエイギスが勝つのを待てばいい。

   

 「ディアンド。敵は投擲武器や爆発物を持っているかもしれない。壁の陰に隠れてじっとしてるんだ」


 アギトが指示するとディアンドはそれに従う。

 エイギスの剣が、暗殺者の右手を切り落とした。

 それでもエイギスは攻撃の手を緩めることなく、袈裟懸けに切りかかった。

 エイギスに油断などはなかったはずだ。


「くそう。呪術か」


 確実に暗殺者の体を捉えていたはずの一撃だったが、その体に触れるその瞬間、エイギスの剣は水面に映る残像のようにグニャリとその形を崩した。

 剣を振り切ると、再び剣を元の姿を取り戻す。

 しかし、この機会を暗殺者が逃すはずがない。

 暗殺者は不思議な体術で、エイギスの足を払うと、全体重をかけてそのままエイギスを床へと引き倒した。

 左手には投擲用のナイフが握られている。

 全力でそれを顔面に突き立てようと振り下ろす。

 必死に抵抗するエイギス。


 アギトは床に落ちていた血まみれの投擲用のナイフを拾うと暗殺者の脇腹にそれを突き立てたのだ。

 ぐっと力を入れ、それを体の中に押し込む。

 恐ろしい化け物に見えたそれは、やはりただの人間の体だった。

 ナイフを抜くと赤い血が噴き出した。

 暗殺者の動きが完全に止まるまで二度、三度。繰り返しナイフを突き立てる。

 アギトは初めて人を殺めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る