5. 本当に本当のタークの正体

2014年6月23日 上海外灘区のアパート


「タークには勝つ術は存在しないのです」


 きっぱりとした口調で燕は言った。夜鷹が不愉快そうに顔を歪めた。


「……いや、さっきプログラマーとの知恵比べって結論出てただろ。雑に言えば、タークを開発したプログラマーの上を行けば、兄貴はタークに勝てるんだろ?」

「囲碁や将棋、あるいはチェスであれば、そういう理屈も通るでしょうね。ただし、チェッカーについては少し事情が違います」

「何でだよ」

「チェッカーが、既に解かれてしまった二人零和有限確定完全情報ゲームだからです」


 夜鷹と牡丹は首をひねって向かい合い、互いの目見て頷いた。二人はテーブルに向き直り、組んだ指を口元に添え、真面目そうな顔つきで声を揃えた。


「「オッケ、翻訳して」」

「……お馬鹿さんどもめ」

「いや、普通に何言ってんだか伝わんねえよ」

「そうですね。それでは順を追って、アルバータ大学のシェーファーのチームが開発したチェッカー対戦プログラム、シヌークの話をしましょう。1989年、シェーファーたちは経験則ヒューリスティックを与えた人工知能、シヌークの開発に着手しました。つまり、勝利につながる駒の動きはどれか、敗北につながる駒の動きはどれか、対局を通して記憶ストックする機能を授けた頭脳を作り上げたわけですね。ピーク時には200台のパソコンを使ってシヌークに対局経験を積ませ、18年もの時間をかけ、この人工知能にあらゆる盤面を覚えこませたのです」

「シヌークは、とっても、強い、AI」

「既に容量キャパシティギリギリですね」

「うるさいしか言えねえ」

「それでは、オーバーヒートの前に結末をお話ししましょう。2007年、シェーファーのチームは科学誌において『チェッカーは解明された』と宣言しました。シヌークは、5かける10の20乗近く存在するとされるチェッカーの一手一手全てを、残さず記憶ストックし終えてしまったのです」

「……ん?」

「あらゆる盤面において、何が最善手になるのか、シヌークは全て知っているのです」

「要するに、コンピュータが必勝法を弾きだしちまったわけか?」

「まあ、概ねそういう理解でいいでしょう。双方が最善を尽くした場合、引き分けに落ちつくという結果ですので、『必勝法』という物言いだと少し語弊がありますがね」

「……なんか寂しいな、それ」

「……あなた、小学生並みの感想しか言いませんね」

「うるせーよ……あー、よーやく話が飲み込めた気がする。タークの中身がどれほどの指し手か、今、理解した」

「お察しの通りです。タークのブレインは、シヌークと同等の性能の対局プログラム……チェッカーにおいて存在しうる全盤面のデータを、知識として持っているのです」

「なるほどなー……タークの裏に存在するのは、知性じゃなくて、答えなわけか。どう称したもんかね、一たす一が二は正しいってのと同じ次元で、負けないことが証明されてる棋士とでもいうか……」

「ですから、言ったのです。鴉の兄さまは、チェッカーの真理と戦っていると……私の主張もわかるでしょう? このような存在との試合は、『知恵比べ』なんて言葉を使うべき事象ではありません。故に試合は成立していないのです」

「……まあ知恵比べじゃねえって言われたらうなずくほかないけどよ」

「つまり鴉の兄様は、何者にも負けていません。ださくないのです」

「え? ああ、もともとそういう話だっけか」


 夜鷹は困ったような顔で頭をかいた。一方で、それまでずっとうつむき、考え事にふけっていた牡丹が、燕に声をかけてくる。


「ねえ、一つ訊いていい?」

「なんですか、牡丹」

「鴉の兄さんは、タークの正体……チェッカーの全盤面のデータを飲み込んだバケモノだって、知ってるんだよね」

「そうですね」

「……ねえ、なんで鴉の兄さんは、タークにうさぎの子をけしかけてるの?」

「ああ、その話ですか」


 燕は二人から目をそらしながら言った。


「うさぎ君は、非常に優秀な真剣師です。彼には、勝利へとたどりつく最短ルートがどこにあるのか、本能的に読み取る才能がある。彼の対局を分析することで、兄様は、タークを攻略するための道筋を探そうとしているのでしょう」

「……え、さっきと言ってっることぐちゃぐちゃ……タークを攻略する? いやでも、だって、タークは……」


 牡丹は困惑した顔で夜鷹に視線を送るが、夜鷹もまた肩をすくめるだけだった。二人はそろって小首をかしげ、燕に向き直った。

 燕は、いかにも居心地の悪そうな顔をした  


「……あなた方が疑問の思うのも当然です。私にだって、わけが分からないのです」


 小さく咳払いをして、顔を窓に向けて燕は言った。


「鴉の兄様は全てを知った今でもなお、、対戦者の棋譜を集めているのです」

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