最終話


 窓辺にたたずむ彼女にオレンジ色の光が降り注ぐ。

 後光をまとったような、その姿は美しいと言うより神々こうごうしいといった形容がピッタリだった。


 夕焼け空が夕闇へと向かうにつれ、納戸も少しずつかげっていく。

 彼女の口から小さな声がポツリと漏れる。


「もう一度。考えて」


 窓の外が夕闇に包まれる。しかし、彼女の全身は相変わらずオレンジ色の温かな光を帯びている。瞳がまるで星を散りばめたようにキラキラと輝いている。


「気づかなかった。自分がこんなに輝いていたなんて……作品が認められなくて時間だけがいたずらに過ぎていくような気がしていた。逃げ道を見つけることばかり考えてた。

 でも、間違ってた。だって、夢に向かってがんばっているあなたは、こんなにまぶしいんだもの……ありがとう。大切なことに気づかないところだった。私、がんばってみる。もう一度がんばってみるよ。少しでもあなたに近づけるように」


 涙をぬぐいながら自分に言い聞かせると、私は彼女の瞳をじっと見つめた。


★★


 どれくらい時間が経ったのだろう。

 相変わらず目の前には彼女がいる。黒目がちの瞳をキラキラ輝かせながら私をじっと見つめている。オレンジ色に包まれて。


「失礼いたします。いかがでしょうか……? すごくお似合いですよ。身体の線が細くて目がパッチリしているせいですね。大きな目の方が着ると映えるんですよ。このオレンジ色のドレス。

 背中が開いているので『抵抗がある』とおっしゃる方もいますが、お客様はお背中がキレイですから、ドレスの良さが引き立ちます。まるでお客様にあつらえたようにピッタリですよ」


 試着室に店員の明るい声が響く。

 ここは会社の近くにあるブティック。これまで「縁のない場所」として素通りしてきたが、今日は会社の帰りに立ち寄ってみた。

 ファッションに無頓着で地味な服ばかり着ている私だが、クリスマスイブにディナーに誘われたことで、少し派手目のドレスを選ぼうと思った。


 柔らかいオレンジ色のドレスを試着する私を店員が褒め称える。私に服を買わせるための営業トークだということはわかっている。

 ただ、自分でもそのドレスはとても似合っていると思った。店員の言うとおり、私にあつらえたと言っても過言ではないくらいに。


「お客様、このドレスがよほど気に入られたみたいですね。試着室に入られて十五分経ちましたから」


 どうやら私は十五分も「彼女」を見つめていたようだ。


 ディナーに誘ってくれたのは取材先で知り合った人。頭脳明晰で仕事もできる。社会的ステータスも高く収入も申し分ない。加えて、ハンサムで背も高い。

 パートナーとしてはケチの付けようがない人。ドレスを買おうと思ったのも、この機会に彼との距離を縮めたいという気持ちがあったから。


 ただ、きらびやかなドレスを着た私はどう見ても私ではない。「違う自分になる」と言えば聞こえはいいが、どう見ても「自分を偽ろうとしている」。

 こんなに露出が多くて身体の線がはっきりとわかる服を着て、私は一体何をしようとしているのだろう?


「ごめんなさい。やっぱり止めておきます」


 私はドレスを購入しないことを告げると、必死に説得する店員を試着室から追い出していつもの地味なスーツに着替えた。


 鏡に目をやると、そこにはいつもの私がいた。


「よかったんだよね? これで」


 「彼女」に小さく手を振ると私はブティックを後にした。


★★★


 夜のとばりが下りた街はきらびやかなイルミネーションに包まれ、まさにクリスマスムード一色。

 高層ビルが立ち並ぶ、いつものコンクリートジャングルは様相が一変し、まるで異世界にでも迷い込んだようだった。


「――そうだ。忘れないうちに」


 思い出したように携帯電話を取り出すと、私は通話履歴のボタンを押す。


「もしもし……はい。私です。こんばんは。電話、大丈夫ですか? 実はイブの夜のお約束のことなんですが……お断りさせてください。理由ですか? 急な仕事が入っちゃったんです。時間? その日は徹夜になるかもしれないんです。別の日ですか? 夜は会えないかも……また、ランチでもしましょう。私の方から連絡します。勝手言って申し訳ありません。さようなら」


 彼の言葉を遮るように一方的に電話を切った。受信音が鳴り続ける携帯の電源をオフにしてバッグの底へと押し込んだ。

 当たり前ではあるが、一本の電話の前と後とで街は変わった様子はない。


 歩道の真ん中に立ち止まって宇宙そらを見上げた。


 私の横を幸せそうなカップルが通り過ぎていく。冷たい空気を胸が痛くなるぐらい一杯に吸い込んで吐き出すと、白い吐息がゆらゆら揺れながら闇の中へと消えていく。

 歩道の街路樹にほどこされた、オレンジ色のイルミネーションが渋滞の車のヘッドライトと混ざり合って、ピントの合っていない写真みたいににじんで見えた。

 オレンジの河は道の果てへと続き、宇宙そらとビルに囲まれた入り江へと流れ込んでいく。


 冷えると思ったら白いものが舞っていた。オレンジの光が舞い落ちる無数の欠片かけらを照らし、見る見る間に街全体がオレンジ色の世界へと変わっていく。


「これでよかったんだよね……? ホントに、これでよかったんだよね?」


 目から溢れ出るものもオレンジ色に染まっていく世界で、私はどこにいるかもわからない「彼女」に向かって何度も問い掛けた。


「あんた、なかなかやるじゃん」


 不意に背中から声が聞こえた。

 振り返った私の目に、腕を組んで街路樹にもたれかかる彼女の姿が映る。


「――わたしもがんばらないとね。あんたに負けないように」


 声を掛けようとした瞬間、彼女は右手の親指を立てて小さくウインクをすると、オレンジ色の光の中へ溶けるように消えていった。


 街路樹の方へ伸ばした右手をゆっくりと下ろす私。

 不意に笑みがこぼれた。


「私の選択は、間違っていなかった」


 にじんだ街を見つめながら安堵あんどの言葉が漏れる。

 心がスーッと軽くなったような気がした。


「へそ曲がりなシンデレラには、魔法使いがプレゼントしてくれた、華やかなドレスより地味なスーツがお似合い……そうだよね?」


 両手を左右に広げて天を仰いだ私に無数のオレンジの欠片かけらが降り注ぐ。

 心地良い何かを全身で感じながら、私はこの世界とひとつになったような気がした。



 おしまい

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シンデレラの選択 RAY @MIDNIGHT_RAY

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