おまけ 俺のサンタさん



「じゃあ、行ってくるねー」

 美貴はお気に入りのコートを着こんで、鼻歌まじりに玄関へ向かった。

「あー、待て待て」

 俺は寝癖頭をなでつけながら、その後をドタドタと追いかける。


「夕飯はどうするんだ?」

「わかんない。あとでまた連絡する」

「そっか……。あんまり遅くなるなよ」

「はーい」

「車に気をつけろよ」

「はーい」


 そして美貴は、ふりかえりもせずに出かけていった。

 いつもながら、返事だけはいい。

 ……そう、返事だけは。


 男手ひとつで娘を育てて、十七年。

 十年ひと昔というが、子どもの成長を考えるとふた昔でも足りない。

 ひょいと抱きあげられた頃が、遠い昔の事のようだ。

 今や娘も天下の女子高生、人智を越えた存在に成長した。

 うっかり頭もなでられない。





 ところで。

 作家というのは……と言い切るのは勇気がいるが、締切近くになれば昼夜を問わず部屋にこもり、当たり前のように徹夜をする職業である。

 そのせいで時間や曜日の感覚もめちゃくちゃで、と言い訳してもはじまらないが。

 去年は年末に締切が重なったこともあって、クリスマスを忘れたまま年を越してしまった。


 正月になって、ようやくそのことに気づいた俺は、娘に平謝り。美貴は、いいよいいよと笑って気にしている様子もなかったが、俺は新年の街にケーキを買いに走った。


 苦い思い出である。

 だから今年は、ちゃんとクリスマスをやろうと決意して、早めに原稿も終わらせた。


 しかし「親の心、子知らず」とはよく言ったもので。

 クリスマス・イブの今日。

 無情にも娘は父を置いて、朝から遊びにでかけてしまったのである。

 ふたりで豪華な外食でもして、帰りにケーキを買って、なんて考えていたんだけど。今日は仲のいい友達と一緒にお昼を食べて、午後は買い物に行くのだそうだ。


 どうせ、そのまま夕飯もどこかで食べてくるだろう。

 そういう友だちがいるのは、いいことだ。

 聞きもしないのに「女の子の友達だから」と言っていたのが少し気になるが、まあ深く考えるのはやめておこう。





「もしもし、お父さん?」

「……おう。どうした」

 夕方になって、美貴から電話がかかってきた。

「これから友達連れて帰るから」

「今から家に?」

「そう。会わせたい人がいるの」

「……え?」


「ちゃんと着替えて、ヒゲもそって、寝癖もきちんとなおしておいてねー」

「おい、ちょ……」

 美貴は言うだけ言うと、返事も聞かずに電話を切ってしまった。


 おいおいおい!

 どういうことだよ、会わせたい人って!

 まさか、いや、まさかなあ。

 まだ高校生だぞ。

 美貴にかぎってそんなことはない、あり得ない。

 あり得ないけど万が一、万が一のときは絶対に許さん。


 言われたとおり、着替えてヒゲをそって寝癖をなおす。

 ついでに部屋を片づけて、頭も仕事モードに切り替えると、あとはコーヒーをがぶ飲みしながら帰宅を待った。





「は、はじめまして!」

「こんにちは、ですっ!」

 ふたりの女の子が、緊張した様子でぺこりと頭をさげた。


「や、やあ……いらっしゃい」

 美貴が連れてきたのは、同級生の女の子たちだった。

 会うのは初めてだが、娘の口から名前はよく聞いている子たちだ。

 一瞬で体の力が抜けた。


「さあ、どうぞ。あがって」

 美貴が友だちを案内する。

 ところが、自分の部屋へ連れて行くのかと思いきや、なぜかふたりを居間へとおした。


「……ん?」

「ふたりとも、熊田先生のファンなんだって」

 美貴が笑顔で種明かしをする。

 なるほど、それで会わせたい人だったのか。

 ようやく合点がいった俺を、ふたりの少女がキラキラとした瞳で取り囲む。


「私、先生の『猫の街のキミィ』が大好きです!」

「私は『月影横町の道具店』が好きです!」

「それは、どうもありが……」

「うわあ、どうしよう。やばい、わたし感動で泣きそう」

「あのサインもらえますか? 色紙、持ってきちゃいました!」


 興奮さめやらぬ乙女たちに囲まれ、ジリジリと壁に追い詰められる。

 俺は笑顔を貼りつけたまま、娘に救助を要請した。





「今日は私が作るから、パパはゆっくりしてて」

 友達を見送った美貴が、エプロンを巻いて台所に立った。


「せっかくのクリスマスなんだ。友達と食事でもしてくればいいのに」

「いいのいいの。お昼は一緒に食べたし、最近は家族と一緒にクリスマスを過ごすのが流行りなんだから」

 そう言いながら、慣れた手つきで食材を並べていく。


「なあ、美貴」

「ん?」

「すまなかったなあ」

「なにが?」

「去年のクリスマス。すっぽかしちゃっただろう?」

「まだ気にしてたの?」

「そりゃあ、だって……」


「――特別な日に特別なことをしてどうする。特別なことは普通の日にするもんじゃろう……ってね」

 美貴がしわがれた声を出して、そんなことを言った。

 それは俺が書いた『月影横町の道具店』に出てくるセリフだ。


 道具屋の店主がひねくれ者の老婆で、

「特別な日に特別なことをすると特別じゃなくなる。特別なことは普通の日にしろ」と言って、主人公たちを煙にまくシーンがあるのだ。


 感想を聞いても「面白かった」くらいしか言わないくせに、まさか本の内容を引用してくるなんて。俺にとっては、百の感想よりも嬉しい。


「じゃあ今日は特別な日だから、何もしないでのんびりしようか」

 そして、なんでもない日には特別なことをしよう。

 いつか親元を巣立つその日まで。


 クリスマスだから、特別なわけじゃない。特別なことをすれば、いつだってその日が特別な日になる。自分で書いておきながら、娘の口から届けられてようやくその意味がわかった気がした。

 どうやら俺のサンタさんは、まだまだプレゼントをくれるようだ。


 しばらくして、美貴の得意料理――豚バラのしょうが焼きの香ばしい匂いがあたりに漂いはじめた。

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今宵サンタは街角で。 あいはらまひろ @mahiro_aihara

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