豆崎豆太

第1話

 世の中に何故恋愛物語が多いかと言えば、それが一番楽だからに過ぎない。

 普通の人間の普通の人生に、ドラマはそんなに多くない。というよりドラマとして成立しうる部分が少ない。大抵のことに伏線はなく、整合性はなく、救いはない。

 だからこそ普通の人間、つまり読者は自分の人生に存在しないドラマを物語に求める。そしてそこに移入し、自分の人生に期待を持つためには物語自体の説得力――伏線と整合性――が必要なのだ。

 読者が「自分の人生にもある」と期待できるレベルの些細でありきたりなドラマこそ「一番必要とされるもの」であり、需要があるから供給がなされる部分でもある。

 つまり恋愛物語というのは、インスタントに供給される夢に過ぎないのだ。

 少し話を逸れれば所謂ライトノベルというものもこのライン上にあるもので、主人公が普通の、特徴のない人間になりがちなのも移入しやすいからだろう。ロールプレイングゲームの主人公が喋らないのと同じだ。誰でもいいから自分でもいい、という仕組み。

「だから恋愛に落とし込むのを頑なに避けてるわけ?」

 自室の床で意識を失っていた萩野隆史を叩き起こし、風呂に入らせてくたくたに煮たうどんを食べさせた隆史の幼馴染、十歳年下の宮野葉太は隆史の話を黙って最後まで聞いた後でそう訊ねた。隆史が少し顔を歪める。

「避けてるわけじゃない」

「避けてるじゃん。要はあれでしょ、今書いてる話に恋愛オチが見えてきたからのたうち回ってたんでしょ、書けないから」

「書けないわけでもない」

「でも書いたことはないじゃん」

 葉太は萩野の書く小説の、今のところほぼ唯一の読者だった。萩野の書く小説を黴臭いと言い、うじうじしていると言い、何の起伏もなくてつまらないと言いながら催促してまでそれを読む。

「隆史さんが成り行きで物語を書くのが嫌いなのは知ってるけど、『書きたくない』って理由だけで特定の展開を避けるのもポリシーに反するんじゃないの?」

「恋は理屈じゃない。理屈じゃないものを、到底理解なんてできないものを文章にすればそれは嘘になる。俺の書く話は作り話だが、嘘は嫌いだ。第一、読まれて初めて完成する物語なんてそんな抽象絵画みたいなことは」

「またそういう屁理屈を言う」

「屁理屈じゃ」

 反駁しようとした隆史に「つまり」と声を被せた後で、隆史さんの「つまり」が伝染ったなと葉太は小さく呟き、それから「ナマの感覚を取材してくればいい」と言った。

「ナマの感覚?」

「そう。どうしようもない恋に頭を抱えて、身も世もなく苦しんでのたうち回って、理屈なんて何もかも吹き飛んで頭の芯がぼうっとするような体験をしてくればいい」

「……何を企んでる?」

 身を固くし表情を引きつらせる隆史を眺めながら、葉太は鞄から書類の一揃いを取り出して胸元に掲げ、笑顔を作って首を傾けた。

「隆史さんにお見合いの話がありまして」

「やっぱり碌なことじゃなかった」と悲鳴を上げて壁まで飛び退いた隆史の前に、葉太がにこにこと笑いながら書類を並べる。

「お相手は隆史さんの二つ下、なんとなんと社長令嬢バツなしの秋元沙織さんで」

「嫌だ! 断る! だいたいなんで俺が」

「いやあうちの父さんが取引先の社長さんに隆史さんの話をしたらぜひうちの娘とって話になったらしくて」

 隆史は引き続き「嫌だ」「断る」と絶叫混じりに拒否したものの、葉太が「パトロンの顔に泥を塗るつもりでおられる?」と言いながら取り出した茶封筒の前には額を畳にこすりつけることになり、翌週の日曜日には数年前に会社員として働いていた頃の埃臭いスーツを着て、とあるレストランで肩を縮めていた。

 葉太の父親、宮野敏夫は隆史の見合い相手である「秋元沙織」さんをえびす顔で褒めちぎっており、彼女の父親もまた大仰な仕草で隆史を褒めそやした。よくも自称小説家のフリーターをそう流暢に煽てられるものだと隆史本人すら感心したほどだった。

 見合い相手である秋元沙織という女性は、隆史から見れば「どこにでも居る美人」という風情だった。実際のところ、髪を結い上げしっかりと化粧をした女性の顔など覚える意味も無いのだし、ほとんど覆面を被って会ったようなものだった。

 秋元沙織は父の勢いに気圧されてか、あるいは人見知りなのか元からそうなのか、ほとんど口を開かずただそこに座っていた。隆史もまた、相手がそんなふうだから話すこともなく、ただ上等な食事を人の財布で食っただけで、この話はここで終わるだろうという確信とともに家路につき、久しぶりに布団でたっぷりと睡眠を取った。

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