第9話 ある悪魔召喚士の信用取引

「その愚かな少年は助からないよ」


貴族の子供の様な姿をした神ハデスは、突然暗闇の中から煙の様に現れクロエに非情な宣告をした。


「あぁ、まだそこの脆弱な身体に魂を留めているみたいだけれどね、僕には分かるんだ。僕の神意がそう告げてる。愚かな事だよ。こんな馬鹿みたいな事をしなければ死なずに済んだのに」


相変わらず生気を宿さない、真白で美しい顔を軽く笑みで歪めている。クロエは言葉を発せず唇を噛む。焦りと絶望と、リュカを馬鹿にさた怒りで気がおかしくなりそうだった。


「少し昔の事を思い出したんだ。半神半人の癖に、僕の神域から死者の魂を連れ去る愚かな奴が居たんだ。僕に限らず神々は、その神域を犯し穢される事を嫌悪し決して許さない。その彼は、僕が神ゼウスを叱責して処分させたけれどね」


「神アスクレピオス様…ですか」


神ハデスは何故か少しムッとした表情を浮かべて、クロエを見据えて不貞腐れた声で言う。


「うん、アスクレピオスさ。あれが、神…か。罪を犯して処罰された愚か者を、死んだ後に人間の都合で神格化して、あまつさえ彼を"神"と称する事は、僕としてはあまり面白く無い話だよねぇ。そうなっちゃったものは仕方ないけれどさぁ」


少年の姿を仮りた神が「だいったい人間なんて生物は…」とまだ憤っている。ややあって、少女の方を向き直した神ハデスが、意味深に彼女にとって甘い言葉を語りかける。


「こほんっ、ねぇクロエ。君は彼の命を助けたいかい?」


ニヤニヤと、少女の心を分かり切った上で、反応を試す様な厭らしい笑みを浮かべている。クロエは神ハデスの威に当てられ口が開けないままで、必死に首肯し神ハデスの救いを請うことしか出来なかった。


「そう言うと思ったよ」とやや呆れた風に口を尖らせた神ハデスが話す。



「その少年は何もしなければ死ぬ。それは間違いない。ただ…それは何もしなければ。の話なんだ。賢いクロエはもう分かってるんじゃないかなぁ?…そう、悪魔の力だよ。僕の眷属であるマルバスの力を以ってすれば、少年の傷を治す事なんて造作もない事さっ!あははっ悪魔って凄いだろう?神でも彼を助けちゃくれないってのにさぁ」


神ハデスの言葉を聞いたクロエの瞳に光が僅かに戻ったのを見て、神ハデスが愛し子を慈しむ様な目で少女を見つめた。

聡いクロエには、その慈しむ様な瞳の裏に神ハデスの"何らかの思惑"の存在に気付いていたが、少女にとってリュカを助けられるならば他の問題は些末な事でしかなかった。


「でもさクロエ。君に今、金貨20,000枚って大金が用意出来るのかなぁ?」と主神の言葉を聞いた少女の瞳が陰ると同時に、神ハデスがある提案をクロエに持ち出した。


「ごめんよ。何も嫌がらせをしに来た訳じゃ無いんだ。ねぇクロエ、僕と取引しようか?…信用取引って言ってね、君達には馴染みの無い言葉なんだけどさ、僕の君に対する信用を以って、マルバスと仮契約させてあげるよ。もちろんタダでとはいかないから、君の魂を担保に入れて貰うけどね」


クツクツと神ハデスが笑みを零す。クロエが"担保"の意味が分からず、訝しむ表情を見せると言葉を続けた。


「今回の担保っていうのはね、期限までに金貨20,000枚を用意してマルバスと本契約をしなければ、僕がクロエの魂を頂きますよって事さっ。僕としては君の事は気に入っているし、魂を頂いたら僕の妻にするのも悪く無いかも知れない」


「何か聞きたい事はあるかい?」と神ハデスはその威を解き、クロエが口を開ける状態にする。

少女は重圧から解放され、荒々しく息を整えながら、横たわるリュカを一瞥しその神意を確かめる。


「神ハデス様、何故その様なお話を頂けるのですか?」


「まぁ、僕としては人間達が生きようが死のうが大した意味は無いんだけれどね。生物は皆、等しく生まれてやがて死ぬものだし。僕の神意とはあらゆる生物の"死"を受け入れて、新しい"生"へと導く事なんだよ。そして僕みたいな神意を持つ神は他にも居るんだ。ところがさ、この何百年か"ある神"が愚かな人間に囚われてしまっていてね。代わりに僕がその神の勤めを果たさなきゃならないから、忙しくて仕方ない。僕はね、前にも話したけれど面倒くさがりなんだ。彼を助ければ"或いは…"と考えた訳さ」


「まぁ、彼がそれをどうするかは僕にも分からないけれどね」と神ハデスは付け加えた。


「少年の命が消えようとしてる。もっと話をしていたいけれど、あまり時間が無いみたいだ。クロエはどうするんだい?」


「…かならず金貨を揃えて本契約致します。ですから、悪魔マルバスとの仮契約をお願い致します」


クロエの承諾を得て、喜んだ表情を浮かべた神ハデスは、右手をリュカの身体の方に差し向けて、彼の眷属へ命令を下した。


「分かった。じゃあ…マルバス、此処に来てくれるかな?今すぐ彼の傷を癒して命を繋いでやってくれ」


神ハデスは自然な口調で、まるで友達にでも話しかける様な言葉を口にすると、"象よりも巨大で猛々しくも気高い金色に輝く光に包まれた獅子"が顕現した。

その美しい姿は"神"や"天使"と表現した方が、実際の見たイメージに当て嵌まるかも知れない。


マルバスがその光に包まれた巨体を「のそり」と動かし、リュカの頭に口付けると、リュカの身体が金色に包まれ輝き始める。金色の光に包まれた獅子はスッと、クロエを一瞥し音も無く消え去った。



ややあって、クロエがリュカの傷口を見ると、先程まで赤黒い血が噴き出していた肩は、肉が盛り上がって、白いリュカの肌色の皮が張り、顔の血色も暖かみを戻していた。胸に耳を当てると力強い心臓の音が聞こえている。


安堵したクロエはリュカの胸に顔を押し当て声を出さずに涙を流した。


–あぁ、本当に良かった…



「まぁ、金貨の事なんだけれどさ、その少年に相談してみるといいよ。色々面白い力を持っているみたいだしね。期限は60日だけど、君達なら直ぐに用意出来るんじゃ無いかな?それに…運命なら既に動き始めている」


暫くクロエを見つめていた神ハデスは「じゃあ、頑張ってくれたまえよ」と戯けた口調で言い残し、夜の闇の虚空へと消えて行った。


「神ハデス様…」


生まれてから今日まで、自らの主神に対し嫌悪感を抱いき続けて来た少女は、その考えを改め、初めて主神に対して感謝の意を捧げた。





「目を覚ましたの?何処か痛い所とか無い?」

非常に冷たい目でクロエは目を覚ましたリュカを一瞥し、おざなりに身体の調子を聞いていた。


「あ、うん。大丈夫みたいだ」


「大丈夫じゃ無いわよ。あんまり心配させないで」


非常に冷めた表現を一切崩さず「で、シャルはどうだったの」と、昨晩の説明をリュカに求める。


「ああ、石の錬成は上手くいった…?かな、身体を考えいた以上に持って行かれ過ぎて、血を失い過ぎたんだ。ポーションは一応用意してたんだけど、血が止まらなくて…錬成で犠牲にしたものは存在自体が消失するみたいなんだ」


「それであなた自分の身体を犠牲にしたの?…いい加減にして。死んだらどうするつもりだったの」


「…ごめん、僕の見込みが甘かったせいだ。心配掛けてごめん。シャルの魂なんだけど、僕と一緒に転がっていた石を見せてくれるかな?」


クロエが取り出した赤黒い石を、暫くジッと見つめていたリュカは「大丈夫だ…」と呟くと、石にクロエの魂が定着している事を確認して安堵した。


ややあって、リュカは、昨晩シャルロッテの部屋であった事の顛末をクロエに話した。そして1つの疑問を口にする。


「ところで、僕が錬成の代償に受けた傷口が完全に治って、失った血まで戻ってるみたいなんだけど…」


「それね、あなたが倒れていた部屋に入った後、神ハデス様が私の前に現れて、あなたの傷を治す事が出来る悪魔との"仮契約"を私に提案してくれたの」


「仮契約!?」


「金貨20,000枚必要だったけれど、今の私達にそんな大金無いからって、信用取引…えっと、私の魂を差し押える代わりに、神ハデスが貸してくれたのよ」


クロエは神ハデスから聞いたばかりの慣れない言葉を、「ごにょごにょ…」と誤魔化して説明する。リュカは驚いていた様子で話しを聞いていた。



「つまり…神ハデス様が僕の命を助けてくれて、君がその担保として君の魂を差し出した。期限までに金貨を用意すれば君の魂は取られなくて済む。こういう事で間違いない?」


「ええ、間違いないわ」


リュカは「全く、君も無茶な事を…人の事言えないと思うよ?」と苦笑いを浮かべた。暫く考え込んでいたリュカが短い時間で纏めた考えを話し始める。


「とにかく君の魂を取られる訳にはいかない。僕らがダンジョンで得て貯めていた金貨は、昨日使った分を差し引いて約4300枚ある。僕の腕を使える様にする為に約800枚必要だ。残りは3500枚。シュヴァルツヴァイト家は僕が引き継いだから、屋敷を手放す訳にはいかないけれど、屋敷を元手にある程度は借りられるはずだ。それと、絵画や家財道具、国から頂いた価値の高い物を処分すれば、それなりに纏まった金額になる。もし、それでも足りなければ僕が何とかする」


「そんなっ!」悲痛な声をあげたクロエをリュカは手で制し、言葉を続ける。


「何度も言うけど僕は君を失う訳にはいかない。それは何があっても絶対だ。血は繋がって無いけれど僕は家長で君は家族だからね。それに、君が居たからあんな事があっても、僕は正気を保って僕でいられたんだ。家宝なんて幾ら手放しても僕は構わない」


真面目な顔で想いを告げるリュカに、クロエは胸に熱い気持ちを感じずには居られなかったが、少しだけ目を逸らして「そう」とだけ返事をして、目覚めて間も無いリュカの飲み物を取りに部屋を出た。




翌日、朝からクロエを部屋に呼んだリュカは、これから行う「ホムンクルス義体の錬成と肉体と魂への結合」を説明し、錬成の準備を始めた。


「危ない事なんて無いんでしょうね?」


「あぁ、今度は大丈夫だよ。ニコラスもかなりの数被験体で試して成功させてる技術だし、今回僕は"デュラハン"の質の高い魂晶を使うつもりだから、義体その物の失敗は無いはずだし」


リュカは術式の見通しを説明しながら、魔石を細かく砕いてパウダー状にし、水銀と合わせた"紫色の液体"で魔方陣を描いていく。液体は床に触れると薄く凝固し、みるみるうちに美しい幾何学模様の魔方陣が完成した。


リュカは魔方陣の中に立ち、素材となる物を並べていき、デュラハンの魂晶、最後に一房"リュカの髪の毛"を置いて、ホムンクルス義体の錬成を始めた。


『錬成"Prosthetic Body of Homunculus" ホムンクルス義体の錬成術式展開。及び、リュカ・シュヴァルツヴァイトの魂・肉体との結合術式の同時展開』


影のある紫色の光が魔方陣を照らし始めた。大量に置いた金貨がサラサラと砂塵に還り始めると、デュラハンの魂晶が、まるで生きているかの様にウネウネと動き始め質量を増やしていく。やがてそれは、リュカの白い肌よりも、もう少し白い左腕に形を変えてその形状を固定した。ホムンクルス義体の錬成が終了したと同時に、リュカが腕を肩口に宛てがうと、ホムンクルス義体の方から"触手みたいな物"が生えてリュカの身体に「プツプツ」と入っていく。


「ゔゔゔぅ…」


昨晩程では無い痛みにリュカが堪えていると、少しずつ痛みは和らぎ、新しい腕と身体が1つになった様な感覚を覚えた。リュカは義体を動かしてみる。肩を回し、手を握っては開いて暫く動かしていると、身体を動かす為に必要な情報が頭に入ってくる。


「…大丈夫みたいだ!」


「ちょっと、変な声出さないでよ」


リュカは「大丈夫だよ」と、いつもの穏やかな笑みを浮かべて新しい身体を動かしている。慣れたら元の身体よりも動かし易いらしい。パワーもスピードも義体の方が性能が高い。



「ねぇ、クロエ。デュラハンって黒い霧になって攻撃を回避するじゃない?覚えてる?」


「ええ、それがどうかしたの?」


突然のリュカの問いに「当然よ」とばかりに答えたクロエの目の前で、リュカが…消えて…気付くとクロエの背後に回り込んでいる。


正確にはデュラハンの移動手段の1つの"霧化"の能力なのだが、クロエには瞬間移動にしか見えない。リュカは笑いながら新しい能力を使い試していた。



「人間辞めてるわね…」と呆れた様に眉間を揉んだクロエも、嬉しそうなリュカを見て苦笑いを浮かべるしかなかった。

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愚者と金貨と魔導書の契約者~ティレニア地下大墳墓と死者の書 編~ ゴブちん @gobuchin

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