第5話 二人目接近中

「楢崎。お前、矢野になんかしただろ?」

 帰り際、わざわざこっちに顔を出した国澤が、開口一番にそんなことを言ってきた。

 ド、ドキッ。もしかして、退職届のこと言ってる?

「アイツ。朝から真面目腐った顔して、いつも以上に仕事になってないんだ」

「へ、へぇ~。体調でも悪いんじゃないの?」

 思わず目を逸らすと、その動揺に気づかれてしまった。

「やっぱ、何かしたな。丁度いい、ちょっと付き合え」

 国澤は、私を引き摺るようにして社外へと連れ出した。

 外は冬枯れだ。ぴゅうぴゅうと北風が私の体を凍えさせていく。

「寒っ」

 思わず地面に向かって零す。

「ちょっと落着いて話をしたいから。そうだなぁ。楢崎の家のそばに、いい感じの店があっただろ。そこ行くぞ」

 国澤は、有無も言わせぬ態度で指示すると、ズカズカと先をいく。

 元々、週明けには相談を聞く予定でいたから別に構わないのだけれど、今もポケットに収まったたまま保留状態の白い封筒のことを思うと、気分が滅入っていく。なんて国澤に話したらいいか、と考えるだけで暗い気持ちになってしまう。

「ビールでいいか?」

 店に入り案内されると、席に着いてすぐ、私の返事も待たずに国澤は二人分のビールを注文した。

「しっかし。世の中は賑やかだな」

 キョロキョロと店内を見回して、心なしかそわそわとした様子で国澤はわざとらく言葉を零す。私はポケットの中の重みに心臓が圧迫されすぎていて、そんな国澤の言葉に気のない返事ばかりだ。

 リズミカルな音楽の中で鳴る鈴の音も。普段以上に浮き立つお客たちの話し声も。

 今の私には、それどころではないのだ。

 この封筒を渡すタイミングをどうするか。そもそも、矢野がこんな物を書かなければいけなくなった経緯をどう説明するか。

 しかし、経緯といってもちょっと責任を取れといっただけだし。だけど、ゆとり世代にしてみれば、その責任という言葉の結果がこんな白い封筒に化けてしまったわけだし。

 あーっ、もうっ!

 何で私にこんな責任押し付けるのよ。矢野のばかっ。受理してくださいじゃないわよ。ちゃんと自分で国澤に渡しなさいよ。

 頭の中のグチャグチャをどうにかしたくて、ビールを飲むペースが自然と速まっていく。

「――――だからな、楢崎。俺はな、ずっと前からお前のことを……って、お前、人の話し聞いてんのかよ」

「ん?」

 グビグビと何杯目かも判らないビールを飲みきると、目の前では国澤が呆れた溜息をついていた。

「飲みすぎだぞ」

 もう一杯頼もうかと店員へ挙げた私の手を、国澤が溜息混じりに遮った。

「そろそろ出るか」

 しんと冷え切った外に出ると、電飾はやたらめったらキラキラと明るいけれど、私の心は灰色だった。

 いい加減封筒を渡さなきゃ駄目だよね。矢野のこと、国澤に謝らなきゃ。ちゃんと話して、国澤と矢野のことを説得しよう。うん。そうだよ。辞めさせなきゃいいんじゃない。ナイスアイデア。

 閃いた。と顔を上げれば、自宅マンション前だった。


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