主人公のゆすらは生きていくのがあまりうまくないタイプの人間かもしれません。神経の糸を張り詰めすぎたり、緩め過ぎたりして、失敗をしてしまう。そういう人だと思いました。
物語の中でもいつもどこかが緩みすぎていて、その裏でとんでもなく張り詰めたピアノ線のような、細い目には見えない糸の存在を感じます。
家主のいなくなった家で。娘のゆすらは夫の木崎さんとふたりぼっちで暮らしています。幼い頃からずっと慣れ親しんだはずの家なのに。自分の家なのに。肉親の不在が、周囲の態度が、ゆすらの存在を揺るがします。
そんな中で出会った、ゆすらの拠り所となる男性。なにもかもゆすらとは反対の、本を読まない、父を知らない、男性。
木崎さんは専業主夫として小説家としてのゆすらを支えます。ゆらぎない愛情と、温かい眼差しとともに、たくさんのごちそうを作って。
丁寧に積み重ねられた文章が、緊張感を保ちながら綿々と綴られています。
ゆすらの感じている違和感、差異、疲労、倦怠。才能への恐怖、亡くなった父への思い。毎日ごはんを食べて、仕事をして、ときどき外へ出て同業者と会ったり。自分へ向けられた周囲の同情や期待に押しつぶされそうになりながらも、物語の中でゆすらは小説家として大きなステップアップを遂げます。それはある意味彼女が父の死を乗り越えた瞬間なのかもしれません。
大好きで、偉大で、尊大な、父親。しかしゆすらはどこか、裏切られたような見捨てられたような気持ちを抱いてしまいます。傷ついた彼女を癒やしたのが木崎さんの料理と揺るがない眼差しなのでした。
奇妙な距離感をもった新婚夫婦の一年。みなさんもぜひゆっくり追いかけてみてください。美味しいごちそうと、季節と、何重もの愛情にくるまれた孤独が、頭の中で駆け巡ることになると思います。
自分の内面で言葉になりきらないものに、しっかりと形をつけてもらえる、というような感覚を覚える文章です。
それは、簡単な言葉で済ませれば、ゆすらという人の言葉や考え方に「本当にその通りだな」と納得できる、共感できる、ということかも知れません。
そういう共感があるからこそ、おいしい食べ物があるおだやかな日常と、だけれど不穏な雰囲気が、不思議な心地よさを持っています。
大きな事件が起こらずとも、その文章をずっと読んでいたい、と思ってしまいます。
また、淡々としているようでいて、きちんとゆすらの心の動きに沿って構成されているように感じました。
前半は、自身の家から動けず、それが嫌で仕方がないのに、いざ動くことも恐ろしい、というような複雑な感情が、いろんな所から感じられます。
例えば、昔の家や家庭を思い起こさせる変わらない幼なじみへの感情や、逆に変わってしまった人への感情。
そういう類の辛さを感じたくないので、昔の自分や家とは関わりのない、変わっても変わらなくても関係がない人の所へ安心を求めている、というようなゆすらの脆さと今の状況がよく分かります。
だけれど、途中からその「安心」にも陰りが見えてきてしまいます。
そして、終盤、ある人との間のすれ違いが、すれ違ってしまった結果の今がはっきりとなり、切なさ、やり切れなさが迫ってくるようです。
その段になって、やっと、なぜゆすらがそこまで過去を恐れるようになってしまったのか、もしあの時こうなっていたら過去に苦しまなくても済んだのかもしれない、ということが分かった気がして、はっとさせられました。
でも、最後にはどこかすとんと腑に落ちてほっとするようなラストが迎えてくれます。
それまでと同じく、おいしいものを食べる、ということが、夫と一緒に過ごすことの安らぎを象徴していて、こうやって寂しい気持ちになってもちょっとした幸せでそれを埋めて、一緒にずっと生きていくというのが本当なのかもしれないな、と感じました。
読んでいて、ゆすらという人の感覚にとっぷりと浸っていけるような、痛々しいけれどとても大切なことが詰まった作品です。