CLEAR
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「えー、ですから。増加したストーカー殺人への社会不安を受け、2057年に世界連邦は人間に恋愛感情は不要だという声明を発表した。さて、この声明を俗に何というか知っているか?えーと、5番の上野」
「はい、ジュネーブ人類共通宣言ですね」
僕がつらつらと答えを述べると、先生は大きく頷いた。
「そうだ。そして、2063年にゲノム編集の技術が進み、先天的に恋愛感情が欠如した子供を生み出すことが出来るようになった。その為、現在ではこうした前世紀の遺物とも言える恋愛感情を持っている人は殆どいない。ただし、遺伝子異常で100万人に1人くらい、こうした病を抱えている人が――――」
知っている。遺伝子異常で100万人に一人、そういった人が発生することを。そういう人は病院で治療しなければならないことも。
全部知っている。
だって、僕がその100万分の一を引き当てた不幸な男だから。
僕は生まれてくる時代を間違えたのだと思う。もし、今が21世紀だったら僕が逆に普通だったのに。
この世界では、僕が異常だ。
僕がその症状をはっきりと自覚したのは小学6年の時だ。なんでもないことなのだけど、僕は隣の女子に恋をした。
もちろんそれが違法行為である事を意識していたから、僕はずっとその気持ちを隠し通した。
だから、結局何も起きなかった。
何も。何にも。
でも、すごく苦しかった。
この世界でひっそりと僕は生きて、周りの目を誤魔化さなければならない。
死ぬまで続く地獄だ、こんなの。
なんで神様は100万分の1を僕に与えたのだろう。
中学に入学したとき、僕は決意した。
もう女子には近づかない。もし、好きになってしまったらまた苦悩の日々が始まってしまう。
徹底的に僕は女子と関わるのを避けた。
逃げ続けた。
治療するという考えは何度も浮かんだけど、考えた末に僕は逃避行の日々を続けることにした。
もし、この感情が無くなってしまえば、僕が僕じゃなくなってしまう気がしたからだ。何の根拠もない危惧だけど、僕はそう確信している。
この病が無い僕は、僕じゃない。
心臓のように、抜き取られたら空っぽになってしまう。
だから、高校に入っても僕はそのどっちつかずのバランスを保とうとしていた。
それなのに。
歴史の授業が終わると、次は生物の時間だ。移動教室なので、僕は廊下に出る。
「ねえ、上野君。一緒にいこーよ」
――ああ。やっぱりだ。
僕が仕方なく頷くと遠見さんは笑顔になり、嬉しそうにする。
それが、その表情を見るのが不快だ。
だって、僕は知っている。
彼女がただ純粋に、無邪気に僕を見ていることを知っている。
その瞳に、なんの恋愛感情も宿っていないことを知っている。
僕は違う。僕は遺伝病だから。
彼女への好意で、押しつぶされそうになる。
それが、たまらなく不快で逃げ出したい衝動に駆られる。
「どうしたの?上野君」
「……、別に。何でもない」
出来るだけ感情を込めずに返す。
こんなに好きなのに、僕は何も出来ない。
こんな感情、知らなきゃ良かったのに。
放課後。
もうすっかり陽が落ちて、僕は一人で帰る。
近くの本屋を曲がり、信号まで真っ直ぐ。
なんだけど。
路地裏が何やら騒がしい気がして、僕は立ち止まった。
何か、叫んでいるようにも聞こえる。暴れる音も聞こえた。
でも、僕には関係無いことだ。
正直、そのまま素通りしようかと思っていた。
僕の名前が叫ばれたのを聞くまでは。
――――「助けて!上野君!!」
この声は……遠見さんだ!
もう、頭が真っ白だった。何も考えずに、ただ彼女を救いたい一心で僕は路地裏に走る。
息を切らしながら。
最初に目に飛び込んできたのは、無数の警察官達だった。
そして、その中心に彼女――遠見さんが、拘束されている。
――――何で?なぜ、こんな事に?
一人の警官が僕に近づいてきて、
「おい、さっさとそこをどけ。邪魔だ」
「待ってくれ。なんで彼女が!」
「違法恋愛書籍の所持だ。全く、何でこんな物を欲しがるのか分からんな」
そう言うと警官は僕を突き放した。
思わず膝を突く。
――待て。待ってくれ。僕は――――!
「嘘……上野君……」
遠見さんが、地面に抑えつけられながらも必死に声を絞り出す。
その表情を見て、僕はようやく、ようやく理解した。
「君も、遺伝病だったのか……」
同じクラスに100万分の一が二人。あり得ない確率で僕らは出会った。
そして今、遠見さんが。
僕の目の前で、拘束されている。
為すすべもなく。僕の目の前で。
――――そんな馬鹿げた話が、在ってたまるかよ!
「ねえ、上野君。私、実は君の事が――――っ!」
「おい、こいつを黙らせろ」
「了解」
彼女を抑えている警官が、スタンガンを取り出した。
ばちばち、と空気に放電する音が響く。
全てがスローモーションのように、ゆっくりと動き出す。
スタンガンが彼女の首筋に迫る。
彼女が叫ぶ。
その短い間に、思考ばかりが加速していく。
――――ここで何も言わなければ、僕は日常に還る。
「彼女」という人間、人格の死を見届けて、還る。
そして、ゆっくりと衰微していくのだろう。
――――「彼女」という人格は死ぬまで報われない。
その代わり、僕は日常に還る。
――――そんな日常に何の意味がある?
ただ後悔するだけの日常。
ただ、そこにあるだけ。
僕という矮小な人間は、そこに溶けていく。
――――ああ、僕たちは本当に生まれてくる時代を間違えたんだ。
こんなの、誰も報われない。
どうしたってバッドエンド。
でも、どうせなら。
バッドエンドの中でもハッピーエンドを!
「――――僕も、君の事が、*****!――」
「ちっ!こいつもかよ!早く取り押さえろ!」
その言葉と同時に、僕にスタンガンが押し当てられる。
薄れゆく意識の中、彼女は少しだけ笑っているように見えた。
* * *
目が、覚めた。
――――ここは、どこだ?
そんな疑問が降ったのと同時に医師がやってきて、
「気分はどうだ?」
と訊いてきた。
――――ここは病室なのか。なるほど、じゃあこの光は無影灯、ってことか。
「いえ、大丈夫です」
「よろしい。一応聞いておくが、この写真を見ても何も感じないかね?」
一枚の写真。
ああ、遠見さんか。
うん、きれいな顔だとは思うけど特には。
僕がそう言うと、医師は愉快そうに笑った。
「今まで辛かっただろう。でも、今日から君は健常者だ。良き社会人の仲間入りだ。君にとって、今日が記念日だ」
ああ、そうなのか。
医師がそう言うなら僕は健常者で、そうあるべきで、多分そうなのだろう。
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