好き好き大好き寵愛してる

左安倍虎

転生先は本能寺

 オッス、オラ信長!とでも冗談を飛ばさなければやってられないほど、俺を取り巻く状況は切迫していた。転生者の例に漏れずトラックに跳ね飛ばされて宙を舞った俺の身体は、走馬灯が巡るように一生をダイジェストで振り返る間もないまま青白い光りに包まれ、気がついたら俺の意識ははこの身体の中へ入っていた。

 目を開けた途端に、「殿、敵襲でございます!」って眉目秀麗な若い侍が声に焦りをにじませて言うものだから、思わず俺も大河ドラマのノリそのままに「何者か」なんて答えてみる。そしたら若侍は「明智軍にございます」なんて苦渋の表情を浮かべる。いやいやちょっと待てって。そもそも俺、好きな女の子に告白して見事に玉砕してああ死にてえな、なんて思ってたらその日の帰り道に黒塗りの、じゃなかったけどトラックに追突されて17年の短い人生に終止符を打ったわけじゃん?だったら次の人生はチート能力の一つ二つ持って中世ヨーロッパっぽい異世界に転生するのが定番じゃね?でも俺はここ本能寺で今にも殺されようとしてるんだよ。信長に転生するのはいいとして、なんで次の人生が本能寺から始まるんだよ?せめて始めるなら尾張のうつけ者とか言われて傾奇者めいた格好してたあたりからにしてくれよ。一万歩譲って美濃攻略戦のあたりからでもいい。その辺からだったら俺の人生何もないところから頼りなく始まって数え切れない喜怒哀楽をともにするって感じじゃん?いや俺の人生ってか信長の人生なんだけど。何もよりにもよってクライマックスから始めなくたっていいだろ。もうちょっと前フリってもんが必要だろうよ。いきなりこんな状況に放り込まれたら、信長じゃなくても是非に及ばずって言いたくなるっての。

 って言うか、この若侍、なんか面差しがミサキに似てんだよなあ。あ、ミサキってのは俺を振った同じクラスの女の子の名前ね。歴女である彼女に近づきたくて戦国時代の知識を吸収して話を合わせてみたり、髪型が変わるたびに褒めてみたり、出来の悪い歴史ドラマの愚痴にどこまでも付き合ってみたり……ということを繰り返して好感度も十分に高まったと思われたので思い切って一緒に真田本城跡を見に行かないかって誘ってみたらあっさりOKが出たもんだからこれは行けると思ってひと通り史跡を見て回ったあと満を持して近くの桜の樹の下で「たとえこの身は死すとも七度人として生まれ変わりそなたと結ばれたい」っなんて言ったわけよ。俺にしてはかなり頑張った台詞だったよね。でもミサキにはなんか微妙な顔されてさ、「ジョウくんはいい人過ぎて私にはもったいない」とか言われたわけ。なんでだよいい人だったらいいじゃないかよって思うんだけど、こういう時の女の子の「いい人」ってのは往々にして「どうでもいい人」ってことだったりするのよね。ああ、思い出したらまた死にたくなってきた。ってかもうすぐ死ねるのかな。や、あのときは絶対行けると思ってたんだけど今思い返すと微妙だったな。ミサキは人の心を読むのに長けてるっていうか、どうも俺が計算ずくで行動してて、彼女に好かれそうな男の芝居をしてるってのがバレてる節があったんだよね。ミサキは賢いからそういうことを正面から指摘したりしないし、俺を傷つけないようにああいう断り方をしたんだろうけど、結果として振られちまった事実は否定しようがない。で、そんな俺の転生先がここ本能寺であるわけだから、俺の人生どんだけナイトメアモードだよって感じだ。

「殿、さっきから何をぶつぶつ言っておられるのですか?ここは蘭丸が防ぎますから、殿は早くお逃げください」

 そんなこと言われても逃げる場所なんてないんだよなあ。逃げる場所があったら歴史が変わってしまうじゃん。っていうかこの若侍は蘭丸だったんだな。そりゃそうか。信長である俺の傍に侍ってるんだから蘭丸だよな。うん、そう言われてみるとやっぱりミサキとは全然違う。ミサキはこんなに眼力が強くないし、頬の輪郭も蘭丸ほど引き締まってない。蘭丸は美少年には違いないだろうけど、どう見ても女と見紛うような容姿じゃない。体格もずいぶん立派で頼りになりそうだ。そりゃそうか、あの鬼武蔵の弟だもんな。あ、鬼武蔵ってのは蘭丸の兄貴の森長可のことで、人間無骨って槍を振るって活躍してた剛勇無双の猛将。これミサキに教えてもらった豆知識ね。この兄貴は小牧・長久手の戦いで戦死する事を俺は知ってるけどさすがにこれは蘭丸には教えられないよな、なんて思ってるうちにあちこちから銃声が聞こえてくる。ドラマで聴くのとは違って乾いた音が、かえって恐怖を増大させる。続いて明智の兵と思われる者達の上げる雄叫びが聞こえる。兵達が槍を交える音が鳴り響き、俺は迫りくる明智軍におびえながら必死に脇息にしがみつく。

「殿、いつまでそうしておられるのですか。明智軍はもうすぐここまでやってきますぞ!」

 蘭丸の叱声を浴びて、俺はようやく立ち上がることができた。俺は両手で頬を勢いよく叩いて無理やり気合を入れる。そうだよ、俺がここで情けない振る舞いをしていたら、その様子を見た者が信長は光秀の襲撃を前に怯えていただけの臆病者だったと歴史に書かれてしまいかねない。それでは困るのだ。俺がここで醜態を晒したら、信長の人生なんて小説にも大河ドラマにもならなくなってしまう。本能寺は信長の人生最後の見せ場なのだ。ここで下手を打ったらミサキが『下天は夢か』から戦国時代にハマることもできなくなってしまう。そんな事態を避けるため俺はそばに立てかけてあった槍を手に取り、いよいよ騒がしくなってきた廊下に出て明智勢と戦うことにした。

 表へ出ると、すでに屋敷の方方に火矢が射掛けられており、本能寺は炎上し始めている。蘭丸を始めとする小姓達は必死に奮戦を続けていたが衆寡敵せず、次第に明智勢に周囲を囲まれつつあった。蘭丸の窮状を見かねた俺は槍を手にして明智勢に飛び込み、瞬く間に数人を突き伏せる。お、お館様強いじゃん。これ中身は俺でも身体は信長だから、槍の使い方は身体が覚えてるってことなんだな。動いてみた感じ信長は槍スキル30くらいはありそう、って30って何の単位だよ。とにかく身体が軽々と動くし明智兵の動きなんて半分止まって見える。異世界だったら無双できそうな身体能力を持っているのに、この絶望的な状況下で戦わなければいけないのが何とももどかしい。いくら強くても銃弾を斬るスキルなんて備わってないだろうしね。ってかそんなこと出来たら歴史が変わってしまう。俺はこの場で勇敢に戦いつつも、史実通り死ななくてはならないのだ。何とも理不尽な話だ。

 俺が加勢したので蘭丸は元気を取り戻しつつも、また「殿、ここは危険です。早くお逃げください」なんて言う。無茶言うなって。俺は本能寺の構造に全く不案内だし、明智勢が蟻の這い出る隙間もないほどびっしりと周りを固めていて逃げることができないし、そもそも歴史は変えてはいけないし。ってか本当に変えちゃいけないのか?なんて問うこと自体がそもそも無駄だ。今この場において、俺が助かる可能性など万に一つもないのだから。

 仕方がないので俺は再び槍を手に戦い続ける。でもお館様の体力も無限じゃない。俺が十数名の兵を突き伏せると、明智勢は俺を遠巻きに囲んだまま近寄れなくなった。返り血をたくさん浴びた俺はさぞ鬼気迫る姿になっていることだろう。近接戦では勝てないと思ったのか、明智兵は今度は一斉に銃を構えて俺に冷たい筒先を向ける。ここまで俺なりに抵抗してみたものの、もうこれで最期か。信長が火縄銃で討たれて死んだなんて話は聞いたことがないが、ここで死ぬという結末さえ変わらなければ歴史の大勢は動かないだろう。ふと脇を見ると蘭丸が肩で荒く息をついている。着物のあちこちが破れて血が流れている。何箇所にも手傷を負ってしまったようだ。中身はただの高校生にすぎない俺のためによくぞここまで戦った。なんだかこの美少年を裏切っているようで申し訳ない気分になるが、俺も転生先でいきなり謀反を起こされたのだから少々本物の信長らしくない挙動があっても勘弁して欲しいところだ。さて、俺もそろそろ終わりらしい。これでも一応仏教徒なので念仏でも唱えてみるか――いや信長は無神論者だってフロイスは言ってたんだっけ?それは誤りだってミサキは言ってたけど、誰も心の中まで覗けはしないんだからここは俺の好きにさせてもらうとしよう。そこまで考えて俺はゆっくりと瞳を閉じて南無、と唱えたところで乾いた銃声が響いた。しかし俺の痛覚は全く反応しない。緊張が極限に達して神経が麻痺してしまったか、あるいは俺の魂はすでに信長の身体を離れて宙を彷徨っているのか?と思い目を開けると、俺の目の前で蘭丸が地に崩折れていた。その胸には銃弾で穴が穿たれ、とめどなく血があふれ出している。

「蘭丸!」

 いや、どうしてだよ。なんでここでお前が死ぬんだよ。明智兵が狙ってたのは俺だろ。何勝手に俺の前塞いでるんだよ。ここでちょっとくらい俺を生きながらえさせたところで、どの道俺は死ぬ運命なんだって。そもそもお前の眼の前にいる男は信長ですらないんだよ。いや信長だけど、でも信長じゃないんだよ。もう自分でも何考えてるのかわからなくなってきた。とにかく、お前が俺なんかのために盾になる必要はどこにもないんだよ。どうして俺を助けたんだよ?

「殿、光秀に首を討たせてはなりません」

――ああ、そうか。光秀は本能寺で信長の首を見つけることができなかったんだっけ。そう言えば以前ミサキが、信長の首が見つからなかったから秀吉の中国大返しが成功したって言ってたな。何でも、秀吉が信長はまだ生きてるって偽情報を流して信長配下の武将が光秀につかないようにしたんだとか。光秀が信長を討って六条河原にでも首を晒していたら、誰もそんな話は信じなかっただろう。そう、俺はまだここで死ぬわけにはいかないのだ。でもどうする?もう小姓達も疲れ切っているし、俺が逃げられる場所なんてどこにもない。いくら信長が強くたって、明智の鉄桶てっとうの陣を破って一人で逃げるのはさすがに無理だろ。俺は一体どうすれば――

「これまでだ、信長」

 そこまで考えを巡らせると、兵達の間から一人の将が俺の前に進み出た。円形の飾りをつけた兜の下の顔は端正で、声音は涼やかに響きわたる。どうやらこの男が光秀らしい。

「我が貴様に兵を向けるは決して私事ではない。天下万民のため、貴様を滅ぼす」

 言ってくれる。だがこの際光秀が兵を挙げた理由はどうでもいい。俺はどうにかしてこの場を逃れ、光秀にこの首を渡さないようにしなくてはならないのだ。しかし、光秀がそんなことを許してくれるだろうか?

「光秀よ、天下が欲しいなら、なぜ堂々と我と戦わぬ」

 俺が試みにそう言うと、光秀は押し黙った。光秀は俺の台詞に違和感は感じていないらしい。ならここはもうひと押ししてみるか。

「手薄な本能寺を襲えば、勝てるのは知れたこと。光秀、お前は天下を盗もうとしているだけだ。お前が天下人の器ならば正々堂々と戦い、天下を奪っていただろう」

 どこかで聞いたような台詞だが、光秀は何も反論することができない。やはり油断している主君を狙ったことを少しは後ろめたく思っているのだろうか。

「お前は所詮、天下人の器ではない。お前が仮に天下を取ったとしても、その天下は三日と持つまい」

 俺がそこまで言うと、光秀は雷に打たれたようにその場で固まってしまった。俺が即興で考えた台詞も、かつての主君から言われると相当な迫力があるらしい。光秀自身、己の力量についてはよく自覚しているのだろう。歯噛みしたまま小刻みに肩を震わせている光秀を前に、俺は蘭丸の身体を抱え上げて御殿の奥へと入ろうとする。

「殿、奴を行かせてはなりません!」

 光秀の脇の若い侍が叫んだ。

「良いのだ、左馬助。最期くらい、奴の好きにさせてやれ」

 光秀、あんたいい人だな。いや、度量の無さを指摘されて最後に度量を見せてやろうと思ったか。いずれにせよ、光秀はもう俺を追う気はないらしい。そういうことか。それで信長の首が見つからなかったのか。光秀がこういう男だったということを太田牛一には記録しておいてもらいたいところだが、あいつは信長の部将だからそんなことは期待できそうもない。とにかく、これであとは死ぬだけだ。最期はどうしたらいい?俺はちゃんと腹を切れるのか?俺は火勢の強まる本能寺を歩きつつ考える。槍を握った時も自然と身体が動いたから大丈夫か。痛そうだけど火に囲まれて死ぬよりはマシだろう。ここまでどうにか信長らしく振る舞ってきたんだから、最後まで信長を演じきってやるまでだ。俺は何度か襖を開けて殿中の奥の部屋に入ると、蘭丸を床に横たえた。蘭丸はもう虫の息だが、かろうじて生きてはいる。

「お前には大したこともしてやれなんだ、蘭丸」

「何を弱気なことを仰せられます。殿は生きて、天下をお取りくださいませ」

 お前まだそんなこと言ってんのかよ。家臣の立場じゃこう言わなきゃいけないのか、それとも本当にこう思っているのか。もう堪えきれずに俺の両目からは涙が溢れ出す。

「私の前で涙を流すなど、殿らしくありません」

「ああ、そうだよ。俺は信長だけど信長じゃない。お前の知ってる信長じゃないんだよ、蘭丸」

 ついにそう言ってしまった。蘭丸の前では最後まで信長であり続けなければいけないのに、俺はもうこみ上げてくる激情に耐えられなかった。

「済まないな、蘭丸。どうにか信長らしく振る舞おうとしたが、やっぱり無理だった。さっきは偉そうなことを言ったけど、結局俺も天下人の器じゃなかったんだ」

「ええ、私も気付いておりました」

 俺の全身が粟立った。やはり見抜かれていたのか。ミサキに告白したときと同じだ。俺の薄っぺらい演技なんて、蘭丸には全てお見通しだったのだ。

「いつ、気付いた」

「ここが明智勢に襲われた頃から様子がおかしいと思っていましたが、決定的だったのは殿が『お前の天下は三日と持たない』と仰ったことです。まるで未来を見てきたかのような台詞ではありませんか」

「――――!」

 蘭丸、それはどういう意味だ。それこそ未来を知っていなければ言えない台詞じゃないのか。

「でも、上手くお館様を演じられていたと思います。少なくとも光秀は気付かなかったことでしょう」

「それなら、いいんだが……」

 身を挺して俺を守ってくれた蘭丸に対して、俺は最後に何をしてやれるのだろう。もうすでにこの部屋の近くまで火が回っている。あと残された時間はわずかしかない。よく考えろ、こういう時にドラマでよく見かける場面があるじゃないか。

「俺ので満足できるかわからないが、敦盛をひとさし舞ってみせるとしよう」

「ありがたき幸せにございます」

 もうそんなに畏まらなくていいのに、蘭丸は最後まで蘭丸でいたいらしい。ならば俺も最後まで信長でいようじゃないか。


――人間五十年 化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり

一度生を享け、滅せぬもののあるべきか


 俺は朗々と歌いつつ舞った。やはり動きは身体が覚えているらしく、特に戸惑うこともなく俺は敦盛を舞い終えることができた。

「眼の前で信長様の舞を見ることができたので、もう思い残すことはありません」

 蘭丸はこの上なく幸せそうな笑みを浮かべている。こういう時はなんて返せばいいんだ。何も気の利いた台詞が思い浮かばない。何か思いつけよ俺。光秀の前ではあれだけ言いたいことが言えたのに、今最後を迎えようとしているこいつには何も言ってやれないのか。こういうとき信長ならなんて言う?

「――で、あるか」

 ふとそんな台詞が口をついて出た。蘭丸は右手の人差指と親指で小さな輪をこしらえた。それはこの時代の人間の仕草ではあり得なかった。

「蘭丸、今度生まれ変わるなら、どうしたい」

 俺がそう問いかけると、蘭丸は静かに笑って答えた。

「再び人として生まれ変わり、殿と天下を目指します」

 俺が期待したとおりの答えだった。彼女ならこう言うだろう。蘭丸ががくりと首を垂れると、俺は掌をかざしてゆっくりと瞼を閉じさせた。すでにこの部屋の障子にも火が燃え移っている。俺は懐から小刀を取り出し、しばし瞑目すると、渾身の力を込めて腹に突き立てようとした。しかしまさにその時、まばゆい光が俺と蘭丸を包み込んだ。俺がトラックに跳ねられたときと同じ光だ。すぐ近くにまで火が迫っているのに、不思議と熱さを感じない。次第に周囲の光景が薄らいで暗くなり、やがて漆黒の闇に覆われた。次第に眠気が襲ってきて、遠くにぼんやりと派手な造りの天守がみえた。どうやら安土城らしい。

(――あいつとともに目指す天下、か)

 それも悪くないだろう。あいつとなら、どこまでも高みにのぼっていける気がする。薄れ行く意識の中で最後にそう考えると、そこで俺の視界は暗転した。

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