最終話 オリバー・ラング


 閑静な住宅街の中にあるアパート。その周辺に人が溢れている。朝の八時という時間帯を抜きにしても普段ならまず見ることのない光景だろう。しかしそのアパートで人が殺されたとなれば、どこからともなく野次馬というものは集まってくるものである。


久能達平くのうたっぺいはそんな物見高い群衆を掻き分けバリケードテープをくぐると、アパートの階段付近にいる刑事へと声を掛けた。


「美鈴さん、おはようござまーす」


 先輩である吉野美鈴よしのみれいが振り向く。ショートカットでボーイッシュ。しかしそのつぶらな瞳が女性であることを殊更に協調する。つまり吉野は美人だった。


「おはよ、達平君。非番なのに悪いわね。先輩達は別の事件でこっちまで手が回らないっていうから。はい、これでも飲んで目覚まして」


 その吉野が缶コーヒーをこちらに投げて寄越す。てっきり温かいのかと思ったら冷えていた。


「いいんすよ、特にやることもないっすから。で? ホトケはアパートの二階でしたっけ? 確か女子高校生とか」


 女子高校生が、包丁で心臓を一突きにされて死んでいる。吉野から聞いたのはそれだけだった。実際の遺体は一体どんな状態なのだろうか。死体というものにまだ慣れていない達平は、できるなら見たくはなかった。


「ええそうよ。女子高校生で名前は確か、桐山このみ――」


 そのとき、吉野が年配の男性警官に声を掛けられる。話し始める二人に蚊帳の外に置かれた達平は、そこで誰かの泣き声を耳にした。階段横の駐輪場のところに、若い男性警官に付き添われた制服を着用した少女がいる。その少女が泣いていたのだ。となりには同じく学生服を着た少年が少女の肩を抱くようにして立っているが、おそらく彼氏だろう。


「どうかしたのか? もしかして被害者の子の友達、かな?」


 若い男性警官は頷くと、頼んでもいないのに事をあらましを話し出す。

 ここにいる二人の学生が桐山このみと学校に行くために部屋に寄ったところ、インターホンを鳴らしてもノックをしても出ない。次にドアノブを回したところ、鍵は閉まっている。胸騒ぎがしてドアポストを覗くと誰かの足と大量の血が見えた。そして警察に通報して今に至ると。


 と、真っ赤に目が腫れあがった少女が達平に向かって話し出す。或いは独り言つように。


「わ、わたし……わたし、このみに酷いことした。う、うう、このみに嫉妬して、嫌がらせをした。オリバー・ラングを名乗って『モジノラクエン』で嫌がらせをしたっ! な、なのに私、このみの言いぐさに腹が立って、逆ギレしちゃって……うう、だから謝りたかったのっ。それなのに、それなのになんで――このみぃぃッ」


 今にも泣き崩れそうな少女を、少年と若い男性警官が左右から支える。


 達平はオリバー・ラングって何? と若い男性警官に小声で聞く。すると若い男性警官は話す。『隣人は静かに笑う』という洋画のサイコパスな悪人の名前だと。更に、なぜ少女がその名前を付けたかということまで教えてくれた。それは、彼女の父親がそのDVDを持っていてそこから取ったというものだった。


 でも、こんな高校生もやってんだな、『モジノラクエン』。どうせ中身も文字もすっからかんの恋愛小説なんだろうな。


 達平もユーザーとして登録している『モジノラクエン』。職業を生かして警察ミステリーを書いているが、結果は散々。硬派過ぎてウケが悪いのだろう。唯一、B!ポイントを入れてくれていたピノッキーというユーザーにも、やっぱりつまらないと断じられたのか、一昨日にそのB!ポイントを削除されて今はゼロだった。


 どうにか持ち直したいんだよぁ。やっぱ、雰囲気ぶち壊すの覚悟で巨乳のミニスカポリスを投入したほうがいいんかなぁ。


 そこで思案は遮られる。吉野に呼ばれたのだ。年配の男性警官が申し訳なさそうに頭を下げていたがどうかしたのだろうか。達平は少女達の元を去ると吉野の傍にいく。


「もう、何で今頃言うのかしら、あの人。……あのね、達平君。今あの警官に聞いたのだけど、現場はどうやら密室だったみたい」


「密室? 密室ってあのミステリーでお馴染みの密室ですか?」


「そう、そんな感じの完全な密室。ドアは鍵が閉まっていて、且つチェーンも掛かっていたらしいわ。丁度そこに住人が呼んだらしい大家がいて、合鍵とペンチを使って部屋に入ったらしいの。あの警官は、犯人がベランダから侵入して、そして桐山このみを殺したあと、ベランダから逃げたのかと思って窓も調べたみたいだけど、そこも鍵が閉まっていたらしいわ」


 ああ、なるほど。そんな大事なことを言い忘れていたから頭を下げていたわけか。


 いや、そんなことはどうでもいい。それより今聞いた話が事実ならば、この案件は事件性がないということになる。


 つまり殺人ではなく、

 

 それを口にすると、吉野は静かに頷いた。


 しかし自殺するにも方法というものがある。薬物、首吊り、練炭、動脈のリストカット。選ぶならその辺が妥当だろう。自分の心臓を包丁で突き刺すなんて狂気の沙汰としか思えない。


「ただやっぱり信じられない部分もある。だから鑑識の現場検証で、例えば包丁なんかから犯人らしき人物の指紋でも出てくれば、この気持ちもすっきりするのだけどね。あ、殺人ですっきりしちゃ駄目よね。それでその可能性も視野に入れて一応、周辺に聞き込みしたいのだけど……ああ、聞き込みと言えば――」


 吉野は達平が来る前にアパートの住人の一人から、色々と教えてもらったらしい。その話にはとても興味深いもの二つあった。


 

 一つは、


 パジャマ姿の桐山このみが錯乱した状態でアパートから走り去っていったこと。

 

 もう一つは、


 となりの部屋の男に殺されるかもしれないって言っていたこと。


 

 それを聞いた達平は当然こう言った。


「それじゃ、犯人は隣人のその男じゃないっすか。騒音問題のこじれや歪んだ愛情からくる隣人による殺人――。密室の謎はともかく在り得るストーリーですよ。その男をとっ捕まえましょう。何のんきに構えてんすか? 取り敢えず二階に行きましょうよ」


 二階に足を向ける達平。しかし吉野に止められた。


「その必要はないわ」


「必要はない? ああ、そうか美鈴さんがもう行ったんすね。で、外出中でいなかったと」


「違う。そうじゃなくて、。彼女は202号室に住んでいるのだけど、その両どなりには誰も住んでいないのよ」


 一瞬、寒気がした。なぜだろう。


「……それじゃ、なんですか。彼女はいもしない隣人の男に追われたあと、う這うのていで部屋に戻ったと思ったら、その部屋の中で自分の心臓を包丁で突き刺した、と」


 分からない。理解の範疇を超えていて考える気力すら失せた。と、後ろから少女と共にいた少年の呟くような声が聞こえた。


「俺達のせいかもしれない。俺達のせいで、得体の知れない何かを呼び込んじまったのかもしれない」


 得体の知れない何か。


 それはあまりに抽象的で曖昧な存在。でも達平はそれが妙にしっくりくる気がした。


 達平の頬に何かが落ちる。

 見上げると雪が降っていた。


「雪、三年ぶりね」


 吉野が言う。


「そうっすね」


 今日は寒くなりそうだ。達平はコートの襟を上げると吉野と共に聞き込みへと向かった。





 了。

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欠落少女 真賀田デニム @yotuharu

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