第5話 コーヒーを淹れる

(五)アギト


 その日から毎日。アギトはエイギスの元に通い剣を習うのが習慣となった。

 必死に隙を覗うアギト。

「ココだ」と打ち込むけれど、その隙は作られた隙に過ぎない。

エイギスは雑談をしながら攻撃を悠々とあしらっていた。


「今日は、スコルピオ公爵の外交特使が来ていてな。随分と豪勢なパーティが行われたらしいぞ」


 庭園に現れたエイギスは鎧も鎖帷子も着けていない。

 兜を脱いだ彼の顔はずいぶんと端正で、気品を感じさせる。

 唯一腰に下げるのは本物の剣。それは、アギトの木剣よりも長くずっと重そうに見える。

 いつか自分もあの本物の剣を握るときが来るのか。


「昼の2倍は打ち込んだぞ。明日はこの倍だ」


 そう宣言してアギトは部屋に戻り、泥のように眠った。


              ◇


 4日目にしてやっとエイギスは木剣と盾を構えた。エイギスの一撃をアギトは剣で受けるが、その強烈な一撃に剣を落としてしまう。


「剣は持つんじゃない、握るんだ。血を通わせ、自分の手の延長としろ」


 そうは言われても、アギトには自分の出来ることをすることで精いっぱいだった。

 随分と出来の悪い生徒であることは分かっている。

 エイギスがそれに忍耐強く付き合ってくれていることも。

 こいつにほんの少しでも自分を認めさせたい。アギトは強くそう思った。


「俺の仲間はここでも居場所を見つけたけど、俺にはない。そう思えて仕方ないんだ。ここに来てからというもの俺は、二人を頼ってばかりで、なんだか情けない」


稽古を終えるとふとそんな愚痴も出てしまう。


「頼られたいという気持ちはわかるぜ。だけど忘れるな。仲間がお前を頼りたいときにその役割を果たせばいいんだ。回数の多寡じゃない。仲間同士で競い合うような馬鹿な真似はよせよ。あ、もちろん俺なんかが偉そうに言える立場じゃないんだけどな。同じようなことを俺も言われたことがあるのさ」


エイギスにそう諭されるのだった。


「剣を振るう機会なんて無い方がありたいもんな」


使う機会がないことを願いながら、備えを続ける。矛盾めいた話だなと思いながら何かすっきりとした気分になった。


              ◇


 15日目。


 アギトはいよいよ全身痣だらけになっていた。

 剣術が上達したかと聞かれたら、どうだろう。

 おそらく全くと言っていいはずだ。

 ただ一つ前進したといえるのは、恐怖心がなくなったこと。

 剣を振われること、剣を振るうことへの恐怖心。

 恐怖を振り払うように振るっていた剣を、頭で考えて振るえるようになった。

 剣を振りながら、相手の動きを見る余裕ができた。

 もちろん、それもこれも木剣を使った練習だから言えること。

 命のやり取りとなれば、また違ってもこよう。

 それでも、百日でも千日でも剣の稽古を続けていける、続けていきたいと思える自分が誇らしかった。


「ありがとう」


アギトは、力尽きて地面に仰向けになりながらそう言った。


「なんだ?」


エイギスはいつも通りすました顔でアギトをのぞき込んでいる。


「やりたいことが見つかったかも」


「ふふん。やりたくなくても、自分の命を守れるのは自分だけだぞ」


 そう言いながらも満足そうなエイギス。

 その顔を見て、アギトは大事なことを思い出した。


「ああ、そうだ。名前聞いてなかったよね。君に名前を教えてくれよ」


「なんだ、お前本気で言ってるのか」


 エイギスは複雑そうな顔をする。


「うん? だって、何度か聞こうとしたけど、聞かれたくなさそうに思えてさ」


 いや、それは自分の考えすぎだったかと思い直すアギト。


「まあ、知らないなら教えてやる。俺はエイギスだ」


「エイギスか。どこかで聞いたような気もするけど……」


 アギトはゆっくりと上体を起こしながら、何かを思いだそうとする。

 しかし、それもエイギスの切り出した話の前に中断された。


「名前を覚えてもらってさっそくで申し訳ないが、剣の稽古は今日でお終いだ」


「そ、そうなのか。残念だけど、仕方ない。一方的に俺が負担をかけている形だもんな」


「そんなことは気にしなくていい。なんだかんだいって面白いもんだぞ」


 景子を続けた15日間は、エイギスにとって何かのプラスになったのだろうか。

 アギトは自分自身それを知るステージに達していないと思った。


「ちっとも上達してないだろ、俺」


「最初は誰でもあんなもんだ」


「エイギスも最初はこんな感じだったのか?」


「いや、俺は天才だからな。そこはお前とは違う」


 半分笑い出しながらエイギスはそう答えた。


「まあ、君が言うのならきっとそうなんだろうね」


 アギトも笑い出すがエイギスの言葉を疑ってはいなかった。

 エイギスは腰の剣を抜くと、軽くそれを振った。繰り返し何度も、何度も。

 まるで重さがないように滑らかな軌道を描く。

 エイギスの目はどこかずっと遠くを見ているような気がした。


「俺の父は15歳で初陣を飾った。今の俺よりも1歳も若い。俺だって、いつでも戦場に出る覚悟が必要なんだ。そして、父以上の武勲を上げる」


 エイギスは一汗かくほどそれを続けると、鞘に剣を戻す。

 そしてギュッと拳を握る。決意に満ちたその眼はどこかで見たものと同じものだ。


「アギト。それよりも、今スコルピオ公爵の外交特使が来ているのは知っているな」


「ああ。ものすごい数の贈答品が城に運ばれてきてたなぁ。数百じゃ済まないかも」


「スコルピオ公領は、中心部が砂漠でな。昔はずいぶんと貧しい地域だったんだが、何百年とかけて国を富ます努力をしてきたんだ。例えば南方でしか育たない香辛料を栽培したりしてな。そういう点は俺たちの国も見習わないといけない。まあ、それはいいとして、外交特使が来た理由が大事なんだ。来年の初頭、帝都で7年ぶりの八公会議が開催される。皇帝陛下と八公が直に対面する最も重要な政治イベントだ。スコルピオ公爵が外交特使を派遣してきたのも、香辛料の権益をめぐって争っているレオ公爵との争いに関して、公爵閣下を自陣営に引き込むための根回しってわけさ」


「なるほど。どうして突然そんな話を?」


「公爵閣下が明日、帝都に向けて出発する」


「八公会議は来年なんだろう。年が明けるまで、まだ5か月はあるぜ?」


「北方が冬になると深い雪に覆われる。いろいろと備えるならば秋のうちに帝都入りしておいたほうがいい。いや、それさえ表向きの理由でしかないのかもしれない。黄道の地ゾディアックではもう30年大きな戦争が起こっていない。それは各国の外交努力のおかげといってもいい。外交は複雑怪奇だ。その準備に時間を掛けすぎるということはないだろうよ」


「じゃあ、エイギスも帝都に発つってこと?」


「いや、俺のような若造は留守番だ。しかし、留守番は留守番なりに重要な仕事がある。これからは俺も忙しくなるってわけさ」


 なるほど、エイギスもまた自分の居場所に戻るということなのだろう。アギトは納得した。


「安心したよ。全く会えなくなるってわけじゃないさそうだね」


「逆だな。お前たちと顔を合わせることも増えるかもしれない。そのときは気軽に声をかけてくれ」


 勿論だと答えるアギト。だが、稽古が最後になるのなら、今この場でどうしても聞いておきたいことがあった


「質問。なんで俺に剣を教えようなんて思ったんだ」


「ふーん、そうだな」


 エイギスは考え込むと、自分の木剣と盾をアギトに手渡し、しまっておいてくれと告げた。

 エイギスはくるりと背中を向ける。


「いつも弟が世話になっているからな。どんな奴か気になるってもんだろ」


 そういって、静かに城の奥へと消えていった。


「弟ってどういうこと?」


 アギトがその言葉の意味を理解したのは翌日になって、ディアンドに対面したときのことだった。

                 ◇


 もはやエイギスが来ることのなくなった夜の庭園で、アギトはそのあとも毎晩剣の素振りを続けていた。

 公爵が『デネブ』を発つと、それ以降エイギスが表舞台に出る機会が増えた。

 半年間だが、彼は第一公子として城主代理の地位に就いている。

 気軽に声をかけるという約束は、残念ながら破ってしまっている。

 騎士マストと騎士ブーランを頼りたかったが、二人とも公爵に同行しており、もうこの街にはいなかった。『シュケディ』にいたのさえ、公爵の帝都入りの下準備をしていたのだということを今になって知らされるのだった。

 

「しっかし、夜も少しづつ寒くなってるな」


その日はなんだか調子が乗ってしまい、稽古は深夜にまで及んだ。

寒風にぶるっと震える。


「温かいコーヒーでも飲もうかな」


 城の家庭教師は、衣食住付で一月金貨15枚という破格の待遇。収入はすべて貯蓄に回してもよかったけれど、『ささやかな自分へのご褒美』ってことで、スコルピオ産のコーヒー豆を買ったのだった。

 約200gで金貨5枚也。庶民にはとても手が出ない贅沢。

 これを毎日当たり前に飲める日本人どもがうらやましいぞ。

 アギトが部屋に戻ろうとすると、そこでコーヒーをトレイに乗せたサヤとすれ違う。


「あ、アギト。こんな遅くまで剣の稽古なの。最近寒いから体を壊さないように程ほどにね」


「おう。サヤこそ、こんな遅くまで何やってるんだよ」


「ディランドとトランプをしてたの。そうしたらコーヒーが飲みたいっていうからさ」


「ガキにブラックコーヒーは無理じゃね?勿体ないなぁ」


「でも、気に入ってもらったら、授業の度にコーヒーが出るようになるかもよ」


とサヤが悪戯っぽく笑った。

そうか、あの餓鬼にコーヒーを買わせる方法もあるな。


「ディランドに言っとけ。ブラックコーヒーは大人の入り口だってな」


挨拶を交わすと二人は再び別れた。

雲が、月を隠した。

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