第4話 城で時間を持て余す
(四)アギト
舞台は北部最大の都市『デネブ』へと移る。
首尾よく公爵の下で働けることになったアギトは騎士たちと共に、険しい山道を越えて北へ向かうこと半月ほど。この地方も日本と同じように北へ行くにつれて、気候は寒く厳しいものになるようだ。
それでも今はちょうど夏の季節で涼しく過ごしやすいくらいだ。深い雪に閉じ込められる冬と比べれば天国と地獄だと騎士マスト談。
『デネブ』の人口は約5万6000人。『シュケディ』など比べ物にならない大都会。その街並みを見下ろす山城『白骸城』がアギトたちの新たな家となった。
垂直な山肌に寄り添うように建てられた城は、400年間にわたり増改築を繰り返された荘厳な石の芸術だった。
「見てください。アギト様。ジャガですよジャガ」
城に到着して3日、炊事場を手伝うホオズキはすっかりその場に馴染んでいた。
仕事ぷりをうかがいに来たアギトに麻袋いっぱいのジャガイモを見せつけ、はしゃいでいる。
「異世界と言ったら、まずジャガイモですよね。この世界にもジャガイモがあるのは寂しいようであり、うれしくもありますね」
愛おしそうに手の中で芋を転がす。「こうやって食材の声聴いているのです」とのこと。
アギトたちにとって当たり前の食材も、この世界でどうなのかは一つ一つ確かめていく必要がある。
「学校に戻ればジャガイモやら他の植物の種子が見つかりそうだな。そのうちの一つが持ち込まれただけでこの世界の歴史が変わってしまうかもしれない。それで一儲けを企む奴もいるかもしれない」
アギトは学校のことを思い出したけれど、それはなんだか遠い昔のことのような気もする。
「タマネギ、ニンジン、キャベツ、ホウレン草はこの地方でもよく食されているみたいですね。あと、冬が長いので保存食の種類も豊富です。塩漬けやらスモークやら干物やら。困るのは調味料が少ないことくらいでしょうか。味噌、醤油あたりが手に入らないのは残念です」
「ホオズキの作る味噌汁をしばらく頂けていないのが寂しいね」
「もしかして、それって遠回しのプロポーズですか?」
ホオズキが嬉しそうに顔を赤らめる。もちろんそんな訳がない。
両親を亡くし、天涯孤独になったアギトとひとつ屋根の下で暮らし、世話を焼いてきてくれたのがホオズキの祖母であり、ホオズキだった。ホオズキの料理はアギトのおふくろの味のようなもの。
「お前がいてくれれば、そのうち故郷の味も再現できるってもんだ。俺に出来ることなら何でも言ってくれよな」
「ハイ!」
料理はホオズキにとって、仕事であると同時に趣味でもある。ここにいれば、しばらくは水を得た魚のように活躍できることだろう。
アギトは手伝いにジャガイモの皮でも剝こうかと提案したが断れられた。
「どうやら、今夜、身分の高い客人が訪れるらしいのです。ここは戦場になるので素人のアギト様は引っ込んでおいた方が身のためなのです」
隅っこで芋の皮剝いてるくらい、邪魔にはならんだろうという反論は飲み込んだ。
戦場と化したキッチンの有様は、終わったばかりの学園祭で体験済みだった。
「無理はするなよ」と言葉を残し、アギトは静かにその場を退散する。
◇
太陽が空高く昇っている。そろそろ正午になるだろう。
この世界では、朝の8時から夕方の6時まで日に6度なる教会の鐘だけが過ぎゆく時間を刻んでいた。
. アギトにとって時計のない生活はのんびりとした良いものではなくて、不安で仕方のないものだった。今の時刻が分からない、ただそれだけのことが自分の存在さえも不安定にしてしまうような、そん.な気持ちを拭い去れないでいた。
アギトは城の中層階に足を運ぶ。ここは城主である公爵のプライベート空間だ。
ここで働くようになって日の浅い身としては、衛士に呼び止められないかと冷や冷やする。
石でできた廊下を歩いていると遠くの方から見覚えのある顔が近づいてきた。
身長はアギトの胸よりも低い。男子高校生の意見としては丁度、可愛い子供が可愛くない子供に変わる頃の男の子。即ちクソガキと呼ばれる年代の子供だった。
「こんにちは、公子様。授業はもう終わりましたか」
とアギトは少年に声をかける。少年はアギトとサヤが勉強を教えることになった公爵の子息ディアンドだった。公爵の子供といっても特に華美な服装をするわけでなく、アギトたちに与えられたものと大差はない。
何か急いでいるのか、それとも元気なだけなのか狭い廊下を走ってくる。
ディアンドはアギトに見つかったことに気付くと、顔を曇らせた。
「おい、異国人の男。俺はここには来なかった、いいな」
ディアンドは語気強くそう言い含めると、すぐ近くにあった石の柱をするすると器用に登り、梁の上に座り込んだ。
そして、そこからアギトを睨むのだ。
一体なんなんだと不思議に思うアギト。
そこに今度はサヤが現れた。薄緑色の質素なワンピースに身を包んだ彼女もまた、急いでいるのか早足でアギトに近づいてきた。
「よう、サヤ。授業は終わったのかい。昼ごはんに迎えに来たんだけど……」
「ああ、いいところに来てくれたね、アギト。それどころじゃないのよ。公子様が部屋を飛び出しちゃってね」
ははん、なるほど。アギトが授業を担当したのはまだ1回だけだったが、お世辞にもディアンドの学習意欲は高くなかった。さっそく我慢できなくなって逃げ出したのか。
アギトは指で矢印を作るとそっと上方向を指差した。
初めはきょとんとしたサヤだが視線を真上に上げると、お目当てのモノを見つけ困り顔がパッと晴れるのがよく分かった。
「異国人の男。貴様、我が命令に背いたな」
ディアンドは、勢いよく梁から飛び上がると足の裏をアギトの顔面に向けて落下してきた。
「ゲェェェェ」
顔面に強烈な一撃を受けながらも、全身をクッションにしてディアンドを受けとめるアギト。
ディアンドには傷一つなさそうだ。
「私たち主は、公爵様ですからね。いえ、たとえ公子様が主だとして、道理に反することをしていればそれを諌めるのが臣下の役割です」
サヤはディアンドを起き上がらせ、埃を払いながらそう諌める。
しかし、ディアンドは不機嫌そうにそっぽを向いてしまう。
「サヤは、説教ばかりで詰まらん」
クソガキの世話ほど面倒なことがないことを、かつてクソガキだったアギトはよく理解している。
この公子とこれから長く付き合っていかないといけないと思うと気が重い。
ここでアギトは用意していた最終兵器を取り出す。それは掌に収まってしまうくらいの小さな箱。
「公子様。きちんと授業を受けてくれるのなら、この俺が面白いゲームを教えてあげますよ」
この世界には娯楽と言えるものが少ない。そういう環境でガキが興味を持つものといえば、何か。
ブリッジ、バカラ、ポーカー。たった53枚のカードでも娯楽に飢えた子どもを満足させる刺激的なゲームをいくつも用意できる。
ディアンドの表情は明らかに興味を惹かれていた。
「公子。これはトランプというカードです。これだけで何日も寝不足になるまで遊べますよ」
ディアンドはじっとアギトの手の中にあるそれを見つめている。
「トランプか。トランプ、面白い名前だな」
ディアンドはそっと手を近づける。
しかし、それを遮ったのはサヤだった。サヤは両膝を地面につけ、ディアンドと同じ目線になるとその顔を見つめてこう質問したのだ
「公子様は何になりたいのですか」
「な……」
突然のことに公子は動きを止める。
「公子様。人はなぜ勉強をするのかわかりますか。なりたい自分になるためにです。私は公子様がなりたい姿になれるようにお手伝いするためにここにいるのです」
「お……俺はまだ子供だし。なりたいものとか言われても分からないよ」
「そうでしょうか。たしかに公子様はまだ子供かもしれません。でも、だからといって何も知らないわけじゃないと思います。9年間この城で過ごし、色々なことを見てきたんじゃありませんか」
しばらくの沈黙。
「……俺は、兄上を助けたい。父上はもう老齢だ。そもそも前妃を亡くしてから長年、独り身だったのに我が母上と突然再婚したのは、世継ぎを求めてのことだろう。そうして生まれてきたのは俺たち兄弟だ。俺だってそういう事情はちゃんと分かってるんだ……だから……」
ディアンドは深刻な顔で少しづつ、少しづつ言葉をひねり出す。
「こ、公子様もいろいろ大変なんだな……。俺は両親を早くに失って、あまり周囲に期待されるって経験はしてないんだけどさ。それでもずっと前に死んだ祖父の病院を継いでほしいって思う人間もいるのを知って、ちょっと暗い気持ちになったことはあったよ」
その言葉をディアンドが聞いているのかどうか分からなかった。
ディアンドは
「サヤ、異国の男。すまん」
と静かに頭を下げた。それ以上の言葉はいらなかった。
「ちなみに俺はアギトです。覚えてください」
◇
そして、公子は部屋に帰っていった。公子には公子の食事があるのだ。
正午過ぎ、ホオズキと合流した食堂でサヤはアギトに謝った。
「ごめんね。アギト君の方法でも全然良かったと思うのよ。でも、物で釣るのってどうかなと思っちゃって。公子は、やんちゃだけどさ。自分のすべきことはちゃんと理解してくる子だと思うんだ」
やる気に燃えるサヤはこのままでは不完全燃焼だと午後も家庭教師役を引き受けることになった。借りておくねといってアギトからトランプを預かる。
「今度、公子と一緒にババ抜きとか七ならべをしよう」
そんなことを言う。
確かに自分は同じクソガキとして公子の目線に立つことはできたけど、そこまでだった。
更にその一歩先を考えを進めることはできなかった。ガキのガキなりのプライドは理解できたはずなのに。
人に物を教えるのは難しい。
アギトは反省するとともに、少しばかりの寂しさを感じていた。
◇
午後、仕事を奪われて、すっかりアギトは暇になってしまっていた。
馬を見てみたい。ちょっとした思い付きで馬小屋を訪れる。
サラブレッドに見慣れている現代日本人から見ると、軍馬は随分と脚が短くて胴が太い。何よりいざ目の前にすると馬という動物はデカい。
「乗馬の練習もしてみたいかも」とひとりごつ。
ウマだけでなく馬具やら飼育用具など、何もかもが見新しいので、時間も忘れ馬小屋のまわりを見回るアギトに、声を掛ける者が現れた。
「おい、お前。暇ならちょっと付き合えよ」
鎖帷子に鉄兜。軽武装した兵士のような姿だが、年齢はアギトと大して変わりなさそうだ。
「剣を握ったことは有るのか」
「ない」
動揺しながらアギトは答える。男の顔に見覚えはない。
促されるままに黙ってついていくと男は、倉庫から木剣と盾を取り出し、アギトに渡した。
「好きに振ってこいよ」
アギトはおそるおそる木剣を振るうが、男は避けようともしない。
「当てるように振らないとな」
次、ゆっくりと頭めがけてから振り下ろす。
男は慌てる様子もなくすっと横に避ける。
「全力で振ってよし」
少しづつアギトは剣を振るスピードを上げるが、剣はかすりもしない。
「腰を入れなきゃ当たらんぞ」
少しくらいは男を驚かしてやろうと思うが、10度も剣を振るともうクタクタになってしまった。
「どうした。もう終わりか」
反論したいが、息があがってしまい。声が出ない。
「もし、剣を習いたいのなら、夜、庭園にこい。俺は一人で剣の練習をしているが、特別にお前の面倒を見てやってもいいぞ」
それはアギトとエイギスの出会いだった。
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