第7話 娘の失踪
それから、暫くして淳之介が焦点の定まらない目で帰って来た。
美化は、あの後の淳之介の反応が見たくなり、業と普段より淳之介にべたつきまくった。
「よさないか。美化!今日は勘弁してくれ。疲れているんだ。こら!よさないかと言っているのが、分からないのか」
淳之介は美化のべた付き攻撃に、もうお手上げ。
(私だよ。私。先ほど、あんなに乱れたのは、目の前にいる私だよ。分からないのか、てめえの目は、節穴か。めん玉をかっぴらいて、良く見ろい。イヒヒヒ・・・)
美化はふざけるのが、面白くて仕方がない。
よ~し、もっと攻撃してやろうと、美化が意気込んでいる所に、表から来客の大きな声がした。
どんどんどん。
「開けてくだされ。五谷でござる。夜分、申し訳ござらんが、急用でござる」
どんどんどん。
「開けて下され」
淳之介が門の横手にある通用門を開けると、門の前でそわそわしている五谷蔵乃進だった。
「夜分、申し訳ござらん。実は、娘篠が・・・」
淳乃介が蔵乃進の話に耳を傾けた。話の内容を要約すると。蔵乃進の娘の篠が、今だ家に戻らない様子。それで、蔵乃進が心配の余り、楓家に事情を聞きに参上したというもの。
「えっ、篠さまが・・・。可笑しいですね。ほんの先ほど、お屋敷まで送り届けた所ですが」
淳之介が首を傾げた。
「それは、今しがたの事か。それなら、入れ違いになっかも分からんな。取り急ぎ屋敷に戻るといたそう。急ぎ、確かめたい故、これにて、失礼致す」
蔵乃進はそう言葉を残すと、慌てて帰って行った。
淳之介は、なぜか胸騒ぎがした。
「もしや、篠さまは戻っていないのでは・・・」
そんな予感が、淳之介の胸を重く締め付けた。
(よくよく考えてみれば、あの時の篠さまは可笑しかった。いや、異常に可笑しかった。余りの事態の進展に動揺していたので、見過ごしてしまったが・・・。外観は篠さまなのだが、内面は人が違ったような。篠さまが無事屋敷にいてくれるといいのだが・・・)
淳之介は篠が屋敷に戻っているようにと、祈りたい心境だった。
美化は迷っていた。
篠の死体のある場所まで先導しようか、否か。
(もし、死体のある場所まで先導すれば、なぜ知っているのかと、あらぬ容疑を掛けられる。きっと、その内、死体は自分が教えなくとも、見つかるだろう。そうだ。そうに違いない)
美化はいろいろ思い巡らし、そうする事に決めた。
心が痛かった。
(篠さま、勘弁してくれ)
化身した篠は、心で両手を合わせた。
五谷蔵乃進は急いで屋敷に戻ったが、屋敷中捜しても篠はいなかった。
「どこに消えたものか。淳之介が屋敷まで送り届けたものが、屋敷に篠の姿は無い。どう考えても、尋常ではない。篠は神隠しにでもあったのか。まさか・・・」
蔵乃進は蒼ざめた顔で両組して思案していた。
「あなは、篠は、なぜ帰らないのですか。どうして、消えてしまったのですか。うううっ・・・」
蔵乃進の妻の沢は、うろたえて泣くばかり。
「心配いたすな。必ず、見つけてみせるから」
蔵乃進は、ただただ妻に気休めの言葉を掛けた。
「思案しても何も進展はしない。行動するしかあるまい」
そう考えて、蔵乃進は走って番屋に行き、篠の捜索を依頼し、次に楓の屋敷に大急ぎで向った。
「篠は、やはり屋敷にはおりませぬ」
蔵乃進は肩を落とし沈んだ顔で淳之介に伝えた。
(やっぱりだ!)
(私の勘が当たった。私の危惧した通りになってしまった。なぜ?)
淳之介の顔から、血に気が引いて行った。
淳之介の父 淳乃条、母 菊も門の所に出て来て、篠の安否を気遣った。
「私も捜しますから、手分けして捜しましょう」
淳之介が屋敷内から提灯の持って来て呟いた。
「それが良い。それが良い。菊、私にも提灯を」
淳乃条も息子の呼びかけに応じた。
「誠にかたじけない」
蔵の進が二人を見て礼を言った。
三人は手分けして篠を捜す事になった。
淳之介は、途中まで一緒だった蔵乃進に聞きたい事があった。
「五谷さま、確か篠さまは、扇子をお忘れになったのを思い出されましたね。それは、どの辺りでございますか」
「ここより、もう少し行った所だ。お主の屋敷と、私の屋敷のおおよそ中ほどだったと思うが」
「ありがとうございます。そこに来ましたら私にお教え下さいまし」
「あい、わかった」
蔵乃進が快く承諾した。
二人は、それから暫く歩いた。
「確か、この辺りだったと思う」
蔵乃進が辺りを見渡して。
「この辺りでございますか。もし、お宜しければ、私がここから、私の屋敷までを丹念に捜しまする。五谷さまは、ここから五谷さまのお屋敷辺りを丹念に捜していただいても、構いませんか」
「それは、構わんが」
「では、私はここから捜し始めまする」
「あい、わかった」
二人は、そこで別れ、それぞれの分担場所を探し始めた。
淳之介には、ある思惑があった。
それは、この場所から篠さまは、楓家の屋敷に向われた訳だから、きっとこの範囲のどこかに何らかの痕跡がある、というもの。
淳之介は大きな通りよりも、むしろ小さな通り、路地を主に捜すつもりでいた。
二つ目の路地を丹念に捜していると、竹ざおを束ねた横に人が倒れているのが、少しだけ見えた。
「もしや」
慌てて淳之介がその場所まで走って行った。
淳之介の勘が当たっていた。
無残な姿で倒れているのは、篠だった。
篠は何者かに喉を噛み切られて、辺りに血をいっぱい撒き散らして亡くなっていた。
「これは、酷い。いったい誰が」
淳之介は、思わず目を瞑り両手を合わせた。
「どうしよう。あっ、そうだ。まず、番屋に知らせなくては」
淳之介は走って番屋に向った。途中、蔵乃進の姿を見かけたので、篠の状況と場所を手短にお伝えした。
蔵乃進は大粒の涙を零して泣いていた。
淳之介は蔵乃進を慰めたかった。が、自分の成すべき事を果たす為に、心を鬼にして番屋に向った。
番屋に着いた。
番屋の中には、数人の同心、岡引がいた。その中の、ひとりの同心と岡引が、篠の事件を担当してくれた。
淳之介の先導で、三人は大急ぎで事件の現場に向った。
現場に着くと、先に到着していた蔵乃進が、篠の遺体のそばで、崩れるようにして泣いていた。
淳之介は、その姿を見るのが辛かった。
「これは、酷い。仏は喉を噛み切られて死んでいる」
東町奉行所の同心 大友尚八郎が言った。
「何か、獣にでも噛まれて様な傷跡だ」
「大友様、手に引っ掻き傷がありますぜ」
岡引の銀次が腕の傷に目を留めた。
「この傷も、獣に引っ掻かれたような傷だな。益々わからねえ」
尚八郎が、思わず腕組をした。
それから、二人は篠の遺体を丹念に調べ尽くした。
岡引の銀次は、死体から離れると、死体の周りを隈なく見て回った。そして、死体から少し離れた所にしゃがみ込んだ。
「何か、見つかったかい」
「へい、ここに足跡のようなものが・・・」
銀次が、地面にくっきりと残された足跡に目を釘付けにしている。
尚八郎が地面の足跡に目を留めた。
「またしても、獣の足跡か」
「ふ~む」
尚八郎は、また腕組をして、暫く思案してから一言。
「まるで、猫か別の獣に噛み殺されたか」
「と、いうことは、下手人は猫か、別の獣ですかい」
銀次が尚八郎の顔を見て言った。
「そういう事になるかと思うが・・・。下手人が猫では、捜しようが無いというもの。いかがしたものか」
尚八郎は、困ったという顔をした。
淳之介は尚八郎と、銀次のやり取りを聞いていた。
「猫か、別の獣に噛み殺された・・・」
淳之介には、その言葉が衝撃的だった。
「猫が篠さまを殺して、篠さまに成り代わるとしたら・・・。化け猫・・・・・・。まさか、今の世にそんな事があるはずが無い」
淳之介が突飛な事を口に出し、慌ててその言葉を打ち消した。
(でも、あの時の篠さまは可笑しかった。まるで、人が違った様に思えた。扇子を取りに戻って来た前と後では、がらりと人格が変わってしまった。もし、あの時、猫が篠さまに成り切っているとしたら・・・。あの変わりようも、頷けるというもの。まさか。そんな事があろう筈が無い)
突飛な考えを打ち消したものの、淳之介の心の中では、突飛な推理が、まだまだくすぶり続けていた。
恋猫 田村 月 @hidetyan
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