第6話 ダブルブッキング?

「大丈夫か?」

 国澤が、飲みすぎた私のことを珍しく気遣ってくれる。

 まったく、がらじゃない。この国澤って男は、私のことをからかう為にだけ生きているんじゃないかと思うくらいの奴なのだ。

 何かっていえば絡んできて、面白がって笑っている。なんだかんだとさっきの店でも言っていたようだけれど、今日の私はボケる余裕もなかったけれど。

「平気だよ」

 年に一度有るか無いかの国澤の気遣いにそうは言ったものの、ハイペースで飲みすぎたのか、バッグの中におさまる鍵をうまく探し出せないでいた。

 ガサガサとマンション前で中身をグチャグチャに引っ掻き回し、数分後ようやく鍵を探し当てた。

「あった。あった」

 冷たく冷え切った鍵を見せると、国澤が突然その手を握った。

「えっ? 何よ、急に」

 真面目な顔をした国澤は、ガシッと私の手を握って離さない。

 同じようにここまで歩いてきたはずなのに、国澤の手はとってもぽかぽかとあったかかった。

 男と女では、体温調整が違うのだろうか。

 すっかり冷え切った自分の手に、思考の鈍った脳内がそんなことを思う。握られた手もそのままに国澤の顔を見ると、私を見つめる眼差しがやけに熱い。

 えーっと。なんだろう、この雰囲気は。ピンク色に感じるのは、気のせい?

 なんとなく目を逸らすことができないままでいると、国澤との顔の距離がどんどん近くなって来た。

「楢崎、俺は――――」

 普段では絶対にありえない国澤とのこのシチュエーションに戸惑っていると、物凄い気迫を放った人物の気配が迫ってきた。

「ああーっ! 咲子さん、浮気現場発見!!」

 何処から沸いて出たのか、矢野が小走りに近づいてきて、私の手を握る国澤の手を体ごと引き離す。

「国澤先輩。咲子さんに触らないでくださいよっ」

 ふくれっ面をした矢野が、子供のような顔で国澤をにらみつけている。

「え? 矢野? なんで?」

 突然現れた矢野に、目が点になる。

 わけがわからず矢野を見ると、上司である国澤をキッと睨みつけて動かない。国澤も国澤で、矢野のその態度を受けてたつ、とでもいうように睨み付ける目を見返している。

 ええっと。急に現れたかと思ったら、一体なんなの、この状況。

 よく解らずに睨み合う二人を見ていると、国澤の目をふんっと力いっぱい逸らした矢野が、私に向き直った。

「咲子さん。封筒、受理してくれましたよね?」

 えっ。何を急に、こんなところで。

「えっと。それなんだけど、実はまだ……」

 国澤に渡すことができなくて。という言葉を矢野が大きな声でさえぎった。

「えっ!! まだ見てくれてないんですかっ? 僕ショック死しそうです」

 へたりと地面にしゃがみこんでしまった矢野に、どうすればいいものかと私はおたおたしてしまう。

「だって、あんな重要な物渡されたって、私じゃどうしていいか」

「咲子さんじゃなきゃ、どうにもできないですよっ」

 怒った口調の矢野がすっくと立ち上がり、グイッと顔を近づけてくる。そこへ国澤が割って入ってきた。

「おい、矢野。何をさっきからわけのわからないことを。取りあえず、お前今日は邪魔だから、もう帰れ。な」

睨みつけられたかと思ったら放置プレイされていた国澤が、小うるさい矢野を追い返そうとする。

「帰るのは、国澤さんですよ。僕たちの愛の邪魔をしないでください」

「愛?」

 私と国澤が、同時に言って矢野を見た。

「お前、とうとう頭がおかしくなっただろ?」

 僅かに間を置いたあと、国澤が嘲笑を浮かべて矢野を見た。

「おかしいってなんですか。失礼な。いくら国澤さんでも、その発言赦せません」

 矢野が憤慨する。

「咲子さん。僕の封筒を、国澤さんに渡してください。今ここでっ!」

「えっ? いや、でもそれは。ほら、もっとみんな落着いて、ちゃんと冷静になっている時の方が。ね」

 私は、退職届を出せといわれて、慌ててしまう。

 こんなところで出してしまったら、矢野の退職が決定になってしまいかねない。それでは、私の責任が重大すぎるじゃないの。

「なんだよ封筒って」

 できれば先送りにしたいのに、国澤が絡んできてしまう。

 思わずポケットの上を手で押さえ、なんでもないというように首を横に振った。すると、矢野がそのしぐさを見逃さずに、そこにあるんですね。なんてポケットを指さす始末。

 その言葉を受けた国澤が、出しやがれ。といわんばかりに、人のポケットに手を突っ込んできた。

「ちょっと、国澤。勝手に人のもの、あっ……」

 男の力に敵うはずもなく、ポケットに収まっていた退職届は、難なく国澤の手に渡ってしまった。

「本当に、封も切ってないんですね……。僕、泣けてきました」

 国澤の手にある封筒を見て、しくしくと泣きまねをして見せる矢野に、私は、ごめんと落ち込む。

 だって、退職届なんて、私には荷が重過ぎるよ。

 けれど矢野は、責任を取れっていったじゃないですかと益々グスグズ。

 そんな矢野に困った顔をしていると、国澤が一つも躊躇うことなく、ビリビリと封を切った。

「あっ!」

 ちょっと勝手にと思う間もなく、国澤によって中身がさらされる。

 そうしてそこから出てきたのは、緑色のラインと文字の公的用紙と一枚の便箋だった。公的用紙の下の方には、矢野の丁寧な名前と印鑑が押されている。

「婚姻届?」

 眉間にしわを寄せた国澤の言葉と、目の前に晒された婚姻届に私の目が点になった。

「なに……これ」

 退職届じゃ、ない?

 唖然としていると、国澤が便箋に書かれている文字を読み出した。

「咲子さん。クリスマスの夜は、僕と過ごしましょう。それから、国澤さんとは、もう仲良くしないでください。これからは僕だけの咲子さんでいてください。愛しています」

 棒読みの如く読み上げた国澤の表情が曇っていた。

 片や、矢野の顔は、ヘラヘラ。

 そうして、私は脱力。

「なんだよ、これ」

「僕と咲子さんの婚姻届です」

 疑問を口にした国澤へ、矢野は何の躊躇いもなく応えて、ニコニコとした笑顔を私に向ける。

「どうして、婚姻届?」

 脱力しきった私は、退職届じゃなかったことに安堵したものの、何故にと矢野を見た。

「咲子さんが言ったんじゃないですか。責任取れって。だから僕は、男としての責任を全うしようとしたんですよ」

「責任て……」

 意味が違うでしょうが……。

 駄目だ。ゆとり過ぎる。話が通じなさ過ぎて、お手上げだ。

「咲子さん。僕、プレゼントも用意してあるんですよ。それにケーキも」

 ニコニコと掲げて見せる、リボンのついた小さな小箱に顔が引き攣っていく。

 もしやの婚約指輪じゃないでしょうね?

 この矢野ならありえる、と思わず半歩後ずさる。

 小箱と、確かにケーキの箱だろうと思わせるものを、矢野が満面の笑みで私に見せつける。

「ささ。咲子さんのお家で、ゆっくり楽しい二人っきりのクリスマスパーティーをしましょう」

 そういうと、矢野は私の手を引き玄関ドアに向かって歩き出した。

「ちょっと待てーっ!」

 だけど、それを国澤が怒ったように慌てて止める。

「なんなんですか、国澤さん。さっきのお手紙読んだでしょ? 僕と咲子さんの愛のお邪魔をしないでください」

「何を勝手な。矢野。お前楢崎と本気で結婚するつもりなのか? 冗談じゃないぞ。楢崎は、俺と付き合うんだよ」

「えっ!?」

 それこそ、何を勝手な。何故、私が国澤と付き合うことになるのよ?

「勝手なことを言わないでください。咲子さんと僕は、相思相愛のラブラブなんですから」

 えーっと。いつから、相思相愛?

「矢野こそ、いつまで夢見てんだよ。なんなら一発殴って目を覚まさせてやろうか?」

 こぶしを握って見せる国澤に、矢野が負けじと言い返す。

「ああーっ。やりますか? いいですよ。受けてたちます。僕、こんなんでも、書道二段ですよ」

 書道二段て……。殴り合いとまったく関係ないと思うけど。

 本人そっちのけで熱くなっている二人を見ていたら、なんだか段々冷めてきたというか、バカらしくなってきたというか。

 そもそも、今日ってクリスマスだったんだよね。

 矢野が退職届かと勘違いさせるような発言して手紙なんか書いてよこすから、すっかりクリスマスどころじゃなかったわよ。

 いつまでも言い合いの続く二人を一瞥して、私は自宅ドアの鍵を開けて一人帰宅した。

「あー、疲れた」

 冷蔵庫から缶ビールを取り出し、メリークリスマスとささやかに言ってみる。

 外ではまだ矢野と国澤の言い合いが続いているようだけれど、きっとそのうち疲れてやめるだろう。そしたら、三人でクリスマスパーティーでもいいかな。

 カチリと、小さなツリーのスイッチを入れれば、チカチカと赤と緑が瞬きだした。窓の外からは、近所迷惑な声がまだ聞こえてきている。

「僕の方が咲子さんのことを愛してますっ」

「うるせぇっ。俺の方が何倍も楢崎のことをわかってやってるんだよ」

「なんですか、そのわかってやってる、なんて傲慢な言い方は。愛は対等なんですよ」

「何が対等だ。しょんべんくさいガキに愛の何が解る。だいたい、家にまで押しかけてくるなんて、百万年早いんだよ」

「自分だって、のこのこと咲子さんちまでやって来てるじゃないですか」

 いつまで続くんだろう? と、私は窓から二人の言いあいを眺め、ビールのお代わりをする。

 白熱のバトルも、そろそろ止めたほうがいいかしら?

 あったかな部屋の中から窓を開け、私は外の二人に声をかけた。

「ねぇ」

 私の声にピタリと言いあいをやめた二人が、同時にこっちを見た。その顔たちに向かって陽気に声をかける。

「メリー、クリスマース」

 笑顔で缶ビールを掲げると、顔を見合わせた二人が同時に声をあげた。

「他人事ーっ?」

 鈴の音もかき消すような二人の突っ込みに、私は声を上げて笑った――――。

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Noisy Christmas 花岡 柊 @hiiragi9

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