ボケ老人のいる風景
RAY
ボケ老人のいる風景
★
元旦の朝。のんびり起きてお節を食したボクは、近くの神社へ初詣へ行こうと思い立つ。
神社は歩いて二十分ぐらい。午前十時を回って窓からは暖かな陽射しが差している。新春を象徴するような好天に、自転車で出掛けることにした。
ただ、「見ると聞くとは大違い」とはこのこと。この時期は、暖かそうに見えて底冷えがする。自転車で風を切って走っていると体感温度がかなり低い。薄手のコートで出掛けたボクは、身体を震わせながら自分の選択を深く後悔する。
案の定、身体が冷えたせいでトイレへ行きたくなり、急遽コンビニへ立ち寄ることとなった。
トイレだけ借りるのも気が引けたため、ミルクティーのペットボトルを手にレジへ並ぶ。普段からよく使っている店であり、気を使う必要などなかったけれど、焦っていたこともあって気が回らなかった。
「RAYちゃん!」
「あら、RAYちゃんじゃない?」
不意に背中越しに名前を呼ばれた。
ゆっくり振り返ると、そこには、近所に住む、
ボクは、心の中でため息をついた。
なぜなら、二人は近所でも有名な厄介な老人だから。
「RAYちゃん、おめでとう。相変わらずベッピンさんやなぁ」
「RAYちゃん、あけましておめでとう。今年もよろしくね」
にこやかに挨拶をする二人に、ボクは笑顔で挨拶を返す。お金を払いながらスタッフにトイレのことをお願いすると、快く応じてくれた。
ただ、ホッとしたのもつかの間。再び二人が話し掛けてくる。
「RAYちゃん、今日はどこへ行くんや?」
「RAYちゃん、どこかへお出掛けなの?」
老夫婦は、それぞれが同じような質問をする。そして、質問をされたボクは、それぞれに同じような回答を返す。それはいつものこと。
神社へ初詣に行く途中であることを告げながら、それとなくトイレへ行こうとした。笑顔を取り繕ってはいたけれど、我慢の限界が刻一刻と近づいていた。
「RAYちゃん、ここまで歩いてきたんか?」
「RAYちゃん、神社にはどうやって行くのかしら?」
間髪を容れず、二人から新たな質問が飛んでくる。その顔にはいつもの屈託のない笑みが浮かぶ。
厳しくなってきたボクは、自転車で来たことを早口で告げるとトイレへ向かって歩き出した。
「RAYちゃん――」
「RAYちゃん――」
二人が何か言っているのが聞こえたけれど、それを右から左に聞き流した。そして、事なきを得た。
★★
トイレから出てくると、何やらレジのあたりが騒がしく人だかりができている。もの凄く嫌な予感がした――過去の経験から。
恐る恐る近づいたボクの目に、老夫婦が言い合いをしている姿が映る。そんな二人を十人余りの人が取り囲んでいる。
「あれは、RAYちゃんや」
「いいえ。違います。RAYちゃんです」
「お前、目が悪くなったんか? RAYちゃんに決まっとるやろ?」
「あなたこそ眼科に行かれたらどうですか? あれはRAYちゃんですよ」
「分からん奴やな。RAYちゃんと言ったらRAYちゃんや!」
「分からないのはあなたでしょ? RAYちゃん以外の誰でもありません!」
嫌な予感は的中した。二人は、声を張り上げて意味不明な口論を始めている。
厄介な老人とはこのこと――二人は近所でも有名な「ボケ老人」。見た目は気のいい老夫婦であるけれど、話してみると普通ではないのがわかる。
「おおっ、RAYちゃん。いいところに来た。こいつに言ってやってや。自分の名前を」
「RAYちゃん、お願い。この人に教えてあげて。RAYちゃんの名前」
言い合いをする二人の視線がボクの方を向く。周りの人の視線もボクに集まっている。どの顔も明らかに何かを期待している。
「RAYちゃん――」
「RAYちゃん――」
店のスタッフがボクに熱い視線を向けている。事態の収拾を促しているのがわかる。
ボクはゴクリと唾を呑み込んだ。どうやらやるしかないようだ。それが、二人との付き合いが長いボクに課せられた使命なのだから。
二人の前で斜に構えたボクは、小さく息を吐く。そして、右手を胸の前に水平に掲げると、手の甲を二人の方へすばやく付き出した。
「な、なんでやねん!」
恥も外聞もかなぐり捨てて言い放った。
その瞬間、二人の顔に笑みが浮かぶ。周りからは、笑いと拍手が沸き起こった。
「RAYちゃん、付き合ってもらって悪かったな」
「RAYちゃん、いつもありがとね」
うれしそうな二人の顔を見た瞬間、胸のあたりに温かい何かが湧き上がる。「今年も良い年になりそう」。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
ボクの近所には「ボケ老人」が住んでいる。そして、いつも期待している――ボクの「ツッコミ」を。
RAY
ボケ老人のいる風景 RAY @MIDNIGHT_RAY
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