第6話 夢の出会茶屋
着付けが自分で出来るか淳之介に尋ねられたのが、化身した篠。
「着付け。どうしましょう・・・。ああ、いい事がありまする。着物を脱がなければいいのです」
「やっぱり、着付けは出来ないのですか。何となくそんな予感がしました。着物を脱がないって、どうするつもりですか」
と、淳之介。
「簡単でございます。着物を捲くればいいのです」
澄ました顔をして、化身した篠が言った。
「着物を捲くる?」
その言葉に、淳之介はビックリした。
「そうでございます。ほれ、この通り」
篠が着物を捲くって淳乃介に見せた。その姿は、武家の娘とは言いがたい、何と、はしたない、いや破廉恥な姿であった事か。着物を捲くって四つん這いになり、何とあらわにも尻をぽんと突き出した、いわゆる猫の交尾の体位。
「うううう・・・」
(にゃお~)
(う~、にゃおご~)
篠はこの体位になると、一瞬、猫に立ち返り、盛りの付いた猫が発する凄まじい呻き声をもう少しで上げそうになった。
(危ねえ、危ねえ。もう少しで呻き声を上げるとこだったぜ。この体位になると、自然に体が反応しやがる。良く声を出さなかった事だ。危うく正体がばれるとこだったぜ)
化身した篠は、四つん這いになりながら大きく胸を撫で下ろした。
淳之介は、破廉恥きわまりない篠の姿を見て、あきれ果ててしまった。
「猫じゃあるまいし。仮にも武家の娘ですから。幾らなんでも、この姿では。普通に顔と顔、見詰め合って抱き合えば、お宜しいかと。篠さま、早く着物を元に戻して立ち上がって下さいませ」
淳之介が弱り果てた顔で篠に呟いた。
「この姿では、駄目。そうでございますか」
篠も困り果てていた。
(猫ならいとも簡単な事が、人間の世界はこうも堅苦しいのか。これじゃ、子孫繁栄の楽しい筈の秘め事も肩が凝ってしょうがねえ。あ~、やだ。やだ。と、言ってここで投げ出せば、今までの苦労が水の泡。何か、いい知恵は?あっそうだ。女将さんに着付けを頼むという手があった。これだ。これしか無い)
淳之介は、もう白け顔。
「いい考えが浮びましたわ。着付けは、この店の女将さんに手伝いをお願い致します」
「女将さんに着付けの手伝いを。さて、引き受けてもらいますかね。駄目なら、その時は、ここを出ましょう。分かりましたね。篠さま」
淳之介は、もうその気が失せていた。
「分かりました。でも、女将さんが引き受けて下されば、その時は話が違いますよね。では、行って参ります」
戸の鍵を開け、外へ出ると、篠は疾風(はやて)のように、女将さんがいる一階へ疾風した。その速い事、速い事。まるで、猫のようであった。
化身した篠は、女将さんを捉まえた。
「女将さん、一生の頼みを聞いて頂けますか」
篠が女将に単刀直入に。
「何だねえ、一生の頼みとは」
女将が篠に尋ねた。
「着付けを手伝って欲しいのです。私、着物をひとたび脱げばひとりで着る事が出来ないのです」
「何~だ。そう言う事ですか。よござんす。あたいが着せてしんぜましょう」
女将は快く篠の申し出を承諾した。
篠は喜び勇んで二階へ上がった。
「近頃は、武家の娘と言っても、着物もひとりで着る事は出来ないのかね。本当に情ないね」
女将は、二階に目をやりながら大きな溜息を一つ付いた。
「引き受けてくださいました」
篠は部屋に入るなり満面笑みで、淳之介にこの事を伝えた。
「ああ、そうですか」
淳之介の愛想の無い返事。
「さあ、淳之介さま。早く」
さっさと着物を脱ぎ、長襦袢姿になると、篠は布団の中へ。
「分かりました」
淳之介も腹を決め、着物を脱いで布団の中へ。
篠は、今まで何度かオス猫と交尾をした事があった。運がいいのか、悪いのか、今まで妊娠はした事が無い。
猫の交尾は味気無い。後ろからさっさと突付かれると、それで一巻の終わり。気分もへったくれも無い。
だが、今度は違う。抱き合って愛を確かめ合う浮世絵の恋絵巻。そこは、桃色吐息の桃源郷。
篠は大きな大きな期待に胸をときめかせていた。
淳之介が布団に入って来た。
篠は目眩そうな宇宙を遊泳していた。
猫のオスと、人間の男とは、地と天ほどの開きがある。
人間の男は、まるで魔術師。
化身した篠は想像を絶する宇宙空間を、ゆらゆらゆらゆらと痺れるように漂っていた。
オスと男とは、余りに違い過ぎる。
第1、 男は知性を持っている。
異性を知性で手まりのように扱う。
男を経験できて本当に良かった。
篠は大粒の涙をひと粒零し、その違いを実感していた。
淳之介は篠が良く分からなかった。抱けば抱くほど、益々篠が分からなくなった。
武家の娘らしい楚々とした篠と、男の前で猫のように大胆にじゃれる篠。
おしとやかな気高い篠と、淫乱で野性的な篠。
どちらが本当の篠なのか。
その答えを手繰り寄せるまでに、淳之介は果ててしまった。
二人は暫く余韻を味わっていた。
淳之介が、頃合を計って立ち上がり素早く着物に着替えた。
「今から女将を呼んで来ますので、篠さまはここでお待ち下さい」
淳之介が横になっている篠に声を掛けた。
「ご足労をお掛けします」
と、篠の返事。
淳之介は階下に下りて行き、女将を捜した。
女中がいたので、女将に「部屋まで来て欲しい」と、淳之介は伝言を依頼した。
部屋に帰り、二人が待っていると、ほどなくして女将が現れた。
「よろしいですか」
と、女将の声。
淳之介が部屋の外に出て、よろしく頼むと、小さく会釈をした。
女将の手伝いで、何とか化身した篠は着物の着付けを行う事が出来た。
二人は女将に礼をして、やっとの事で出会い茶屋を出る運びとなった。
淳之介は篠を五谷家の屋敷まで無事送り届けた。
「これで、ひと安心」
淳之介は、胸を撫で下ろし自分の屋敷へと向った。
「今宵は、度肝を抜くとびきりの経験をしたものだ」
「女子(おなご)とは、所詮男には分からぬもの」
「篠さまは、それにしても分からぬお人じゃ」
淳之介は帰りの道々、独り言を呟いては歩き、歩いては首を傾げていた。そして、篠という女性を理解するのに苦しんでいた。
篠は門を入りゆっくりと、一、二、三、四、五歩と歩いた所で、猫の美化にあっという間に戻った。
美化は、辺りをきょろきょろ眺め回した。
幸い、誰かに見られている気配は無い。
胸を撫で下ろす暇も無く、美化は近道を通って楓家の屋敷まで、淳之介より早く辿り着いた。
自分の部屋に入った。
「あ~あ、凄い経験だったなあ」
美化は、あの時のあの瞬間を思い出すだけで、胸がか~と熱くなった。
「迫力が桁違い」
「衝撃が半端じゃない」
美化はあのシーンを頭の中で巻き戻すと、今もどきんどきんと心臓が大きく太鼓を鳴らす。
「こりゃ、中毒になるぜ」
「猫のオスなんぞの相手なんか、馬鹿らしくて、ちゃんちゃらごめんだね」
美化は馬鹿げた事をぶつぶつと喋り捲っている。
部屋に戻り、猫に戻っても、美化はなかなか通常には戻らなかった。
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