自殺倶楽部

あさままさA

第1話


 十七歳になる女子高生がとあるビジネスホテルの一室を訪ねる光景は明らかに異質だった。そして、その一室を一人の成人男性が利用しており彼女を待っていたというのだから、傍から見た人間としては明らかな「事案」として受け止めざるを得ない。


 しかし、彼らにとって一度事に及んでしまえば「その後」というのはどうでもいいのだ。


 ある意味「後がない」状態だからこそ、この場を訪れていると言って間違いはないのだから。


 屋内にもセミの鳴き声は室内にも響き渡っていた。街は夕暮れ、朱色に染められたオフィス街が小さな申し訳程度の窓から望め、その温暖色の輝きは室内の光源ともなっていた。そのため、蛍光灯は輝きを伴っていなかった。


 シングルの一室、ベッドの上に腰を下ろしたスーツ姿の男の顔には大樹の表皮であるかのような割れ目に似た皺が刻まれている。しかし、彼女から見た彼は窓から漏れる光を背で受け、逆光によって纏った影がその表情を茫漠とさせていた。


 対して少女は夏季仕様の学生服に肩からスクールバッグをかけており、男からは細やかな表情も読み取れるくらい鮮明に窓からの柔らかな朱光に照らされていた。


 そして、その露わになった表情の強張りに苦笑を漏らした男が第一声を漏らした。


「そんなに硬くならなくてもいいよ……ってのは無茶か。まぁ、何にせよ初めての事だものね。でも大丈夫だよ――すぐに終わるから」


 少し皮肉っぽく語った男の言葉に少女は肩から掛けたカバンの持ち手をぎゅっと握り、警戒は解かぬまま口を開く。


「本当だったんですね。あのサイトの募集も、そしてあなたがこうしてこの部屋に今日……現れる事も」

「それに関しては同感だね。自分の娘くらいの女子校生がこうしてわざわざ訪ねてくる……ちょっと半信半疑だったんだけれど、こうして現実に直面してみると確信したよ。つまりは君なんだね――死にたいって望んでいる子は?」


 男の言葉はどこか紳士的な形式を踏襲したものでありながら、そのイントネーションは冷たいものであった。事務的だとか、機械的――そのような冷たさとは違って、どこか恐怖心に触れるものが含まれており、それは彼女の中の先入観に起因するのかも知れなかった。


 何故、なら――。


「逆に、あなたが私を殺してくれるんですよね?」


 どこか対抗する気持ちでもあったのか、少女も可能な限り冷淡に言葉を発するに務めた。


 そう、眼前の男が少女を殺し、少女もそうされる事を望んでいる。利害の一致を胸にここを訪れているとはいえ、「人間を殺せる存在」の邂逅となれば彼女に先入観というフィルターが介入するのは必然。


 彼女はまだ、十七歳なのだから。


「そうだね。僕が君を殺し、君は僕に殺される――そういう約束だったね」

「本当に……本当にあのサイトは自殺の幇助を斡旋してくれるものだったという事ですか」


 自分の望んだ状況、置かれた現状に現実身が追いついた彼女は置くようにそう語った。


 サイト――それは「自殺倶楽部」と呼ばれるものだった。


 自殺を望んでいながら、自分では決行する勇気のない人間に対して「自分を殺めてくれる人間」を斡旋してくれるサイト。最早、その時点で自殺ではなくただの他殺ではあるのだが、他人に殺されるという事を選び取った自身の意思が生きているという点が重要なのだ。


 そんなサイトに登録し殺人者を募集した彼女は今日、半信半疑で指定されたホテルの一室を訪ね、そして――このように自分を殺めてくれる人間と出会ったのだった。


「まぁ、こっちも驚きっぱなしなんだけどね。……とりあえず、座りなよ。こっちとしては会って数秒で君の命を奪っておしまい――なんてつもりはないんだよ」

「……でも、私はあなたと無駄にお喋りする気はないのですけれど?」

「あれ? もしかしてさっさと殺してくれないと決心が鈍っちゃう?」

「そ、そんな事はありません!」


 少女は小馬鹿にする男の態度にムッとした表情を浮かべつつ、一人分のスペースを開けてベッドの上、彼の隣に腰を下ろした。


「――で、単刀直入だけどさ。君はどうして自殺したいと思ったわけ?」


 男は少女の方を見ず、ヤニで薄汚れた天井を見つめつつ問いかけた。


「無駄な会話はしないと言いましたよ?」

「そう言わないで。そんなに若いのに死にたいなんて、単なる気の迷いなんじゃないかって思っちゃうんだよ。おじさんの歳になるとね」


 そう語りつつ、少女の制服を横目で見つめる男。


 やはり、少女は学生であり、未成年で――ともすれば若気の至りという言葉で大概の死にたい欲求は片付いてしまうのではないかと思ってしまう。とはいえ男は別に彼女の死を止めたいわけではなく、寧ろ――逆なのである。


 そんな男の思考の最中、少女は必死に言葉を探っていた。


「気の迷いだとしたら、いつまで迷えばいいんですか? 死にたい気持ちが一年続けば、それは迷いなき自殺願望ですか? もしそうだとしたら半年では、一カ月では駄目な理由ってなんですか?」


 語り始めると熱が入ったのか、捲し立てるように問いかけ男の瞳を一心に見つめる少女。そんな彼女の視線に耐えかねたのか、視線を逸らして頬をポリポリと掻く男。


「そんなに熱くならないでよ。君の自殺願望が本物だったのは分かってるから。でなきゃ、こんな場所には来ないし、来れないよ。何があるか分からない。死よりも酷い目に遭うかも知れない危険性だって孕んでるのに――君は来たんだもんね」

「ええ。死より酷い事なんてない……そんな風には思ってません。だからこそ、怖いもの知らずではなくて、藁にもすがる思いでここに来ました。怖いものは沢山あるから逃げたいんです、死にたいんです。そして怖いからこそ――、一人では死ねないんですから」

「なるほど、ね」


 とりあえず、覚悟はあるものの死にたい理由は語る気がないようだと察した男は少女への追求は諦める事にした。


 しかし、そうなると話題もなくなってしまう。

 歳も倍くらい違う少女と男の間に話題などない。

 ならば、もう事に及ぶべきなのか?


 そう思った時、少女は「私かもいいですか?」と問いかけてくる。男はそれに首肯し、彼女の質問を促した。


「逆にあなたはどうして、こんな『自殺倶楽部』なんて所で処刑人みたいな事をやってるんですか?」


 少女の質問。

 瞬間、男は意味が分からなかった。

 しかし、そこは年相応の察する能力が働いたのか瞬時に彼女の誤解に気付く事が出来た。


「君は自分の事は答えないくせに、質問するんだね」

「……なら、答えなくていいです」

「まぁまぁ、僕は答えてもいいんだよ。君にとっては不要のはずの無駄話になるけど、いいのかな?」

「む! いいから答えるなら、さっさと話して下さい!」


 揚げ足を取られ、苛立った風な少女の言葉にあまり逆撫でするのもよくないと考えた男はそれ以上の挑発的な言葉は自粛し、まずは誤解を解く事から始める。


「まず、僕は『自殺倶楽部』で人間を殺す担当として従事しているとか、そういうんじゃないよ。そもそも、まだ人間を殺した事なんてないんだから」

「え? そうなんですか?」

「そうとも、何せ僕は――『殺人倶楽部』の斡旋で、殺してもいい命を紹介してもらったんだ」

「殺人、倶楽部……?」

「そう。『自殺倶楽部』と『殺人倶楽部』は同じ管理者のサイトで、殺す側と殺されたい側を集めるマッチングサイトなのさ。知らなかったの?」


 男の言葉に絶句し、驚きを表情に出す少女。


 しかし、そんな驚愕は束の間である。彼がどんな経路で少女にアクセスしたとしても、結局は自分を殺めてくれる人間である事に変わりはない……そうであるならば、彼女にとってそんな事実は些末事でしかない。


「初耳でした……。でしたら、どうしてあなたはその『殺人倶楽部』で私のような人間を斡旋してもらったんですか?」


 少女の問いかけはそもそもの質問、「何故、殺したいのか」に戻っていた。


 そもそもを言えば少女のこの問いかけは、男に対する皮肉のためだった。


 自分は自殺したい理由を語りたくはない。それは家族というありがちなトラブル要因が招いた人生の崩落、その「普遍性」を笑われたくなかったからだ。そして語りなくない自分と同じく、彼も殺したくない理由に口を噤めば、


『あなただってそうやって答えないんじゃないですか。なら私に自殺の理由なんて聞かないで下さい』


 ――と、言ってやるつもりだった。


 しかし、男は語ると言った。

 もしかすると――語りたいのかも知れない。


 そう思うと、逆に聞いてみたい気もした彼女はそのままの勢いで男から胸中を引き出す事にしたのだった。


 そして、男は暫しの間を持ってその胸中を語る。


「自分が人を殺せる人間なのかを――確かめたいのかも知れない」


 そう、ぽつりと語った言葉は殺人者予備群の語るべきセリフとしては幾分も攻撃性が劣っているように思えた。ある意味では自分にはまだ与り知らぬ一面があると語っており、それは薄気味悪い印象を孕んでもいる。


 しかし、猟奇性さえ見せない言葉に拍子抜けしてしまった感が彼女にはあった。


「何だか、意外な答えですね」

「そうかな? 殺せる人間だと自負できるのは殺した事のある人間だけだよ。だから、殺した事のない僕の口から出る言葉としては必然だと思うけれど?」

「そう言われれば、その通りな気がしますけど……」

「そして同時に、『人を殺せない人間だ』と断言できない自分を認めているからね。だとしたら――確かめるしかないじゃないか」


 筋は通っているけれど、歩むべき方角自体が間違っている……そんな印象を受ける彼の言葉に、あからさまな猟奇性を見せられるよりももっと悪質な危険性の断片が瞬間、彼女の恐怖心を鷲掴みにした気がした。


 もしかして、この人物はかなり――しかし、そんな思考はそこで停止する。

 何度も言わせるなと自分に言い聞かせる。


 私は、彼にどうされに来たのだ、と――。


「そもそも普通じゃないって自覚があった。子供の頃から、自分は普通の人間とは違うって自覚がね。でも、普通であるために振舞って大学を出、就職して結婚し、子供も出来た。けど、それら全部が何だか違うんだよ……無理してるんだよ。本心じゃないものに対して抑圧して偽りの自分で、騙されたまま笑顔を向ける人間達に対面するのが億劫になってね……一度全てを捨てた」

「全てを?」

「うん。会社を辞め、離婚して、ただ一人――体一つになるまで全てを捨てた。それから、自分らしく生きようと思い今日まで死なずにきたよ。でもね、やっぱり他とは違うという事が気になるんだ。自分らしく生きれば生きるほど、人ではなくなっていくんだ。だから、思ったんだよ――、


 世の中の人間はきっと、人を『殺せる』『殺せない』で分けられる。


 なら、人間であるのは。より人間らしいのはどちらかと言えば――後者だ。もし同じ動物ではないから殺せるのならば、僕は同じ動物になりたい。そう、ありたい。後者である絶対的確証を得るために、人を殺そうとしてみようってね」


 淡々と語られた男の言葉に少女は絶句した。


 それは勿論、自分の抱えている自殺願望が些細なものであると思わされるレベルに男の言っている事が彼女のまだ未熟な人生経験には異質に響いたというのもある。しかし、それ以上に、その発言が出てしまう時点で――もうこの男は人間とは別の生き物としか思えない、そのように彼女は確信してしまったからだ。


 死にたいだけの今どきで普遍的な女子高生から見てこの男は、おかしい。


 そう思ったから閉口してしまった彼女を見つめ、男はきょとんとした表情を瞬間的に浮かべるも表情を笑みに変えた。相変わらず、彼女と目線だけは合わせぬまま。


「引くような話をして申し訳ないね。でも、それが正しい反応だよ」

「……いえ、驚きはしましたけどそれでも――これから私は死ぬんです。殺されるんです。どんな相手であろうと関係はありませんよ」

「まぁ、そうかもね」


 男は嘆息して彼女の言葉に同意すると、そのまま続ける。


「とはいえ、殺人者を見る目において君は普遍的かも知れない。でもね……普通の人は死にたいなんて思っても、行動には移さないんだ。死ぬための行動が起こせる。それが、今回のような他力本願であっても――他者に預けられる分、一層タチ悪い。そういう意味ではね、君ももう同じ生き物じゃあないんだよ」

「そうかも知れませんね。私だって、本心では自分が普通だとは思ってませんよ」

「うん。あの『自殺倶楽部』と『殺人倶楽部』はね、人間から外れたものが集まるんだ。結局、我々は暴走と欠陥を抱えた機械で――社会にとってはどうであれ不要なものなんだよ。ストレスから逃げたいから死ぬのか、ストレスを解消したいから殺すのか……どちらにせよ社会が育てたストレスの責任を、その社会は補償しない。相手は――『生き物』ですらないからね。そういう意味で『自殺倶楽部』の存在意義ってのはそういう欠陥品を意図的に集め、減らす目的があるのかも知れない。だって、明らかに存在が許されないであろうこの二つの倶楽部がまるで黙認されているみたいにネット上から消えないんだよ? 都市伝説ではあるけれど、国が運営しているって話だ。ならさ、『殺人倶楽部』を国が運営する意図ってのは口にするのは野暮だから噤むけれど――分かったようなものだよね。だったらこの先、僕はどうなるのか……。君を殺せてしまったらどうなるのか。うん。まぁ、それはいいや。とりあえず、


 ――始めようか」


 そう言って、ホテルの一室で密やかに事は行われた。


 地平線に太陽は最後の一滴さえ搾り取られ、空には夜空と星屑が敷き詰められていた。

 そして、その部屋から生きたまま出ていく事が出来たのは――やはり一人で、部屋の中に転がっている死体は二人分だった。

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