約束の日 3

「からかっただけなんですよ、きっと。まだ子供だった私を喜ばせたいだけで、そう言っただけなんです。だから、約束なんて、あってないようなもので……」


 自虐的に頬を緩めて笑うと、目の前の時子さんはうーん。なんて腕を組んで少し上を見てから私の方を向く。


「本当にそうなのかねぇ」


 納得のいかないような顔をして、時子さんが腕組みを解いた。

 その顔に向かって、ここへ訪れる前に見たあの光景を口にする。


「それに……」

「それに?」


 二人で行った想い出のカジュアルレストランがあったあの場所は、今ではパーキングに変わってしまっていたことを話した。


「あらあら」

「約束の場所にたどり着いたら、お店なんてどこにもなくて。ただ真っ暗なその場所には、街灯の明かりが一つ二つ届いているだけで。その暗さや、乏しい灯りが、自分のしていることを笑っているみたいで居たたまれなくて……。だから、私。その場所から逃げてきたんです」


 真っ暗で息もしていない車が何台かしか停まっていないのは、まるで調子に乗った私へ冷静になりなさいって言っているみたいだった。

 何を浮かれているの、現実を見なさい、と。


 じんわりと目元に雫がたまる。


 何もなくなってしまったあの場所に彼が来てくれるわけがないと、私はこぼれてしまいそうな涙をこらえた。

 涙が流れださないように瞬きをこらえて、カップに手を伸ばす。


「困ったお嬢さんだねぇ」


 時子さんは、少し悲しげで、けれど温かな笑みを向けて呟いた。


「ほら、見てごらん」


 何を?

 そう思うよりも先に、ぼやけ始めた視線が自然とコーヒーの水面へと移る。


「あ、……先生」


 コーヒーの暗い表面には、焦りを滲ませたようにパーキングの前でキョロキョロとしている人物が映っていた。


 どうしてコーヒーに彼が映っているのかなんて、そんな事は少しも不思議に思わず。それより、アタフタというように焦りを滲ませている、懐かしい彼に目を奪われていた。おかしいなと言うように頭をかき、場所でも確認しているのか、何度も辺りとスマホの画面を見比べている。


「待ってるんじゃないのかい?」


 カップから顔を上げると、行ってきな。そう言うように心強い表情の時子さんが私を促した。

 慌ててバッグを手にして財布を取り出そうとしたら止められた。


「お代はいいよ。なんてったって、今日は特別な日だからねぇ」


 可愛らしいウインクをした時子さんに頭を下げて、私はカフェを飛び出した。

 ドアが閉まる間際に、時子さんが「メリークリスマース」とかける明るい声が耳に届いた。



 いつもよりも高いヒールに足を縺れさせながら、あの場所へと向かった。息を切らせ、信号の赤ももどかしく、彼が待っているあの場所へと心がはやる。

 やっとたどり着くと、道路の向こう側にある街灯の下で、キョロキョロと辺りを窺う先生が視界に入った。


「先生っ!」


 慣れないヒールも新調したワンピのことも気にせず息を切らせて駆け寄ると、彼は大好きな笑顔を私にくれた。


「来てくれないかと思ったよ」


 ほっとしたように、けれどとても嬉しそうに彼が言うから、それはこっちのセリフだよ。なんて、あの頃のようにタメ口をきいたら笑われた。


「店、無くなってたんだな。驚いたよ。ティラミス、美味かったんだけどなぁ」


 懐かしむように、そして残念そうに言うから教えてあげた。


「ステキなカフェがあるの。今日のケーキは、ティラミスだって言ってた。コーヒーが美味しいから、きっとティラミスも絶対に美味しいよ。そこへ行ってみようよ」


 時子さんの笑みが脳裏に浮かぶ。きっと快く迎えてくれるはず。


「その前に」


 言って彼が私の手を取った。


「冷たい手だな」


 包み込むように私の手を握る彼の手は、とっても温かい。


「メリークリスマス。気に入ってもらえるといいけど」


 小さな小箱を手渡されて、自信なさげに笑う彼の顔を見る。

 少しはにかんだ笑顔は、クシャリと笑った顔と同じくらいに素敵だ。

 大好きすぎる彼の笑顔に笑顔を返し、あの日できなかった彼へと抱きついた。


 メリークリスマス。

 大好きだよ、先生。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

五年後のクリスマス 花岡 柊 @hiiragi9

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説