4-5 気持ちはレモンパイ

 ついに『島果樹園シリーズ』の商品ができあがった。

 最終生産を前に、企画に参加してくれた果樹園主人達がゴリまんの仙波家に集まった。

 

「こちらです」

 真田社長の声に、そばにいる涼が大きなテーブルの上に商品を並べた。

 仙波家の大客間に集まった果樹園主人達と、付き添ってきた夫人達が身を乗り出して覗き込む。

 どの主人に夫人も、いくつかある商品から、各々の果樹園名が記されているラッピングを探している。


 涼が考えた『島果樹園シリーズ』という製品は、島の名でシリーズと名付けられた。各種包みには『二宮果樹園 レモン』、『仙波農園 蜜柑』、『松本果樹園 紅マドンナ』など、はっきりと果樹園名と提供した果実を明記。他にも伊予柑、タンゴール、不知火、河内晩柑、キーウィーなど。この島で生産される果実を集め、それぞれの果樹園で自信ある果実を提供し、真田珈琲が店頭小売りのシリーズ商品として手がけた。

 ラベルは、地中海カントリーを思わせる白と青を基調にしたミコノス風のデザイン。デザイナーの彼曰く『瀬戸内と地中海は似ている』ということだった。言われてみれば、柑橘にレモンにオリーブの栽培が盛んになった気候であるのは、地中海と気候が似ているせいもあったのだろう。彼のその感性から生み出された新しい瀬戸内の見せ方、伝え方に、流石の真田社長もかなり感銘を受けたらしく、イメージだけ描いた簡易的なラフ画だけを見て一発OKを出したのだとか。気難しい真田社長を虜にしたデザインだから、きっと人目を惹くこと間違いなし。


 涼はこのパッケージを一目見て、『俺がやりたい仕事は、ここにある』と衝撃を受けたという。自分がなかなかイメージできないもやもやを、真田社長と地元印刷会社の若いデザイナーがきっちりと描き出してくれた。『一目惚れだ。あのイメージでの仕事をふいにしたら、俺はもうただの営業マンで終わるとさえ思った』。そんな気持ちを涼は珠里に教えてくれた。そして彼はカメリア珈琲を辞め、真田珈琲に引き抜かれた。

 地元の自分たちの手で、地元のものを発信していく。

 彼の夢が、いまここに。そして、珠里も……。

 この島シリーズの商品が、涼が企画したこの島を思っての企画が、もうすぐ真田珈琲各店舗のレジ前に並べられ売り出される。

 シリーズ第一弾に選んだメニューは『パートドフリュイ』。フルーツのピューレをペクチンで固めたゼリー。透明な丸筒の容器に宝石のように透き通る小さなキューブが積まれている。その容器をミコノス風のパッケージが包み込む。

 パッケージ表には、島の名と果樹園の名。パッケージ裏には、それぞれの果実のイラストをデザイナーが描いてくれた。こういう細やかな趣向を好み、きちんと実行してくれたのは、真田珈琲ならではだと珠里は思う。

 このシリーズの販売が店頭で好評だった場合、真田社長は土産物としても、各所に置いてもらう営業も既に始めているとかで、もしそうなれば、島の名と果樹園の名、そして自慢の果実が皆の目に触れるようになる。

 今、涼も社長と伴にその営業に全身全霊を傾け、奔走していることを珠里はよく知っている。

 並べられたパッケージを目にして、果樹園の主人に夫人達がそれぞれ手に取った。

「うちの果樹園の名がはいっとる」

「島の名も」

 それぞれが自分たちの果樹園の名が入った包みを手にして、感慨深そうだった。

 珠里もカネコおばあちゃんと一緒に手にとって、しみじみと眺め、微笑みあう。

 カネコおばあちゃんが、真田社長のそばに控えている黒縁眼鏡の涼を見た。

「おめでとう、涼君。そして、ありがとな。うちらのこの島と、皆の果樹園を、こうして知ってもらえるような商品を作ってくれて。ばあちゃん、嬉しいわ。ほんま、ありがとうな」

 おばあちゃんからの言葉に、涼も嬉しそうだった。

 果樹園側のまとめ役リーダーを務めてくれた拓郎は、蜜柑が描かれている包みを手に、もう泣いていた。

「やった。俺達の島の名が入っている。うちの農園の名も」

 拓郎が、真田社長の隣に座っている涼を見る。

「やっぱり委員長だ。俺がよく知っている真鍋だった。やってくれたな。ほんと、真鍋に任せてよかった……」

 大きな身体を丸め、拓郎が思わず嬉し泣き。ガキ大将だったけれど、人望がある親分な同級生。今は、この島の柑橘を守る仕事を引き継ごうとしている次世代の島の親分候補。そんな彼が小さくなって涙をこぼしているのを見ていたら、八年間、彼と一緒に畑を継いできた珠里ももらい泣きしてしまう。

「だけど委員長、馬鹿だな。ほんと昔から、ここへ行こうと思ったら、そこめがけて真っ直ぐに行ってしまうんだから。これの為に、東京でのエリート生活を捨てやがって」

 だからこそ、拓郎が『さすが委員長』と感謝している。だけど、涼は軽やかに笑っている。

「アハハ。東京へ転属したからって、そこで俺がエリートになっているとは限らないだろう」

 なんて謙遜している横で、縁なし眼鏡の真田社長が急に険しい顔で言った。

「そうだな。真鍋には無理だろう。カメリアには華やかさが必要だ。カメリア向けのセンスなら、真鍋よりも梶原君のほうがあるというものだ」

 カメリアらしい洗練されたセンスを持っていた元ライバルの後輩を引き合いに出され、元々気にしていた涼が渋い顔になる。

「社長、お言葉ですが――」

「時間がない。皆様に次のお知らせしてくれないか」

 そして真田社長は、そんな部下を軽くいなして少し楽しそうだった。

 珠里は時々見るようになった涼と社長の『師弟関係』を微笑ましく見守っている。

 お気に入りの部下を側に、彼の成長と生意気さを日々楽しんでいるようだった。生意気を楽しめるだなんて、その余裕がさすが狼社長さんと珠里は思っている。

 だけれど委員長はもう社長に言われたとおり、眼鏡のレンズの奥で違う眼差しを見せていた。気のせいか、そんな時の眼が社長に似てきたようにも感じる。

「今回は、流行を意識して『パートドフリュイ』を生産してみましたが、第二弾の企画も進めています」

 目の前に並べられた製品を喜んだのも束の間、真田珈琲サイドではもう次を見据えていた。


 空港に、列車の駅に、フェリーの港に。お城山に、温泉街。そして街中の観光客が訪れる様々なお店に。なによりも、この瀬戸内で暮らす街の人々に。真田珈琲発の島果樹園シリーズの小さなスイーツで、和んで頂けますように。




 島果樹園シリーズのお披露目が終わり、珠里もおばあちゃんと一緒に二宮のキッチンへ戻る。

「さて。今日はなにつくろうかね」

「この季節になるとレモンパイが美味しいよね。おばあちゃんが、私にいちばん最初に教えてくれたお菓子」

「ほなら。またこさえようか。真田さんも、涼君も、梶原君も好きゆうてくれてるし。また明日も誰かが来るやろうからね」

 おばあちゃんと孫嫁がにっこりと頷きあう。

 もう数え切れないぐらい一緒に作ってきた二宮果樹園のレモンパイ。

 これこそこの果樹園の原点だと珠里は思う。

「これも、たくさんの人に食べて欲しいなって、最近、思ってるの私」

 このパイをお茶菓子に出すと、ほんとうに喜んでもらえるから。

 おばあちゃんとパイを淡々と作ること数時間、夕も近くなった頃に、キッチンの扉に人影。

「お疲れ様、珠里いますか」

 夫になった涼が迎えに来てくれた。

「お、またレモンパイつくっているんだ」

 デコレーション台で珠里がレモンクリームを絞って仕上げているところを見て、嬉しそうに近づいてきた。

「もうすぐ出来上がるの。でもこれ明日のお茶菓子」

 だから今日はダメだよと告げても、涼はがっかりしなかった。そのかわり小脇に抱えているクリアファイルを珠里に差し出した。

 それを手に取り眺め、珠里は夫になった彼を見上げる。

「涼君、これ……」

「カメリアで却下された企画。真田社長は一発でOKをだしてくれて、明日、社長と一緒に二宮果樹園さんにお願いをする予定」

【 二宮スイーツの原点 これがほんとうの、おばあちゃんの島レモンスイーツ レモンパイ】

 そんなタイトルに珠里はもう笑みがこぼれる。

「私もおなじこと考えていたの! ほんとうにこれをやってくれるの?」

「俺も、真田社長まで虜にしたおばあちゃんのパイをほうっておくわけないだろ。梶原は……ライバル社の企画マンになってしまったけれど、アイツも絶対に喜ぶと思うな」

 同級生の彼と、同じ事を考えていた。やっぱり見ているところがもう同じ。

「なあ、それでな……」

 新妻を迎えに来たはずなのに、涼はいつも珠里が座っている椅子に落ち着いてしまう。

「このレモンパイ、カフェだけではなくて、こんな小さめサイズを冷凍にして、土産物にして売りたいんだよ。解凍できているものは飛行機や列車でも食べられるようにとか……、それでさ、古泉のカフェではレモネードも出したいんだよ。それから……」

 次から次へとやりたいことが浮かんでしまうらしい。

 そんな生き生きとしている涼を見て、珠里とおばあちゃんは一緒に笑った。

 まずは真田社長も一緒にねと言うと、やっと勢いが収まった。

「地元を大事にしてくれる営業さんがそうして頑張ってくれるの嬉しいわ。涼君、これからもいろんな地元のお菓子をこさえてな」

 この瀬戸内からこれからもなにが生まれるのか、届けられるのか。

「珠里ちゃんも、畑、頼んだわいね」

 これからの島の子たちに任せたわ――と、カネコおばあちゃんが、結婚した同級生に託してくれる。


「帰るか」

「うん」


 涼の車に乗って、フェリーに乗って、対岸港の海猫の家まで一緒に帰ることに。

 おばあちゃんも『ほなら、また明日。きぃつけておかえり』と、嫁に出て行った元孫嫁を嬉しそうに見送ってくれる。


 夕暮れの小坂を手をつないで一緒に降りる。

 目の前は瀬戸内海、今日も鴇色ときいろの夕凪。


 小坂のそばにある果樹園。そこで珠里は夫の涼と手をつないだまま立ち止まる。


「どうした珠里」

 彼も緑の葉が夕風にさざめくレモン畑を一緒に見つめている。

「今年、いちばん最初にもいだレモン。涼君にあげたいの。その時、一緒にいて」

 どうして? 同級生だった夫が首を傾げる。

「大事なものだから」

「そうなんだ……、わかった。楽しみにしてる」



 夏が終わると、また青いレモンが果樹園に実る。

 


 レモンをどうぞ


 

 いつか直人が珠里に渡してくれた青いレモン。今度は珠里が渡したい人に手渡す。

 眼鏡の委員長がレモンの実を、大きな手のひらに優しく包んでくれる。

 私たちのレモンよ。瀬戸内育ちのレモン。


 


■ 瀬戸内レモン 完 ■




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瀬戸内レモン 市來 茉莉 @marikadrug

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