海を渡るゼノ

夕星 希

海を渡るゼノ

月が西から昇るころ、イノシシのゼノは海に飛び込みます。

ゆらゆらと漂うヒトエグサが、体に巻きついてなかなか先に進めません。

頭上のコカモメたちが、いっせいに歌います。


―――ゼノは海を渡る ゼノは海を渡る

友達のサーノが待つ、あの島まで

波が静かな夜 金星またたく島へ

 


アサギマダラの群れが、頭上を音も立てずに過ぎて行きます。

イソヒヨドリがそれを追いかけてゆきます。


「飛べるのは良いことだ。」


ゼノは何度も自分に翼があれば……と思いました。

しかし、神は、すべての生き物に、公平に生きるすべをお与えになりました。

ゼノは、風のように速く走ることの出来る足をさずかりました。


そうこうしているうちに、サーノの待つ島の島影が見えて来ました。


ヨツメクラゲがふわふわ漂っています。

刺されれば、全身が真っ赤になり、痒くて大変です。

ゼノは、どうしたものか考えます。


「飛べるのは良いことだ。僕にも翼があれば……」


チク…

チクチク……


鋭い痛みが走ります。

ヨツメクラゲがゼノの後ろ足に触手を伸ばして刺しています。


チク…

チクチク……


前足も刺されたようです。これでは速く走ることができません。

サーノはあの小高い丘のてっぺんで、ゼノが来るのを今か今かと待ち焦がれています。


「飛べるのは良いことだ。僕にも翼があれば……」


いよいよゼノの体力がつきたその時、

沖のほうから、巨大な白い塊たちが来て、ヨツメクラゲの群れに襲い掛かります。

ウミガメです。ウミガメはクラゲが大好物です。

クラゲはウミガメに一匹残らず食べられてしまいました。

ウミガメは満足そうに沖に向って泳いで行きました。


ようやく岸にたどり着いた時には、

日はすっかり暮れて、島に咲くオリーブの花の白色だけが輝いています。

ゼノはぱんぱんに腫れた前足と後ろ足を見て言いました。


「こんな足では、サーノに会えない……」


そのままあたたかい砂の上に横たわり、腫れが引くまでじっとしていました。


ヨタカが、きょきょ……と洞窟から現れて、ゼノの姿をとらえます。

「子どもたちや、出ておいで」ヨタカは子どもたちを呼びました。

ヨタカの子どもたちは、親ヨタカに続いて赤松の後ろに隠れます。

「子どもたちや、あの美味うまそうなのは、イノシシだよ」

「イノシシ!」

ヨタカの子どもたちはとびあがって喜びます。

「イノシシ!イノシシ!ウシシシシ!」

「しっ!」親ヨタカは、騒ぐ子どもたちに言いました。

「いいかい。よくお聞き。今、イノシシはクラゲに両足を刺されて動けないよ。まず、お母さんがイノシシを襲う。死にそうになったらお前たちがしとめる」

「しとめる!しとめる!」ヨタカの子どもたちはゼノに向って今にも飛び出して行きそうです。


ぐさり!


いきなりゼノの頭に、何か尖ったもので突かれたような衝撃が走りました。

血がぽたぽたと流れます。親ヨタカが鋭いくちばしでゼノの頭めがけて襲いかかります。


ぐさり!

ぐさり!


ゼノの頭に三つの穴が開きました。

このままではゼノは死んでしまいます。


「サーノ……」


ふらふらになりながら、ゼノは最後の力を振り絞ってヨタカに向って行きます。


それを崖の上で見ていた島の王様、オオワシは、ゼノを攻撃するヨタカに向け威嚇するような仕草をし、彼らを追い払いました。


「……ゼノ、ここは島でも危険な場所だ。立ち寄るな。」


オオワシはそう言うと、自分の背中にゼノを乗せ、サーノの待つ小高い丘の上まで彼を運びます。

薄れゆく意識の中でゼノは、しゅっしゅっと風の切れる音だけを聞いています。

いつしかゼノは夢を見ていました。

翼をつけたゼノがゆうゆうと空高く飛んでいる夢です。


「飛べるのは良いことだ……」


オオワシは空中で下の様子を窺いながら、サーノが待つ青いレモンの木の下に

ゼノを下ろしました。朝日は青いレモンの木の葉についた露を、

きらきらときらめかせています。




「ゼノ……」涙をいっぱいためたサーノは、いとおしそうにゼノに呼びかけました。

ゼノの頭は、あちこち穴が開いています。

ゼノの自慢の両足は膨れ上がっています。

ゼノはサーノに抱かれていることもわからないほどに、衰弱しています。


「ゼノ……。次に会ったら言おうと思っていたの。」

「……?」

「あなたは、いつも自分のことを誰かとくらべて

『何もとりえのないダメな奴』って言っていたでしょう?」

「……ああ。」

「それは違うわ。あなたはあなたよ」

「サーノ……ありがとう。」


コカモメが歌います。

―――青いレモンの木の下で愛をささやいた二人はやがて結ばれる。それを知っているのは、この島に住む動物たちだけさ。ゼノはもう翼を夢見なくても大丈夫…


やがてゼノとサーノは結ばれ、可愛い子どもたちもできました。

小高い丘にある、青いレモンの木のそばで、ゼノたちは末永く幸せに暮らしました。

爽やかな風の吹く、この島でいつまでもいつまでも……


















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海を渡るゼノ 夕星 希 @chacha2004

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