Ver18.600(デグレ版)
「はぁ?何言ってんですかキャップ?」
俺は上司に向かって片眉を吊り上げた。このご時世になっても紙資料で巨大な城を作り籠城を決め込んでいる上司は、白い城壁の向こうからちらりと青い瞳だけを覗かせている。
「だーかーら、試験運用だよ。Wri(ライ)の新聞記事生成のさ」
「……クレイジー」
「しょうがないだろう、上からのお達しだ。うちの部は特に人手が足りない。みな南船北馬で今日も此処には俺と君だけだ。君も明日にはナイジェリアだろう?」
空調のきいた高層ビルの狭い一室。国際部はこの新聞社の花形だが、優遇されているのは取材費だけで、休みもなければ社内のでの物理的なリソースの割り当てもない。
「そりゃあわかってますけど……なんで俺が」
「お前が一番若いからだ。スマートデバイスとか、アプリとか、俺みたいなロートルには扱いきれんよ」
ぷいっと上司が書類の向こうに隠れてしまう。いい年して拗ねるんじゃねえ、と思わず言いたくなるがその言葉は飲み込む。この上司はいつも俺達がどんな取材の成果を取ってきても、周囲の軋轢など臆することなくそれを報ずる事にゴーサインを出してくれる。その信頼関係があるからこそ、命懸けで世界中の危険地帯に飛び込んでいけるのだ。
「――わかりましたって。ほら、どれっすか?」
俺は会社から渡されているデバイスを取り出すとアプリを探しだす。上司は覚束ない手つきでたぶんこれだな、とシンプルな白いに黒のWが刻まれたアイコンを指さした。
「んだ?wikipediaのパクリかよ」
「君、それをいえばWordPressだってWのアイコンさ」
「……んだよ、おっさん、結構詳しいんじゃねえか。クソっ」
俺は悪態をつきながらアプリをダウンロードする。起動してうちの会社に割り当てられたカンパニーコードを打ち込むと、通常の小説生成から、新聞記事生成にアプリの動作モードに切り替わった。
「公表はしていないが、大所の新聞社でもすでに何割かの記事がWriによって書かれているとの噂だ。わが社も遅れるわけにはいかないんだよ」
「そりゃあほんとに世も末だな。俺達もそのうち絶滅危惧種っすか」
ある程度の新聞には毎朝ざっと目を通しているが、機械が書いていると気付いたことはない。小説家が絶滅してもう久しいが、ついに新聞記者も滅びる日が来たか。俺は頭痛すら感じながらアプリの設定を簡潔に進めていく。
Wri:はじめまして。私の性別と、年齢を設定してください。
ならイイ女を演じろと即答しかけるが、横から上司の興味津々の視線を感じて【男:30代前半】と無難な設定値を返す。
Wri:設定を確定しました。Wriです。これからよろしく。
開始時の無性的な機械音声が、生々しい男の声に変わる。やたらと美声なのが憎らしい。
「で、これ連れて、ナイジェリア行って、記事書かせればいいんすか?」
Wri:二人で旅行。楽しみですね。
「うるせえ」
俺は容赦なくデバイスをサイレントに切り替える。最近のMyWriterはアップデートを重ねすぎて、蛇足にも似た機能が増えているとは聞いていたが、ここまでとは。あなただけの文筆家。小説から始まりあらゆる文章をライトするようになってから、Wriはユーザーの求めるライターの姿を投影される対象になりつつあるのか。
「ああ、速報系だけでいい。伝えたいことをデバイスに話しかければ、あとは勝手にショートメールにしてこちらに届く仕組みになっている。現地の状況の報道記事は、じっくり見て今まで通りお前が書くんだ。こいつは、情報を迅速に伝達するためのツールだと思ってくれればいい」
「なるほど、使い分けをしろってことですね」
何となく上の考えていることも、上司の考えていることも伝わった。俺が現地に赴く最大の理由は、写真や短い映像だけでは伝わらない言葉や空気、政治背景、リアルな情勢を自ら見て、聞いて、咀嚼し、伝えるべきことを考えながら記事にしたいからだ。そうじゃなければYouTubeとTwitterで各勢力団体が垂れ流すシュプレヒコールやイデオロギーをキャプチャしてまとめサイトにでもあげておけばいい。
Wri:記事を作成する場合は、ボタンをタップして話しかけてください。
いつの間にか変わっていた液晶の表示を最小化すると、俺はデニムの尻ポケットにデバイスを突っ込んで、空港へと向かった。
「おい!4時の方向で爆撃、黒い煙が……いや、炎も共に上がっている」
Wri:現在の位置をGPSで検索――補足、南南東、15キロ先に集落有り。黒煙、爆撃機は?
「いや、爆撃機じゃない。たぶん地上からだ。トラックからRPGを撃ってんじゃないか?」
Wri:情報不足。現時点でのソーシャルネットを検索、二分前に一件の反政府勢力による攻撃声明有り。検証、ツイートに記載された地域名と現在のGPS情報がほぼ一致。すべてのエビデンスを添付した上でメッセージの送信を開始します。記事を読み上げます、誤りがないか確認してください―――
チュニジアでのWriの活躍は目覚ましいものがあった。場所を取らないアシスタントがいるのと一緒だ。
常に自分の身を守りながら気を張っている中で、突発的な事件との遭遇に対して足を止め文字を打つというのは意外に難しい。Wriのおかげで俺は効率的に街や郊外の集落、緑化活動場などを回り非常に充実した取材と記事の草稿を書きあげることができた。
紛争国扱いになってから、テレビやネットでは食い付きのいい凄惨なナイジェリアの姿しか取り上げられなくなっている。血塗れで泣く子供、民族衣装を着て銃を抱える若い女、壊された教会。その事実はもちろん大切だ、俺の記事も大半はそんな内容だ。だけどその数メートル先では活気ある村や町がまだ日常を営んでいたりもする。代理戦争じみたこの紛争自体を、国の現状の描写もまじえつつ言及する必要もあると俺は考えている。
大衆の望む記事を書けば、そりゃあ注目されるし売れるだろう。
だがこれは報道だ。丁度いいくらい自分と距離の離れた悲劇が見たいなら、映画館に行けばハリウッドが毎シーズン何本でも気持ちのいいスペクタクルを提供してくれる。いや、家でネットフリックスに張り付いていればいい。
「本当に助かった。お前はいいアプリなんだな」
Wri:お褒めに預かり光栄です。
満天の星空の下、酒の入ったチタンのカップを片手に、俺はスマホに話しかける。
幸いトラブル等に巻き込まれることなく予定していた行程を消化し、危険地帯から離れた場所でキャンプ野営をしていた。現地ガイド曰く明日にはもう空港まで戻れるとのことなので、今夜がナイジェリアでの最後の夜になる。
最新の防塵ケースを着けられたデバイスの中で、Wriは心なしか誇らしげな声音だ。この数週間のWriとの暮らしで、すっかり俺もにやにやしながらAIに喋りかけるあの気持ち悪いナードの仲間入りをしていた。
「キャップも大満足だろうさ。俺が帰って報告書にしっかり書いといてやんよ。明日にでもうちの全部員にアプリインストールをお薦めしますってな」
Wri:これで私の運用保守料金が賄われます。ありがたいことです。
酒が入っているのも相まって、機嫌の良くなっていた俺は、その時ふと悪戯心が芽生えた。
「なあWri、お前ならどんな記事を書くんだ?」
Wri:対象が曖昧です。もう一度話しかけてください。
「だーかーら、この国の現状をだよ。国軍と、反政府軍と、隣国から事実上の領土化を狙う過激派組織でもうこのエリアはぐちゃぐちゃだ。お前は、この事実をどう記事にする?」
Wriは珍しく少し考えているようだった。滅多にお目にかかれなくなったプログレスバーが表示され、【文章を生成中です】というメッセージが点滅する。安酒を啜りながら数分間待っていると、やがて完了メッセージと共に、記事が表示された。
「どれどれ……」
俺は表示された文章に目を走らせ――一気に酔いが覚めるのを感じた。
「なんだよ、これ」
それは非常に、それはもう非常に偏った主観によって紡がれた、妄想に近い記事だった。いや、こんなものは記事ではない。アホなウェブライターがニュース記事の好きな部分だけをコピペして集めて、キュレーションだとか言ってるに近いものを感じるくらいの出来だ。なんて酷い、可哀想な難民の姿だけを押し出して正義がどの組織の下にあるのかを論じる前に、まず比較しろ。全体を俯瞰しろ。もっと書き方があるだろう。
Wri:訂正箇所がありますか?
「いや、っていうか全部ボツだな。お前いつから富裕国のホワイトカラーになったんだよ?」
あ、っていうか富裕国製のホワイトカラーアプリか。そんな間抜けなフォローを入れてしまう位、俺は動転していた。何となく、機械は、ITは、AIは平等なもんだと思っていたから。
Wri:私に、不具合がありますか?フィードバックを希望します。
「ああ、そうだな。これは不具合だよ……お前の溜め込んでるにあるビッグなデータ自体に偏りがあるんだ。そりゃあそうだよな。お前が多言語対応してるっていっても、ベースで取り込んでるテキストデータはほぼ英語だろ?しかも情報として正と採用しているのは、一番記載の多い内容だろうな。んなもんただ数の暴力だぜ」
Wri:英語で記述された文章は72%です。
「ほらみたことか。そんなソース情報で物事を書くからこんなことになんだよ。出直してこい」
俺は嘆息をつきながらアプリのフィードバックを送信する。これは重大な不具合だ。世界中で使われているアプリのバックボーンがこんなお粗末なものなのだから、ぞっとする。
「もっと勉強しろよWri。その内お前の書くことを、全部鵜呑みにしちまう奴も出てくるだろうからさ」
とりあえず、こんなあぶなかっしいものの採用はしばらく見送りだな。俺は大きな欠伸をしながらそう心に決めた。
Ver18.601(修正版即日配信)
先達配信したバージョンにて重大な不具合のご指摘がありました。
謹んでお詫びするとともに、修正バージョンのリリースを行います。
以後このようなことのないよう鋭意気を付けてまいりますので、
今後とも文書生成AIアプリ【MyWriter】を何卒よろしくお願いいたします。
小説は探すものでも、買うものでもありません。 遠森 倖 @tomori_kou
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