ボケ老人のいる風景

RAY

ボケ老人のいる風景


 元旦の朝。のんびり起きてお節を食したボクは、近くの神社へ初詣へ行こうと思い立つ。

 神社は歩いて二十分ぐらい。午前十時を回って窓からは暖かな陽射しが差している。新春を象徴するような好天に、自転車で出掛けることにした。


 ただ、「見ると聞くとは大違い」とはこのこと。この時期は、暖かそうに見えて底冷えがする。自転車で風を切って走っていると体感温度がかなり低い。薄手のコートで出掛けたボクは、身体を震わせながら自分の選択を深く後悔する。

 案の定、身体が冷えたせいでトイレへ行きたくなり、急遽コンビニへ立ち寄ることとなった。


 トイレだけ借りるのも気が引けたため、ミルクティーのペットボトルを手にレジへ並ぶ。普段からよく使っている店であり、気を使う必要などなかったけれど、焦っていたこともあって気が回らなかった。


「RAYちゃん!」

「あら、RAYちゃんじゃない?」


 不意に背中越しに名前を呼ばれた。

 ゆっくり振り返ると、そこには、近所に住む、恰幅かっぷくの良い老夫婦の姿があった。八十歳を超えているにもかかわらず二人ともピンピンしており、いつも仲睦なかむつまじくいっしょに散歩をしている。


 ボクは、心の中でため息をついた。

 なぜなら、二人は近所でも有名なだから。


「RAYちゃん、おめでとう。相変わらずベッピンさんやなぁ」

「RAYちゃん、あけましておめでとう。今年もよろしくね」


 にこやかに挨拶をする二人に、ボクは笑顔で挨拶を返す。お金を払いながらスタッフにトイレのことをお願いすると、快く応じてくれた。

 ただ、ホッとしたのもつかの間。再び二人が話し掛けてくる。


「RAYちゃん、今日はどこへ行くんや?」

「RAYちゃん、どこかへお出掛けなの?」


 老夫婦は、それぞれが同じような質問をする。そして、質問をされたボクは、それぞれに同じような回答を返す。それはいつものこと。

 神社へ初詣に行く途中であることを告げながら、それとなくトイレへ行こうとした。笑顔を取り繕ってはいたけれど、我慢の限界が刻一刻と近づいていた。


「RAYちゃん、ここまで歩いてきたんか?」

「RAYちゃん、神社にはどうやって行くのかしら?」


 間髪を容れず、二人から新たな質問が飛んでくる。その顔にはいつものが浮かぶ。

 厳しくなってきたボクは、自転車で来たことを早口で告げるとトイレへ向かって歩き出した。


「RAYちゃん――」

「RAYちゃん――」


 二人が何か言っているのが聞こえたけれど、それを右から左に聞き流した。そして、事なきを得た。


★★


 トイレから出てくると、何やらレジのあたりが騒がしく人だかりができている。もの凄く嫌な予感がした――過去の経験から。


 恐る恐る近づいたボクの目に、老夫婦が言い合いをしている姿が映る。そんな二人を十人余りの人が取り囲んでいる。


「あれは、RAYちゃんや」

「いいえ。違います。RAYちゃんです」


「お前、目が悪くなったんか? RAYちゃんに決まっとるやろ?」

「あなたこそ眼科に行かれたらどうですか? あれはRAYちゃんですよ」


「分からん奴やな。RAYちゃんと言ったらRAYちゃんや!」

「分からないのはあなたでしょ? RAYちゃん以外の誰でもありません!」


 嫌な予感は的中した。二人は、声を張り上げて意味不明な口論を始めている。

 とはこのこと――二人は近所でも有名な「ボケ老人」。見た目は気のいい老夫婦であるけれど、話してみるとのがわかる。


「おおっ、RAYちゃん。いいところに来た。こいつに言ってやってや。自分の名前を」

「RAYちゃん、お願い。この人に教えてあげて。RAYちゃんの名前」


 言い合いをする二人の視線がボクの方を向く。周りの人の視線もボクに集まっている。どの顔も明らかに何かを期待している。


「RAYちゃん――」

「RAYちゃん――」


 店のスタッフがボクに熱い視線を向けている。事態の収拾を促しているのがわかる。

 ボクはゴクリと唾を呑み込んだ。どうやらやるしかないようだ。それが、二人との付き合いが長いボクに課せられた使命なのだから。


 二人の前で斜に構えたボクは、小さく息を吐く。そして、右手を胸の前に水平に掲げると、手の甲を二人の方へすばやく付き出した。


「な、なんでやねん!」


 恥も外聞もかなぐり捨てて言い放った。

 その瞬間、二人の顔に笑みが浮かぶ。周りからは、笑いと拍手が沸き起こった。


「RAYちゃん、付き合ってもらって悪かったな」

「RAYちゃん、いつもありがとね」


 うれしそうな二人の顔を見た瞬間、胸のあたりに温かい何かが湧き上がる。「今年も良い年になりそう」。そんな言葉が脳裏に浮かんだ。


 ボクの近所には「ボケ老人」が住んでいる。そして、いつも期待している――ボクの「ツッコミ」を。


 

 RAY

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