09 休日




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『今朝のニュースです――』


 人の話し声が聞こえてくる。

 微睡みをかき分けて、靄がかった思考をノックするように。


「ん……」


 ……どうやら、いつの間にか眠っていたらしい。


 天王寺てんのうじ意弦いづるは目を覚ます。


 すぐには自分の居る場所がどこか分からず、ぼんやりと見慣れない天井を見つめていた。そうしていると、近くから香ばしい匂いが漂ってくるのに気付く。その匂いに引き寄せられるように首を巡らせれば、ソファの横にテレビのリモコンを手にした宮下みやした小影こかげが立っていた。


 ここは宮下小影の住む部屋のリビングだ、と思い出す。意弦はソファで眠っていたようだ。


「お目覚めかな? 顔洗ってきなよ。朝ごはんは用意できてるから」


 言われてダイニングの方を見れば、ぼんやりした顔の真射まいが箸を片手にもそもそと口を動かしている。どうやら寝起きらしく、元気がない様子。昨夜の件が影響しているのか、こんなにもしおらしい彼女を見るのは初めてだった。


「今日は出かけるからね、君にも支度してもらわないと」


「……?」


 状況は呑み込めているのだが、まだうまく頭が働かない。意弦は小影の言葉に首を傾げる。


「君の『呪い』は自覚的なものだからね、君にその気がなければ外に出ても全然問題ない。という訳で、買い物がてらこれからどこか遊びに行こうか」


「うーん……?」


 両手を突き上げ大きく伸びをしながら、意弦は首を捻る。小影が苦笑した。


「反応がよく分からないんだけど……。君たちはまるで猫みたいだね。あっちが発情期なら、君は日向でまどろんでる子猫」


 がたり、とダイニングの方から物音が聞こえた。


「っ」


 意弦の方も小影に言われ、思わず反応してしまった。いくら寝起きとはいえ、無防備すぎた。頬に熱を感じる。


「ささ、とりあえずご飯食べちゃってよ」


 小影の方はいたって冷静だ。意弦に背を向けキッチンへ向かう。それがなんだか悔しく何か言ってやろうと思ったが、それよりも先の彼の言葉が引っかかった。


 買い物……遊びに?


「あぁ、」


 と、意弦の疑問を察したように、小影は振り返らないまま、


「君がいつまでいることになるか分からないから、そうなるといろいろ必要だし。……遊ぶといっても、まあ、出先に何かあればいいね」


 特に計画はないらしい。意弦としても遊びたい気分ではなかったからそれは別に構わないものの、自分のために買い物をさせるということに抵抗を覚えた。


「別に、出かけなくても……」


「君、ずっと閉じ込められてたんでしょ? なら気分転換になるよ。それに……お金のことなら気にしないで。ほら、君たちのお父さんから報酬出ることになってるからね。必要経費ってことで。遠慮しないでいいよ」


「…………」


 それなら、と頷くのもなんだか釈然としない。


「僕のことが信用できないなら天王寺さんも連れて行くから」


 その方が不安をあおられる意弦だったが、その時ちらりとこちらを振り返る小影の視線に、彼が何を意図しているのか、その望みに思い至った。


「…………」


 小影は朝食を用意すると、それをテーブルに並べてから、既に食事を始めている真射の対面に座った。意弦ものそのそと動き始める。


「ところで、僕の料理のお味はどうかな。これくらいが理想っていうか、一般的な味つけだと思うんだけど」


「……私、別に味音痴とかじゃないから。小影が反応しないせい……」


 真射が拗ねたように呟く。


「だから味付けを濃くしたって? まあ、そう言われたら、僕にも責任があるのかもしれないけど……」


「分かればいい」


 むふ、と頷く。満足げである。


「…………」


 意弦にとって、真射のそうした態度は新鮮なものだった。この部屋に来てから、彼女の人間らしい部分というか、年相応の――実家にいる時は見せない顔を頻繁に目撃する。意弦の知る彼女とはまるで別人のような気さえした。


 だけど――


「…………」


 真射の隣に用意された朝食を移動させ、意弦はリビングで一人、食事をとった。




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 朝から連れ回されたせいか昼食を終えてから少し経つと意弦は眠ってしまい、今日はそれで帰宅することになった。


「君、昨日普通に背負ってたけどさ……」


 後ろから小影の声が聞こえてくる。真射は振り返らず、その少し前を歩く。


「けっこうつらいんだけど……」


「小影は体力ないんだと思う」


「まあその自覚はあるけどね……」


 眠っているとはいえさすがに本人の前では『重い』とは言えないのか、意弦を背負って歩く小影は苦笑を漏らす。


 それから。


「……この子には、お姉ちゃんが必要だよ」


「今日買ったもの、代わりに持ってる」


「そういう意味じゃなくてさ」


 よいしょ、と意弦を背負い直し、小影は言う。


「この子のお父さんは仕事で家を空けがちで、お母さんは赤ちゃんが生まれたら忙しくなる。どっちもこの子に構ってあげられないんなら――姉である君が、この子の面倒を見てあげるべきだよ」


「私は……」


「よそ様の家庭の事情に首を突っ込むつもりはないけど、巻き込まれた身として、あえて言わせてもらえば――それが、今できる君の最善で、君の責任だと思う。僕は一人っ子だから言われたことないけど、よく聞くでしょ、『お姉ちゃんなんだから』って」


「だから――」


「姉じゃないって? ……だから言ってるでしょ、それは君たちの事情だ。巻き込まれた僕としては、君には責任をもって姉の役目を全うして欲しい。この件の解決を望むなら、なおさら」


 この件が解決したら、どうなるのだろう。

 今日までの日々はなかったことになるのだろうか。


(私が何もしなくても――)


 小影には『ノロイちゃん』という奥の手がある――何もしなくても、遅かれ早かれ解決してしまうだろう。


 そうなるくらいなら、何かをすべきなんだろう。小影にそう、求められているのなら。


「一応言っておくけど――ノロイちゃんの力で解決すればいいと思ってるなら、大間違いだからね。それはしょせん一時しのぎ、根本的解決にはならない。この子の『呪い』は、この子の中の『想念』がなくならない限りまたぶり返す」


 ノロイちゃんはあくまで言葉を届けるための手段、想念を生み出す者の心を変えるためのきっかけの一つに過ぎない。


「この子には、君が必要なんだ」


 私は――


(小影に、必要とされたいのに)



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宮下小影の絶対理性 人生 @hitoiki

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