4. 先生が少年に教えてくれたこと

2014年6月24日 外灘区の裏路地の公園


「……筋いいなあ、お前」


 少年がキングに成った敵の駒をとったとき、鴉が不意に言った。


「そう、なんでしょうか。結局、タークさんには一度も勝ててないです」


 少年は今日もまた、鴉のアジトであるボンネットバスに呼び出されていた。

 デスクに並んだ12台のモニターには、タークとプレイヤーのリアルタイムの対局――少年を含めた、12人の指し手たちとの多面打ち――が映し出されている。鴉はアームチェアに腰かけて指を組み、にやにやとした顔つきで観戦していた。


「……誇っていいぞお前。他の11人は……いや、このサイトに住む数多のアマチュアどもの力をもってしても、お前の足元にも及ばないよ」

「誇るのは、あんまり得意じゃないので」

「……そうかい。お前、いちいち親父に似てるな」

「そうなんですか? まあ、それはともかく、先生、これ、全部観戦してるんですか?」

「……ああ、大体20局までなら、なんとか同時に把握できるさ」

「すごいですね、真似できそうにないです。いくつものこと同時にこなすの、苦手だから」

「……複数の情報処理を同時に行える思考法……コツを覚えりゃ、お前にもできると思うぞ」

「というか先生、お喋りしながらそんなことできるなら、観戦しながら対局もできるんじゃないですか?」

「……まあ、可能ではあるだろうな」


 少年は不審そうに眉根を寄せた。


「先生は、今日ここに来てから、一度も打ってませんよね」

「……まあな」

「先生は、タークさんに勝ちたいんですよね?」

「……もちろん」

「じゃあ、なんで打たないんですか」

「……俺は今、シミュレーションゲームをしてるんだよ。パーティを派遣してモンスターを襲わせ、ラスボス攻略に向け経験値を稼いでいるんだ」

「……? よく意味が」

「……かつてのチェッカーのチャンピオン、マリオン・ティンズリーは、と囁かれている……実際、難しい局面で、50年前の試合を再現するような流れを作り、勝利を飾ったこともあったそうだ。分かるだろ? 老いるほどに力を増したチェッカーの王者……その強さの秘訣は、脳内に収めた膨大な棋譜のデータの記憶ストックなんだよ」

「要するに、僕らの棋譜が、先生の経験値ってことですか? このサイトのプレイヤーたちの棋譜を集めて、記憶ストックして、タークの攻略に使おうってことですか?」

「……理解が早いのは、お前の唯一の美点だな、新入り」

「僕らは、当て馬ですか?」


 鴉は手を胸に当て、「とんでもない」と言わんばかりの顔を繕った。相手の神経をざわつかせる、ほの暗い笑み。


「……おいおい、卑下するなよ。お前たちは尊敬に値する指し手さ。ロストしていいキャラぶん投げて敵のHP削るみたいなイメージなら、考えを改めろ……お前らは大事な大事な仲間パーティだよ」


 少年は口をもごもごと動かした――嘘つき――喉まで出かかった言葉を、泥水を飲むような気分で口にとどめる。


「棋譜を集めるのって、実際に指す時間を潰してまでやることなんですか? 本当に、それで勝つことができるんですか?」


 少年が不満を皮肉に乗せて反論すると、鴉は呆れたように鼻で笑った。


「……意外だな。データ分析の重要さが分かってないのか?」

「勝負事の上達の早道は、実践して、相手の呼吸を読み取る術を覚えること……僕は実家でそう教わりました」

「……間違っちゃいないさ。ただし、呼吸とか流れとか曖昧な概念だけに頼り切りだと、いずれ限界が来る……それはチェッカーに限らず、どの遊びでも同じだぞ? 最近お前がはまってるホールデムについても、事情は同じさ」

「そういう、ものなのですか?」

「……ピンと来ないって顔しやがって。なるほど、こうなると、教育係として色々教え込まないと」


 鴉がPCのキーを叩くと、市松模様の盤面をディスプレイから消え去った。ディスプレイは全て、緑と黒と赤に彩られた、ルーレットテーブルをイメージした電脳カジノのトップページへと移り変わる。

 鴉はパスワードを打ち込み、「うさぎ強盗」のアカウントでログインすると、各画面を「観戦モード」に切り替えた。12のテーブルで行われている試合の、リアルタイムの実況が表示される。


「……敵のテルを頭の中に叩き込み、セオリーと照合しながら想定しうる手札の範囲ハンドレンジを狭めていく。一パーセントでも勝率の高い選択を貪欲に求め、データ分析と確率理論と心理学を武器に完全無欠の数式を描く……ホールデムは、そういうゲームさ……もののついでだ。いくつもの情報処理を同時にする術についても、この機会に覚えてもらう……目に映る全てを、その脳髄に刻み込め」


 鴉はうさぎ強盗の肩に手を乗せ、嬉々とした調子でディスプレイの光に手をかざした。


「最初のレッスンだ、うさぎ強盗……俺がお前に、勝ち方を教えてやる」

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