おまけ 俺のサンタさん
「じゃあ、行ってくるねー」
美貴はお気に入りのコートを着こんで、鼻歌まじりに玄関へ向かった。
「あー、待て待て」
俺は寝癖頭をなでつけながら、その後をドタドタと追いかける。
「夕飯はどうするんだ?」
「わかんない。あとでまた連絡する」
「そっか……。あんまり遅くなるなよ」
「はーい」
「車に気をつけろよ」
「はーい」
そして美貴は、ふりかえりもせずに出かけていった。
いつもながら、返事だけはいい。
……そう、返事だけは。
男手ひとつで娘を育てて、十七年。
十年ひと昔というが、子どもの成長を考えるとふた昔でも足りない。
ひょいと抱きあげられた頃が、遠い昔の事のようだ。
今や娘も天下の女子高生、人智を越えた存在に成長した。
うっかり頭もなでられない。
※
ところで。
作家というのは……と言い切るのは勇気がいるが、締切近くになれば昼夜を問わず部屋にこもり、当たり前のように徹夜をする職業である。
そのせいで時間や曜日の感覚もめちゃくちゃで、と言い訳してもはじまらないが。
去年は年末に締切が重なったこともあって、クリスマスを忘れたまま年を越してしまった。
正月になって、ようやくそのことに気づいた俺は、娘に平謝り。美貴は、いいよいいよと笑って気にしている様子もなかったが、俺は新年の街にケーキを買いに走った。
苦い思い出である。
だから今年は、ちゃんとクリスマスをやろうと決意して、早めに原稿も終わらせた。
しかし「親の心、子知らず」とはよく言ったもので。
クリスマス・イブの今日。
無情にも娘は父を置いて、朝から遊びにでかけてしまったのである。
ふたりで豪華な外食でもして、帰りにケーキを買って、なんて考えていたんだけど。今日は仲のいい友達と一緒にお昼を食べて、午後は買い物に行くのだそうだ。
どうせ、そのまま夕飯もどこかで食べてくるだろう。
そういう友だちがいるのは、いいことだ。
聞きもしないのに「女の子の友達だから」と言っていたのが少し気になるが、まあ深く考えるのはやめておこう。
※
「もしもし、お父さん?」
「……おう。どうした」
夕方になって、美貴から電話がかかってきた。
「これから友達連れて帰るから」
「今から家に?」
「そう。会わせたい人がいるの」
「……え?」
「ちゃんと着替えて、ヒゲもそって、寝癖もきちんとなおしておいてねー」
「おい、ちょ……」
美貴は言うだけ言うと、返事も聞かずに電話を切ってしまった。
おいおいおい!
どういうことだよ、会わせたい人って!
まさか、いや、まさかなあ。
まだ高校生だぞ。
美貴にかぎってそんなことはない、あり得ない。
あり得ないけど万が一、万が一のときは絶対に許さん。
言われたとおり、着替えてヒゲをそって寝癖をなおす。
ついでに部屋を片づけて、頭も仕事モードに切り替えると、あとはコーヒーをがぶ飲みしながら帰宅を待った。
※
「は、はじめまして!」
「こんにちは、ですっ!」
ふたりの女の子が、緊張した様子でぺこりと頭をさげた。
「や、やあ……いらっしゃい」
美貴が連れてきたのは、同級生の女の子たちだった。
会うのは初めてだが、娘の口から名前はよく聞いている子たちだ。
一瞬で体の力が抜けた。
「さあ、どうぞ。あがって」
美貴が友だちを案内する。
ところが、自分の部屋へ連れて行くのかと思いきや、なぜかふたりを居間へとおした。
「……ん?」
「ふたりとも、熊田先生のファンなんだって」
美貴が笑顔で種明かしをする。
なるほど、それで会わせたい人だったのか。
ようやく合点がいった俺を、ふたりの少女がキラキラとした瞳で取り囲む。
「私、先生の『猫の街のキミィ』が大好きです!」
「私は『月影横町の道具店』が好きです!」
「それは、どうもありが……」
「うわあ、どうしよう。やばい、わたし感動で泣きそう」
「あのサインもらえますか? 色紙、持ってきちゃいました!」
興奮さめやらぬ乙女たちに囲まれ、ジリジリと壁に追い詰められる。
俺は笑顔を貼りつけたまま、娘に救助を要請した。
※
「今日は私が作るから、パパはゆっくりしてて」
友達を見送った美貴が、エプロンを巻いて台所に立った。
「せっかくのクリスマスなんだ。友達と食事でもしてくればいいのに」
「いいのいいの。お昼は一緒に食べたし、最近は家族と一緒にクリスマスを過ごすのが流行りなんだから」
そう言いながら、慣れた手つきで食材を並べていく。
「なあ、美貴」
「ん?」
「すまなかったなあ」
「なにが?」
「去年のクリスマス。すっぽかしちゃっただろう?」
「まだ気にしてたの?」
「そりゃあ、だって……」
「――特別な日に特別なことをしてどうする。特別なことは普通の日にするもんじゃろう……ってね」
美貴がしわがれた声を出して、そんなことを言った。
それは俺が書いた『月影横町の道具店』に出てくるセリフだ。
道具屋の店主がひねくれ者の老婆で、
「特別な日に特別なことをすると特別じゃなくなる。特別なことは普通の日にしろ」と言って、主人公たちを煙にまくシーンがあるのだ。
感想を聞いても「面白かった」くらいしか言わないくせに、まさか本の内容を引用してくるなんて。俺にとっては、百の感想よりも嬉しい。
「じゃあ今日は特別な日だから、何もしないでのんびりしようか」
そして、なんでもない日には特別なことをしよう。
いつか親元を巣立つその日まで。
クリスマスだから、特別なわけじゃない。特別なことをすれば、いつだってその日が特別な日になる。自分で書いておきながら、娘の口から届けられてようやくその意味がわかった気がした。
どうやら俺のサンタさんは、まだまだプレゼントをくれるようだ。
しばらくして、美貴の得意料理――豚バラのしょうが焼きの香ばしい匂いがあたりに漂いはじめた。
今宵サンタは街角で。 あいはらまひろ @mahiro_aihara
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